昭和51年
年次世界経済報告
持続的成長をめざす世界経済
昭和51年12月7日
経済企画庁
第1部 景気回復下の世界経済
第1章 景気回復の進展
以上のように,世界景気は主要工業国を中心として75年後半以来回復に転じ,その後現在まで,全体としてみると,ほぼ順調な拡大傾向を示している。この間にみられた今回の回復期の格徴としては,つぎの5点が挙げられる。
第一は,74~75年の不況をとくに深刻なものにした事情が,回復過程では逆転し,回復を促進子る方向に働いていることである。すなわち,不況の進行過程では,異常なインフレによる実質所得の低下や個人貯蓄率の上昇が,個人消費の停滞をもたらし,とくに石油危機により乗用車需要も激減した。
さらに,各国の不況が輸入の大幅な減少を通じて国際的に波及したことも不況を深刻化せる一因となっていた。これに対して,回復への過程では,物価の鎮静化による実質所得の増大,先行きに対する不安感の緩和による貯蓄率の低下などから,個人消費が早めに大幅に増大して,回復のけん引力となった。とくに2-3年にわたり抑えられた乗用車の買替需要の顕在化も大きな拡大要因になった。さらに,アメリカ,西ドイツなど大国の回復が先行し,その輸入が急速に増大したこともあって,国際波及を通じる各国景気上昇への刺激も大きかった。
第二は,欧米主要国における景気回復の主要因や,回復のリズムに共通点が多くみられることである。景気が底入れした時期については,数カ月の差がみられ,るものの,75年秋ごろから76年はじめにかけて,乗用車を中心とする個人消費の大幅な増加と在庫調整の一段落が支柱となって,欧米諸国は急速な拡大を示した。また,本年春ごろから,個人消費の伸びが著しく鈍ったこと,在庫減らしから在庫積増しへの転換による生産拡大効果が一巡したこと,などのために,主要国の回復テンポはほとんどすべての国で鈍化している。
第三に74~75年の景気後退が,期間も長く,幅も大きかったために,約1年間にわたる順調な回復にもかかわらず,現在の経済活動水準が未だ比較的低いことである。この結果,多くの国で失業率が著しく高いと同時に,設備の操業度も低い。このため過去の回復期にくらべて民間設備投資の回復テンポも下回っている国が多い。
第四は,石油危機や二桁インフレの後遺症として,物価上昇率がなお著しく高い国が多く,また先進国全体としてみると経常収支の赤字傾向が残っているだけでなく,生産の増大にともなって赤字幅が拡大しつつあることである。このため,各国政府当局の政策運営も慎重となっている。
第五は,主要国の間に,物価や国際収支動向に大きな跛行性がみられ,その結果,西ヨーロッパの諸通貨に動揺がくり返され,景気底入れから1年にも満たないのに,かなりの国で金融引締め策がとられていることである。
以下では,まず今回の回復期における主要な需要項目の動きを検討する。なおここで指摘した第三,四,五の特徴については,第2章で改めて分析する。
アメリカ,西ドイツ,カナダ及びイギリスの実質GNPの回復に対する主要な需要項目の寄与の度合をみると(第1-6,7,8,9表),アメリカでは75年下期の実質GNP回復の約8割が個人消費と在庫投資の増加によるものであり,また,76年上期においてはGNP増加の殆んど全部がやはり個人消費と在庫投資の増加によるものであった。この間住宅建築や非住宅投資も回復したが,その寄与度は低い。西ドイツの場合もアメリカほどではないが個人消費と在庫投資の寄与率が高く,76年上期になると輸出の寄与率が最大となった。 (第1-6表, 7, 8, 9)
カナダの場合は,75年下期の回復は主として個人消費の増加によるものであったが,76年上期になるど個人消費の増勢が鈍化する半面で,在庫再蓄積と輸出の増加が重要な回復要因となった。
イギリスの場合は,輸出の増加と在庫投資及び個人消費の回復が75年第4四半期からの景気回復の主因となった。
以下,各需要項目の回復に果たした役割について簡単にみてみよう。
今回の景気回復をリードした主役は消費の回復であった。消費の回復は第一にGNP全体の回復に先がけて上昇に転じたこと,そして第二に当初の回復過程においてGNP増加寄与率が高かったこと,という二つの意味で景気上昇のけん引力となった。ここでは今回の消費回復の特徴と要因についてみよう。
今回の景気上昇過程の消費動向にみられる第一の特徴はGNPの上昇に先がけて回復を示したことである。アメリカでは実質GNPは75年第1四半期を底に上昇に転じたが実質消費支出はそれより1期早い74年第4四半期を底に急速な回復を示した。また,西ドイツでは実質GNPは75年第1四半期が底であったが,実質消費は75年年初から着実な増加を示した。フランスでも景気回復時の75年秋に先立ち75年第2四半期から回復に転じている。
このような消費の回復のテンポを各国別に過去のそれと比較してみると日本,西ドイツでは前回,前々回より回復速度がおそいが,アメリカでは不況期における落ち込みが大きかっただけに過去の景気局面と比較し,ほぼ同じか,もしくは若干高いテンポの回復がみられた(第1-6図)。
第二の特徴は消費の景気回復に果した役割の大きさである。アメリカについて個人消費のGNP増加寄与率を計算すると75年第1四半期から第2四半期にかけGNP増加の75.2%が個人消費で占められており,過去の回復第1期の寄与率(70~71年60%,60~61年14%)を上回っている。
このような特徴は西ドイツについてもあてはまる。75年第1四半期から第4四半期にかけての個人消費のGNP増加寄与率をみると47%にのぼり,67年不況の回復初期9カ月間のそれが20%にとどまっていたのにくらべて著しく大きい。
今回の消費回復の要因としては第一に実質所得の増大,第二に消費性向の回復をあげることができる。そして第一の実質所得の増大についてはさらに2つの部分にわけて考えることができる。即ち名目所得の増加による部分とそれをデフレートする物価の鎮静化による部分である。
(名目所得の伸び)
今回の回復初期においては,名目所得の伸びは,イギリスを除いて,余り大きくなかったが,減税や移転支出の増大などの政策措置によって,名目可処分所得の伸びがたかめられたことは見逃せない。
たとえば,アメリカでは,75年上期の個人所得の伸びは74年下期にくらべ2.8%(季調済前期比)と低い伸びであった。しかし同期間中移転所得が,14.6%と大幅にのびたことに加え,減税の結果,個人所得税が8.9%減と大きく軽減されたため個人可処分所得は5%の高い伸びを維持することができた。
また,西ドイツにおいても同様75年上期の賃金・俸給はほとんどふえなかったが,移転所得の増大,個人所得税の低下の結果個人可処分所得は前期比5.5%伸びた。一方イギリスでは名目所得は賃金・俸給を中心に大幅な増加を示した (第1-10表)。
(物価の鎮静化による実質所得の増大)
今回の回復初期においては,名目所得が一部の国を除きそれほど伸びなかったことを考えると,物価の鎮静化が消費回復に果した役割は大きかったといえよう。
第1-7図は,71年以降の主要国における消費者物価上昇率,実質所得,実質消費の動きをみたものであるが各国とも物価上昇率と実質消費との間には逆相関の関係がみられる。たとえばアメリカでは75年第2四半期に消費者物価上昇率が前期の11.0%から9.6%へとその騰勢を鈍化させはじめた頃から消費の回復がみられた。この点は西ドイツについても同様のことがいえる。事実この期間の消費ビヘイビヤーについて実質所得,物価上昇率,習慣効果(過去3四半期の実質消費の平均値を説明変数とする消費函数を推計してみるとアメリカ,イギリス,西ドイツとも物価上昇が消費支出を低下させる要因として働いていることが わかる(第1-8図注参照)。この簡単なモデルを使って75年に入ってからの回復要因を分析してみると,アメリカでは75年4~6月期,7~9月期と消費者物価の上昇率が低下してきたことが消費回復要因として大きく寄与したことがわかる。その後75年未から76年年初にかけて物価上昇率の低下が実質所得の増加に反映され実質所得あるいは習慣効果が回復要因として大きなウエイトを占めるようになった (第1-8図)。
西ドイツでは物価上昇率が小幅であったために,物価上昇の消費に与える効果そのものが他の工業諸国とくらべ小さいという特徴がみられた。従って今回の回復過程では実質所得の向上が消費回復に寄与した面が大きかったとみられる。
このように石油ショック後の物価上昇率がかってない程大幅であったため物価鎮静化を通じての消費の回復がみられたことも今回の特徴であった。
(貯蓄率の低下)
消費回復の要因の第二は消費性向の回復である。昨年度の白書でも指摘されたように,74年に入ってからの消費停滞の大きな要因は貯蓄性向の上昇であった。貯蓄性向はインフレによる金融資産の目減り補てん,失業率の上昇からくる生活防衛などによる消費者心理の変化から変動するものと考えられるが,74年から75年の前半にかけて上昇をみた各国の貯蓄性向は,景気回復にともなう失業率の低下,インフレの鎮静化などを背景に 再び低下している(第1-9図)。
たとえば,アメリカの個人貯蓄率は,1970~74年の平均7.2%から,75年上期には8.1%に上昇したが同年下期には7.5%へ,さらに本年上期には7.0%へと大幅に低下した。このようにアメリカにおいて貯蓄率が比較的はやく低下したことの原因として消費ビヘイビヤーが構造的に変化していなかったことが指摘できる。
先にみたアメリカの消費函数を石油ショック以前と以後にわけて計測してみると石油ショック後も基本的に構造変化をしていないことが統計的に検証できる(第1-11表F値参照)。従って物価の鎮静化,失業率の低下の回復とともに消費性向が比較的すみやかに上昇に転じたものとみられる。西ドイツでも,個人貯蓄率は,70~73年平均の14.2%から,次第に上昇し,75年上期には16.8%という戦後最高のレベルに上昇した。しかし,失業の減少,物価の鎮静化につれて,同年下期から低下に転じ,76年上期には14.5%へとほぼ不況前の水準にもどっている。
イギリスについては,個人貯蓄率はすう勢的に上昇傾向を示しているが,とくに,消費者物価の前年比上昇率が二桁になった74年はじめから,貯蓄率の上り方も速まった,注目されるのは,物価の鎮静化がおくれたことを反映して,貯蓄率は75年第3四半期まで上昇しつづけたことである(第1-9図)。
個人消費の中では,耐久財,とくに自動車の購入が,もっとも景気に左右されやすく,不況期の減少,回復期の増大の目立つことは,従来にもみられた現象である。しかし,今回は,不況が深刻であったうえに,石油ショックの影響も加わって,73~75年における自動車購入の減少はとくに大幅であった。たとえは,75年の乗用車登録台数を73年にくらべると,アメリカ,イギリス,イタリアではいずれも27%,フランスでは14%も下回っていた (第1-12表)。(西ドイツでは72年から74年にかけて24%減少したのち,75年にはかなり回復した)。しかし,75年後半から乗用車の需要も回復し,76年に入って大幅に増加,76年1-6月の登録台数は前年同期を大きく上回っている(アメリカ28%増,フランス31%増,西ドイツ17%増など)。こうした乗用車需要の回復した要因としては72~73年の好況期に購入された乗用車の買替え時期が到来したこと,73年末の石油価格上昇によって抑制された買替え需要,並びに新規の購入が景気の回復に伴って顕在化してきたことなどがあげられよう。
景気後退または回復の過程で,在庫投資の激変が数量的に大きな役割を果すことはよく知られているが,今回も例外ではなかった。いなむしろ今回は在庫投資の変化が過去に例をみないなど大きかった。75年上期の落込みが主として在庫べらしによるものであったように,同年下期以降の回復も在庫べらしの一巡から在庫再蓄積への動きが大きな要因となった(第1-10図)。
これをアメリカについてみると,75年上期の実質GNPは前期比2.8%減少したが,そのうち2.3%は在庫べらしによるものであった。また下期の実質GNP増加3.9%のうち,1.6%が個人消費増,1.5%が在庫べらしの一巡によるものであり,さらに76年上期の実質GNP増加3.2%のうち,2.0%が個人消費の増加,1.2%が在庫再蓄積によるものである。戦後の過去4回の景気回復期とくらべて今回はとくに在庫投資の変動が GNP回復に大きな役割を果したことは,第1-13表から明かであろう。
このように在庫投資の変動が今回とくに大きかった理由は,石油危機後に供給不足と物価上昇予想から在庫蓄積の動きがつよまったのに対して,最終需要は減少傾向をつづけ,とくに74年第4四半期には個人消費を中心に最終需要が急減したため,膨大な滞貨が生じたことにある。いまアメリカの非農部門の最終販売に対する在庫の比率をみると (第1-11図),74年中に次第に上昇し,同年第4四半期には0.271と戦後の最高となった(従来の最高は70年第4四半期の0.260)。これが75年第1四半期の急激な在庫べらしの原因となった。その後の景気回復期においても在庫べらしが75年第4四半期までつづいたため,最終需要の回復と相まって,在庫比率は0.239と,過去10年来の最低へ低下した。その結果76年第1四半期から急速な在庫再蓄積の動きがおこったのである。
西ドイツの場合は,在庫投資の変動は他の諸国ほど大きくはなかったが,それでも76年上期の実質GNP3.5%増のうち,1.3%が在庫再蓄積によるものであった。
また,OECDの推定によると,7大国の実質GNP増加(前期比)のうち,在庫変化による割合は75年下期が約38%,76年上期が約31%となっている。
ただし本年にはいって在庫べらしから蓄積に変ったとはいっても,積増しされてきたのは主として原材料や中間財であって,これらについては価格上昇懸念からの在庫手当といった面もあったようである。完成品の在庫についてはECのビジネス・サーベイイによると(第1-12図),製品在庫の過剰感は75年春をピークに漸次減少し,76年央の時点では正常水準へかなり近づいているものの,EC全体としてはまだ在庫を過大とする企業の割合が過少とみる企業の割合を若干上回っており,一般に完成品については企業の在庫政策はまだ慎重のようである。
住宅建築も今回の景気回復にある程度の寄与をしたが,カナダを除くといま一つ盛り上がりにとぼしい。
アメリカでは,景気回復後76年第2四半期までに住宅建築投資は実質で約30%増加した。これは過去の回復期にくらべるとまずまずの増加率であるが(第1-14表)後退幅が非常に大きかっただけに,後退前のピークとくらべるとまだ非常に低い水準である。民間住宅着工件数でみると,75年第1四半期の年率90万戸台から最近の140~150万戸へ回復しているが,72年の年率240万戸台にくらべるとまだまだ著しく低い。
西ドイツでも,先行指標である住宅建築許可容積でみると,政府の助成措置に助けられて75年秋から76年春まで急増のあと,その後は減少している。
またイギリスでも着工数は増加傾向をつづけているが,先行指標は最近弱含みとなっている。
他の諸国の場合も,着工数または許可数でみて住宅建築は回復基調にある (第1-15表)。
住宅建築の回復は,金利低下や抵当貸付資金の潤沢化,各種の政府助成策などによるものだが,他方どの国も71~72年の行き過ぎた住宅ブームの後遺症で売れ残り住宅がまだ多いこと,また地価や住宅価格がブーム期に異常に高騰したことが,やはり阻害要因となっている。
設備投資は,72~73年の同時的ブーム期に各種基礎財の供給隘路に悩まされたこともあって,今次後退期においても初めの頃は比較的堅調に推移していたが(比較的早めに投資抑制策をとった西ドイツを除いて),74年後半から75年前半にかけて景気見通しの悪化,利潤減少,操業度低下などを背景に急減した。
その後景気の回復がすすみ,景気回復後約1年余経過した現在,設備投資はまだ目立って回復していない。どの景気回復期においても,設備投資の回復は一般景気の回復より遅れるのがつねであるが,今回はとくに出遅れているようである。
アメリカの設備投資(非住宅投資)を国民所得ベースでみると,実質GNPの回復に2四半期遅れて回復しはじめ76年第2四半期までに4.4%回復した。過去の回復期とくらべると,回復テンポは遅く,とりわけ後退期の落込みが戦後最大であっただけにその感が深い。
西ドイツの場合は,今回の回復期に国民所得ベースの設備投資(非建設投資)は回復後5四半期間に11.3%増加し,76年第2四半期の水準は後退前ピーク(73年第1四半期)まであと3.1%のところまで回復した。67~68年回復時にくらべても活発な回復ぶりであるが,これは主として投資補助金(74年12月導入,発注期限75年6月末,設備財引渡し期間76年6月末)の効果によるものとみられている。つまり投資補助金(投資額の7.5%を交付)の利益にあずかろうとして,企業が76年6月末までに設備投資を繰上げ実施した面が大きく,企業の設備投資意欲が真に盛り上がったかどうかは未だ疑わしい。
またフランスについても同様である。このように設備投資が基調としては回復傾向とはいえまだ概して低調なのは,操業度がまだ依然として低いために拡張投資の誘因が少ないこと,石油ショックや戦後最大の不況を経験したことなどから中期的見通しがたてにくい点にある。
これらの点については,第2章で改めて検討を行う。
今回の不況がインフレを伴った不況であったために,各国とも引締め対策から景気刺激策への転換は従来にもまして慎重であったが,生産低下と失業増加が急テンポで進行しはじめた74年秋頃から,金融面での緩和措置が漸次すすめられ,ついで同年暮から75年春にかけて西ドイツ,アメリカ,カナダなどで,所得税減税や民間投資刺激策あるいは特別公共投資計画など,かなり本格的な景気刺激策がとられた。フランスとイタリアの場合は,物価上昇率がまだ高く,経常収支赤字も大きいこともあって,景気刺激策の採用が相対的に遅れた。フランスは75年4月に投資減税など若干のリフレ措置をとったあと,9月に社会保障給付の特別支給,賦払信用規制の緩和,公共投資の増額など一連の景気刺激策をとり,イタリアも8月に公共投資の増額を中心に景気刺激策をとった(住宅建築促進,公共投資増額)。
イギリスは,74年春に引締め予算を編成したあと,同年夏以降2回にわたる補正予算で緩和措置をとったが,75年春の予算は増税を中心とする消費抑制策の予算となり,さらに同年夏には小規模ながら一連の失業対策,投資刺激策をとるなど,他の諸国とやや異なるパターンをみせた。
これらの刺激策のうち,所得税減税や社会保障関係給付の増額など家計の購買力増強策は,不況の主因の一つが個人消費の減少にあっただけに,重要な景気回復効果をもった。また住宅建築助成策や民間投資刺激策も,それぞれの分野で需給の回復または下支えに役立った。公共投資増強策も,不況下の税収減によりとりわけ地方自治体の公共投資が減少する局面で,公共投資の減少を食いとめる役割を果した。
失業増加による振替支出の増加もあって,75年の政府支出はどの国でも大幅にふえた。他方収入は不況による税収減や減税措置などで減少したため,多額の財政赤字を出した。とくにイギリスやイタリアの政府部門の赤字は75年にGNPの10%余に達し,西ドイツでも約6%となったし,76年もあまり減少しないとみられている。大幅な財政赤字は不況期には景気刺激効果をもつが,回復期には民間資金需要を圧迫して設備投資を阻害しかねないし,またインフレ再燃の原因にもなり易い。そこで75年秋から76年にかけて,多くの国は景気が回復しはじめたこともあり,財政赤字を中期的に削減するとの見地から,支出を抑制する動きもみられ,一部の国を除いて政府支出の景気拡大効果は次第に弱まってきた。
ここでは,需要要因としての政府需要(消費と投資)に限定して,今回の回復過程で果した役割をみることにする。
まず,アメリカについてみると,政府購入は75年下期には上期比実質2.2%増加したが,76年上期には0.2%減となった。これはアメリカの場合,景気刺激策の重点が減税や投資刺激策など主として民間需要の刺激におかれていたためであろう。
なお過去の景気回復期における政府購入の動きをみると(第1-16表),必ずしも一定のパターンを見出しがたいが,朝鮮動乱後の軍縮期であった54~55年期を別とすれば,今回の回復期における政府支出の増加は過去のそれよりも小幅であったといえよう。
西ドイツでは75年に政府支出(名目,以下同じ)が14.7%も増加したが,その中身は振替支出や人件費の増加が主であって,公共投資は4.5%増(実質1.5%増)にとどまった(第1-17表)。
不況対策として74年9月から75年8月までに3回の特別公共投資計画が発表されたが,それにも拘らず75年の公共投資が実質で小幅の増加にとどまったのは,これらの計画が比較的小規模で,主として不況地域や不況産業を対象としたものであったのに加えて,不況による税収減で地方自治体の公共投資が抑制されたためである。それでも前回不況期の67年に不況対策として特別公共投資計画が実施されたにも拘らず公共投資が12%(名目)も減少したのに比べれば,75年の公共投資は一応景気回復に役立ったといえる。76年上期になると,政府支出全体では前年同期比8.9%の増加だったが,政府投資は前年同期比6.8%の減少となった。
イギリスの場合は,政府支出は74,75年とも約30%も増加したが,これは主として物価上昇によるもので,実質では74年に13%増のあと,75年は約1%増にとどまった(第1-18表)。76年上期も第1四半期の実績でみると前年同期比で実質不変とみられる。ただし政府部門(一般政府と公社)の固定投資(除住宅)は,75年に実質0.2%増,76年第1四半期に前年同期比0.9%増とわずかながら実質増となっており,民間部門の減少をやや相殺する働きをした (第1-19表)。
フランスの場合は,公共投資の増加が大きな景気回復要因になったとみられる。政府は75年4月と9月に特別公共投資計画を発表したが,それにより75年の公共投資は実質7%増,76年は実質10%増とみられている(OECD推定)。このようにフランスにおいては,個人消費と並んで公共投資の増加が回復の重要な起動力となった。
今回の主要国の景気回復過程においては,アメリカと西ドイツという,世界第1,2位の大輸入国の景気が,他の国にさきがけて底入れしたために,輸出入を通じる直接的な景気波及効果も大きかった。以下では,まずこの両国の輸入増加の状況を検討し,ついで,それが他の国々の輸出増大を通じて,景気の回復にどの程度貢献したかをみよう。
(米・西独の輸入増加テンポとタイミング)
アメリカの輸入(数量)は,GNPの底入れに1期おくれて,75年第2四半期に下げ止まり,その後1年間に29.5%という大幅な増加を示した。この増加テンポは,70年,58年の輸入回復期におけるもの(それぞれ14.7%と5.1%)よりはるかに急速であった。
西ドイツの場合,輸入(数量)は,75年第1四半期にGNPの底入れと同時に下げ止まり,その後76年第2四半期までの5四半期間に,18.7%の増大を示した。67~68年の回復期の増加率(8.6%)の2倍以上のテンポである。
このような,アメリカ,西ドイツの急速な輸入増加は,他の工業国の輸出に好い影響をもたらした。まず,対米輸出依存度の高い日本(73~75年の対米輸出比率23%)の対米輸出は,75年第2四半期を底として増加に転じ,その後1年間に65%も増大した。
西ドイツの対米輸出も,75年後半に急速に増大したが,76年に入ってからはむしろ減少しており,それに代ってEC諸国向けの増加が目立っている。イギリスの場合はややおくれて,75年第4四半期になって対米,対西独輸出が増大に転じている (第1-13図)。
(各国の総需要への寄与)
つぎに,輸出の増加,とくに対米,対西独輸出の増加が各国の総需要の回復にどの程度貢献したかを数量的に検討してみよう(第1-20表)。
日本についてみると,76年第2四半期までの1年間に総需要(70年価格,以下同様)は6.1%増加したが,このうち半分近い2.8%が輸出の増加によって占められている。とくに,対米輸出がこのうちの1.3%を占め,またEC向けの輸出も総需要を0.3%引上げる効果をもっていた。
イギリスの場合も,輸出の増大が総需要の拡大に大きく貢献している。総需要は,75年第3四半期から76年第1四半期までに3.1%ふえたが,その半分以上が輸出の増大によるものであり,対米輸出は0.3%,対EC輸出が0.8%の寄与を示している。
西ドイツにおいても,輸出の貢献はかなり大きく,75年第3四半期から76年第2四半期の間における総需要増加の約3分のlに相当している。とくにEC諸国向け輸出の寄与が大きいが,これは,西ドイツの景気回復が他のEC諸国に好影響を与え,それらの国の景気回復が,さらに西ドイツの輸出に波及したためとみられる。
これに対して,フランスでは,輸出の増加テンポは比較的緩慢であり,総需要を押し上げる役割は余り大きくなかった。輸出増の中心は西ドイツをはじめとするEC向けであった。
以上のように,回復過程における対米輸出の直接的な景気刺激効果は,日本に対しては著しいものがあったが,西ヨーロッパ諸国については,対米輸出比率が低いためにイギリスを除いて,それほど大きくなかったといえる。もちろん,アメリカの輸入増は,韓国,台湾,香港など中進工業国からの消費財輸入の激増や,原燃料輸入を通じて,発展途上国に大きな影響を与えていることは見逃せない。
一方,EC向け輸出の増大は,西ヨーロッパ諸国にとって,景気の回復に大きく貢献しており,とくに西ドイツ向け輸出増加の果した役割は大きい。
景気の国際波及は,以上のような商品貿易を通ずる直接的なものばかりではない。アメリカ及び西ドイツ景気の回復が,各国における企業に与えた心理的効果も大きかったと思われる。