昭和51年
年次世界経済報告
持続的成長をめざす世界経済
昭和51年12月7日
経済企画庁
第1部 景気回復下の世界経済
第1章 景気回復の進展
この1年間は,戦後最大の不況から世界経済が立ち直り,先進国の景気回復を中心として,拡大傾向が次第に世界各地域に波及していった年であった。先進工業国では,75年春にまずアメリカ,日本の景気が底入れし,秋ごろまでには主要7カ国(米,加,独,仏,英,伊,日)のすべてが拡大に転じ,76年春にかけて,大方の予想を上回る急速な回復を示した。その後回復テンポはかなり鈍化しているものの,全体としてみれば,ほぼ順調な上昇基調を示している。このような先進工業国の景気回復を反映して,74年来縮小をつづけていた世界貿易も,75年後半から拡大に向かっており,同年秋以後は発展途上国の輸出もふえはじめている。
しかし,景気が回復しつつあるとはいっても,石油ショックと二桁インフレによって生じた戦後最大の不況の残した傷あとも大きい。OECD諸国の失業者はなお14百万人をこえているし,鎮静化したとはいっても,物価上昇率は未だ著しく高く,景気回復にともなって,一次産品価格の反騰と卸売物価の騰勢が巨立っている。膨張する財政赤字に悩まされている国も少なくない。また,産業の操業度が未だ低いために,設備投資の回復も,従来の回復期にくらべると出おくれている。
さらに,不況中は輸入の減少で一時的に改善していた一部諸国の国際収支が,景気回復にともなう輸入の増加によって再び悪化している。これに,物価上昇率の格差が重なって先進諸国の間には,「弱い通貨国」と「強い通貨国」とに分極化する傾向がみられ,それが76年はじめ以来西ヨーロッパ諸通貨の動揺の頻発となって現われている。この結果,弱い通貨諸国では,未だ景気回復が十分でなく,大量失業をかかえているにも拘らず,金利引上げなどの引締め措置の採用を余儀なくされている。
このように,今回の景気回復は,現在までほぼ順調な動きを示しているが,設備投資の出おくれ,一部諸国の金融引締めなど,過去の回復局面とはかなり異なった様相をみせている。
先進国の景気回復は,まず75年春頃にアメリカと日本ではじまり,ついで同年夏から秋にかけて西ドイツ,フランスとつづき,やや遅れてイタリア,イギリス及びその他の西欧小国が回復過程にはいった。
こうして75年中に殆んどすべての工業国の景気が回復に向い,76年春頃には先進国の同時的上昇の様相が濃くなりはじめた。(第1-1表)
このように景気回復のタイミングに国別の差がみられた理由としては,①不況の度合いやインフレ,対外収支面の格差を反映して各国政府がとった景気刺激策のタイミングと強度に差があったこと,②各国の輸出依存度に大きな差があったこと,などの事情が考えられる。
不況が早くからはじまり,その結果インフレの鎮静化や国際収支の改善も比較的早めにすすんだ西ドイツ,アメリカでは,既に74年秋から75年春にかけて景気政策が引締めから刺激へ転換したのに対して,不況への突入が遅れまたインフレや国際収支の改善もおくれたイタリアやフランスでは景気刺激策の採用に慎重であって,財政面からかなり本格的な景気対策がとられたのは,ようやく75年夏から秋にかけてであった。またイギリスは75年中に若干の投資刺激策をとったほかは,特別な景気刺激策をとらなかった。
アメリカのように輸出依存度の低い国では,国内の景気刺激策だけでかなりの景気回復効果をもつことができたが,西ドイツのように輸出依存度の高い国では比較的早めに刺激策をとったにもかかわらず世界不況による輸出の減少で相殺されて,回復効果がなかなか出現しなかった。
しかし,75年秋以降は後発国の景気回復も次第に軌道にのり,国際波及を通じて互いに需要を増やし合いながら先進国全体としての回復テンポが早まり,それが76年春頃までつづいた。しかしその後は比較的ゆるやかな上昇過程に変った。
今次不況がインフレと国際収支問題を伴った特異な不況であったことから,74年秋以降の不況の深化にも拘らず,主要国の政策当局は景気刺激策の採用に慎重な構えをみせていたし,また企業や家計も戦後最大の不況の影響で景気の先行きについての信頼が低かった。そのため,75年中に景気が回復するにしても,回復テンポはおそらく緩慢なものとなろうというのが大方の見方であった。しかし実際には景気回復テンポは意外に速く,過去の回復時のそれとくらべても遜色がなかったことは,第1-1図,第1-2表からも明らかである。アメリカの場合,回復後6四半期間の実質GNPの増加率は9.6%で,戦後5回の回復期の平均上昇テンポ(9.8%)と殆んど変らない。
西ドイツの場合も,75年第2四半期から76年第2四半期までの5四半期間の実質GNPの上昇率は6.3%で前回の回復期(67.II~68.II)の7.0%よりやや鈍い程度であった。(第1-2図)
このように景気回復が意外に速かったため,76年の実質成長率についての各国政府や国際機関の予測もつぎつぎに上向き修正されてきた。たとえば主要7カ国の76年の平均成長率に関するOECDの予測をみると,75年12月における鉱工業生産の推移には41/4%とされていたが,76年7月の予測では6%へと上向きに修正をされている (第1-3表)。
いずれにせよ,こうした主要国の急速な景気回復によりOECD諸国全体の実質GNPは75年上期に年率4.1%低下したあと,下期には年率4.4%の上昇となり,さらに76年上期には年率6%程度の上昇となったと見込まれている(第1-4表)。この上昇テンポは前回のブーム期である72-73年のそれ(72年下期7%,73年上期8%,いずれも年率)には及ばないが,過去のどの回復期とくらべても遜色がない。
このように景気回復テンポは意外に速かったが,不況期の落ち込みが大きかっただけに,後退前ピーク水準にくらべると,それを上回る度合は過去の同様な時期よりも小幅であった (第1-2表)。
この点は,各国の需給ギャップがまだ大きいことからも窺われる。その一つの指標として製造業の稼働率をみるとアメリカの製造業稼働率は75年第1四半期の67.0%から76年第3四半期の73.6%へ回復したが,過去の回復期の同様な局面での稼働率にくらべてかなり下回っている。西ドイツの場合も,76年7月の稼働率は81.4%で,67-68年の回復期のそれにくらべればまだ低い。いずれも今次不況期に稼働率が大きく低下したことの反映である。
75年の世界貿易は,先進国の不況を反映して沈帯した。IMF統計によると,世界の輸出総額は,前年比3.1%の増加をみたが,これは物価上昇によるもので,数量でみると5.0%の減少であった。世界輸出数量が前年比で減少したのは,58年以来はじめてである。これは主として先進国の輸入数量が8.1%の減少を示したためで,非産油発展途上国の輸入は,0.3%の減少にとどまり,一方産油国の輸入は約50%という大きな伸びをつづけた。
しかし,75年中の推移をみると,74年第3四半期以来減少を示していた世界輸出数量は,75年第3四半期から増大に転じ,76年第1四半期まで年率14%の増加を示した。このような世界貿易の回復は,主として先進工業国の景気回復によるものである。これは,76年第1四半期の世界輸入の前年同期比増加率が10.5%にとどまっていたのに対して,工業国の輸入は13.0%も増加したことにも示されている。
この点を,世界輸入の7割を占める工業国について,季節調整後の数量でみると, 第1-5表の通りである。すなわち,工業国の輸入数量は75年第3四半期から急速な増大に転じ,76年第2四半期までに年率16.5%の増加を示している。この結果,76年上期の工業国の輸入数量は前年同期を約15%上回り,輸出の伸び(約10%)を上回っている。
工業国の景気回復は,発展途上国や共産圏の輸出にも好影響を与え,発展途上国の輸出も75年秋ごろから回復しはじめ,76年に入ってからは,一次産品価格上昇も加わって,増加テンポをたかめている。
他方,74年から75年上期にかけて大幅に増加した産油国の輸入は,同年下期以降輸入消化能力の欠除などから高水準ながらやや鈍化している。また共産圏の輸入も,75年上期まで著増のあと,外貨不足もあって鈍化傾向をみせている。非産油発展途上国の輸入は,75年春以来最近まで減少傾向をつづけている。(第1-3図)
74-75年不況は戦後最大の不況であっただけに,それによって発生した失業者数も過去の不況時とは比較にならないほどの大量にのぼり,OECD諸国全体で74年秋の770万人から,75年10月の約1,525万人(失業率5.5%)へ増加した。
その後は景気回復の進行につれて失業者数も漸次減少し,76年央現在では約1,400万人(失業率5%)へ低下したが,この低下の大部分はアメリカと西ドイツに生じたもので,他の諸国の雇用情勢はさしたる改善をみせていない。
これを主要国の失業率の推移でみると,アメリカは75年5月の8.9%から76年5月の7.3%まで低下したものの,その後は再上昇し,9月には7.8%となった。西ドイツの失業率も,75年5-9月の5.2%をピークに徐々に低落して76年5月の4.6%まで下ったが,その後は下げどまっている。その他諸国の場合は失業増加テンポが最近かなり鈍っているものの,なお増加しているところが多い。(第1-4図)
もっとも,景気の回復にくらべて雇用情勢の改善が遅れること自体は,過去の景気回復期にもみられた現象である。これは,景気回復の初期には,生産の増加が主として労働時間の延長や生産性の向上などによって賄われ,また,主婦の新規参入もあって労働力率も高まるからである。しかし,問題は現在の失業率の水準が過去の回復初期の段階にくらべて著しく高い点にある。これについては第2章で検討する。
石油ショックを契機に殆んどすべての国が二桁インフレに見舞われたが,不況の進行につれて物価上昇率も次第に鈍化し,75年夏頃にはOECD諸国の消費者物価の平均上昇率(前年同月比)は一桁となった。ただし一桁とはいっても,前年同月比8-9%であって,長く深刻な不況のあとの物価上昇率としては異例の高さであった。
このように今回の景気回復は,そもそものはじめから異例の高率インフレを抱えており,各国の政策当局の苦心もいかにしてこの高率インフレを次第に鎮静化させつつ景気回復を達成するかという点におかれていた。
過去の経験によると,不況中にインフレがほぼ解消し,インフレ心理も一掃されるばかりでなく,景気回復の初期段階では賃上げ率が概ね緩やかであり,また稼働率上昇に伴う生産性の上昇が大きいために,景気回復後暫くの間は物価上昇を伴わない景気上昇(いわゆる数量景気)が実現することが多かった。その点今回も基本的には例外でなく,75年末頃までは卸売物価,消費者物価とも鎮静化傾向をつづけていた(第1-5図)。しかし,76年にはいって卸売物価の騰勢が高まる国が多くなった。これは主として1次産品価格が75年暮頃から反騰したことと,企業が不況下に低下した利幅の回復をはかる動きがみられたためである。一次産品価格をロイター指数(ポンド相場変動調整後)でみると,不況期に約32%低落したあと,75年11月から76年7月までに約19%上昇した。これは景気回復と一部投機的な動きを反映したもので,76年春以来の先進国の回復テンポの鈍化や各種農産物の豊作見込みなどから7月以降は弱含み横ばいとなった。さらに,一部の国では,76年春以来為替相場下落による輸入価格の上昇や干ばつの影響などから国内価格が大幅に上昇したことも見逃せない。
他方,消費者物価は概して鎮静化傾向をつづけていたが,76年春以降は鎮静化に足ぶみがみられる (第1-5図)。
また国別にみると,物価上昇率に大きな格差が依然残っている。たとえば76年7月の消費者物価上昇率(前年同月比)をみると,スイス(1.5%),西ドイツ(4.1%),アメリカ(5.4%)など低い国グループと,イタリア(16.3%),イギリス(12.8%)などの二桁上昇グループに分極化し,またスウェーデン(9.19%),フランス(9.4%),.ベルギー(9.2%),オランダ(8.3%)などはその中間にある。卸売物価も同様で,同じく76年7月の上昇率(前年同月比)をみると,スイス0.5%,西ドイツ4.6%,アメリカ4.9%に対してイタリア26.4%,イギリス14.7%と消費者物価以上に格差が大きい。