昭和50年
年次世界経済報告
インフレなき繁栄を求めて
昭和50年12月23日
経済企画庁
第1章 世界不況の進行と不況からの脱出
(部分的手直しから景気浮揚策へ)
以上みたような世界不況の累積的な深まりは,75年半ばには止まったが,その大きな要因となったのは,インフレの収束,金利の低下などの市場調整力に加えて,各国の政策が景気の浮揚へと転換してきたことであった。もっとも,今回の景気対策は,少なくとも74年中は,多くの国でインフレと国際収支赤字に悩まされていただけに,きわめて慎重なものであった。しかし,75年に入ると,景気対策をとる国が増え,75年夏から秋までには殆んどすべての国で本格的な景気対策がとられることになった。ここでは,こうした政策転換の過程を振返ってみよう。
まず,74年秋頃までの景気停滞期にはなお賃金・物価の騰勢は強く,経常収支も西ドイツを除く殆んどの先進諸国で大幅な赤字を呈していたため,各国は引続き総需要抑制策を維持するとともにその枠内で部分的手直しを行い不況に対処しようとした。
すなわち,金融面では,季節的要因や短資の流出入に伴う資金需給の過度の逼迫を回避するため預金準備率の一部引下げや,資金難中小企業の救済を目的とする貸付枠の一部拡大などが行われた。一方,財政面では,不況地域や低開発地域における雇用促進策や自動車,建設等の特定不況業種対策として財政の追加支出等がなされた。
しかし,こうした手直しは規模も小さく,また総需要抑制策を補完するかたちで行われた面もあったため,この限りでは効果はあったとしても,景気後退の方向を変えれものではなかった。
その後,74年秋ないし年末以降個人消費・設備投資・輸出などの最終需要の減退が続くとともに在庫調整も大きく進展をもせはじめ,多くの国で鉱工業生産は急落し,失業が急増するなどの不況現象が深刻化した。反面,総需要抑制策の所期の目的であった物価と国際収支面では,ようやく物価高騰が一応鎮静化し,国際収支も輸入の減少を主因に改善してきた。こうしたなかで主要国は総じて74年末以降次々に政策の重点をインフレ抑制から景気浮揚へと移した。
すなわち,金融面では,公定歩合引下げ,預金準備率引下げ,融資枠の拡大等の金利低下促進策や流動性補強策が採られ,財政面では個人所得税の減税や社会保障給付の拡充,投資減税などの国内民間需要刺激策がとられた。
また,需要不足の補填・失業の直接的吸収・民間のデフレ心理の改善などを狙って公共事業の拡大なども行われ,景気対策の規模も拡大してきた。
こうして各国は総需抑制策の部分的手直しを経て本格的な景気浮揚策に転じたが,そのタイ,ミングや内容は各国それぞれに以下のようなものであった。
(主要国の景気浮揚策の内容)
主要先進工業国の中で最も早く景気浮揚策への転換を行ったのは,72-73年の引締めの場合と同様に西ドイツであった。西ドイツでは72年末以降の引締めによって石油危機が発生した当時には超過需要も概ね解消しており,また,国際収支上の懸念もほぼなかったため,石油危機後間もない73年末からすでに引締め政策の運営弾力化がみられた。これは,輸入石油価格の高騰を主因に物価が上昇を続けていたため,引続き総需要抑制策を維持しながらも,特定部門の必要以上の落込みを回避しようとする政策姿勢であり,財政面では不況地域への公共投資追加(74年2月,9月)が,金融面では弾力的な流動性の管理がなされた。
しかし,その後物価は同国としては高水準ながら国際的には最も安定的に推移した反面,74年夏以降生産の急落に伴う失業増加,設備投資の減退,消費の不振などの不況現象が顕在化してきたので74年秋から冬にかけ緩和のテンポを速め74年10月には公定歩合も引下げられた。その後12月には他国に先駆けて政策の重点をインフレ抑制から景気の浮揚へ移し,7.5%の投資補助金,不況地域向け公共投資追加等からなる対策を発表した。さらに同月に公定歩合の再引下げが,次いで翌75年1月には税制改革として既定の大幅減税,児童手当の増額(計140億マルク)が実施されたので,49年12月から50年1月の間に財政金融両面からの総合的な内需喚起策が打たれたことになる。
しかしその後も金融面から積極的な緩和が図られたにも拘らず,輸出の減少を主因に景気は回復の兆しを見出しえず足踏み状態を続け,この間,失業は75年1月の3.6%から8月の5.6%へと更に急増したため,8月にEC主要国との共同歩調のもとで公共事業を中心とする総額57.5億マルクの新たな景気対策を打出した。
アメリカでは鉱工業生産の停滞,失業増大,住宅投資の減退などを背景に74年7月に金融政策の部分的弾力化がみられた。一方,財政については政府は74年央からむしろインフレ高進や巨額の財政赤字発生の懸念を理由にその引締め的運営を強調しはじめ,10月に発表されたフォード大統領の「新経済計画」では,個別的不況対策とともに個人及び法人所得に対する5%の増税を提案した。しかし,その後年末にかけて政府の予想を大きく上回る生産急落傾向と失業の急増がみられたため,漸く,景気浮揚策への意見が一致してきた。74年12月には金融面の緩和(預金準備率再引下げ,第1次公定歩合引下げ)が促進され,失業者救済関連二法(緊急雇用及び失業者援助法,緊急失業給付法)も成立した。さらに翌75年1月に,大統領は前述の「新経済計画」で唱った増税案を撤回し「一般教書」にて新たに個人所得税構想を打ち出し,政策の最優先課題をインフレ抑制から景気浮揚策へ移した。当時(74年11~12月頃)の消費者物価は二桁台で卸売物価も20%を超えているという厳しい環境のもとでの政策転換を行なったのである。その後,大統領の減税案は議会で増額修正をうけたうえ75年3月,個人所得税減税および投資税額控除引上げを主体に総額228億ドルで成立した(この規模は額としては戦後最大であり,GNP比率も大きい部類に属する)(第1-38表)。
次いで同年7月には住宅建設資金の低利融資実施(100億ドル,約30万戸の建築を促進)などを内容とする緊急住宅法が成立した。また金融面では年が明けてからも75年央までひきつづき緩和が進められ,公定歩合引下げは74年12月の引下げを含めて75年5月までに合計5回実施された(合計引下げ幅2%)。
フランスは従来からの成長指向もあり総需要抑制策に移行したのは74年6月と遅かったが,目標は物価(74年末までに月間1%以内,75年央までに0.5~06%以内),貿易収支(75年末までに均衡)など数項目に亘り具体的に定められ,財政金融面から厳しい引締め政策が導入された。その後生産の急落がみられた秋口以降,部分的不況現象に政府は弾力的に対応してきたが,当初予定より早い物価・貿易収支面の目標達成(74年11月に消費者物価は月率1%を割り,75年2月に貿易収支は黒字に転換)を背景に75年にはいり引締めの緩和テンポを速め,第1次公定歩合引下げ(75年1月),社会保障給付引上げ(75年2月発表),融資を中心とする約160億フランの投資刺激・雇用維持策(75年4月)などが実施された。もっともこれら対策の実質的な規模は大きくなく,政府は75年央の物価抑制目標をながめ基本的には引締め基調を維持していた。しかし,春以降も失業増大や企業心理の冷込みなどが続いたため,政府は貿易収支の黒字化(1~7月で累計73億フラン)と物価の一応の鎮静化(75年6月は月間0.7%上昇)を背景に9月に公共事業の拡大,社会保障給付の特別支給など305億フランにのぼる財政措置や公定歩合の引下げ,預金準備率の大幅引下げなど金融措置からなる本格的な景気浮揚策を決定した。
イタリアは景気局面のずれや政局不安定もあって財政を含む本格的な総需要抑制策に移行したのは,74年7月と遅れたが,既に大幅な国際収支赤字と激しい物価騰貴に見舞われていたため金融・財政両面にわたるとくに厳しい引締めとなった。このため拡大基調にあった生産も74年秋以降落込みが顕著となり失業も増加傾向となった。そこで,74年12月に公定歩合を引下げるなど徐々に緩和に進み,物価・国際収支面の改善傾向を背景に75年2月以降財政面からも部分的手直しが行われた。しかし,景気が75年初めから春頃までの小康状態から,夏には再び停滞に陥いるにつれ8月にはEC主要国と協調して,公共投資拡大,地域開発,輸出振興等からなる景気浮揚策(2年間に約4.2兆リラ)がとられた。さらに9月には公定歩合の第3次引下げが加わり現在に至っている。
これに対してイギリスでは引締め色の強い74年度予算編成の後,74年夏には早くも投資意欲の増大や雇用機会の,拡大を狙った第一次補正予算(74年7月)を組み財政面からの引締め手直しに着手した。次いで,失業増大,設備投資減退といった不況現象の顕在化に対処するため企業の流動性対策を主体としてリフレ色の強い第二次補正予算を組み,翌75年にはいって民間住宅建設・繊維・輸出関係の一部挺入れを漸次行った。
また金融政策は74年中は慎重ながらも緩和の方向で運営され75年にはいり緩和テンポを速めた。
一方,実体経済の活動低下がみられるなかでインフレの騰勢は根強く続き,74年秋頃から高率賃上げによる典型的なコストインフレへと悪質化し,75年初に小康をみていたポンド(実効レート)も5月から再び下げ足を強めた。
このため,政府は75年度予算案(75年4月発表)を各種投資促進措置を織込みながらも所得税や間接税増税に重点を置き,インフレ抑制,国際収支改善を目ざした緊縮色の強いものとした。次いで,7月には「インフレ抑制白書」において賃上げ自主規制などを導入し,財政金融政策も引続き引締め気味の運営をすることを明らかにした。一方,引続き失業増大に対しては雇用補助金など個別的措置によってこれに対処している。
石油等エネルギー資源を有するカナダでは住宅建設の落込みや輸出の停滞から74年第2四半期以降経済活動は緩やかながらも低下したので,74年末以降小規模ながら景気浮揚策を導入した。75年央には景気も回復色をみせているが,消費者物価上昇率は依然として年率10%を越えて上昇しており賃金コストインフレの様相をも強めているため,9月に公定歩合が引上げられ,次いで10月に賃金物価の法的規制案が発表されて,現在はむしろインフレ対策の比重が高まっている。
(景気浮揚策の特徴と評価)
以上のような今回の各国の景気対策は,いかなる特徴を持ち,どのように評価されるものであろうか。
第1の特徴は,政策当局が物価に強い警戒心を持っているところから,そのタイミングの選択もより慎重であり,規模も控え目なものとなったことである。景気対策のとられたタイミングを公定歩合の引下げを例にとり過去と比較してみるとアメリカなどで概ね今回が遅くなっている。また,財政面からの景気対策の規模をみても,今回の場合GNPの2~4%にのぼる(第1-41図)ものの現在の需給ギャップに対し約3割(西ドイツ,イタリア)から1割5分(アメリカ)と必ずしも大きくない。さらに今回はとくに金融面ではインフレ再燃の危険に配慮してマネー・サプライの大幅な増大を回避しようという姿勢が各国ともみられる(第1-42表)。こうした政策スタンスを背景に,またなお高率の物価上昇が続いていることもあって,世界的高金利現象が解消しつつあるとはいえ,各国の金利水準も過去の緩和期に比べ西ドイツを除き依然高水準となっている(第1-43表)。
第2は,景気対策の手段として高失業やインフレ下の消費の停滞という事態にみあった政策が選ばれていることである。失業対策としては,高失業地域・産業に集中した公共事業の増額等のきめ細かな選別的政策が採用された。また,実質所得の停滞とインフレ下における財政障害(フイスカル・ドラッグ)(注)の中で景気回復を図るため,所得税の減税や振替所得の増額が多くの国で活用されたことも特徴的であった。
加えて,73年に生じた供給不足の経験にかえりみ,設備投資減税(アメリカ,フランス)や投資補助金(西ドイツ).など景気対策の一方で,潜在成長力を高めようというより長期的な観点も導入されている。
第3は,大幅な財政赤字の下で景気浮揚策をとらねばならなかったため対策が長期的赤字を生まぬよう配慮がなされたことである。しかし,国によって財政赤字に対する対処の仕方は異なっていた。アメリカでは,歳出削減の意図が繰り返し強調されているが,一方では減税を中心として完全雇用バランスを目ざす積極的な財政政策がとられている。これに対して西ドイツは,景気浮揚策をとりつつも,景気回復がなお明確とならない75年夏の時点ですでに76年度以降の失業保険料率引上げ等の増収措置(77年度以降は増税を含む)が計画されている。
第4は,今回は世界的な同時不況となったことから,一国のみの景気浮揚策では,所期の効果をあげえないことが認識され,重要な貿易相手国と協調して景気浮揚策を打出したことである。こうした動きは,75年7月のEC内の協議と8,9月の西ドイツ,フランス,イタリア,ベネルックス等の一連の景気対策や11月の主要国首脳会議に典型的にあらわれている。
以上のようないくつかの特徴は,今後とも世界景気の同時的な後退や,インフレ下の不況が経験されるであろうことを考えると多くの教訓を示すものといえよう。
30年代の大不況の再来こそなかったが戦後最大かつ最長となった今回の世界不況も,ようやくにして先進国景気が総じて底入れないし回復の様相を明瞭にするにつれ,その局面を変えてきた(第1-44図)。
こうした局面の変化は,輸出依存度や政策姿勢などの相違から国によって異なるが,概ね,①大規模な在庫調整の一巡,②物価鎮静化や減税に伴い実質所得が回復したこと,消費者の信頼が徐々に回復してきたことなどによる消費の増勢,③金融緩和や挺入れ措置などによって促進された住宅建築の回復,④政府支出の増大,⑤輸出の下げ止まり,などによるものであった。
まず各国に先駆けて底入れから回復に転じたのはアメリカ,日本及びカナダである。
アメリカ経済は74年初来の景気後退が75年春に底入れし,その後ほぼ順調な回復を遂げつつある。すなわちGNPは74年1~3月から5期連続減少したが,75年4~6月には年率1.9%(実質・季調後)と微増に転じ翌7~9月には年率13.4%と急上昇した。最終需要が,75年4~6月から増加に転じ7~9月ともそれぞれ前期比年率4~5%台の上昇を示したことに加え,上半期の急激な在庫調整の後,在庫減らしのテンポが落ちたことが重要な要因であった。
最終需要回復の主因は耐久消費財を中心に年初来増勢に転じた個人消費であり,7~9月までの半年間の最終需要増加に最大の寄与をした(寄与率91.4%)。
個人消費増加の原因としては,当初需給緩和の下でバーゲンセールスや自動車のリベート販売など販売活動が積極化したこともあるが,基本的には年初以降徐々に消費者の信頼感が回復してきたことや実質可処分所得が政策措置に加えて物価鎮静化,雇用増などから増大してきたことが大きい。消費者の信頼度の変化をコンフアレンス・ボードやミシガン大学の調査でみると74年末ないし75年初を境いにその後回復が目立ってきている(第1-47表)。また,5~6月にかけて実施された所得減税は,実質可処分所得の増加に大きく貢献したが,とくにそのうち税の払戻しは小切手を家計へ直送するという手段上の特色と相俟ち5~7月の小売売上げ急増の直接的原因となった。このため,4~6月に10.6%と高まった貯蓄率は早くも7~9月には,7.8%へ低下した。
こうした個人消費の動きを過去の同一局面と比較してみると(第1-46図),底入れまでは石油危機直後と74年10~12月の再度に亘り大きく減退する等異常な動きとなったが,底入れ後は過去の景気回復時の増加テンポと殆んど変っていないことがわかる。
73年下期以降大きく落込んだ住宅建築も75年1~3月に底入れし(年率着工数99.4万戸),4~6月微増,7~9月には着工数が年率で120万戸を越え依然低水準ながらも回復の動きを確認した(第1-48図)。回復の原因として市中金利低下に伴う住宅資金供給の増加や新築住宅購入に対する税額控除措置(75年減税法),住宅建築に対する利子補給(緊急住宅法7月)などの挺入れなどが挙げられる。こうした住宅建設回復のGNP増加に対する貢献は大きくなく(50年1~3月から7~9月の寄与率7.4%),その回復テンポも過去の回復時に比べやや遅れている。
政府支出は75年にはいってやや増加したが,これまでのところ増加テンポは57年や60年不況に比しても緩やかでGNP増加に対する寄与率も8.5%程度に止まっている。
また,設備投資は74年4~6月をピークに4四半期続けて落込んだ(75年4~6月は前年同期比16.8%減)あと,75年7~9月は前期比0.1%増と漸くほぼ横ばいとなった。過去の回復局面では遅くとも底から2四半期目には反転上昇していたことに比べ,今回の回復力は弱い。また,先行指標である資本財製造業の受注をみても75年3月を底としその後の伸びは緩やかである。
一方,在庫投資(1958年価格)は75年1~3月のマイナス117億ドルから4~6月マイナス171億ドルへと一層減少した。7~9月はマイナス23億ドルとマイナス幅が縮少し,これが7~9月のGNP増加に6割の寄与をしたことになる。
以上のように今回の景気回復局面の最終需要の伸びは個人消費を除き過去の局面に比べて弱かったが,今回は大幅な在庫調整の一巡という要因のために,底から2四半期までのGNPの伸び率は年率7.4%(75/1~3→7~9)と過去とほぼ同程度の伸びを示している。
アメリカ,日本に次いでカナダ経済は緩やかな回復を辿っている。75年4~6月の実質GNPが前期比微増に転じたあと,翌7~9月は輸出が減少し在庫減らしも一層進んだものの個人消費の回復や住宅投資の大幅伸長などにより国内最終需要の増加テンポが高まり実質GNPは前期比1%増加した。
また,これまで減少してきた対米輸出(GNPの17%強を占めている)はアメリカの景気回復に伴い最近やや上向いてきているとみられる。こうしたなか,前述のとおり秋には金融引締めなどが実施され政策面におけるインフレ対策の比重が高まった。
上記二国及び日本に続いて75年秋には西ドイツで景気は漸く回復に向いはじめ,フランスでも底入れの兆しが強まりつつある。西ドイツは物価の落着き,国際収支の黒字という環境の下で,いち早く景気浮揚策を採用し,先進国の先頭をきって底入れから回復に向うとみられたが,世界貿易の著しい縮小の影響をうけ,75年夏頃まで足踏み状態を続けた。その後輸出の下げ止り,消費の回復や在庫調整の一巡などから回復に向いはじめてきた。
まず,個人消費は年初に所得税減税など(140億マルク)があったものの,消費者の購買態度は慎重で貯蓄率も高く,消費は緩やかな伸びに止っていた。しかし,小売売上げは9月にかなり増加し,年初来好調を維持してきた乗用車売上げも9~10月は特に伸長した。
一方,設備投資は74年1~3月以降減少を続け,投資補助金の導入により一時的に製造業の資本財受注が75年4~6月に増加したものの,投資意欲は基調的にはなお弱いとみられる。
建築投資も75年4~6月まで一年間続落を続けてきた。しかし,依然不振の住宅建築を除き公共建設を中心に建築業受注や建築許可面積などの先行指標に夏頃から好転の兆しもみえ,金融緩和の急ピッチな進展や8月末の景気刺激策による同部門のテコ入れにより,今後ある程度の回復が期待される。
他方,輸出が工業国向けを主体に74年秋以降急減したこと(第1-49図)が輸出依存度の高い西ドイツ(74年の輸出はGNPの30%)の景気後退に決定的な影響を与えた。もっとも,春以降輸出は受注でみても通関でみても底入れとなり,最近は上向きの兆しもみせている。
また在庫調整は,75年4~6月にほぼ一巡し,最近は再蓄積の動きもみられる。
フランスでは74年秋口から大きく落込みをみせた鉱工業生産が75年4月から9月まで弱含みながら基調的には横ばいとなった。
小売売上げ(実質・中央銀行調査)は,75年初めにやや増加しその後は減少傾向にあったものの,7~8月の前2ケ月比1.5%増に続き,9~10月は消費挺入れ策の効果もあって前2ケ月比6.6%増(前年同期比約2.5%増・速報)と大幅に増加した。このなかで乗用車登録台数も75年6月以降前年実績を上回っている。
民間の75年設備投資計画は調査時点が新しくなるにつれて下方修正されてきているが,在庫調整は製造業製品在庫を除いてほぼ一巡し,製品在庫調整も4~5月以降順調に進展し適正在庫水準に近くなった企業が増加している。
こうして実体経済面で底入れの下地を形成しているなか,9月に発表された景気対策のアナウンスメント効果もあり,将来の生産増加を見込む企業の割合が増加してきている。
以上みたように,戦後最大且つ最長の不況も,漸く底を打ち,アメリカ,日本,カナダでの景気回復を先頭に西ドイツやフランスでも次第に回復ないし底入れの兆しがあらわれてきた。イタリアや物価・国際収支上の難問をなお抱えるイギリスでは景気回復に時間を要するとみられるが,国民総生産で先進国(OECD加盟国)の75%,世界の52%を占める上記5ケ国の景気回復は,次第に各国へ波及し,世界景気を回復させてこよう。しかし,景気上昇の持続性に関しては,従来の回復局面に比べ幾多の困難を持っており,慎重な政策運営なくしては,インフレの再燃や景気上昇の挫折を経験する危険を持つものといえる。
そうした問題の第一は,現在の大幅な需給ギャップの存在である。設備稼動率が戦後未曽有の低水準にあることに明らかなように現在の大きな遊休能力の存在は,今後需要の拡大が続いても超過需要が発生する主要因の一つが当面除去されていることを意味する。しかし,反面,次のような需要回復力の弱さに結び付く可能性も大きい。すなわち,設備投資意欲は各種の設備投資促進策にも拘らず,先行き見通し難などと相俟って資源開発などが見込まれる一部の国を除いては急速に盛り上ることは期待しがたいであろう。
また,大きな供給余力の存在は回復国の輸入増加テンポを.緩やかにし世界貿易の拡大スピードを鈍くする可能性を示すものである。
第2はコスト圧力の残存とインフレ再燃の懸念である。物価は一応の鎮静化をみせたとはいえ,過去に比ベインフレ率は高く,加えて,現在のインフレには賃金コストインフレの様相も見られ,これがその解決を一層困難にしている。また,今後については需要の回復に伴い,企業の利潤マージン回復意欲の高まりや一次産品価格の再騰の危険性など潜在的なインフレ圧力が存在している。大幅な需給ギャップの存在にも拘らず総じて今後も各国はインフレ再燃懸念から政策運営にあたり慎重な態度を保持しようし,また,インフレが回復しかけた消費者の信頼感を抑制する影響も無視できない。
第3は高価格原油の存在と石油価格再引上げの影響である。このため先進工業国でも景気回復により再び経常収支などの不均衡に悩む可能性が依然強く,これに対する各国の対応の如何によっては,景気回復を阻害する可能性も残されている。