昭和50年
年次世界経済報告
インフレなき繁栄を求めて
昭和50年12月23日
経済企画庁
第1章 世界不況の進行と不況からの脱出
1974年から75年にかけて,世界経済は戦後最も深刻な不況を経験したが,その導火線となったものは石油危機であった。
73年秋の石油危機発生前の先進国経済は,過熱景気からの鎮静化過程にあった。72年秋から73年春にかけての先進国の同時的ブームが需要超過型のインフレをひきおこし,その是正のためにとられた引締め政策が73年秋頃までに住宅建築など一部需要の衰退をもたらしていた。おそらく石油危機がなくとも,72~73年ブームの反動として,74年の世界経済は少なくとも停滞的局面を経験したことであろう。しかし,石油危機によって,不況は世界的に広がり,また,これまでの不況を上回る戦後最も厳しいものとなったのである。
石油価格の急上昇とそれに触発された一次産品価格の高騰は,消費国の交易条件悪化などを通じてデフレ効果を持ったうえに,それでなくとも既に高率だったインフレを多くの国で二桁にまで加速化させ,また石油消費国の経常収支を殆んど軒並みに赤字化させた。
石油製品をはじめとする物価の高騰は,まず消費者の実質所得を削減することで,個人消費を減少させ,既に73年はじめからつづいていた住宅建築不振と相まって,74年はじめの生産を低下させた。こうして景気後退がはじまったわけであるが,当時はまだそれを石油ショックによる一時的な現象で,下期になれば景気は回復するとの見方が多く,各国政府の最大の関心事は当然のことながらインフレの抑制と国際収支赤字の縮小におかれていた。そのため74年夏頃までの間に各国政府は公定歩合引上げや預金準備率引上げなどの金融引締め政策を強化する一方,一部の国を除いて財政面でも支出抑制や増税など引締め措置がとられた。
事実,74年央頃までは,アメリカ,西ドイツ,イギリス,日本などでゆるやかな景気後退が進行する一方,カナダ,フランス,イタリア及びその他の西欧小国ではまだ緩慢ながら上昇過程がつづいたため,先進国全体としてみれば大きな落込みはなく,弱含み横ばいといった景気情勢がつづいていた。
しかし同年下期になると,すでに後退局面に入っていた諸国でそのテンポが速くなるとともにそれまで比較的好調だったフランス,イタリアなどの経済活動も春から夏にかけてとられた引締め強化の影響もあって下降しはじめた。こうして秋から75年はじめにかけては殆んどすべての国が急カーブの下降局面に突入し,生産の急落と失業の急増が到るところでみられた(第1-1図)。
さらに,この時期には単に各国それぞれの国内需要の減少ばかりでなく同時的後退が不況を互いに輸出し合うという形で,累積的なデフレ作用を及ぼしたのである。このため,景気後退は大方の予想を大きく上回る厳しさとなり,景気回復時期は後へ後へとのばされてきた(第1-2表)。
以上のような74~75年の不況の進行過程を主要7ヵ国およびOECD全体の実質成長率でみると(第1-3表),OECD全体の実質国民総生産は73年に6.3%と高成長を示したあと,74年はほぼゼロ成長となり,75年はマイナス2%に落込むことが見込まれている。年間の推移をみると,季調済み前期比年率で74年上期0.9%減,下期1.7%減に続き,75年上期には5.1%もの大幅減を記録した。
また,鉱工業生産の動きでみると,OECD全体の鉱工業生産は73年第4四半期にピークに達したあと,74年上期中は弱含み横ばいに推移したが,第3四半期からはっきりと低下しはじめ,とくに第4四半期以降は急テンポの低落となった(第1-1図)。この結果,75年第2四半期までの9ヵ月間の低下速度は平均年率15%に達し,第2四半期の鉱工業生産は本格的な景気拡大が始まる前の72年第2四半期の水準へ戻ったのである。
以上のように景気後退が進行した結果,今回は生産の低下幅,世界的な広がり,失業増加や世界貿易縮小の程度などからみて,戦後最大の不況となった。しかも,このような不況が,鈍化したとはいえ,なお異常に高い物価上昇と並行して経験されたところに,もう一つの特徴があった。
① 戦後最大の生産低下
今回不況における生産低下の程度をOECD諸国全体の実質成長率でみると,前述したように2年つづけてゼロないしマイナス成長となった。これに対して戦後OECD諸国全体の成長率が前年比でマイナスとなった年は一度もなく,これまで戦後最大の不況といわれた58年においても,OECD全体では0.7%と,わずかながらプラスの成長であった(第1-4表)。
また,鉱工業生産のピークからの下落率をみても,今回は,OECD全体で11.7%(73年第4四半期から75年第2四半期まで)と,60~61年(低下幅1.2%),57~58年(低下幅6.5%)に比べ最も大きいものであった。
② 後退期間の長さ
また,後退期間も先進国全体としては今回が最長であった。これをOECD合計の鉱工業生産指数で代表してみると,今回は73年第4四半期をピークに既に6四半期後退がつづいている。これに対して過去の後退期では,60~61年後退4四半期,57~58年後退3四半期が長い方で,その他はせいぜ,1四半期ないし2四半期にすぎなかった。
③ 同時的後退
今回の不況の特徴の一つは,それが世界的に同時的な後退を経験したことであった。そのため一国の後退を他国の上昇で相殺するという戦後これまでの後退期にみられた緩和作用が働かなかったばかりでなく,後述するように国際波及を通じて各国それぞれの後退幅を一層大きくした。
例えば54年にはアメリカの実質成長率はマイナス1.3%となったが,西欧では力強い景気上昇(実質成長率5.1%)がつづくというように,欧米の景気局面がすれ違ったため,OECD全体では1.1%の成長となった。
第1-6図 主要国における戦後の景気後退期と鉱工業生産のトレンドからの乖離
また,58年後退期においては,アメリカの実質成長率はマイナス0.8%となったが,西欧はプラス2.3%と,成長が鈍化する程度ですんだため,OECD全体では0.7%と,一応プラスの成長率を記録することができた。
さらに70年にもアメリカは0.5%成長と停滞的だったが,西欧では鈍化したとはいえ5.1%と高い成長がつづいたため,OECD全体では,3.1%の成長を記録したのである。
ところが今回は,74年にアメリカ,日本などがマイナス成長となったあと,75年には日本を除いて殆んどの国がマイナス成長を記録すると見込まれている。
今回の同時的後退は後述するように60年代を通じて世界経済の統合過程がいちだんとすすみ,景気の国際波及がそれだけ強まったという一般的背景のほか,71年の通貨危機による過剰流動性の発生とその後の各国の景気刺激策が72~73年の同時的ブームを加速化させたことと,73年末の石油危機という先進国全体に共通の外的ショックがおこったことが大きく響いた。
④ 高失業と大幅な需給ギャップ
今回の景気後退幅がった戦後最大であため,企業や勤労者に与えた影響も大きく,多くの国で戦後最大の企業倒産がおこり,また失業数も急増して,失業率は殆んどの国で戦後の最高を記録した(第1-7表)。
この結果,OECD諸国を合計した失業者数は,75年5月には,1,510万人に達するほどとなった。
もっとも近年は後述するように,どの国でも失業率が趨勢的に高まっているので,今次不況の失業率と過去の不況時の失業率をそのまま比較することには,若干問題があるが,現在の雇用状勢が多くの国で戦後最も深刻なものとなったことに変りはない。
また,今回は,需給ギャップの拡大も最も大きかった。アメリカの需給ギャップ(潜在生産能力に対する現実の生産の比率)は73年末頃には約2%だったものが,74年中に急速に拡大,同年末に約12%となり,さらに75年第21四半期には14.5%まで拡大し,それまで戦後最高であった61年第1四半期の9.3%を大きく上回った。西ドイツの場合も73年の需給ギヤツプがほぼゼロの状態から74年には5.5%となりさらに75年央には9%(経済専門家委員会推定)へ拡大し,これまでの戦後最大であった67年のギャップ率約7%を上回った。
製造業の稼動率についてみても,75年第2四半期の稼動率はアメリカ66.5%,西ドイツ74%で,いずれも過去の最低(アメリカ52年第2四半期72.5%,西ドイツ67年第2四半期77.9%)より低かった。その他の国においてもほぼ同様な稼動率の大幅低下がみられる(第1-8図)。
⑤ 世界貿易の縮小
戦後の世界貿易は世界経済の繁栄を反映して大幅に増加し,50~74年についてみると実質(共産圏を除く世界輸出)で年平均7.4%もの高い増加率を示した。もちろん世界景気の変動を反映して世界貿易量も変動を繰り返してきたが,年間の貿易量が前年を下回ったのは2回しなく,かしかも減少幅は52年1.4%,58年2.0%と小幅であった。
今回の世界不況期においては,74年の世界貿易量の伸びは上期の伸びが比較的高かったため6.7%と不況時としては高い伸びを示したが下期には頭打ちとなり,さらに75年は6~7%程度(OECDの輸出は5.5%程度)の減少が見込まれる。この世界貿易の大幅縮小が後述するように同時的後退の結果であると同時に,世界不況を一層深刻化させる重要な要因となったのである。
⑥ 物価上昇下の不況
以上に加えて今回の不況は高率の物価上昇下の不況であった点で,特異な不況であったといえる(第1-9表)。
たしかに国際商品相場は今回も不況の進行につれて急カーブの低落をみせたが,国内物価は不況にも拘らず上昇をつづけ,不況が深化しだした74年末頃からようやく上昇テンポが鈍りはじめたにすぎない。その後75年中物価の上昇は鈍化したものの,年央現在でOECD平均でみれば,なお年率10%という不況時はもちろん好況時でも異例の高率な物価上昇がつづいている。これは前回のスタグフレーション(70~71年)に比し,景気後退はより厳しく,物価上昇はより高率ということになる。
このような不況とインフレの共存は後述するように当局の政策選択の余地を狭くすることで積極的な景気対策をとりにくくし,不況の深化と長期化の重要な原因となったのである。
(1930年代不況との比較)
以上のように,今回の世界不況は戦後としては最大となったが,一時懸念されていたような1930年代の大不況にまでは発展しなかった。
今回の世界不況と1930年代の大不況とを比較してみると,不況が最も深刻であったアメリカの実質GNPは4年間に30.4%,鉱工業生産は3年間に,46.2%も減少した。これに対して今回は実質GNPの減少幅は2年間で約5~6%,鉱工業生産は約12%の減少であった。失業率も今回は75年上期で8.3%だが,30年代は不況の底の1933年には年平均失業率が24.7%にも達した。つまり労働力人口の4人に1人が失業していたことになる。また世界貿易は実質で1929~32年間に25.7%減少したが,今回は74年に6.7%増の後,75年に6~7%減(OECD輸出は5.5%減程度)となっている(第1-10表)。
不況の期間も,大不況はアメリカを例にとれば約3年半つづいたが,今回はほぼ1年半で底入れから回復に向おうとしている。
このように,今次不況は,戦後としては最大であったものの,1930年代の大不況からみれば軽くてすんだ。その理由は昨年度の報告で指摘したように,①戦後の各国経済には年金や失業保険,預金保護など各種の制度的な自動安定装置がそなわっており,それが不況抵抗力を強めていること。②各国の政策が完全雇用を維持するために積極的に努力し,そのための政策用具も整備されており,後述するように不況が厳しくなるとともに各国で景気政策を転準してきたこと。③各種の国際機関や各国の国際協力が1930年代にみられたような広範な輸入制限による近隣窮乏化を回避する役割を持ったことなどの制度的・政策的要因をあげることができる。
以上みたように,今回の不況は,戦後最も深く,広範囲で,かつ最も長期間にわたるものであったが,それは,いかなる原因によってもたらされたのであろうか。
今回の不況が深刻なものとなった原因は以下の各項で需要項目別に述べるように,石油や一次産品価格上昇そのもののデフレ効果に加え,インフレ,国際収支赤字に対する政策の対応が厳しく重なったところに求められる。
すなわち,第1は,石油及びその他の一次産品価格上昇に伴うデフレ効果である。石油等の価格上昇は,国際的にあるいは国内において購買力の移転をもたらしたが,それが受取り国ないし部門で十分消費されなかったことである。交易条件悪化に伴う実質所得の減少が個人消費停滞の重要な要因になったが,それは,OPECへの輸出等による新たな需要増を上回るものであった。
第2は,これと密接に関係するものだが,インフレが不況をもたらす効果がみられたことである。インフレ下に累進税率がもたらす可処分所得への影響,インフレ下にみられた国内の貯蓄率上昇などが不況を深化させる要因となったのである。
第3は,インフレや国際収支赤字に対してとられた各国の厳しい総需要抑制策が所期の効果をもたらす反面不況を深めたことである。
以上のような基本的な要因に加えて,今回の場合は,相互依存関係のすう勢的高まりに加えて,共通の外的ショック下にあって景気後退が同時化しており,このためにデフレが貿易を通じて増幅し合ったという面も加わったとみられる。
このような不況の原因を以下に詳しくみてみるが,石油危機後の個人消費減退から在庫の蓄積をへて急激な在庫調整と設備投資の減退を招き,これが国際的な波及となって世界景気の後退を著しく深刻なものとしたのが今回の不況であったといえよう。
(後退を先導した個人消費)
今回の不況は,個人消費の減少によって主導されたところに大きな特徴があった。個人消費の動向を過去の後退局面と比較してみると,今回の停滞が顕著なことが明らかである(第1-11図)。
この結果,74年にはアメリカで2.3%減と戦後はじめて減少したのをはじめ.イギリス0.6%減,西ドイツでも0.2%増,これまで高い伸びを続けていたフランスでも4.3%増,日本では1.1%増にとどまった。
次に個人消費の内容をみると,今回もこれまでと同様耐久消費財の落込みが最も大きかった。アメリカの場合,耐久消費財支出は73年第4四半期から74年第4四半期までの間に13,4%も減少している。75年にはいってからは次第に回復しているが,75年上期は73年下期をなお13%下回る水準にあった。
これは主として自動車販売の不振を反映したものだが,74年下期以降は他の耐久消費財も不振となった。非耐久財とサービスの消費をみても,過去の後退期には殆んど減少しなかったが,今回はかなり減少している。これは主としてエネルギー関連の商品及びサービス支出の減少と繊維品支出の減少を反映したものである。
イギリスの個人消費は74年上期に落込んだあと,下期には回復したが,75年にはいって再び低下した。その内容はやはり自動車と家庭用耐久財が中心で,前者は74年に20%減,後者は約13%減となった(第1-12表)。
こうした自動車を中心に個人消費が減少ないし停滞的となって,景気後退の原動力となったことは,他の諸国の場合も同様であり,自動車需要は軒並みに著減した。乗用車登録台数でみると,殆どの国において新規登録台数が74年に減少しており,しかもその減少幅はアメリカ,イギリス,日本,デンマークで20%を超え,その他の国でも10%台の落込みをみせた国が多い(第1-13表)。
このような今回の個人消費不振の第1の原因は実質可処分所得の停滞である。これまで不況期に個人消費が比較的安定していた理由の一つは,不況による勤労所得などの減少を,累進所得税率のビルト・イン・スタビライザー機能による税負担の軽減,失業手当など振替所得の増加でカバーしたため,可処分所得が減らなかったことがあげられる。それに不況期には物価が比較的安定していたから,実質可処分所得も殆んど減らなかった。
ところで,今回についてみれば,振替所得はたしかに増加して,その本来の所得安定的作用を果している。アメリカについてみると,73年第4四半期から75年第1四半期までの個人所得増加分の約45%が振替所得の増加によるものであった。しかし累進税率の所得安定作用は今回はみられず,むしろインフレによる名目所得の膨張で税負担がふえ,可処分所得をへらす方向へ働き,加えて高率の物価上昇が実質購買力を削減した。前記期間申に名目の可処分所得が8,1%増加したのに対して,物価上昇率がそれを上回ったため,実質可処分所得は3.1%も減少している。実質可処分所得が増加に転じたのは,減税が実施された75年第2四半期以降であった(第1-14表①)。
他の国についても同様な現象がみられる。イギリスでも西ドイツでも今回はインフレ下での累進税率の所得不安定化作用がみられたほか,実質所得の伸びが停滞した(第1-14表②③)。
以上のような実質可処分所得の減少ないし鈍化が今回の個人消費減少の基本的要因であるが,このほかにも先行するブーム期に自動車や住宅購入が大幅に増加して,消費者の賦払信用残高とその返済額がふえたことも,大口買物を抑制する要因となったとみられる。アメリカの賦払信用返済額の可処分所得に対する比率は73年末から74年はじめにかけて過去のピークに達し,それと同時に返済不能率も異常な高さに達した。
消費停滞の第2の原因は,貯蓄率の上昇である。従来は不況期には,それまでの生活水準をできるだけ維持しようとして貯蓄率が低下したものであるが,今回はアメリカ,イギリス,西ドイツなどの例でみると,景気後退の初期段階では貯蓄率にやや低下傾向がみられたものの,その後は次第に上昇し,とくに75年にはいってからの上昇が著しかった。そのため,西ドイツなどでは減税政策もその大きな部分が貯蓄に回って,所期の効果を十分にあげることができなかった(第1-15表)。
このように不況下で貯蓄率が高まった理由としては,(1)インフレによる貯蓄の目減りの補填-貯蓄目標額の引上げ,(2)石油価格上昇に伴う自動車需要などの減退のほか,とくに最近は(3)景気の先行きと将来所得に対する不安感という動機がつよく働いていると考えられる。
(住宅投資の急減)
住宅投資は従来から概して景気後退期においても回復期においても先行する傾向があるが,今回も住宅投資は既に73年春以来下降局面にはいっていた。
住宅投資の動きを着工数または許可数でみると(第1-16表),アメリカ,西ドイツとも3年連続して減少し,減少幅,減少期間とも戦後最大となった。その他の諸国でも住宅建築は大幅な減少を示しており,ほぼ横ばいに止まっていたフランスでも75年には減少に転じている。
このような住宅建築の不振はいうまでもなく73年中に各国政府がブーム抑制のためにとった金融引締めを主因としたものであるが,それと同時に,71~72年の一部投機的な住宅建築ブームの過程で土地や住宅価格が高騰したこと,また大量の売れ残り住宅が発生したことも,住宅建築不振の原因となっている。西ドイツでは74年末頃に約20~30万戸の売れ残り住宅があったが,現在でもその数は減っておらず,それが住宅建築需要を圧%する一要因となっている。アメリカでも一戸建住宅の在庫は,70年末の22.7万戸から74年2月末の45.8万戸まで増加した。もっともその後は次第に減少して75年5月末には38.2万戸となったが,なお水準としては高い。
住宅価格が71~72年のブーム期に高騰して所得に比し高水準となったことも住宅需要の減少に影響したとみられる。アメリカの住宅建築価格は70~73年間に30.1%と,同期間における消費者物価上昇率(14.4%)の2倍の速度で上昇した。西ドイツでも,69~73年間に消費者物価上昇率22.9%に対して住宅価格指数は47.1%と,やはり2倍の速度で上昇した。
(後退を増幅した在庫調整)
今回の場合,石油危機後の在庫調整は遅れたが,それが逆に,74年末から75年にかけての急激な在庫減らしをおこし,景気後退をきわめて大きなものにした。
アメリカについてみると,74年秋頃まで在庫投資の減少がつづいたものの,在庫水準そのものは増えつづけていた。在庫べらしがはじまったのは,75年にはいってからである。過去の景気後退期とくらべると,在庫べらしのはじまりがやや遅かったことになるが,これは74年当初は下期景気回復の期待があったことや高率インフレの持続,鉄鋼や化学など一部産業の物不足傾向の継続などの要因によるものとみられる。しかし,74年秋以降は最終需要の急速な弱まりから滞貨がふえ,その結果75年にはいって本格的で大幅な在庫べらしがはじまった(第1-17図)。
同じことは西欧諸国についてもいえるようで,西ドイツは74年度第4四半期から,イギリスは75年第1四半期から在庫べらしがはじまった。ECのビジネス・サーベイによると(第1-18図),EC諸国製造業の製品在庫は74年前半に一時的に減少したあと,秋以降急増し,75年にはいって減少に転じている。このような75年に入ってからの在庫投資減少の影響は大きく,75年上半期の7大国の実質GNPの減少(年率6%弱)のうち8割強の寄与をしたことになる。
(設備投資の急減)
設備投資は今回の不況過程の前半では,西ドイツを除いて比較的底固い動きを示していた。これは72~73年のブーム過程で鉄鋼・化学・紙など基礎財部門で能力不足が顕在化したため,これら部門での設備投資が盛り上ったことと,石油危機によりエネルギー関連産業の設備投資が増加したことなどの事情によるものであった。
しかし,74年下期になると,それまで供給隘路から高率操業をつづけていた基礎財産業が次第に不振となって稼働率が大幅に低下したほか,コスト・アップや販売不振による利潤の減少,景気見通しの急激な悪化などで,設備投資も下降局面にはいった(第1-19図)。しかもその下降テンポは急速であって,たとえばアメリカの設備投資は74年第2四半期から75年第2四半期までの1年間に16.l%もの減少となったが,これは本格的な設備投資リセッションであった57~58年後退期の減少幅(15.6%)を既に上回っている。この結果,最近の商務省調査(7~8月実施)によれば,75年の設備投資は実質11.5%減の予想となっている。
西ドイツの設備投資は,72年秋から73年春にかけての短い盛上りのあと,長い下降局面にはいり,75年第1四半期までに実質で16%減少した。この減少幅は66~67年後退期の減少幅(17%)とほぼ同じである。これは,西ドイツが72~73年ブーム期に他の諸国よりも早めに強力な引締め政策に踏み切ったことの代価ともいえる。西ドイツは,73年春に変動相場制移行を背景にきびしい金融引締めを実施,さらに財政面から11%の投資税と10%の安定付加税の導入,定率償却制の停止など思い切った投資抑制措置をとったが,それが効果を奏し,盛り上りかけた企業の投資意欲は急激に衰えた。同年末の石油危機で財政面の投資抑制措置の大部分が撤廃されたが,金融引締めは74年秋まで堅持されたため,投資意欲はますます衰え,74年末の投資補助金(7.5%)の導入もあまり効果をあげなかった。製造業の設備投資は75年に実質6%減を見込まれているが,これで5年連続の減少となる。
その他の諸国でも,設備投資は74年末から75年にかけて急減しており,75年の民間設備投資についての最新の投資調査によれば,実質でフランス3~4%減,イギリス11~12%減,イタリア6.5%減(製造業)と見込まれている。
今回の設備投資後退の背景には稼働率の低下とともに企業収益の悪化があることはいうまでもない。アメリカの企業収益の動きを過去の後退期と比較すると,過去の後退期においては景気後退に先行して企業利潤が低下するのがつねであったが,今回は,最初のうちはインフレに伴う水ぶくれ的な在庫評価益の発生などから企業収益はむしろ増加し,それがアメリカの設備投資が74年央まで比較的堅調だった背景となっていた。しかし74年第4四半期以降は企業収益が急減している(第1-20図)。
西ドイツでは企業収益は73年に8.5%増加したが,景気対策で増税が行われたため,税引後収益は4.0%の増加にとどまった。74年は増税が撤廃されたものの,税引後収益は1%減となった。
(不況の国際波及)
今回の景気後退過程で先進工業国の輸出は前半と後半で逆の作用をした。前半(74年央頃まで)はOPEC諸国,非産油途上国,共産圏などへの輸出の増加で前年にひきつづいて高い増勢を示し,景気全体を支える役割を果したが,後半になると次第に頭打ちとなり,75年にはいってからは急減した。これをOECD諸国の輸出数量でみると,74年上期には前期比年率101/4の伸びを示したが,下期にはゼロとなり,さらに75年上期には111/2%減となった。75年全体では前年比51/2%減と見込まれている(第1-21表)。
主要国の実績でみても,輸出は軒並みに減少している (第1-22表)。 75年上期の前年同期比変化率をみると,西ドイツ12.8%減,カナダ8.8%減,フランス7.1%減と,大幅な減少であった。
他方,主要国の輸入は75年上期にアメリカ14.9%,フランス15.4%,イギリス10.7%,イタリア18.8%,日本18.6%と輸出以上に激減しているが,こうした主要国の輸入減少が前記の輸出減少にはねかえってきているわけである。
このほか,74年央頃まで増勢を維持していた非産油途上国の輸入が頭打ちから減少に転じたことも,先進国の輸出減少の一因となった。
このように先進国の輸入が大幅に減少したのは,景気後退の結果であるが,先進国の輸出の7割は先進国向けであるから,先進国の輸出需要もそれだけ減少することになり,それがまた国内景気にはねかえり,輸入をさらに減少させるという悪循環をまねいたのである。
戦後の世界貿易は,先進国間の水平分業を中心に発展してきたが,その過程のなかで先進国の輸出依存度,とりわけ先進国貿易に対する依存度が高まった。今回のような先進国の同時的後退の局面では,たがいに不況を輸出し合うことになり,貿易を通じる不況の国際波及を深刻化させる一面を持っているわけである。
この点はとりわけ輸出依存度の高い西欧諸国についていえる。これら諸国の輸出依存度は近年経済統合の進展につれて急上昇し,GNPに対する輸出(商品及びサービス)の比率が74年の実績で25~30%に達している(第1-23表)。その結果,たとえば西ドイツの場合,需要項目としての輸出は,住宅を含む固定投資総額をも上回り,個人消費につぐ大きさとなっている。75年上期に西ドイツの実質GNPは前年同期比5%減,総需要は4%減となったが,総需要減少の実に80%が輸出の減少(前年同期比11%減)によるものであった。これだけ大きな輸出需要の減少(それだけでGNPを4%減少させる)を国内需要の増加で埋めることは容易でない。西ドイツ政府の投資補助金政策がさしたる効果をもたなかったのも,時機遅れという面もあったが,やはり輸出の不振が国内需要にフイード・バックしたとみるべきであろう。
(総需要抑制政策の役割)
今回の世界不況の原因としては政策的な要因も少なくなかった。各国の経済政策は既に73年はじめ頃から引締め気味に運営され,とくに西ドイツは73年春にきびしい引締め措置をとった。石油危機発生後は,そのデフレ的影響を懸念して引締め政策を一時緩和した国もあったし,また石油価格引上げによる経常収支赤字を借入れで賄い,なるべくデフレ政策をとるまいとする姿勢もみられた。しかしその後インフレの加速化と経常収支悪化が予想外にひどくなるに及んで,多くの国が引締め強化にのり出した。
これらの引締め政策がその後の景気後退の深化に大きな役割を果したことは疑いないが,当時はインフレの抑制または経常収支赤字の是正のために止むをえない措置と考えられていた。74年のインフレは,石油や一次産品など原燃料価格の高騰と大幅賃上げによるコスト・インフレであって,それを総需要抑制策だけで是正せざるをえなかったところに厳しい不況を招来する要因があった。
今回の戦後最大の不況は,各国経済に大きな歪みをもたらした。なかでも先にみた実質所得の停滞に加え,失業の増大,財政赤字の拡大はその背景に構造的要因を含みながらも,不況によってきわめて深刻なものになったのである。以下ではこのような諸問題の発生とその背景を簡単にみてみよう。
(失業の急増)
欧米主要国の雇用動向を景気に最も敏感に反応する製造業雇用によってみると(第1-24図),ストライキの影響を受けたイタリアを除き各国とも73年秋頃まで増加が続いたが,73年末になると内需の停滞が顕在化してきた西ドイツにおいてまず減少に転じた。74年に入ると自動車産業を中心に生産活動の停滞したアメリカや週3日制を採用したイギリスで大きく減少,拡大を続けていたフランスも増加テンポが半減した。一方,72~73年のブーム期に景気の回復が他国に遅れたイタリアにおいては73年後半になってようやく増加に転じ,雇用の減少をみせたのは74年後半になってからであった。
次に失業率の推移をみると(第1-25図),すでに73年春頃より上昇に転じた西ドイツを除き,各国では景気上昇局面で72年初めから73年央にかけて低下を示したが総じて改善度合いは鈍く,60年代の好況期の水準に比べてもかなり高い水準で下げ止まっていた。例えばアメリカでは71年の5.9%から73年の4.9%に低下したものの,最低失業率を示した73年10月の4.6%は前回の上昇局面の68年12月(3.4%はもとより56年10月(3.9%)をもはるかに上回っていた。西欧主要国も最も近い景気ピーク時(多くは69年)と比較しても同様のことがいえる。
このように景気上昇期にも過去のボトムにまで達せず長期的に高まっていた失業率は,74年央をすぎると急速に上昇した。74年の後半より不況の一層の深化もあり,各国の失業率は前述したように戦後の後退局面で最悪の状態となったのである。
しかし,各国それぞれに雇用調整の態様は異なっており,日本は労働時間の減少,労働力率の低下による調整が大きく,これに対してアメリカでは労働力率の減少がみられす,また,レイオフ(一時解雇)の増大が失業増を著しくする一因となり西ドイツでは,労働時間の減少,労働力率の低下,雇用の減少がともに大きいという特徴がみられた(第1-26表)。こうしてみると,今後世界景気の回復がみられても,失業率が73年の水準にまで低下するには長期間を要するであろうことがわかる。今回の不況の後遺症はそれだけ大きかったのである。
(財政赤字の拡大)
不況下の税収減や失業給付等の歳出増から,各国とも財政赤字の拡大が大きな問題となってきた。
欧米主要国の最近終了した会計年度をとっても,フランスを除く各国で財政赤字を計上したが,本年から来年にかけての会計年度ではフランスを含め,赤字は大幅となり,GNPに比較しても過去10年間の最高に達することが見込まれている(第1-27図)。
もっとも財政赤字の発生は近年に限ったことではなく,60年代以降をとってもアメリカで69年度に10%付加税,歳出削減実施,ベトナム戦争の縮小による国防費支出の減少により32億ドルの黒字を計上したにすぎず,西ドイツでは61,69,70の各年度が黒字であるにとどまり,イギリスでは72年度以降赤字に転化している。
アメリカではケネデイ政権下において完全雇用と成長重視の財政政策が打ち出され,積極財政が功を奏したことから財政赤字に対するタブーは弱められた。その背景には,60年代前半は雇用と設備に余裕があり積極財政運営条件がこれに合致したことである。その後65年以降は完全雇用水準(失業率4%)を下回る失業率が70年代に入るまで続いたが,ベトナム戦費などの歳出規模が拡大し増税のおくれもあって慢性的な赤字を余儀なくされた。他の主要国においても赤字財政への反応は薄くなったと言えよう。
歳出の拡大にはとくに社会福祉関係支出の増嵩がみられ福祉制度の整備が中央段階はもとより地方においても固定的歳出増加要因となっている。アメリカでは硬直的国防費を除いた硬直的支出総額の財政支出総額に占める比率は67年度の45.8%から76年度には67.9%に達している。
以上のような構造的赤字要因をかかえてはいるものの今日の財政赤字の要因はもちろん不況による税収減と失業関係支出の増大である。アメリカの76年度の財政赤字は巨額に達する見込みだが,完全雇用予算では逆に72億ドルの黒字(5月,米政府推定)と推定されており,西ドイツでも76年度連邦予算の赤字389億マルクのうち250億マルクが不況による税収減と雇用補助金増であるとしている。このためかなりの構造的赤字をかかえる西ドイツは,76年から79年までの期間に,各種の法定経費の削減により支出を抑制する一方で,失業保険料引上げ,付加価値税引上げ,などの増税等による税収増を計画している。またアメリカも上述のように若干状況は異なるが歳出抑制の努力を続けている。
こうした本年の大幅な財政赤字のファイナンス(資金調達)は,これまでのところ,不況に伴う民間資金需要の停滞から,資金市場の圧迫を招くまでには至っていない。しかし,各国とも大量の国債を抱え,金融政策の運営は一層難しくなってきている。
アメリカにおいては,インフレ再燃の懸念から連邦準備の慎重な金融運営が続けられていることに加え,巨額の政府借入れ需要という心理的影響もあって金利は比較的高水準で推移している。
西ドイツでは,公債発行に伴う債券市場の逼迫化に対して,マルク建て外債等の発行停止(11月から解禁された),州立銀行等が国内で調達した資金の対外投資への振向けの禁止など公債発行を容易にするための措置の他,流動性増強等の金融緩和策を講じている。
地方財政の赤字拡大も,本年多くの国で共通にみられた現象であった。しかし,なかでも市民への高福祉政策による歳出増,公務員増加と高水準の給与支出増による人件費増,大企業,高所得者層の郊外への移動による税収源の減少などを原因としたニューヨーク市の深刻な財政危機は75年秋には地方債市場をも揺がすものとなるなど,アメリカ資本市場への影響が無視し得なくなり,増税及びきびしい歳出削減を条件に11月連邦政府が特別融資を行う旨議会に提案した。
(非産油発展途上国の輸出停滞)
1973年末に端を発した石油危機と,それにひきつづく先進国の景気後退によって,74年後半に入って産油国を除く大部分の発展途上国は,①石油輸入額の急増,②先進国の不況による一次産品,軽工業品輸出価格の低落と輸出量の減少,③先進国からの原材料,工業製品輸入価格の上昇などの影響をうけ,貿易収支が悪化してきた。
73年から74年にかけての非産油発展途上国の貿易動向をみると,先進国の不況と交易条件の悪化を反映して,74年央あたりから輸出の伸びが大幅に鈍化した一方,輸入の伸びの低下はさほどではなかったため貿易収支が急激に悪化している(第1-28表)。
第1-29図は先進国のうち,アメリカ,日本,西ドイツの輸入変動と非産油発展途上国からの輸入の合計および発展途上国のうち輸入依存度の大きい近隣地域からの輸入とを対応させたものである。これでみるとアメリカについてはラテン・アメリカ,日本についてはアジア,西ドイツについてはアフリカからの輸入が,各先進国の輸入の伸びが大幅に低下してきた74年後半以降において,輸入増額の増勢鈍化以上に伸びの低下がみられるようになった。これによってもわかろように,先進国の不況による輸入需要の減少は非産油発展途上国からの一次産品および軽工業品の輸入面に最も強くあらわれているといえよう。
(大きかった中進的工業国への影響)
非産油発展途上国の中でも経済発展の段階あるいは輸出依存度の大きさに応じて,先進国の不況によって受ける貿易面の影響は必ずしも一様ではなかった。
74年4月の国連特別総会において,今回の経済危機で最も深刻な影響をうけているMSAC (注) の援助にいての特別計画が決められたが,このMSACに属する国の多くは,これまで長期的に経済停滞をつづけてきたLLDC(注)諸国である。
非産油発展途上国にはこのほか,石油以外の一次産品の輸出に依存する非産油一次産品輸出国と,一次産品の生産に加えて工業製品をも輸出している中進的工業国がある。
以上各グループごとの発展途上国からそれぞれ数ヵ国を選んで,71年上期から75年上期に至る各半期ごとの貿易収支の動向をみると(第1-30表),各国に共通して言えることは,若干の時期のずれがあるが,74年上期前後から輸出停滞,輸入急増の傾向が顕著になり,また交易条件も急速に悪化して貿易収支の赤字幅が拡大してきていることである。なかでも台湾,韓国,ブラジルなど中進的工業国では,輸出品がとくに先進国の景気変動に感応的であることから,それぞれの輸出結合度の高いアメリカ,ヨーロッパ工業国,日本など先進国の不況の影響をうけて輸出が減少し,貿易収支の悪化を招いている。台湾では73年下期までの貿易収支黒字が74年上期から赤字に転じ,韓国でも74年上期以降赤字幅が増大した。ブラジルでは,輸出停滞のほか輸入価格の上昇や国内景気の過熱による投資財,原材料輸入の急増によって,73年下期から輸入が大幅に増大し,貿易収支の急激な悪化を招いている(第1-31表)。
一方,フィリピン,タイ,マレーシアなど非産油一次産品輸出国では,輸出額の減少はみられないが,一次産品価格の低下もあって,輸出の増勢は鈍化し,一方輸入額の急増によって貿易収支は悪化している。一次産品価格の低下のなかでも農産品価格の低落はタイにとっても深刻な問題となっているが,フィリピンでは74年中に砂糖,コプラ価格の上昇によって利益をうけ,マレーシアでは自国産の石油によって国内需要を充足し,数年後には石油輸出の可能性もあるというように,一次産品価格の影響は各国によってまちまちである。
MSACに属する国は,これまでも長期的に貿易収支の赤字に悩み,貿易赤字は先進国等からの援助で補填されてきた。これらの国々では,食糧および原材料,工業品の輸入需要が大きく,国内生産維持のためにも一定の輸入水準は維持されなければならない。こうしたなかで74年にはバングラデッシュやアフリカ中部地域など一部の国で農業災害が発生して農産物輸出は減少,穀物輸入が増大し,さらに交易条件の悪化によって貿易収支の赤字幅が拡大した。
(輸入制限の広まり)
貿易収支の悪化に悩む非産油発展途上国では,74年から75年にかけて相次いで輸入制限措置を講じ始めた。輸入制限品目は,ブラジル,台湾,インド,パキスタン,タンザニアなどで実施されているように不要不急品,非生活必需品,消費財など広範囲の商品を対象とするものや,タイ,フィリピン,マレーシア,インドネシアなど自動車,繊維品,合板など特定商品を対象とするものなど国によってまちまちである。
こうした輸入抑制に,国内生産の停滞による需給緩和が加わり,たとえば台湾,韓国などでは75年上期に入って輸入は減少傾向に転じた。
以上のような先進国の不況に伴う輸入停滞によって各国経済がうける影響は,先進国に対する輸出依存度の大きさや,輸出商品構造の違いによって,さまざまである。ここで台湾,韓国を例にとると発展途上国のなかでもとくに輸出依存度が高く(1973年,台湾43.9%,韓国31.8%)輸出商品も先進国の景気変動に対して感応度の高い繊維品,耐久消費財,合板で占められている。このため第1-32図に示されるように,輸出数量と工業生産とはかなり対応した変動を示し,74年第2四半期以降の輸出数量の増勢鈍化が工業生産の主たる低下要因となっていることがわかる。
西側の世界の不況と貿易の縮少傾向は,共産圏経済にもさ在ざまな影響を及ぼしている。74年から75年にかけて,共産圏諸国の対西貿易,特に輸出の伸びが鈍化し,貿易赤字が目立ってきた。
(ソ連の対西側輸出の鈍化)
東西の緊張緩和を背景として大幅な拡大を続けたソ連の西側先進国との貿易は,74年半ばから基調の変化を示した。第1-33図からみられるように,ソ連のOECD諸国向け輸出は,74年の後半から伸び率が急激に鈍化し,特に75年第1四半期には金額でも前期に比べ異常な大幅減少となった。他方,ソ連の輸入の伸び率は,1年前の73年の後半から穀物輸入の減少で前年を大幅に下回ったが,74年第4半期から再び拡大しており,今後は穀物の大量輸入もあって,急増するものとみられる。
このような輸出入の動きから,ソ連のOECD諸国との貿易尻は,73年第3四半期を転機として赤字から黒字に転じた後,最近再び大幅な赤字となっている(月平均で73年38百万ドルの赤字,74年71百万ドルの黒字,75年第1四半期234百万ドル,第2四半期328百万ドルの赤字)。
ソ連の対西側貿易の動きを規定する諸要因は次のとおりである①ソ連の先進国向け輸出の重要品目である原燃料(シエア65%),工業品(25%)に対する先進国側の輸入需要が減退していること,②ソ連の主要輸出品である原燃料の国際価格が,73~74年に急騰したあと比較的落着いている半面,工業品の輸入価格は75年に入ってもなおかなりの上昇を続けており,一旦有利化した交易条件は逆転しつつあること,③73年のソ連農業が豊作であったため,穀物の輸入は74年に大幅に減少したが,今後は不作で大量買付けが行われるのみならず,米ソ長期協定の成立により今後5年間最低6百万トンの買付けが続くとみられること,④最近のOPECの石油価格の引上げにともなって,ソ連の石油輸出収入も増加するが,将来大規模な開発が行われないかぎり,西側への輸出量の増大は困難とみられること,などである。
このようにして,ソ連の対先進国貿易の赤字化は避けられない。しかも先進国からの輸入は,国民所得の5%程度の総輸入の約3分の1の規模ではあるが,先端的設備,技術や穀物の導入・確保のルートとして,国民経済的にきわめて重要であって,その抑制は困難であろう。従ってソ連は必要に応じて金を売却するとともに,西側よりの借款の受入れに努めている。
(東欧の貿易赤字増大)
東欧諸国の対先進国貿易は,71年以降その拡大テンポが高まってきたが,73年第3四半期を境に減速に転じた(第1-34図)。しかも輸出の伸び率は従来ほぼ一貫して輸入の伸びを下回ってきたうえ,さらにその鈍化が目立っている。その結果,73年以来貿易赤字が著増し(月平均で73年112百万ドル,74年295百万ドル,75年第1四半期373百万ドル),特にポーランド,ハンガリー,ルーマニア,ブルガリアなど工業化を進めつつある諸国でそれが目立っている(74年第4四半期,75年第1四半期合計で赤字輸入額の3分の1以上)。
東欧の先進国貿易の動きについては,ソ連の場合と一部共通の要因のほか,特に次の点を指摘しなければならない。
① 対先進国貿易構造は,東ドイツ,チェコ以外の諸国では輸出の50~60%が食料品と原料(輸入のうち機械が30~40%)であって,これらの諸国では一時有利化した交易条件が最近に至って逆転している。
② 従来コメコン域内価格は,国際価格を基準として設定され,原則として5ヵ年計画期間中は据置かれることになっていたが,75年に5ヵ年計画が終るに先立って,同年初からソ連の輸出する原油と,他の原材料の価格が引き上げられたのをはじめ,東欧側としてはソ連からの原燃料の輸入金額に見合って対ソ輸出を大幅に拡大しなければならず,ひいては西側に対する輸出余力が制限される可能性がある。
③ ソ連,東欧ともに75年の農業生産は不作で,東欧は西側からの輸入の増加を必要としている。このため,例年のソ連との振替ルーブル(コメコン域内の計算単位)決済に代ってドルの支払いが必要となり,東欧の外貨事情は一層窮屈になろう。
以上のような困難にもかかわらず,東欧にとって西側からの輸入の緊急性は,ソ連の場合よりさらに著しい。東欧諸国の貿易依存度は10~25%と比較的高く,貿易における先進国のシェアは輸入の25~45%(ブルガリアを除く)である。しかも先進国からの輸入は経済の拡大,技術の進歩など国民経済に不可欠であり,近年における東欧経済の好調も,西側に対する貿易赤字の累積に頼る点もあるとさえいえる。
対西側貿易赤字の増大傾向に対処して輸出努力が強調される一方,資金調達の必要性はますます高まっている。しかし,すでに債務残高は多額(推定250億ドル)に上り西側の融資態度も慎重になっている。
(大幅な赤字となった中国の対外貿易)
中国の対外貿易は1960年代に入って中ソ対立が深まるにつれ,著しく西側に傾斜してきており,50年代に30%前後にすぎなかった東西貿易比率(貿易総額に占める対西側貿易額)は,74年には85%にまで高まった。しかも第4次経済5ヵ年計画(1971~75年)の遂行過程で,西側先進国からの技術および設備・資材の輸入需要が急増し,74年の対西側貿易は,輸入51,8%の増加となったが,輸出の伸びは26.5%に止まった(第1-35表)。価格上昇要因を考えると輸出数量の伸びはほとんどみられなかったことになる(第1-36表)。
75年に入っても輸出の伸びを上回る輸入の大幅な伸びが続き,OECD諸国との貿易は1~6月間に前年同期比輸出5.6%増に対し輸入12.5%増であった。
また交易条件指数も74年全体としては好転しているが,中国の最大市場の日中貿易では74年下半期に入って,急激に悪化し,全体としておそらく下半期以降も悪化し,この傾向は75年にも持ち越されるものと思われる。
このように西側先進国の物価上昇と成長鈍化は,中国の対外貿易に対しても,①原材料および軽工業品の輸出需要の停滞,②交易条件の悪化という2つの面を通じて貿易収支の著しい悪化を招き,74年の貿易収支は,全体では11億ドル余の赤字,資本主義圏との取引では15.4億ドル余の巨額な赤字を生むにいたっている。貿易赤字の累増傾向は75年に入っても続き,1~6月間に対OECD諸国との取引で,前年同期の9.3億ドルを上回る11.3億ドルの赤字を生み,日中貿易だけでも1~8月間に早くも前年(年間)と同水準の7億ドルの赤字を生むにいたった。もちろん,この貿易赤字の一方,華僑送金,観光収入などの貿易外収入および香港での事業収益など資本収入もあるので,貿易収支のみで外貨ポジションの悪化を一概に論ずるわけにはゆかないだろう。
しかし,74年の貿易赤字が大幅となったことなどから,中国では74年央よりプラント輸入契約を停止し,また農産物(小麦,大豆,綿花)の輸入削減に努めるほか,石油輸出の促進,あるいは外貨流入対策として,在香港中国系銀行の人民幣預金利子の引上げ(74年11月実施),ユーロダラーの取入れ,金売却などのあらゆる対策を講じていると伝えられている。
しかし本年初頭の全国人民代表大会で明示された第5次経済5ヵ年計画(1976~80年)が,農業の機械化と工業の近代化をはかった野心的な構想であるだけに,その実現には従来にも増して西側先進国からの技術および設備・資材の大量の輸入を必要とする。こうした点から,73年より本格化した石油資源の輸出動向が注目されている。石油輸出額は74年に4.5億ドル,75年には8億ドルの見込みで,先行き増大が予想されているが,なお品質,価格等で輸入国側にも問題があり,中期的には中国の貿易収支は赤字を続ける可能性が強いと見られている。