昭和49年
年次世界経済報告
世界経済の新しい秩序を求めて
経済企画庁
第1章 1974年の世界経済
1974年に入り,主として石油価格高騰により国際収支パターンは大きく変貌した。
石油価格高騰前の1973年後半には,イギリス,イタリアは赤字幅を拡大したほか日本,フランスなどいくつかの先進国の経常収支が赤宇に転化した。一方,アメリカは,大幅黒字に転じ,西ドイツは黒字幅を一層拡大していた。しかし,石油価格高騰の影響が支配的となった74年前半には,西ドイツ,ベネルックスを除く先進諸国の経常収支は軒並み赤字となった。74年全体では,OECD合計で年間約385億ドルにのぼる赤字と,前年に比し430億ドルの悪化が見込まれている(OECDの見通し,第1-23表)。また,IMFでも74年の先進国経常収支の悪化は480億ドル(注)と見込んでいる (第1-24表)。
IMFの推計によればこのうち石油価格上昇による先進国収支の悪化要因は産油国の輸入増なども考慮に入れて590億ドルにのぼると見られている。
石油価格上昇がなければ110億ドルの改善となる筈であったことを示している。 このような先進国国際収支パターンの変化は,各国の政策及び国際金融面に様々の影響を与え,各国の対応策を迫ることになった。
経常収支の悪化傾向は,非産油発展途上国についても同様であり,IMFによれば200億ドルの赤字が1974年について見込まれている(前出第1-24表)。これは73年の赤字80億ドルに対して120億ドルの悪化である。
以上のように先進国の経常収支は総体として赤字に転化したが,これにより,先進国内の不均衡は前年に比べ一層拡大することとなった。
アメリカの貿易収支をみると73年後半から74年前半にかけて顕著な回復を示し,黒字が保たれていたが,石油価格の高騰から,74年第2四半期には赤字となった。しかし非石油収支(石油輸入を除く貿易収支)ではむしろ黒字が拡大する傾向を示しており,この傾向は,石油輸入価格が72年の水準で不変と仮定した場合にも同様である(第1-25表)。しかも年初来石油価格上昇の影響を除いた貿易収支は年率160~180億ドル黒字のペースとかつてない水準であり,石油価格の高騰がこれを打消して赤字に逆転させる結果をもたらしている。
このようなアメリカの非石油収支の黒字基調の要因は,第1に73年中農産物輸出が価格,数量ともに増大し,74年に入って伸びが鈍化したものの,なお輸出の水準が高いこと,第2に,ドル切下げによって工業品輸出量がひきつづき拡大していること,第3に,ドル切下げと国内景気の不振により輸入の伸びが鈍化していることがあげられる(第1-26表)。
マルク切上げにも拘らず73年に120億ドルという大幅な黒字を記録した西ドイツの貿易収支は,石油価格高騰後の1974年の前半においても,それを上回るペースの出超を続けている。これは非石油収支の著しい出超によるものであり,すでに上期で155億ドルの黒字(石油輸入価格を72年から不変と仮定した場合の貿易収支は131億ドル黒字)となった(第1-27表)。
このような非石油収支の大幅黒字の原因は,第1に,西ドイツの輸出が所得弾力性が高く,価格弾力性の低い資本財や耐久消費財に特化しており,マルク切上げの輸出需要減少効果が小さく,むしろ交易条件が有利となる効果が大きかったこと,第2に,国内景気の停滞による輸出圧力の高まり,輸入需要の減少という短期的要囚,第3に,イギリスの1~2月の炭坑スト,週三日制や,フランスの3~4月のストから両国の供給力が減少し,両国の国内市場,輸出市場ともに西ドイツのシェアー拡大を招いたという特殊要因が挙げられよう。
イギリスは1972年から再び貿易収支の赤字に見舞われており,石油価格の上昇は事態をいっそう深刻にしている。74年上期の貿易収支は,62億ドルの赤字と前年1年間の赤字(58億ドル)をすでに上回っている。これを非石油収支でみても赤字幅は18億ドル(石油輸入価格を不変とした場合20億ドル)と貿易収支の赤字は石油価格の高騰のみによるものではないことを示している(第1-28表)。
こうした非石油収支の赤字の原因は,第1に72年のポンドの下落と時期を同じくして一次産品の価格が上昇に転じたことによる交易条件の大幅悪化があげられる。輸出数量は,ポンド下落によって着実に増加したが,交易条件悪化による輸入金額の増加がこれを上回って貿易収支の悪化をもたらしたためである(第1-8図)。
第2に,特殊要因として1974年初めの炭坑ストと週三日操業制という生産力の落込みの影響が挙げられる。これは上期において,鉱工業生産が前年同期に比べて32%減少したにも拘らず,輸入数量が4.6%増と高率の推移を示したことにもあらわれている。
1973年までの4年間,黒字が続いていたフランスの貿易収支は,74年の第1四半期に入ると赤字に転じた。しかし,フランスはアラブ友好国として禁輸をまぬがれ,12月の石油価格大幅引上げ以前にかなりの備蓄を行ったためこれがその後の石油価格高騰による影響を緩げた。他方,74年上期非石油収支25億ドル(石油輸入価格を不変とした場合13億ドル)と前年をやや上回るペースで黒字を続けている(第1-29表)。この主な原因は73年なかば以来のフランのフロートダウンによって輸出競争力が拡大したためとみられる。これは所得弾性値の高い工業品が世界的な需要停滞の中で大きな伸びを示しているということにもあらわれている(第1-30表)。
1973年に赤字の大幅な増大をみたイタリアの貿易収支は,74年に入り,石油価格高騰により,更に大幅な悪化をみた。非石油収支をみても74年上期は前年の2倍以上(10.6億ドル)の赤字となっている(第1-31表)。
イタリアの貿易収支の悪化の要因は第1に,73年春以降の急テンポの景気上昇の過程で輸出余力が大幅に低下したことがあげられる。これは,それ以前の不況下における設備投資の沈滞によって上昇期の需給がひっ迫していたためである。このため,73年の輸出数量の伸びはわずかに4%増にとどまった。第2に,景気の上昇とおう盛な購買意欲に伴って投資財,消費財の輸入数量がそれぞれ19.3%,22.0%と急増したほか,一次産品価格の高騰が重なったことがひびいている(第1-32表)。第3に,原材料の国際価格高騰から,石油を除いてみても交易条件が72年後半から大幅に悪化したことである(第1-9図)。
以上の主要国以外の非産油先進国のうち,ベルギー・ルクセンブルクの,74年上半期では経常収支赤字1億ドル,貿易収支赤字0.5億ドルと小幅にとどまっており,石油を除いて見れば約5.5億ドルの貿易の黒字となっている。
これに反して,北欧,南欧(イタリアを除く),ギリシャ,トルコなどをまとめて見ると,74年上半期では経常収支赤字48億ドル,貿易収支赤字112億ドルとなっている。石油を除いても約82億ドルの赤字となっており,貿易収支の大幅な不均衡をあらわしている。
73年から74年前半にかけてドル表示の世界貿易は非常に高い伸びを示した。IMFの数字によれば,73年第3四半期以来の一年間,対前年同期伸び率は輸出入とも45%前後を続けている(第1-33表)。しかし,数量指数の増加率で見ると73年中と74年に入ってからではかなりの違いが見られ,73年は対前年で輸入13.7%,輸出15.0%の増加と好調であったのに対し,74年は,先進国の輸入の停滞からかなりの鈍化を見せている。
地域別に見ると73年と74年前半の間の相違は一層はっきりする。まず先進国では,1973年中は輸出入とも数量面で好調であったのが,1974年に入ると上半期の対前年同期増加率が輸入は3.6%と鈍化が著しいのに対し輸出は鈍数量指数と交易条件指数化が軽微である(第1-10図)。
発展途上国の中では,アフリカ,中東の輸出に73年末から鈍化が目立っている反面,アジア,中南米では数量面での好調がさ程衰えておらず,先進国の景気停滞の影響は74年第1四半期ではこの地域に及んでいない。アフリカ,中東は,名目で見ると輸出が倍近くあるいは倍以上も増えているが,いうまでもなく石油価格の上昇によるものであり,同様に数量の落ち込みも石油禁輸で説明される。
アジアは,近年,他地域の発展途上国に比べて輸出数量の増加率は高かったが,73年も対前年3割増,74年第1四半期でも対前年同期3割増と急拡大が続いている。
発展途上国の輸入数量は,以上に見た輸出の好調にささえられて,74年の第1四半期まではやはり急増を示している。先進国で74年にはいって輸出入の動きに差が出て来た現象は,発展途上国のこの輸入数量の増大が輸出の増大に対してラグをもってあらわれて来たためと考えられる。しかし,非産油途上国の外貨準備は,74年6月をピークに減少に転じてきている(本章第4世界の鉱工業生産を世界の実質所得の動きを代表するものとして,世界輸入の世界の所得に対する弾性値をもとめてみると,73年は1.4と,過去5年間の平均1.57に近く,73年の数量面での好調が,世界的な好況によることがわかる。なお,この73年の弾力性の値は,景気の上昇局面の数字としては決して低い方ではなく,これから見るかぎりでは変動相場制による貿易への悪影響は見られなかった,ということになろう。
なお,74年の実績見込みをOECDの見通しによってみれば加盟国の輸入数量は約4.5%増,輸出は約8%増となっている。本年は発展途上国の貿易が大きな不確定要素となっているので,世界貿易の約7割を占める加盟国貿易の数字のみからにわかに世界貿易量の帰趨を判断することは困難であるが,73年に比べ大幅な鈍化が見込まれることは事実である。
以上のような経常収支の不均衡は,いかに金融されてきているであろうか)。資本収支は例年先進諸国全体としては,流出超過であったが(第1-11図),74年においては,この基調に大きな変化がおこっている。これは,経常収支の赤字を資本収支の流入超過によってまかなわなければならないからである。
74年の上半期の先進国の資本収支はイングランド銀行によれば約140億ドルの流入超過となった(第1-34表)。これによって経常収支の赤字230億ドルは,総合収支(公的決済ベース)の約90億ドルへと縮小されている。特に経常収支赤字の大きいイギリス,フランスでは収支ほぼ均衡し,日本では若干の黒字となっている。アメリカも7月以降,資本収支の改善は非常に顕著である。したがって,74年半ばまでのところ先進国で問題があるのはイタリアとデンマーク,スウェーデン,スペイン等,その他のOECD諸国ということになる。
アメリカは国際収支の改善を背景にオイルマネー還流の狙いもあり,1973年12月末と1974年の1月末の二段階にわけて資本流出規制を撤廃した。規制は,①利子平衡税,②対外投融資自主規制,③対外直接投資規制の三つからなっているが,まず12月の段階では利子平衡税の大幅引き下げ,投融資,直接投資の限度枠の拡大を行い,1月末には三者を完全に撤廃した。
他方,ヨーロッパ諸国では,74年に入って資本流入規制を解除したところが多く,上記のアメリカの措置は,特に第2四半期に入ってから大きく影響を現わし始めた。長期民間対外投資は第1四半期にはわずかに流入超過であったが,第2四半期に入るとかなりの流出超過になった。しかし,もっとも顕著な動きは,石油代金支払い急増を背景に各国の銀行が米銀から借入れを増加させたことを主因とする非流動性短期民間資本の流出超過であり,1973年に43億ドルと72年に対して流出超の幅を拡げていたものが,1974年には第1四半期だけで40億ドル,第2四半期には54億ドルという大幅な出超となった。
1974年における産油国の経常収支黒字は,前年にくらべ600億ドル増えで650億ドルにものぼるといわれている。また,石油による粗収入はOPECによれば1974年中で1,050億ドルになるといわれている。 これに対して産油国の輸入については,モルガン銀行によれば,おおよそ450~500億ドルの金額が見込まれており,これは73年に比べて60~75%の増加である。
ここで,産油国に対する主要国からの目下の輸出の動向を見れば,イギリスを除き,他は軒並み大幅増でありOECD合計では6割増という好調ぶりである(第1-35表)。
さて,この650億ドルの産油国の経常余剰は,そのほとんどが先進主要国通貨で先進国の市中銀行の口座に振り込まれるか,中東の欧米系の銀行,支店,国際投資銀行,アラブ系国際投資銀行の手を経てロンドンのシティーに流入しているといわれている。 いわゆる還流についてはその後が問題であり,経常収支の赤字国に,その国の対産油国収支赤字に見合う額のオイル・マネーが安定的に,かつ,長期の債務として流入するかが当面の問題としては重要である。この観点からみて,これまでのところ特に問題があるのはイタリア,スペインなどの一部先進国と多くの非産油発展途上国である。
オイル・マネー還流の形態は多様であり,ことに直接投資は規模が不明確なものが多い(第1-36表)。しかしアメリカの財務省の推計は,そのおおよその姿を示しているとみられる。この推計によれば,74年1~9月にアメリカヘ80億ドル,ユーロ市場へ160億ドル,欧州の民間証券や公的ないし準公的機関へ30億ドル,イギリスヘ35億ドル,発展途上国援助に30億ドル,世銀債,IMFオイル・ファシリティーなどへ15億ドルの計350億ドルの還流があったとしている(第1-12図)。
以上のように,一部の国については還流がすすんだ反面,イタリアのように困難に直面している国もある。イタリアでは,さきにみたように上半期の総合収支で15億ドルの赤字が見込まれ,これに加えて,政権の不安定性,石油輸入への依存度の高さ,ユーロ市場からの70年末の債務の累積が97億ドルと世界最高となっていること(第1-37表)などから借手としての信用度が弱まったため,特にユーロ市場などでの借り入れ競争に遅れをとった。
しかし,74年4月にはIMFのスタンドバイクレジットの予約を取り付け,また,6月の10カ国蔵相会議において金担保融資の途が開かれた。これを受けて8月,9月に12億ドルのスタンドバイクレジットを引き出し,ま8月30日には,西ドイツから金を担保とする20億ドルの融資を取付け,さらにIMFの石油特別基金(オイル・ファシリティ)からの融資を受けた。 非産油発展途上国は,ユーロ市場で,本年早くも約60億ドル(公表されない分も含む)の中長期ローンを取り入れている。これについては第3章第4節でさらにのべることにし.,ここでは,アルゼンチン,ブラジル,メキシコなどを始め,いわゆる「持てる国」が借り入れに成功しているのが目立つことを指摘するにとどめる。
上にみたように,オイル・マネーの還流に重要な役割を果してきたユーロ・カレンシー市場は,73年から74年の始めにかけて急速な拡大をとげた後,74年なかばよりその拡大テンポは急激に鈍化した。その原因は4つあげられる。
第1に,ユーロ・カレンシー市場がオイル・マネーの還流の一翼をになわされたために,資金の短期借り,長期貸しが増加し,危険が増したことがあげられる(第1-13図)。
第2に,西ドイツのバンクハウス・I・D・ヘルシェタット銀行を筆頭に,フランクリン・ナショナル銀行(アメリカ),ロイズ銀行(イギリス),ユニオン・バンク・オブ・スイッツァランド(スイス)などのほか,いくつかの中小銀行が,大きな為替差損をあいついで出したことがあげられる。これによって資金の出し手が連鎖反応的倒産をおそれるようになり,資金の供粘が激纏した。
第3に,やや長期的な要因として谷,74年1月のアメリカの資本流出規制撤廃により,ニューヨ一クが世界の金融市場の中心の地位を争う競争相手として浮かび上って来たことがあげられよう。現に信用不安のつのった74年7,8月には,アメリカへのオイル・ダラーの還流が進み,ニューヨーク市場で各国の積極的な借り入れがみられた。
第4に,ユーロ市場には最後のよりどころとなる貸手(Lender of the last resort)がない,という問題があり,これが信用不安期には,不安を増幅するようになることである。これらの問題は未だ明確な解決をみるに至っていないが,各国中央銀行はユーロ市場に対する監督,規制の強化に同意しており,また,ユーロ金利も9月に入って低下に転じている。
1973年前半には,主要国通貨が一斉にフロートに移行し,その後年央には激しい投機的な為替レートの動き-ドルのヨーロッパ大陸諸通貨に対する下落と反騰-がみられた。爾後2カ月程市場は安定したが,石油危機の勃発をきっかけに1月なかばまで,ドルの先進国通貨に対するレートは上昇し続けた。この結果,ドルは73年10月から74年1月の間に,ヨーロッパ大陸通貨に対して約14%,ポンドと円に対して約10%上昇した(第1-14図)。
このドルの上昇の原因は3つあげられる。
第1は,石油危機,石油価格上昇の影響が,アメリカに対しては相対的に軽微であるも見られたことである。第2には,73年後半にみられたアメリカの国際収支の顕著な回復である。第3には,年央の投機的な動きの修正である。 1974年を迎えると,アメリカの国際収支が悪化し始めた。石油価格の上昇はアメリカの経常収支をも悪化させ,さらにアメリカの資本流出規制撤廃から短資が流出したためである。為替市場はただちにこれを反映して,ドルは10月から1月にかけての上昇分を1月半ば以降の4カ月で失った。 5月半ば以降は,資本流入の好調から,かなりの回復を見せた。
各国通貨の動きは,ここで述べたドルの動きの対称として多くは説明される。多国間の通貨調整が一段落した1973年の4月を基準に各函通貨の実効切り上げ率をみると,多くの波乱はあったが,結局ドルはわずかに上昇,他の諸国は西ドイツ,スイスを除いて10%前後の下落になっている(第1-38表)。
1973年3月,EC6カ国(西ドイツ,フランス,ベネルックス3国,デンマーク)とスウェーデン,ノルウェーによって共同フロートが発足した。その後,73年6月末のマルクのフロート内での切り上げをはさんで,6月,7月と投機の波にさらされ,また9月にはオランダ・ギルダー切上げにともなってフランス・フランへの投機があり,11月にはノルウェー・クローネの切り上げなどがおこった。 このように,共同フロートはその内部の為替レ一トが必ずしも安定的でなく,かつ投機の圧力にさらされやすいという欠点をもっている。こうした共同フロートから74年1月には,ついにフランスが脱退した。73年12月央からフランスは共同フロート内で軟調に推移していたが,石油危機の影響が相対的に大きいと予想され縮小変動幅の下限に張りついた。フラン売り圧力が一層強まるなかでフランス政府は,1月19日以後6カ月間EC為替変動幅縮小取り決めに伴う為替市場への介入義務の停止を発表し,同時に非居住者向けフラン貸付けの禁止など為替管理を強化した。 フランの共同フロート離説の理由として,フランス政府は,第1に,現状では74年,75年中に国際通貨制度改革の実現可能性がないこと,第2に,石油価格引き上げによって予想される国際収支の赤字の金融のめどがつかないこと,第3に,市場介入義務がある国がこのような状況では投機圧力に屈する危険があること,の三点を指摘した。
3月の時点では,離脱は6カ月間とされていたが,その後9月になってフールカード蔵相は,フランの回復にもかかわらず,共同フロートが円滑に機能するような機構ができるまでは復帰しない旨表明している。
フランス・フランが離脱したあとの共同フロートは,マルクの堅調が続いて共同フロート内での切上げが必要との見方が強まったが,6,7月の信用不安を契機とした短資の流出を主因に8月以降マルクが共同変動幅の下限にはいったまま,全体としては落ち着いている。
金価格は73年から74年の始めにかけて急上昇したあと,同年央に大幅に軟化を見せ,その後比較的落着いた推移を示していたが,この間の動きについて,それぞれの局面での要因をあげつつ,ここで見てみよう(第1-14図)。
73年の前半においては,為替市場の不安定なことが金価格を変動させたと思われる。金価格は2月,6月と,為替市場で混乱が起きるたびに急伸したが,為替市場に落ち着きがもどると,軟化やがて横ばいとなった。その後11月に入ると落ち込んだが,世界的なインフレ基調の中で,11月末より上昇に転じた。この傾向は石油危機の中で一層強まり,さらに世界各地での株式市場不振などから金に期待があつまって,74年2月半ばにかけで急上昇し一時は1オンス当り180ドルに達した。その後は商品市況の下落や金利の高騰による金保有の機会費用の増大によって6月には大幅に軟化した。7月に入って値ごろ感が出て再び反発し,10月なかばまで1オンス当り145~155ドル程度で推移していたが,10月後半からは75年以降米国で金取引が自由化されることや金利の低下傾向から再び高騰し始め,11月中旬には1オンス190ドル3に近づいた。
後述する国際通貨制度面での金問題の取り扱いが金相場に影響を与えた一面は見のがせないが,最近の金価格の上昇原因としては次のものが掲げられる。
第1に,新産金の供給の引続く停滞である。1970年までは順調な生産の拡大が続いて来たが,その後3年間生産は減少している。
第2に,金採堀コストの上昇があげられる。ことに南ア連邦での労働力調達が,周辺国の開発の進展とともに高くつくようになって来ている。
第3に,為替市場変動によるリスクを避ける意味から金市場に資金が敵したことである。
第4には,商品市況,株式市況との関連である。特に商品市況と金相場の間の相関は73年8月以降為替市場で攪乱的変動が少なくなるにつれて目立つようになった(第1-13図)。これは,金保有と商品保有とが,ともにインフレヘッジの役割を有していることを示し,世界的な換物志向の産物として両者の平行した動きがでてきたといえよう。
一方,公的保有にかかる金の取扱いについては,73年11月に通貨当局が民間と金売買を行わないこと等を定めたいわゆるワシントン協定(1968年締結)が廃止された。しかしIMF協定上は平価に一定のマージンを加えた額をこえる価格での通貨当局の金購入は認められていないので金の市場価格がどの公定価格を大幅に上回っている現状では,通貨当局間の金取引は実際上行えないことになっている。 そこで6月の29カ国委員会に際し,開催された10カ国蔵相会議において各国の中央銀行相互間で双方が合意した価格により金を担保として融資を行うことができることが確認された。
1972年7日,IMFに設立された20カ国委員会は,その後,国際通貨制度改革につき検討を続けてきた。この間73年3月以降主要国通貨はフロートに移行していたが,石油危機後,各国の国際収支構造が激変したため,固定相場制への復帰は当分の間見込めなくなった。 この新しい情勢をふまえ,通貨制度改革の基本線についても再検討されることとなった。
74年6月の20カ国委員会蔵相会議において「通貨制度改革概要」が了承され,委員会の報告とともにIMFの総務会に提出することで,意見の一致をみた。
この「通貨制度改革概要」は2部から構成されている。
第1部は,長期的な将来の通貨制度の基本的な姿を取扱っており,(イ)各国通貨の交換可能性を回復すること,(ロ)為替レートは固定相場を基本とすること(ハ)中心準備資産はSDRとし,金の役割を減少させること等が骨子となっている。
第2部は,石油問題等で不安定な経済情勢をふまえ,将来の制度に移行するまでの当面の経過期間にとられるべき措置を取扱っている。
その主な内容は次の通りである。
第一に,国際通貨情勢の推移に機動的,効果的に対処しうるようIMFに大臣レベルの協議機関を設立する。
第二に,不安定な現下の経済情勢の下でも,国際収支を効果的に調整していくため,IMFを中心とした国際的な協議協調を強化する。
これとの関連で,IMF加盟国が石油輸入価格の上昇による当初の影響に対処するのを助ける為,IMF内に信用供与措置を設けることとする。
第三に,フロートの下での競争的切下げ等を回避するため,介入政策等についてのガイドラインを設け,各国がこれに従うことを期待する。
第四に,暫定的にSDRの価値を諸通貨の加重平均価値にリンクして定め4方式を導入する。
第五に,発展途上国援助を検討するため,IMF世銀合同の大臣レベルの協議の場を設ける。
これをふまえて,IMF理事傘は6月,フロートのガイドラインの設定,標準バスケット方式によるSDRの価値の決定,オイル・ファシリティーの設立とその資金に当てる為の主として,生産国からの借入れを行うこと等を決定した。
また,9月30日から10月4日までワシントンで開かれた第29回IMF世銀総会において,大臣レベルによるIMFの暫定委員会の設立,IMF,世銀合同の開発委員会の設立が決議され,両委員会は総会中にそれぞれ第1回会合を開き,活動を開始した。