昭和49年
年次世界経済報告
世界経済の新しい秩序を求めて
経済企画庁
第1章 1974年の世界経済
以後多くの国で設備能力や原材料,労働力などにボトル・ネックが出現し,インフレの加速化をともないながら生産の増勢は鈍化した(第1-1図)。その後73年10月石油危機の発生によって供給面でのいっそうの制約に加え,自動車等石油関連財の需要鈍化,二桁インフレの出現とそれに伴う実質所得の伸び悩みや減少,73年中各国で相次いでとられた金融引締め整中心とする総需要抑制策の効果浸透などが加わって,74年初めごろからは,先進国の景気は総じて停滞局面に入った。74年春以降,石油供給の量的制限は緩和されたが,石油価格高騰の直接的間接的影響や,二桁インフレに対する総需要抑制策強化から景気停滞はいっそう深刻化することとなった。こうしたなかで下期に入って総需要抑制策の部分的手直しを行う国もみられるようになった。
この間の動きを,OECD加盟主要7カ国の実質経済成長率(年率)でみると,72年下期6.1%,73年上期8.4%と60年代平均の5.3%をはるかに上回る高成長を遂げたあと,73年下期には2.3%と大幅に鈍化し,74年上期(実績見込み)にはアメリカ,イギリス,日本がマイナス成長に落ち込んだことなどから,7カ国全体の成長率もマイナス1.8%とかつてない落ち込みをみせた(第1-1表)。
このような景気の停滞は,国によって一様ではない。アメリカ,イギリス,西ドイツでは停滞色が濃いのに対して,フランス,イタリアにおいては少なくとも74年上期までは比較的高水準の経済活動を持続していた。しかし,これらの諸国も74年下期には景気にややかげりが見え始めている。
景気停滞をもたらした需要の動きをみると,概して輸出の増勢と設備投資の堅調という下支え要因があったものの,個人消費,住宅投資,在庫投資などの減少がこれを上回ったため,総需要の減少または停滞をひきおこした。
アメリカでは74年上期に実質GNPは73年下期比3.4%(年率,需要の停滞の項につき以下同じ)減少したが,これは輸出の著増(16.1%)にもかかわらず,国内需要が4.2%も減少したためである(第1-2表)。国内需要減少の約半分が個人消費の減少(3.6%減少)によるものであり,残りが住宅投資(33.0%減)と在庫投資の減少によるものであった。非住宅固定投資(1.8%増)と政府消費(1.6%増)はわずかながら増加した。
イギリスでは,年初の炭坑ストによる週3日操業制という特殊事情もあって,74年上期の実質GDPは前期比年率1.2%歳少したが,その原因はやはり国内需要の減少(4.2%減)にあり,国内需要減少の主因は,個人消費,住宅投資および在庫投資の減少によるものであった(第1-3表)。
西ドイツの場合は,74年上期の実質GNPは前期比年率2.1%増加したが,これは年初の異例の好天候による建築活動の盛行によるもので,この特殊要因を除けばほとんど横ばいであったとみられる(第1-4表)。この国においても輸出の著増(26.2%増)が景気の下支え要因となったが,国内需要はひきつづき減少した(4.2%減)。国内需要減少の主因は在庫投資,設備投資の減少であったが,建設投資も前記特殊要因を除けば引続き減少とみられる。個人消費は前期の3.6%減のあと74年上期もほぼ横ばい(1.4%増)であった。西ドイツでは,アメリカ,イギリスと異なり,設備投資も大幅な減少(13.4%)をみせたことが目立っている。
以上主要3カ国の例から明らかなように,74年上期の景気下降ないし停滞の主因は個人消費,住宅投資,在庫投資の減少によるものであり,設備投資は西ドイツを除き概ね堅調を持続した。
過去の経験と比較した今回の特徴は,従来景気下降期に下支え要因として働いてきた個人消費が今回はむしろ積極的な下降要因となったことと,景気後退期には多かれ少なかれ減少する設備投資が(西ドイツを例外として)今回は比較的堅調だったことである(第1-5表)。
以下においては需要項目の動きを検討しよう。
個人消費はアメリカ,イギリス,西ドイツとも73年下期以来減少ないし停滞傾向をみせている。
耐久消費財の売行き不振がどの国にも共通するきわだった特徴をなしているが,とくに自動車の売行き減少幅は今回が最も大幅である。乗用車新規登録台数は,74年1~9月ないし1~10月間にイギリス27%,アメリカ24%,西ドイツ21%,デンマーク33%と,軒並みに激減している(第1-2図)。またフランス,イタリアも当初は小幅の減少に止まっていたが,年央以降減少幅を大きくしている。
こうした耐久財の売行き不振のほか,従来景気後退期にもあまり大きく減少しなかった非耐久財の売行きが今回はかなり減少している(第1-6表,第1-7表,第1-8表)。さらにアメリカでは過去の後退期に全く減少しなかったサービス消費が電気・ガスを中心に今回はわずかながら減少した(第1-6表)。
こうした消費不振の主因は,価格の上昇による消費意欲の減退や実質所得の減少ないし停滞にあったが,最近では景気不振と失業増による消費者の買い控え傾向をもつよまっている。また自動車の場合は,石油危機の心理的影響や石油消費規制,ガソリン価格の高騰,一部の国での賦払い信用規制などが響いており,家具類などは住宅建築不振の影響をうけたとみられる。
こうした消費不振の主因となった実質所得の停滞を主要国の実質賃金の動きでみると,アメリカではすでに73年上期から減少に転じはじめており,74年上期は前年同期を4.5%下回った(第1-9表)。イギリスにおいても実質賃金は74年上期に前年同期比2%減であり,カナダでも73年下期以来停滞的である。他方,西ドイツ,フランス,イタリアなどでは74年に入っても実質賃金が上昇しているが,その伸びは著しく鈍化している。
このほかに,累進税率による税負担の増大を考慮すれば,一方で社会保障給付の増加はあるものの,実質可処分所得の停滞がより一層顕著な国もある(第1-9表)。
また,貯蓄率の動きをみると,74年第1四半期には物価の急上昇による支出増を反映して低下しているが,その後の動きは国によってまちまちである(後出第2-20図参照)。
個人消費と並んで景気停滞の大きな要因となったのは住宅建築の不振である。住宅建築は71~72年中に多くの国で大幅に増加したが,73年春以降不振となり,さらに74年上期には大幅に減少した。これを住宅着工数ないし許可件数の動きでみると,アメリカでは73年1月の年率247万戸をピークに減少に転じ,73年13.2%減,74年1~8月間に前年同期比35.1%減(最近月の9月では112万戸で前年同月比39.1%減)であった。イギリス,西ドイツでも74年上期には,前年に比べそれぞれ38.0%,41.7%減と大幅に減少している(第1-10表)。
こうした住宅建築不振はいうまでもなく金融引締めによる高金利,住宅貸付機関の資金難,建築費の高騰などに原因するが,一部の国では71~72年の投機的建築ブームの反動という面もあるとみられる。この例は西ドイツであって,通常の年間住宅需要は50~55万戸とされているが,72年の住宅完成数は66万戸,73年は71万戸となり,74年も着工数では激減だが完成数では70万戸近いとされ,新築の売れ残り住宅数は現在約30万戸に達するといわれている。一方,アメリカでは,戦争直後のベビー・ブーム期に生れた世代が現在住宅を購入する年齢となり,このため潜在需要は年間200万戸以上に達するとみられているから,ここ71~73年間の住宅建築ブームに構造的過剰要因はなかったものと考えられる。
景気停滞下にもかかわらず74年上半期までの主要国の設備投資は西ドイツを除いて引続き堅調に推移していた。アメリカの産業設備投資(名目)は73年に12.8%増のあと,74年上期も前期比6.9%増,前年同期比17%増となった(第1-11表)。物価の上昇を考慮しても(生産者耐久財価格は74年上期に前期比4.0%,前年同期比6.7%高),実質でも増加となる。とくに製造業は前期比11.2%増,前年同期比22.5%増と大幅な増加を示している。
イギリスの産業設備投資(実質)も73年に8.5%増のあと,74年上期は前期比3.5%減少したが,これは不規則変動の多い海運業の投資減少(34%減)のためで,それを除けば0.3%増と,前期の高い水準を維持した。とりわけ製造業の投資は,前期比6.6%増,前年同期比12.9%増であった。
このほか投資予測調査によると,カナダの産業設備投資は74年に名目25.3%増,イタリアは名目13.6%増,フランス実質5~6%増と,かなりの増加が予想されている。
ただし,西ドイツの産業投資(実質)は71年以来連続して減少しつづけている。同国においては,72年秋から73年春までの景気急上昇過程で企業の投資意欲が盛りあがった。しかし,73年2~5月の一連の税制上の投資抑制措置と金融引締めで投資意欲が春以降急速に衰え,同年末の投資抑制措置撤廃後も利潤減少,金融ひっ迫,景気見通し難などのために回復せず,最新の予測調査では74年の製造業投資は実質5%減とされている。これで西ドイツの製造業投資は実質で4年つづけて減少したことになる。
フランスやイタリアのように,国内景気がまだ比較的高水準で,製造業の操業度もなお高く,能力不足感がある国では設備投資が堅調であったのは当然だとしても,アメリカやイギリスのように景気下降期にもかかわらず設備投資が堅調であるのは,いかなる理由からであろうか。第一の理由は,基礎財の能力不足にある。製造業全体の稼動率は低下しているが,基礎財部門はフル操業に近い状態にあり,73年以来の物不足を背景に,これらの部門では投資意欲の盛り上りがみられる。第2の理由は,石油ショックを契機としてエネルギー関連の設備投資がふえていることである。アメリカ商務省の投資調査(74年7~8月実施)によると74年に大幅な増加を予定している産業は,製紙,鉄鋼,非鉄,化学などの基礎産業と石油産業であり,さらに不況下にある自動車産業も公害防止投資や小型車への転換を背景に大幅な投資増を予定している。
しかし,こうした設備投資の堅調にも,74年後半に至ってややかげりがみえはじめている。アメリカでは電力会社が資金調達難から,最近大型投資を繰延べるなど,資金面からブレーキがかかりそうな気配がみえる。イギリスでもコスト増と価格規制から企業の流動性が苦しくなっており,最新の商務省調査によれば,製造業の設備投資は74年全体では実質で前年比5%増だが,前記のように上期の投資水準が非常に高かったこともあって,下期には上期比約8%減とされている。
在庫投資は,73年暮には原・燃料の値上げや物不足を見越した買急ぎ,自動車売行き不振による意図せざる在庫増などから,どの国でも大幅に増加したが,74年にはいるとその反動で減少しつづけており,それが74年上期の景気下降の一因となった。在庫投資は従来と同様景気の振幅を大きくする役割を果したのである。
それでは,在庫の水準は,現在,果して過大なものと考えられるであろうか。
在庫水準をアメリカの例についてみると,製造業と流通業の売上高に対する在庫の比率からみるかぎり,74年8月1.47と1年前と比べてほぼ同水準にあり,現在の在庫水準は過大であるとはみられない。しかし現在のような急速な物価上昇期には在庫スドックの評価が現実の物価上昇に立遅れ,その結果在庫比率が実際より低くみえるという問題がある。
このため,物価変動の影響を調整し,且つ一層広範囲な産業を含む国民所得ベースの実質値でみた事業最終売上高(注)に対する在庫の比率をみると,73年暮から著しく上昇しており,73年第1四半期には0.290であったのが第4四半期に0.303となり,さらに74年第2四半期には0.312となっている(第1-12表)。この水準は60年代の最高に近く,60年代にみられtこ過去3回の在庫調整期の水準と同じないし上回っている(60年第1四半期0.312,66年第4四半期0.306,69年第3四半期0.303),これは73年を通じて多額の在庫蓄積が行われ,とくに第4四半期には対GNP比2.4%もの在庫蓄積がなされたせいである。74年にはいるとその反動で在庫投資が減少しているが,在庫水準は増加しつづけ,他方,最終売上は減少ないし停滞しているために,在庫比率がさらに上昇している。
73年から74年にかけて先進国の輸出は概して増勢を持続し,74年上期にはそれが大きな景気の支えとなった(第1-13表)。これに対して,先進国の輸入は景気停滞により鈍化している。国連の統計によると,74年上期の先進国の輸入は実質でわずか3.6%増にすぎなかった。こうしたなかで先進国の輸出が実質10%と増勢を維持しているのは,主として発展途上国や共産圏向け輸出が大幅に伸びたためである。
イギリス,イタリア,アメリカなどの切下げ国は価格競争力を強化した一方,大幅な実質切上げをみた西ドイツでは,世界需要に適合した輸出品目,技術力の高さなどの長期的優位さに加え,国内不況による輸出ドライブの高まりから輸出の好調が最近まで続いている。
以上のような需要の停滞に先立ち鉱工業生産の増勢は供給のボトル・ネックによってすでに73年春頃より鈍化しはじめていた。その後,石油危機の発生もあって57年以来の同時的落込みとなってきた(第1-3図)。
しかし,部門別の生産の動きは一様ではない。例えば耐久消費財を代表する乗用車関連の生産は73年第2四半期以降頭打ちから減少に転じていたが,石油ショック後は大きく落込んだ。この結果74年1~6月期の乗用車生産は前年同期比でアメリカ22.4%減,イギリス11.3%減,西ドイツ20.0%減となった。また,繊維も73年10月以降の生産低下が著しい(第1-14表)。
一方,資本財関係の生産は,根強い投資需要を反映して原材料等供給上の制約があるにもかかわらず,石油ショック後もかなり高い生産水準を持続している。例えば,74年1~6月の企業設備機械生産は前年同期比で,アメリカ7.4%増,イギリス0.7%増,西ドイツ3.6%増と,対照的な推移をみせている。
また,原材料関係の生産も73年後半から増勢が鈍ったものの,74年1~6月は前年同期比でアメリカ1.4%増,西ドイツ2.9%増と,1~3月期に週3日操業制をとったイギリスを除きその生産水準はなおかなり高い。
さらにOECD全体の生産活動をみると,各業種とも石油ショック発生後大幅に鈍化しているが,鉄鋼や非鉄が過去の景気停滞期に大きな落ち込みを示していたのに対し,今回は景気の停滞現象が現われているにもかかわらず全体の生産活動を上回る活動水準を持続している(第1-15表)。
しかし,74年後半になると各最終需要の伸び悩みが一段と顕著になったので,生産活動の減退は生産財や資本財にも波及し始め,秋以降各国の生産活動は過去の景気後退期と同様の全般的な低下に移行した。
73~74年の欧米主要国の雇用動向を景気に最も敏感に反応する製造業雇用によってみると,ストの影響を受けたイタリアを除き各国とも73年秋頃までは増加していたが,73年末になると内需停滞が顕在化してきた西ドイツにおいてまず減少に転じ,74年に入るとアメリカ,イギリスで大きく減少し,増勢を持続しているフランスも増加テンポが半減した。イタリアは73年後半になってようやく増加に転じ,74年初めにも他の主要国とは対照的にかなりの増加を示した(第1-4図)。
また民間雇用全体でみると,西ドイツが73年春以降増勢が止まり年末から著しく減少しているのに対し,アメリカでは石油ショック後74年年央までは製造業の減少を非製造部門の増加で吸収して増加を続けた。
次に主要国の失業率の推移をみると,73年春頃より上昇に転じていた西ドイツを除き景気の急上昇を背景に72年初めから73年年央にかけてかなり低下したが,その水準は60年代の好況期ほどには低下しなかった国が多い。例えばアメリカは73年7~9月に4.7%と今回の最低水準に達したが,68年4~6月の3.4%はもちろん55年4~6月の4.2%をもはるかに上回っていた。他の主要国も最も近い景気のピーク時(多くは69年)と比較しても,カナダは5.3%(73年4~6月)と0.8%,フランス2.1%(73年4~6月)と0.7%,西ドイツ0.8%(73年1~3月)と0.3%それぞれ上回っていた。
その後73年後半には下げ止まり傾向が出始め(第1-5表),石油ショックの影響が自動車産業での操短等となって顕在化し始めた73年末から74年初めにば各国とも上昇が目立った。さらに景気停滞現象が目立ってきた74年年央以降失業率はさらに急上昇し,アメリカでは74年10月6.0%と前回景気停滞(69~70年)によるピーク(6.0%)と同水準となり,西ドイツは10月には3.7%と67年の不況時を上回る60年代最高の水準に達している。
以上のように,74年の先進国経済は深刻な景気停滞を続けているが,今回の停滞は従来のそれに比べ次のような特徴を持っている。
第1は,景気停滞に入る以前の景気拡大の過程においてすでに見出される供給の制約である。先にみたように,世界景気は72年より73年にかけて一斉に拡大したが,73年春頃には基礎資材部門を中心に供給力のボトル・ネックを生じ,このため,名目需要の引続く拡大の中で実質生産がこれに伴わず,名目と実質の大きなかい離を生じた。これに対処して各国政府は引締めに転じたが,基礎資材の需給ひっ迫は74年以降の景気停滞下にも続き,これが設備投資の堅調をもたらしていた(第3章第1節参照)。
第2は石油危機の影響である。73年10月の石油危機は,当初は量的削減の影響に心理的影響も加わって,アメリカ,日本などのマイナス成長の要因となった後,量的制限が緩和される頃には,石油価格の大幅上昇等による実質購買力の減少が個人消費を中心に需要の抑制をもたらしてきた。一方,オイルマネーの還流も漸次進んできたものの,その間発生した信用不安は,世界景気に対する懸念を一層増すこととなった。
第3は,未曽有のインフレに直面し,各国政策当局は従来と異なり,景気停滞下にもかかわらず総需要抑制政策を堅持せざるを得ず,これがいっそう景気停滞を深刻なものとしたことである。
72年秋以来の世界的な物価上昇は,73年に入るとすでに一部の国で二桁をこすに至っていたが,石油危機を契機入して,一段と加速し,ほとんどの国で二桁をこす記録的なインフレとなった(第1-16表)。こうした二桁インフレは平時においては類をみないばかりでなく,石油ショック後,景気停滞にもかかわらず,いっそう加速するという典型的なスタグフレーションの様相を呈した。
ここでは石油危機以後のインフレ加速化の過程をあとづけてみよう。
OPECによって73年10月および74年1月の2回にわたり原油公示価格は合計約4倍へ引上げられた。この結果,OECDの推計によれば,先進国の原油輸入価格(ドル表示)は実質的に73年について29%,74年について約180%上昇するとされている。
また,この原油価格上昇は加盟国全体の物価(国内総需要のデフレーター)を直接的に73年0.3%,74年1.5%引上げ,これに国内産原油価格上昇による影響を加えると,さらに0.5%の上昇要因となるとしている。ヨーロッパ諸国についてのBIS(国際決済銀行)による消費者物価への直接的影響度も2~3%と推計されている。
このような原油価格の大幅上昇は,消費者物価にすでにあらわれている。まず,原油の値上りを直接反映するガソリン価格の急騰である。主要国の73年末のガソリン価格は年初にくらべてすでにかなり上昇していたが,74年初にさらに大幅に上昇し,74年5月には73年末を20~40%上回った。このためガソリン価格上昇のこの期間の消費者物価に対する寄与率は多くの国で4~7%,高い国では10%を越した(第1-17表)。
しかし,春以降は概して値下り傾向を示しており,とくにスウェーデン,西ドイツなどの値下りが大きい。ただし,イタリア,フランスなどではその後も上昇傾向が続いている(第1-6図)。
つぎに,灯油および電力を含む光熱費の値上りが大きい。光熱費の消費者物価にしめるウエイトは3~8%程度であるのに対して,73年10~74年4月の寄与率では多くの国で10%をこえており,20%をこえた国もある(第1-17表)。これには政府による灯油,電気,ガス等の価格料金政策が直接的な影響をもっており,この間,日本,イギリスなどでは相対的に小幅の上昇に止められた(第1-6図)。また,値上げの時期についてみると,石油製品の市場価格をほとんど規制しなかった西ドイツでは,73年末までに大幅な上昇を示したが,74年に入ってからはむしろ反落している。これに対して,イタリア,フランスなどでは段階的な引上げを行っている。
また,主要国の公共運賃も上昇しているが,石油自給度の相違や当局の政策のちがいを反映して,引上げ率および時期にはかなりの差がみられる。西ドイツやフランスなどでは運賃への転嫁が早期に行われたが,イタリア,イギリス,日本などでは政策的に上昇がかなり延期されており,アメリカではほぼ据置かれている(第1-6図)。
一次産品市况をロイター指数でみると,72年央に上昇しはじめ,73年8月までに約2倍に急騰した後,8月中旬から騰勢頭打ちとなり,市況の安定感がひろまっていた。しかし,10月初の第4次中東戦争の勃発を契機として市況は非鉄金属,ゴム,小麦などを中心に再び急騰に転じ,74年2月のピーク時までに約20%上昇した。その後は,主として,小麦や景気停滞を反映した銅などの非鉄金属の反落から低下傾向を示し,7月にはほぼ73年10月上旬の再上昇前の水準まで低下した。この中で,砂糖は需給ひっ迫による品薄感から73年8月以降一貫して急騰をつづけ,74年に入ってからば天候異変による収穫減少を見こしてさらに上昇し,74年9月までに約4倍になっている(第1-7図)。
このような一次産品の直物相場の高騰は数カ月のラグをもって輸入価格に反映し,さらに国内価格に影響する(第2章第1節参照)。
先進国の輸入単価(各国通貨建て)は,以上のような一次産品価格の急騰を反映して72年下期以降大幅な上昇を続けている。とくに石油危機以後は,原油価格の上昇,その他,一次産品価格の高騰に加え,為替相場がドル安からドル高傾向に変化したため,対ドル・レートが下落した国では,それだけ輸入価格は高くなっている。
非石油一次産品の直物相場は74年上期に約30%上昇したが,OECDによれば仮りに輸入価格も遅れて同程度に上昇すると,直接的に1~2%の上昇要因となるとしている。
食料農産物の根強い上昇傾向は,消費者物価の加速化に引続いて大きく寄与している。ただし消費者物価の費目別寄与率をみると,73年にはほとんどの国で50%前後に達していたが,74年には,サービスや工業品の上昇率が相対的に高まったために,寄与率はむしろかなり低下して30%程度となっている(第2章第1節参照)。
74年に入り,景気停滞下での需給緩和が進む一方,以上のような原燃料コストの波及に加え,賃金コスト圧力が高まってきた。74年上期には,とくに二桁インフレに伴う実質賃金の侵触が大きかった。アメリカ,イギリスなどでは実質賃金は前年に比べ低下し,経済活動が比較的好調であったカナダ,フランス,イタリアでも,その伸びは大幅に鈍化した(第1-18表)。このような背景の下に,名目賃金引上げ要求が著しく,また,国によっては賃金協約に含まれるスライド条項のために,失業率の上昇にもかかわらず名目賃金の上昇は加速化している(第2章第1節参照)。
このような名目賃金の上昇はとくにイギリス,フランス,イタリアで著しく,イギリス,日本では,マイナス成長のもとで,名目賃金は物価上昇を越え,実質賃金の上昇を当面もたらしている。
一方,景気の停滞は,労働生産性の著しい停滞を招き,名目賃金上昇の加速化とあいまって,賃金コストの大幅上昇をもたらしている(第1-18表)。
賃金コストの上昇は,これまでのところ各国における総需要抑制策や価格規制の下でその生産物価格への顕著な転嫁が抑えられているが,原燃料価格上昇によるいわゆる「新価格体系」移行後も,持続的なインフレ圧力となる危険性をはらんでいる。
1973年から74年にかけて世界の石油情勢は文字通り激変した。73年10月からの石油危機は世界各国の景気,物価,貿易,金融等あらゆる面に深刻な影響を与えたのみならず,低価格かつ安定的な石油供給を基礎に発展を遂げてきた各国経済の根底を揺がした。このような石油危機はいかに発生し,その後どのように推移してきたのであろうか。
73年来の石油情勢の推移は,①73年9月までの世界景気の同時的急上昇にともなう石油需要の急増期,②73年10月から74年3月までのアラブ産油国が供給削減を実施し,原油価格が急上昇した,いわゆる石油ショック期,③74年4月から最近に至る石油需給が大幅に緩和したにもかかわらず原油価格の高水準が持続している時期に分けられよう(第1-19表)。
第1期においては,72年後半からの各国景気の同時的急上昇持続から主要国の石油需要はイギリスを除き年率7%以上の急増を示した(第1-20表)。このため,サウジアラビアなど多くの中東産油国が20%前後の増産をしたにもかかわらず世界の石油需給が著しくひっ迫した。この石油需給のひっ迫によって石油の市場価格も通貨調整にともなう公示価格の上昇テンポを上回る急騰を示し,メジャーズ(国際石油資本)に高収益をもたらしたため,産油国は公示価格引上げ要求を強めた。こうしてアラブ産油国が中東における政治的緊張の高まりを背景に石油を政治的な要求を実現するための武器として使う条件が成熟した。
第2期においては,第4次中東戦争ぼっ発を背景に中東産油国が,原油の供給削減を行い,OPEC諸国(注1)の原油公示価格の大幅引上げが実現した。OAPEC諸国(注2)は10月,9月水準比5%の生産削減とアメリカやオランダなど反アラブ的な国に対する石油輸出禁止を実施,さらに11月には生産削減率を25%に拡大し,さらに以降毎月削減率を5%上乗せする大幅な供給削減を決定した(11月,12月には生産削減がピークに達し,サウジアラビア,クウェート,リビア,アルジェリアの4産油国だけで9月水準比約370万バーレル/日約25%の減産が行なわれた)。供給削減については,11月アラブ支持の態度を表明したECに対する追加削減の免除決定を皮切りに緩和の方向に進み,12月下旬には同様の態度を表明した日本に対しても供給削減の解除が決定された。さらに1月には一般的削減率を25%から15%に引下げたあと3月17日には対米禁輸を解除したため,事実上約5カ月間という比較的短期間で終了した。一方,原油価格についてはOPEC加盟のペルシャ湾岸6カ国(注3)が10月の公示価格の即時70%引上げに続き,12月下旬には産油国収入を7ドルにすることを基礎に公示価格を11.651ドル/バーレル(アラビアン・ライト)と2倍以上引上げ,74年1月からの実施を決定した。この間主要先進消費国は石油割当制や自動車速度制限など各種の緊急節約措置を実施したほか,2月にはワシントン石油消費国会議で国際協力による石油問題の解決策を探るなど,内政,外交の両面からこれに対処した。また,多くの発展途上国は,基本的にはアラブ産油国支持の態度を打ち出しながらも石油を含めた資源問題の解決を国際会議で図ろうとして国連資源特別総会の開催を提案した。
第3期には,石油価格の高騰や,前期中に各国で導入された石油節約措置の効果,景気の停滞から石油需要の減退が一段と明らかとなった。この石油消費動向を主要国についてみると,暖冬の影響も加わって,アメリカ6.9%減,イギリス8.9%減,フランス12.0%減,西ドイツ17.2%減,イタリア5.8%減と74年1~4月期で前年同期に比べ消費が急減している(第1-20表)。
こうした石油需要の減退にアラブ産油国の増産が加わって,石油の過剰が表面化(6月末頃には200万BD-世界需要の2~5%-の過剰が発生)するなど石油需給は一変した。この間,主要国で採られていた緊急消費規制措置も3月末ごろから相次いで撤廃ないし緩和された。また,クウェート,イラク,リビア,ベネズエラ等の産油国は7月以降減産体制に入った。一方,原油価格については74年11月初めまで公示価格は据え置かれたものの,7月以降OPEC諸国がインフレの高進とメジャーの高収益を根拠に利権料や所得税率の引上げを行った結果,市場価格は上昇気味に推移した。もっとも11月中旬には,イランが公示価格を廃止して産油国収入を減らさない形での単一価格設定を提案したのに続き,サウジアラビア,アブダビ,カタールの3国が利権料や所得税率を引上げてメジャー利益の圧縮を図るとともに,公示価格をバーレル当り40セントの引下げを実施するなど,新しい原油価格体系をめぐる動きも活発化してきた。だが,他の産油国はサウジアラビア,イランなど以上に価格の引下げに難色を示していると伝えられているため,原油価格を巡る情勢はなお流動的であり,12月中旬のOPEC総会での結論が注目されている。この間消費国においては石油価格高騰の影響がインフレの激化,貿易赤宇の急拡大,世界景気の一層の停滞をもたらしたので,各国とも中・長期にわたる石油消費節約,オイルマネーの還流等の方策を検討,実施し始めている。
73年10月以降世界経済に石油危機が与えた影響は極めて大きく,かつ広範であった。
以下では,アメリカを例にとって,主に生産,需要,雇用への影響をみよう。
アメリカ経済における自動車産業の地位は極めて大きいが,石油ショックも主に自動車に関連した消費・生産活動を通じてアメリカ経済に強いインパクトを与えた(第1-21表)。個人消費のうち石油関連消費を構成する自動車,同部品,ガソリン,燃料油,電気,ガス関係の実質消費額(以下,いずれも実質)は73年10月から74年3月までの対米石油禁輸期間中に年率30%も減少した。自動車,同部品の購入が石油危機発生後最も早くかつ強く影響をうけ,各種の石油消費規制が出揃った74年1~3月にはガソリン等の燃料油や電気ガスなどその他のエネルギーも大幅に節約された。禁輸が解除された74年4~6月期には自動車やガソリンは増加したが,石油ショック直前に比べると,自動車で約18%,ガソリン等で約11%も減少している。
また,個人消費の総額を石油関連消費を除いた個人消費と比較すると,禁輸期間中の消費の大幅な落込みはほとんど石油関連消費の減少であったことがわかる。しかし禁輸が解除されると逆に石油関連以外の消費の方が全体を押下げるかたちとなり,このことは石油価格上昇によるデフレ効果があらわれてきたことを示している。
以上を総合して実質経済成長への影響をみると,石油関連個人消費の変化によって,73年10~12月期には年率3.8%,74年1~3月期には3.4%,それぞれ成長率が引下げられ,逆に74年4~6月期には0.9%成長率が引上げられている。そして73年10月期から74年6月期までの成長率低下の大半が石油関連消費の減少によるとみられる。
次に雇用への影響をみると,輸送機械製造業の雇用が73年10~12月期に早くも減少し,74年1~3月期には自動車産業の大規模な在庫調整,減産にともない大量のレイオフが発生したこと等を反映して年率26%にも達する減少を示した(第1-22表)。その後雇用は4~6月にはレイオフ解除によって増えているがその増勢は鈍く,石油危機直前に比べ9万人,約4.8%の減少である。また,輸送機械を除く製造業では1四半期遅れて74年1~3月期から減り始め,順次減少幅が拡大している。一方,輸送機械,農業を除く民間雇用者は74年4~6月期まで増加を続けているが,増加率は急激に縮小する傾向がみられる。これらの雇用の減少,増勢鈍化には住宅産業の不振による面もありすべてが石油危機によるものとはいえないが,自動車産業における大規模なレイオフや,過去の景気停滞期に比べ基礎資材,投資財関係の生産活動がかなり活発なこと等から判断すると,雇用に対する石油危機の影響は相当なものであろう。なお,11月にアメリカ連邦エネルギー庁が発表した「エネルギー自立計画」報告書によれば,対米石油禁輸の影響によって約50万人の失業が発生したとしている。