昭和48年
年次世界経済報告
新たな試練に直面する世界経済(資源制約下の物価上昇)
昭和48年12月21日
経済企画庁
第2章 先進諸国の物価問題
(1) コスト要因を基調とした需要インフレ
先進各国は72年央以降なぜ朝鮮動乱時にもせまる大幅な物価上昇に直面することになったのであろうか。
物価上昇の原因については,各国固有の事情がしばしば重要な原因として指摘されるが,ここでは多くの国で共通してみられる主要な原因についてみると,次の点が指摘される。
第1は,先進国の物価上昇が72年央から加速化したが,加速の始まる71年の時点で5.7%と,すでに60年代の平均物価上昇率3.4%をかなり上回っていたことである。この背景として多くの先進国でコスト圧力が強まっている点が指摘される。
第2は,すう勢的なコスト圧力の強まりを背景に,72年以降農産物需給のひっ迫,マネーサブライの急増,景気の急上昇に伴う基礎資材を中心とする供給不足などの短期的,循環的要因が加わったことである。また,数年来の物価上昇によってインフレマインドが強まっているtこめ,これらの要因が増幅された面も無視出来ない。
第3は,国際経済関係の相互依存の高まりから物価上昇が相互に波及しあい,各国の物価を一段とおしあげたことである。各国経済が同時的なブームとなり,かつてのように物価の安定した国がなくなったことから,こうした面の影響は強まり,物価上昇を相互に輸出しあったといえる。
以上の諸原因について,まず第2の点から順をおって検討しよう。
(2) 短期的要因,衛環的要因
(食料品,農産物価格の高騰)
欧米の物価は,消費者物価指数で72年前半に騰勢がやや鈍化する場面がみられたが,その後急騰に転じた。景気上昇局面の初期でまたかなりの供給余力のあったこの時期に物価が騰勢を強めたのは異例のことである。その主因の1つはた農産物価格の急騰である。各国で食肉,酪農品をはじめ,小麦など穀類の値上りが大きく,市民生活に与えた影響は大きかった。農産物食料品の価格高騰は73年に入ってからも衰えをみせていない(第2-3図)。食料品,農産物価格の高騰の原因は,
① 72年の世界農業生産が異常気象により減少した
② ソ連の大量の穀物買付が行われたため需給が著しくひっ迫した
③ 食肉需要が増え,また飼料需要が急増した
④ アメリカなど世界各国で農産物の輸出規制がとられた
⑤ 国際通貨不安やインフレ心理,過剰流動性などにより一部産品に投機ならびに買い急ぎがみられた
⑥ 農産物の在庫が急減し,その回復にはかなりの時間を要すること
などである。
各国の消費者物価の費目別上昇寄与率は,第2-2表にみられるように,73年9月の時点で食料品の寄与率はアメリカ57.3%,イギリス51.8%,フランス51.9%,日本47.5%と各国できわめて大きな割合を占めている。
(マネーサプライの急増)
71年末から72年にかけて欧米各国の金融は景気刺激のため大幅に緩和され,これに加えて多くの国で短資流入がみられた。その結果過剰流動性インフレが72年下期から73年初にかけて問題となった。
金融緩和とともに広義のマネーサプライ(M2=現金通貨+預金通貨+定期性預金)は71年,72年と2年続いて高い伸びを示した(第2-4図)が,この広義のマネーサプライの供給増加要因をみると,金融機関の対民間貸出のウエイトが72年から著しく高まっていることがわかる。この金融機関の対民間貸出の著増を可能にさせたのは政府の景気刺激政策と,71年来の巨額の外資の流入による金融機関の資金ポジションの好転であった。外資流入の著増はアメリカの国際収支の大幅な赤字に負っており,こうした意味で72年,73年の物価上昇はアメリカの国際収支の赤字と深いつながりを持っていくこといえよう。
イギリスを例にとると,イギリスの銀行貸出の伸びは68年以来20%を下回っていたが71年には29%増,72年には31%増と大幅に増加した。銀行貸出のうち製造業向けの貸出は72年央以降景気の回復とともに増加したが建設業,割賦信用会社,個人向けなどの貸出はそれを2~3倍も上回る伸びをみせた。こうした部門への異常な貸出増は土地や耐久消費財への換物運動を可能ならしめたものとみられ,イングランド銀行は72年8月個人向け(住宅取得資金を除く),不動産業者向け貸出規制を各銀行に要請したほか,政府は土地増価税の検討を始めている。
(欧米・日本の急速な景気拡大とボトルネックの出現)
先進各国の景気は,72年以降いっせいに上昇に転じ,とりわけ72年後半から73年春にかけて戦後最高,またはそれに近い急拡大を示した。
急速な景気上昇は鉱産物や工業原料農産物の需要急増を招いたため,これらの商品の国際市況は72年末から73年にかけて急騰に転じた(第2-5図)。イギリス,イタリア,日本のように原材料の輸入依存度の高い国では,この面からのインフレ促進効果が大きく,輸入価格インフレの様相を強めた。多くの国で卸売物価が消費者物価を上回る上昇をみせたのも,こうした面によるところが大きい。
また,急速な景気上昇は不況下で抑制されていたコスト増の販売価格人の転嫁を容易にし,物価を上昇させた。アメリカ,,イギリス,フランスなどでは,73年に入ると設備不足や熟練労働力不足から主に基礎資材部門にボトルネックを招き,これが全般的物価上昇の一因となった。アメリカでは基礎資材部門稼働率は1948年に指数が作成されて以来最高水準となっている。また,公害規制強化により各国で急激な増産は難しくなっている点も大く今日の物価騰貴の特徴といえよう。
(インフレマインドの強まり)
かなりの物価上昇が続くと,人々は次第に物価上昇をある程度予想して行動するようになる。不動産などへの換物運動,コスト増の価格転嫁,便乗値上げなどがそれである。
先進各国では1960年末以降の物価上昇の進行によって,インフレマインドがかなり強まっており,短期的,長期的なインフレ要因の物価への影響を増幅しているといえる。
ここでは,土地に対する準物運動とコストの消費者への転嫁の例をみることにしよう。
欧米の多くの国では,地価の上昇が71年から72年上期のまだ経済活動が停滞を続けていた頃から始まり,その後も物価の高騰とともにさらに上昇をみせている。地価の上昇には物価上昇以外の要因もあるが,最近の上昇はその速度がこれまでになく急であることからみて異常であり,物価上昇を見越した買急ぎといった面が強いとみられている。例えば,フランスの田園開発全国連盟(SAFER)調査によれば,72年中にフランスの農地の価格は平均10%上昇し,用地の買収は次第に因難になっているといわれる。フランスではこれまで農地価格はほぼ安定していた。アメリカでも西ドイツでもイギリスでも地価は異常な上昇を示した(第2-6図)。(西ドイツでは73年に入り金融引締め政策が効果を現わし,地価の上昇は着きはじめている)。このような地価の高騰はインフレマインドを更に強める作用をもったとみられる。
インフレマインドが強まると企業の価格転嫁が容易となる。たとえば73年1月1日のイタリアの付加価値税の導入を契機とする物価上昇の加速化を挙げることができる。付加価値税の導入により間接税は10%近く軽減されたにもかかわらず,物価は上昇テンポを早めた。人々は付加価値税の支払いを理由に便乗値上げを図ったといわれる。
(フロートによる影響)
フロートの下で実質切下げとなった国々(イギリス,イタリア,アメリカ)では,実質切下げが輸入価格の上昇に拍車をかけたことはいうまでもない。
他方,フロートにより実質切上げとなった西ドイツなどでは,切上げが輸入価格の上昇をある程度緩和する作用をしたが,先進国に共通にみられる価格の下方硬直性のため,これまでのところでは実質切上げによる物価抑制効果は,実質切下げによる物価引上げ効果より全体としてみたときに小さかったといえる。だがこれは,フロート自体の問題というより,先進国経済,社会体質の問題であろう。
他方,フロートによって各国が短資流入をかなり阻止できるようになったほか,アメリカの国際収支が急速に改善されているので,国際流動性の過剰からくるインフレ圧力は徐々に解消しつつあるとみてよいであろう。
(3) 長期的な要因
(コスト圧力の強まり)
先進国の物価急騰は72年央から加速じたが,ここで注目されることは,物価上昇の加速の始まる前の71年の時点で消費者物価が5.3%(OECD諸国平均)と,すでに60年代の平均上昇率3.4%をかなり上回っていたことである。
60年代の物価上昇は需給のひっ迫によって説明される部分が大きかった。
しかし,70年から71年にかけて先進各国が経済の停滞に見舞われ(OECD諸国の最近10年間平均実質経済成長率5%に対し70年2.7%,71年3.4%),需給要因が解消したにもかかわらず,物価上昇が続き,インフレが新たな段階へ移行したことを示すものとして注目された。これはコスト要因が60年代を通じて強まったためとみられ,70年代に入ってコスト増が安易に価格へ転嫁される傾向が強まっていることが指摘される。
こうした背景としては,①完全雇用政策の推進によるもの,②生産性の上昇を上回る大幅な賃金上昇,③管理価格と支持価格などの要因が指摘される。
以下,個別にその影響を検討してみよう。
(完全雇用政策の定着)
第2次世界大戦後,経済政策の理念として完全雇用の理念が定着し,それを実現する手段としてケインズ的な総需要管理政策が各国で用いられるようになり,欧米諸国ではGNPに占める財政部門の割合が高まっている。このような政策の定着は現代資本主義経済の基本的性格を戦前のそれと比較して大きく変えることとなった。最近こうした傾向は更に強まっている。第1に,完全雇用の近傍で経済の成長が続けば企業は特続的な需要増を期待できるだけでなく,製品価格の引上げに際しても大幅な需要の減退を心配せずにすむため市場の競争条件は緩くなる。第2に,政府需要の国民所得に占める比率が高まれば政府需要は価格に対し非弾力的なものが多いからそれだけ物価上昇を招きやすい。
(生産性の上昇を上回る大幅な賃金上昇)
第2-7図は先進国各国の生産性の伸びと賃金の伸びを比較したものであるが,賃金の伸びが生産性の伸びを上回るという現象はアメリカでは50年代後半より,ヨーロッパ諸国では60年代初めからみられた。とくに,70~71年にはこうした傾向が一層顕著となっている。ただし,72,73年の急速な生産拡大に伴う生産性の向上により賃金コスト圧力は一時的に弱まった。大幅な賃金上昇をもたらした要因としては,すう勢的な労働力ひっ迫に加えて労働者の意識が変化し,労働攻勢が強まったためといえよう。
欧米の労働問題は新しい局面を迎えているといわれ,労動組合の交渉力が強まるとともに,賃上げ交渉にも新しい動きがみられる。
このうえ最近の大幅な物価上昇から生活防衛のためにも賃上げ要求は大幅とならざるをえず,ストの長期化,山猫ストの頻発,賃上げ闘争の激化といった傾向が強まり,収拾のためには経営者も譲歩を余儀なくされるようになっている。
(管理価格と支持価格)
① 管理価格の強まり
一般に管理価格があると,価格の伸縮性は小さくなる。アメリカでの事例研究によると管理価格は市場での需給決定型の価格とは異なった動きをみせ,不況下でも価格が下落せず,下落してもその幅が小さい。
さらに生産性が向上してコストが低下しても,それを反映して価格が下るということが少なくなる(第2-3表)。
現代の産業は資本集約的な生産技術を採用し,研究開発のため多数のスタッフを維持せざるを得なくなっていることなどから,生産のための巨額の資本が必要となり,産業の寡占化が進行する。他方,市場支配力を獲得し,維持すること等を目的として合併その他による寡占が創出されることもある。
景気が下降局面に入ると生産は減少するので,製品1単位当りの固定費用は増大し寡占企業は利潤の確保のため価格を引き上げるという反応を示すようになる。
② 農産物などの支持価格制度
国内産業の保護政策は各国で多かれ少なかれ実施されている。なかでも農産物の支持価格制度はアメリカでは小麦,綿花,トウモロコシ,米,タバコ,落花生などに,EC諸国では共通農業政策としてほとんどの農産物について適用されている。支持価格は,本来は生産者と消費者の双方を過度の価格変動による不利益から護るために行われているのであるが,実際には農業生産者所得を保障する手段としての性格が強くなっている8したがって支持価格は毎年引上げられる傾向が強く,しかも物価が上昇すればそれだけ大幅になることもあって,物価の下方硬直性の一因となっている。
アメリカの卸売物価に占める農産物加工食品のウェイトは28.8%であるが,支持価格を受けている小麦とトウモロコシのウェイトは0.5%,0.7%であり,ウエイト自身は比較的小さい。一方ECの共通農業政策による農産物の支持価格は農産物生産の90%にも及ぶが,その主要なものは穀物,牛乳,牛肉などである。これまで,EC共通価格は国際価格に比較して水準が高く,EC共通農業政策を批判する国もあったが,最近国際価格の急騰からこれが共通価格を上回るようになり,共通農業政策を再評価する向きもある。
なお,EC共通価格はU.C.単位で表示されているため,平価の変更によっても自国の価格が上下することになる。例えばフランスでは69年の切下げにより,ミルクの価格は12.5%の切下げ分が価格の上昇につながっている。
(4) インフレの国際波及の強まり
72,73年の物価上昇は,景気と物価上昇加速化の国際的な同時化として注目された。
先進国の物価上昇は,近年国際的な相互波及性を高めている(第2-8図)。
72,73年の場合は,景気も同時的ブームになったことから,それだけインフレの国際的な相互伝播が増幅されたといえる。
海外からのインフレが国内に波及する経路として主要なものは,①価格効果(輸入品の価格の上昇を通じる効果,輸出品の価格が海外市場で上昇する結果国内の同一財が上昇する効果),②国内が完全雇用に近い状態で海外需要が強いため輸出が増大し国内需給をひっ迫させる効果,③貿易収支の黒字を通じ国内の流動性が増大,インフレを加速させる効果,④外資の流入による流動性増大効果,⑤その他多国籍企業を通じる国際的な管理価格の効果,⑥国際的な賃金の平準化(賃金引上げ要求の国際的デモンストレーション効果)などがある。
ここでは輸入物価の上昇が国内物価へどの程度の影響を与えているのかを検討しよう(第2-4表)。フロート移行後実質切下げとなったアメリカ,イギリスなどでは,その影響もあって輸入物価の上昇率は高く,実質切上げとなった西ドイツ,フランスなどでは低い。日本は実質切上げ国であるにもかかわらず,輸入物価の上昇率が高いが,それは日本の輸入構造が他の先進国に比べて未加工原材料輸入に偏っているため,72~73年の激しい一次産品価格の高騰の影響をより強く受けたことを表わしている。
輸入物価上昇率が高ければ,それだけ国内物価への影響も大きいが,オランダのような輸入依存度の高い国では輸入物価の上昇率が比較的低いにもかかわらず,それの国内物価へのインパクトは大きくなっている。
国内要因に基く物価の上昇は,物価の直接規制を行っているスウェーデン,イギリス,アメリカなどでは低く,西ドイツ,日本などの物価直接規制のない国では高い。
輸出の増大による需要超過インフレについては今回は,それほど目立っていないが,68年~70年央の物価上昇では重要な要因になったことは記憶に新しい。