昭和48年
年次世界経済報告
新たな試練に直面する世界経済(資源制約下の物価上昇)
昭和48年12月21日
経済企画庁
第1章 72~73年の世界経済
(1) 中 国
(工業も重視する政策路線への転換)
73年8月24日から28日までの5日間,中国共産党の第10回全国代表大会(10全大会)が4年ぶりに開催された。今回の大会は,文化大革命の勝利と,林彪反党集団に対する批判闘争の決着を足場にして,経済建設を積極的に推進しようとする姿勢を内外に示す大会であった。
経済建設の具体的な展望は,近く開催が予定されている全国人民代表大会(国会に相当)で明らかにされることになろうが,10全大会における報告のなかで周恩来総理は,「中国は経済面ではまだ貧しい国であり,発展途上の国である。農業を基礎とし,工業を導き手とする方針と二本足で歩く一連の政策を引きつづき実行し,独立自主をつらぬき,自力更生に頼り,克苦奮闘し,勤倹をむねとして国を建設しなければならない」と述べている。要するに,文革の勝利と国際化の高まりという客観情勢を前にして,中国の経済条件は農業生産の面においても,また国内貯蓄の面においても今一歩遅れているという現状指摘にほかならない。
西側の推計によると,中国は72年現在,1人当りGNPは159ドルという。発展途上国のなかでも低水準グループの中に入る。同じく西側推計によると,72年の中国のGNPは1,380億ドル(1970年ドル価格表示,57年ドル価格表示では約960億ドル),前年比7.5%の増加であったとしている。文革収束後,70年代に入って10%を超す経済成長率が72年に入って低下したのは,主として自然災害にもとづく農業減産の影響が財政収入あるいは工業原材料の供給等を通して経済全般に波及したためである。食料生産は71年の250百万トンから,72年には240百万トンヘ4%減収し,綿花,油脂原料作物も減産した(第1-13表)。
10全大会の周恩来総理報告では,天候条件に左右される不安定な農業生産の基盤を強化し,発展途上の段階から離陸させる経済政策の方向を,①農業基礎,②同時発展(二本足路線),③自力更生,④勤労節約という4つの項目に要約している。
この経済政策の方向は,60年代初期に毛沢東主席によって提起され,文化大革命によって推進されてきた路線と基本的には変わりはない。しかし中国が国連に参加して自由圏諸国との経済交流が高まり,工業化も急速な発展をみせ始めた現在,政策そのものも内面的に微妙な変化を見せ始めたことを見のがすわけにはいかないのだろう。
73年8月の北京周報(33号)で,「中国の国民経済発展の総方針」という農業,軽工業,重工業間の資源配分に関する論文がのせられているが,そこで農業基礎という意味について述べ,「農業を国民経済の第1位におくのは,農業の国民経済全体における地位と役割によって決定づけられたものであり,また農業と軽工業の発展を重視することは,農業,軽工業に割り当てられる資金,設備,資材などを重工業より多くするという意味ではない。わが国の経済建設は重工業を中心とするものであること,この点は確認しておかなければならない」と指摘していることに注目すべきであろう。ここでは明らかに,中央政府管轄の大規模重工業の再重視,新規産業の建設,プラント・資材輸入の積極化などといった姿勢がよみとれる。
(農業生産の回復と投資の高まり)
73年に入って年初来懸念されていた農業生産も好転し,政府当局の見通しでは,気象条件にさして変化がないかぎり食料生産全体としては昨年を上回るだけでなく,これまでの最高記録71年の250百万トンをも上回る見込みだといわれている。食料生産の好転理由として,気象条件のほかに作付面積の拡大,単位面積当り収量の増大,多毛作地区の拡大等が指摘されている。
工業部門に対する農業減産の影響は72年中にほぼ落ちつき,73年に入って工業生産の重点は農業支援産業(化学肥料,農業機械,石油など),基幹産業(石炭,原油,電力,鉄鋼),輸出産業(繊維産業など)に向けられ,政府当局の発表によると,73年の工農業総生産額の伸びは,前年に比べ8%以上増加した。
投資活動の面でも,73年に入って重点的プロジェクトの建設が急速に進んでいる。主なプロジェクトは鉱山開発,発電設備,冶金,石油化学および港湾,道路,鉄道など輸送設備等であるが,石油化学コンビナートの建設については,国内産油の増産を背景に新たに5つのコンビナート基地を設定し,日本および西欧諸国との間に,エチレンー尿素アンモニアプラント,ポリエステル原料プラント等の輸入契約を結んだ。また,貨物船,航空機,トラックの大量輸入が続けられている。
(物価は安定,賃金は据置き)
72年の農業減産によって,食料,綿花等の国内供給が不足し,輸入量が大幅に増大したが,物価は全体的に安定している。これは国営商業公司によって商品価格が統制されており,主食,綿布,食用油などは配給制をとっているからである。
配給品および食料品の価格は安い。例えば綿製品について配給品と配給外のものを比べると,同一製品でも2倍から4倍の価格差がある。一方,中国の代表的な耐久消費財(自転車,ラジオ,ミシン)およびその他奢侈品の価格は賃金収人に比べて非常に高い。生活水準の向上につれて,耐久消費財の需要は高まっているが,入手するにも順番があり,かなり待たされる場合もある。
中国の輸入品は食料,工業原材料,工業品が主体で,最近の国際的な商品価格の高騰を反映して輸出入価格の値上りが激しいが,輸出入品の国際価格は完全に国内価格と切り離されている。
国内価格に比べ,一般に輸入の場合は利益を,輸出の場合には損失を受ける場合が多いが,国内価格と貿易価格の差は各業種別の国営貿易公司(進出口公司)の調整金で操作される。この調整金の年間累計がマイナスになれば国家財政から補給金を受ける仕組みとなっている。
一般に国際価格に比べて相対的に農産品安,工業品高の傾向にあるが,この傾向は戦後次第に修正され,71年にも工業品消費者物価の引下げ,農産品買入れ価格の引上げが行われて,農工間の鋏状価格差は縮小してきている。
この間の農産品の消費者物価は釘づけされたままで,売買差額と経営管理費は政府が負担する。
中国では,都市労働者の賃金は業種別に統一基準が設けられており,賃金格差は縮小しているが,名目平均賃金は年間650元(1元=138円)前後(中国の資料)で,最近10年間ほとんど横ばいである。農業の賃金は各経営単位別(人民公社の各生産隊)にその年の生産額に応じて配分される。このため立地条件,作柄等によって各経営単位間に,また労働能力その他によって個人間に賃金格差が残っているが,これらの格差も是正される方向にある。
(2) ソ 連
(5ヵ年計画を下回る成長)
ソ連では73年は第9次5ヵ年計画(1971~75年)の「決定的な年」と呼ばれている。72年が経済不振におわっただけに,73年にこの遅れを取り戻さないかぎり,5カ年計画の達成も危ぶまれるからである(第1-14表)。
第9次5ヵ年計画は,国民消費の充実を指向するものであったが,この基本方針は,72年にはやくも崩れた。農業生産は70年の農作のあと71年に横ばい,72年には悪天候でかなり減退した。工業生産も72年には消費財部門が不振で,予定に反し生産財の伸びを下回ったばかりでなく,総合の伸びでも計画に達しなかった。その原因は農産原料の不足のほか,生産能力の稼動開始の遅れ,その不完全な利用などの慢性的な欠陥にあるといわれている。
工業生産の不振の結果,72年の国民所得成長率は著しく小幅なものとなった。このような低成長は,前回の不作の63年以来のことであり,ともに農業の後退がその主因であった。
不振の72年のあとを受けた73年経済計画でも,農業では過去の後退からかなりの回復が予定されているが,工業生産計画の伸びは小幅である。この計画がかなり超過達成されても,5ヵ年計画の年次別予定より遅れ,国民生活の大幅な引上げも達成がかなり難しくなろう。
(工業生産の伸びの回復)
73年に入って工業生産は伸びの回復をみせている。前年同期比の伸び率は73年1~3月の6.4%から1~6月の7.0%へ,さらに1~10月の7.4%へと高まり年間計画の5.8%を上回っている。
このような生産の拡大は労働生産性の向上(前年同期比で1~6月が5.4%,1~10月が5.9%)によるところが大きく,ひっ追する労働力の節約が多くの労働集約的部門で行なわれている。
工業生産の拡大テンポの高まりに寄与しているのは生産財生産部門で,石油化学,化学,機械などの業種は,73年1~10月に前年同期比で10%以上の伸びを示した。とくにNC工作機械,計算機などの先端技術関係の生産はそれぞれ25%,34%と大幅に増加し,乗用車も27%の増産となった(ただし,乗用車生産は現在でも月産約8万5千台にすぎない)。
しかし,重工業部門でも鋼材,一部の化学品,石油および化学工業設備など重要な品目に計画の未達成がみられる。他方,消費財工業部門は73年にも前年と同様低成長を続けている。軽工業の生産の伸びはわずかながら高まったものの,1~10月で前年同期比4%,食品工業の生産の伸びは3%にすぎず,なかでも肉や植物油の生産(国営部門)は前年より減っている。
(豊作予想の73年)
72年にひきかえ73年の農業は豊作が期待され,工業生産の伸びの回復とあいまってソ連経済はやや明るさを取り戻したようである。
72年の穀物収穫高は1億6,800万トンと65~70年平均に近いが,71年に比べると7%の減収となった。その他の農産物も綿花がやや良好なのを除くといずれも不作で,前述したように農業生産は全体として71年の前年比横ばいに続いて,72年には4.6%減少となった。
72年の農業の減収は,経済の低成長の主因となったばかりでなく,穀物需給に重大な問題を投げかけた。消費の充実を目指す第9次5ヵ年計画は畜産とくに肉類の大幅な増産を予定したのであるが,72年の穀物の減収は畜産部門に打撃を与えかねないものであった。ソ連がアメリカをはじめ西側諸国から小麦など2,800万トンに及ぶ大量の穀物買付の契約に踏切ったのはそのためである。
73年には農作物の収穫面積が前年より拡大したばかりでなく,天候もほぼ良好で,穀物の収穫高は222.5百万トンと過去の最高水準である70年の186.8百万トンを上回るとみられる。その結果,73~74年穀物の買付けもアメリカからの780万トンを含め9百万トン余で,主として飼料のストックの補充にあてられるものと観測されている。
(国民生活の向上は緩慢)
72年の経済停滞から5ヵ年計画の目標の一つである国民生活の向上はテンポが緩慢である。生活関連諸指標の伸びはいずれも5ヵ年計画の年平均に達していない。
ここで物価をみると,ソ連では卸,小売とも価格は国定で一定期間据置かれる。例外はコルホーズ農民が個人経営部分の生産物を売る都市のコルホーズ市場の自由価格で,売上高は全国平均で全食料品の4%にとどまるが都市民の生活に関係が深い。国定の小売物価は戦後1946年の大幅引上げ,50年代の漸進的引下げ以来ほとんど変化していない。工業卸売価格は生産条件の変化に応じて49年と67年に一部引上げられ,農産物の国家買付け価格は一貫して引上げられてきたが,間接税の圧縮または補給金の支出によって,小売物価に波及しないような政策がとられている。
(3) 東 欧
東欧諸国の経済は72~73年にほぼ順調に推進している。
72年の工業生産は大部分の国で71年の上昇率とほぼ同じか,それを上回る拡大を示した(第1-15表)。また各国とも機械工業と化学工業が比較的大幅に拡大し工業部門の構造変化が続いている。東ドイツやチェコなどの工業国はもちろん,ルーマニアやブルガリアなど比較的工業化の遅れた諸国でも両工業部門がいずれも総合の伸び率を上回った。
工業生産の拡大には,労働生産性の向上が大きく寄与している。労働力の不足が強まるハンガリーでは生産性の向上(7%)により雇用の減少を補い,チェコ(6%),ブルガリア(8%)はそれぞれ生産性の上昇で,工業増産のほとんどすべてがそれによるものであった。
農業部門では72年に一部天候不良の地域もあったが,東ドイツ,ポーランド,ルーマニアの農業生産は前年比8%を越える増加となった。とくに,ポーランドを除く諸国の穀物収穫はかなり大幅に増加した。畜産は東欧全体として農作より小幅な伸びにとどまったが,ポーランドだけは畜産が9.5%増大して農業増産の主力となった。
このような工業,農業両部門の生産の拡大を反映して72年の国民所得はほとんどの国で71~75年計画のテンポを上回る拡大をみせた(第1-16表)。また,国民1人当りの実質所得の伸びも一部の国を除くとほぼ順調である。
73年に入り上記の工業生産はチェコを除いてほとんどすべての国で好調を示し,71年以来伸び率を高め,5カ年計画の平均を上回っている。こうした動きのなかで,さきに述べた構造変化と生産性の向上が続いている。他方,農業部門ではブルガリア,ポーランド,チェコで播種面積の拡大がみられるが,一部の諸国で干ばつの悪影響が懸念される。
こうした生産の拡大に裏付けられて国民消費水準の向上もほぼ順調で,73年上期小売売上高の増加はチェコの5.2%を除き,ハンガリーの9.6%,東ドイツの6.9%,ポーランドの11.8%とかなり大幅となっている。