昭和47年
年次世界経済報告
福祉志向強まる世界経済
昭和47年12月5日
経済企画庁
第2部 世界の福祉問題
第4章 共産主義国―消費生活の充実を進めるソ連・東欧と精神面を重視する中国―
1人当たりの国民所得が低いとか,大規模工業は国有,農業は人民公社制といったことだけでは,中国経済の核心をついてることにはならない。物質的な尺度や制度論を超えるなにものかがあって,それこそ中国理解のかなめになっているように思える。とくに成長優先できたわれわれは,ともすると,GNPをはじめとするフィジカル(物質的な)面に目を向けがちであるし,ソ連も中国の国づくりを経済的合理性の無視,極端な精神主義として批判している。中国は,なお遅れた国として工業化にも熱意を示しているが,これを支えそれと深くかかわりあう人間をより重視し,両者の統一の上に経済発展をなしとげようとしている。
中国では,たんに経済的側面からだけではなく,広い意味での成長路線をあらわす言葉として「社会主義建設の総路線」という言葉が使われている。
その内容を定式化することはむずかしいが,独特の精神面を強調した国づくりと解すべきものである。
しかしながら,ここではまず福祉水準の重要な指標として,国民所得をとりあげるという通例の方法から出発しよう。これに関する中国側の公式発表はない。われわれはこれまで中国の1人当たりGNPを100ドル程度(昨年度年次世界経済白書,参考資料)と推計してきた。この計算をアメリカ上下両院合同経済委員会報告書「中華人民共和国-その経済的評価」(1972年)は少なすぎると評して,150ドルという計算を出している。しかし,これはドルの減価をどうみるかに大きくかかっていて,アメリカ側の計算による150ドルは名目値のようなものといってよく,57年の実質GNPを100とすれば,71年は157とみているが,われわれの計算では170程度になる。しかし,こういったことよりも,もっと重要なことは発展途上国であり,社会主義国である中国については,GNPが過小に出てくるということである。先進資本主義国の場合は①市場を経由する支出が大きい。②消費財の加工度が高く,その分だけ高評価になりやすい。③原料供給地から消費地までの交通網,配給網が長く,その分だけコストが高くなっている。④都市生活を行なうため交通費,高い家賃といった特別のコストがかかる。といったことから,GNPは高く計算されてくる。
一方,インフレがない中国のGNPを一部商品の交換比率である為替レートでもってドル額に換算しただけでよいか。という問題があって,しょせんGNP推計も一つのめやすと考えるべきであろう。
資本主義社会においては,生産を大きくすることに重点を置き,分配は生産手段の所有の程度や個人の能力にしたがって行なわれたあと,政府が介入し,極端な不平等を修正する。生産手段を公有にしている社会主義国では,その所有による格差はもともとないが,生産参加に対する報酬にもなるべく差がつかないような分配方法がとられる。中国では,この点で,他の社会主義国とくらべてもきわめて徹底した考え方をもっている。
賃金体系をみると,文化大革命前は出来高払い制や賞与によって生産を高めるような政策,すなわち,物質的刺激経営が行なわれていたが,現在ではこういったやり方は排除されている。上海市の場合を例にとると,1970年の賃金水準(月間)は,最低42元,最高124元,平均60元(約8,000円)となっている。
これはほかの都市でも大差はないようである。高級管理職員の俸給は以前はかなり高かったが,所得平準化の目的から賃金カットが行なわれ,66年央にはほとんどの工場で工場長の俸給額と一般労働者の平均賃金との比率は3対1となった(ソ連では平均して5対1,最高9対1)。都市労働者の全国平均賃金は,70年現在年収650元,1952年に比べると50%以上増加しているが,1950年代末期からほとんど変っていない。それにもかかわらず,各家庭でかなりの貯蓄ができるのは,1957年以来政策的に物価が全体として引き下げられ,生活必需品が安価でしかも安定しているからである。たとえば,1キロ当たりの価格は日本円で米60円(日本では152円),白菜20円,玉ねぎ40円,肉類160~280円といったところである。家賃(水道,電気代をふくむ)は月間平均340~650円で月収に対して4~8%にすぎない。耐久消費財はこれからで,今のところ自転車,ラジオ,ミシン,時計に人気がある。賃金収入と比べると,たとえばラジオは平均して25~50日分,腕時計は30~60日分,カメラは25~50日分,自転車は60~90日分,ミシンは75~100日分といわれるが,貯金してはこれを買うという方法がとられ逐次普及している。農村の預金額は60年代後半になって急速に増加,71年末の預金額(人民公社と農民の個人預金の合計)は65年末に比べ,89%の増加となっている。
農民と都市労働者の所得は単純に比較することは適当ではない。農民が人民公社から受け取る分配金だけをみると,1人当たり年間約150元前後で,都市労働者の平均賃金の4分の1弱にすぎないが,子供に対してもこれが支給されるし,このほか若干みとめられている自留地(個人所有地)から得られる家畜,野菜などの販売収益があって,農家世帯当たりでみると,都市の夫婦共働きの世帯当たりの収入にかなり近づいている。
これまでの政策をみても,人民公社に対する農業税の徴収額を一定水準に据置いているし,豊作の場合の増収分は農民に還元している。また農産品の買上げ価格を数次にわたって引上げる一方,政府が供給する化学肥料,農薬,石油などの価格は数次にわたって引下げている。人民公社の中には小型工場が設けられているが,そこに働くものの賃金は農民と同じ労働点数制によってきまっている。職種による差はないわけである。
中国は所得という物質面の格差縮小だけではなく,より広く社会的格差の縮小のために「三大差異」すなわち①都市と農村,②工業と農業,③頭脳労働と肉体労働の縮小をうたっている。
都市と農村という表現によって地域社会における住民生活を全体としてとりあげていることに注目したい。その基本的戦略として,「農業を基礎として工業を導き手とする」政策がとられている。工業だけが先走りするのではなく,農業の生産力をあげるのに役立つような工業に重点をおいている。農村に小型工場をたてることも都市と農村との差を縮小するのにプラスになろう。大工場の場合でも模範とされる大慶油田では,労働者は工業を主として農業を兼ね,その家族は農業を主として工業を兼ねている。また,労働者のレベルでは,頭脳労働を主とする工場の幹部職員も,輪番で工農業の生産労働に参加する。党や政府の幹部たちが幹部学校に入って農作業に従事し,肉体労働を体験する。文化大革命以後,大学進学も職場の労働を通して勉学するという,半工半読の精神を生かす意味で工場や人民公社からの推せんという方法を実験的にとり入れている。このように職業分化によって人間が専門化し,物質的,精神的にも格差が生ずるような事態を回避しようとする意図がうかがわれるが,この場合に,土に密着した生活,物の考え方を中心にしている。農村は,食糧増産の場としてだけでなく,健全な人間像育成の場として作用しているようである。
社会主義経済体制の特質からして,社会保障制度や社会福祉施設は段階をおって整備される方向に向っている。社会保障制度は,その対象と運営の主体からみて,都市労働者を対象とするものと,農民を対象とするものとの2つの系統に分かれる。都市労働者に対しては,労働保険法によって医療給付,年金給付,出産給付,死亡給付などを網羅した広範な社会保障制度があり,農民に対しては,文化大革命以後,協同医療制度の普及がはかられ,とくに医療保障面での充実が急がれている。
労働保険法の適用範囲は,工場,鉱山,鉄道,郵便電信などの企業および政府機関で,労働保険に必要な費用は国と企業が負担し,被保険者は保険料を徴収されない。
国と企業は毎月賃金総額の3%相当額を労働保険料として収めることになっている。
給付の内容をみると,医療給付については,業務上の傷害はすべて企業が負担し,賃金も全額支給される。疾病または業務外傷害も原則として費用は企業が負担し,治療期間申の賃金は6ヵ月以内なら勤続年数に応じて60~100%が企業から支払われる。6ヵ月を超えると,労働保険から40~60%が支払われる。被保険者の家族の疾病については,費用(手術代,薬代)の半額を企業が負担する。
年金給付については,男子職員は満60才,男子労働者は満55才,女子労働者は満50才の定年に達した後,各人の勤続年数に応じて最終賃金の50~70%相当額が年金として支給される。
一方,農民に対しては,これまで人民公社の基金をもって厚生福利事業がおこなわれるに止まっていたが,文化大革命以後,協同医療制度の普及がはかられ,医療保障面での充実が急がれている。この制度はすでに1958年ごろから一部の人民公社で始められていたが,1968年末から全国的に普及した。
運営方法は各人民公社の実情に応じて相当異なっているが,制度の骨子としては,人民公社の社員が年間一人一元程度を拠出し,治療費の全額または,一部を保障してもらう仕組みになっている。また協同医療制度の普及と平行して,「裸足の医者」と称される半農半医の保健要員が養成され,農村での軽度の疾病治療に従事している。
「裸足の医者」は山間僻地の巡回治療に当っているが,自発的な奉仕の精神に支えられたこうした役割は高く評価されなければならないし,また労働大衆の働きがいを高めようとする中国の施策の成果ともいえる。学校教育の面でも同様に,山間僻地における巡回教育班が組織されて,小学教育の普及に当たっている。
農村の現段階では,近代的な社会保障制度よりも伝統的な家族制度や部落内の相互扶助システム(たとえば,孤児や身寄りのない若人を対象とした救済制度―五保制度)がよく機能しているようである。
経済効率の一面的な追求を排して,物資を節約し人間を重視しようとする考え方は,中国の公害対策の面にもその一端があらわれているようにみえる。大都市の一平方キロ当り人口密度(1970年現在)をみても,上海市(1,865人),天津市(1,070人),北京市(425人)で東京都(5,328人),大阪市(4,110人)に比べて,人口密度ははるかに低い。北京は昔並みに緑の都である。また全国的な規模で1,000~2,000キロメートルに及ぶ林の帯を何本も建設するという植林計画をすすめている。広大な国土に緑の長城を築こうというわけである。こうした状況下にある中国の公害対策の取りくみ方をみると,事後的公害対策というよりは,むしろ予防対策といった性格をもっていて,工場廃棄物による公害の除去を,資源の「総合利用」という観点から進めている。つまり,たんに工場廃棄物の害を防止するという消極的な立場ではなく,積極的にこれら廃棄物を利用して,有害なものを有益なものにかえようとしている。
こうした試みは全国的に普及しつつあるが,とくに北京石油加工廠(石油コンビナート)や大慶油田など新工業地区では,大型精油工場から排出される廃気,廃水,廃滓を原料として利用する多くの小型の化学工業,軽工業の工場が建設されている。また工場廃棄物の「総合利用」は新しい工業地区においてだけではなく既存の工業都市においても,文化大革命後,大々的に繰り広げられている。上海市を例にとると,1968年以来,市の革命委員会に廃気,廃水,廃滓の公害除去と「総合利用」を担当する機関が設置された。汚染を避けるためには,別の原料を使わねばならないし,そのためにコスト高になるということがあるにしても,全体の利益が強調されている。また,回収装置を設置するにあたっても,国の援助に安易に依存することはきびしく批判され,自己努力が求められているようで,こうしたことにも,自力更生の思想がみられる。
中国は物質的な福祉向上の根底にあるものとして精神的な面を重視している。これの基礎を固めるものとして政治が強調されている。それは権力の行使としての意味ではなく,国民に政治,社会に関心をもたせ,それに参加させるものと解した方がわれわれにとってはわかりやすいようである。たとえば企業も単なる生産の場ではなく,管理者と労働大衆によって形成される社会組織としてとらえられている。そこにはわが国でも最近話題になっている働きがいの問題が中心になる。毛沢東主席が提起した鞍山製鉄所規則(鞍鋼憲法)も,経営管理政策として,労働大衆の経営参加,幹部の労働参加,大衆討議などを通して,労働者の働きがい(中国の言葉でいうと主観的能動性)をいかにして発揮させるかという根本原則を明らかにしたものである。
こうした政策は文化大革命によっていっそう促進された。そこでは,技術革新は技術の専門家からといった方針を打破し,現場労働者の工夫や発想を尊重するようになっている。現代組織のおちいりやすいテクノクラート支配と,そこから生ずる疎外感をたえず改めていこうというものである。
人民公社も,それは単なる生産組織ではなく,全般的な社会機能を担なう住民の自主的管理組織であって,行政の単位であり,教育,社会,軍事など住民の生活すべてを一つにした統一組織である。
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国交の正常化を迎えて,われわれは中国を的確に理解することが今までよりもいっそう重要になってきた。一衣帯水の地にありながら,この国を理解することは,われわれにとって,けっしてなまやさしいことではない。その根本はわれわれはともすると効率主義からほかの国を評価しがちだということにある。たとえば,地方に小さな工場を分散してたてることを大規模のメリットを無視した非効率なやり方であるとみたり,あるいは逆に輸送コストの面から合理的であると解釈したりするが,生産効率という面からみれば,両説とも成立すると思う。しかし,地方の小型工業の意義は,中国側の言葉を借りれば,「戦争に備え,災害に備え,人民のために」というところにある。
ここで経済効率を生産要素の投入に対して最大の産出をはかること,すなわち生産効率ないし,技術的効率として考える場合には,生産増大が効率をはかる尺度となりうるが,中国のように別の面に政策目標をおいている場合には,その政策目標の実現に向って経済が運営されているかどうかによって,経済効率をはかるべきであろう。
中国は精神面を重視して,試行錯誤をくり返しながら国づくりをすすめている。あたかもわが国が福祉社会の建設に前進しようとしているとき,そしてこれから隣人としてつきあうとき,新しい価値基準で中国を見直すことが必要であろう。