昭和46年
年次世界経済報告
転機に立つブレトンウッズ体制
昭和46年12月14日
経済企画庁
第5章 主要国の経済動向
1971年に第4次5ヵ年計画が発足したが,文革後の政治および党組織の再建テンポがやや緩慢で,1級行政区の党組織も9全大会後2年4ヵ月を経て,ようやく71年8月に再編を終わり,全国人民代表大会の開催もやや遅れているのに比べて,経済情勢は69年以来比較的好調に推移している。
中国経済は69年に文革がもたらした経済的混乱から立ち直り,70年には上昇過程に入ったが,西欧の推計( 注1 )によると,70年の国民総生産は前年比10%増の750億ドルの規模に達したものとみられる。世界で第9番目のGNPの大きさである。また農業生産も前年比6.1%の増加,食糧生産は69年の2億2,200万トンから2億3,000万トン前後へ約3.6%の増加,工業生産も前年比19.4%の増産を達成したものとみられる。69,70年と高い工業生産の伸びが続いたことによって,附加価値でみた工業対農業の構成比率は,57年当時,工業4,農業6であったものが,70年には工業5.4,農業4.6と著しく工業の比重が高まった。
中国は1971年に第4次5ヵ年計画(71~75年)を発足させたが,第4次5ヵ年計画の構想と運営方法に関する情報はまだ中国当局から発表されていない。しかし,71年に入っても前年にひき続き生産の好調が続いている。上半期の農業生産は,小麦,早稲,油料作物など夏季作物を中心として,全国29の1級行政区のうち前年同期比10%を上回る地域が多かった。秋季作物も好調で,連続10年の豊作の見込みだといわれ,とくに食糧自給が困難だった北方地域が,基本的に食糧自給に達したといわれている。
食糧の増産は作付面積,潅漑面積の増大や農業投入財の増大,農業機械化の進展,あるいは多収穫品種の普及によって土地生産性が高まったためもたらされたものである。農業生産のなかでは最近食糧増産とともに,綿花など経済作物も重視されるようになってきた。工業原材料と,しての重要性が高まっているのであろう。また文革の主たるねらいが一般大衆の主体性および能動性をもりあげて,生産増強をはかるという点にあったが,耕地面積の拡大や潅漑施設の増強など生産基盤の強化を通して農民の協力にみるべき成果があったものとみられる。
一方,工業生産もひき続き順調な発展を示し,1~8月間の工業生産は前年同期比でみて工8.7%の増加となった。70年の伸びとほぼ同率の伸びである。業種別にみて石炭11.8%増,原油27.2%増,石油33.7%増,銑鉄22.0%贈,粗鋼19.6%増,鋼材19.1%増,鉄鉱石31.4%増,電力(1~5月)24%贈であったが,71年に入ってとくに鉄鋼増産の重要性があらためて強調されるようになり,鉄鋼業のなかでも原料部門が重視されるようになった点は注目してよい。
このほか機械(鉱山設備,工作機械,トラクター,トラック,船舶)や化学肥料,綿糸布の増産も伝えられている。
第4次5ヵ年計画の工業建設の重点が,文革過程に重視された農業関連産業(肥料,農業機械,農薬)に加えて,第1次5ヵ年計画当時重視された重工業部門とくに鉄鋼,機械など基礎産業の建設にふたたび指向されるようになった。これは必ずしも第1次5ヵ年計画当時の「重工業優先」を意味するものではなく,農業重視の枠組みのなかで基礎産業を重視しようとするものである。また大規模企業の建設と平行して,地方小規模工業を発展させるという政策はいぜんとして続けられている。地方小規模工業の業種範囲は,鉄鋼,石炭,化学肥料,セメント,機械,水力発電などきわめて広汎であって,化学肥料,セメント,銑鉄,鉄鉱石の全国生産に占める地方小規模工業の生産量は71年上半期にそれぞれ40%および50%,20%,25%を占めるようになった。地方小規模工業は農村を工業化することによって地域的な自給自足体制を確立し,都市と農村間の生活水準の差を解消させるという目的に副って進められているものである。また地域開発によって都市集中を避け,国防上のリスクを最小にするという目的にも副っている。
好調な経済の発展を反映して,69年から回復に転じた対外貿易は,70年にも前年比9.1%の増加となり,文革前の66年のピーク水準42億9,000万ドルとほぼ同水準の41億6,800万ドルに達した。
70年の対外貿易について指摘される点は,第1に輸出入バランスの上で,これまでの出超傾向が入超に転じたことである。文革後の経済回復によって,とくに自由圏先進国からの買付けが増え,輸出は前年比12%の増加にすぎなかったが,輸入は前年比18%増と大幅な増加をみた。このため6,400万ドルの入超となったが,とくに自由圏に対しては2億4,400万ドルの赤字となった。
第2に,市場別動向をみると,自由圏貿易の伸びは貿易総額でみて,69年5.9%,70年9.5%であった。一方社会主義圏は,それぞれマイナス4.1%,7.5%で自由圏市場の比重はいっそう大きくなって,70年には80%が自由圏市場,20%が社会主義圏市場という割合になった。50年代にはソ連一国でも中国の貿易総額の50%以上を占めていたが,70年にはわずか1%強を占めるにすぎない。しかし文革の期間中に無協定となってしまった中ソ貿易協定も,70年11月,3年ぶりに貿易協定が締結され,71年8月にもまた貿易協定が締結されたので,中ソ貿易の落ち込みはとまるだろう。
第3に,自由圏貿易のなかでも70年には先進国からの輸入の伸びが大きく,先進国向け輸出は横這いであったが輸入は27.1%の増加をみた。先進国のなかでも最も増大したのは日中貿易で,中国貿易全体に占める日本のシエアは,69年の16%から70年には20%に上昇し,中国の貿易相手国の中では首位を続けている。一方,発展途上国に対しては輸出入とも微減した。
第4に,自由圏先進国から急増した輸入増加は,主として鉄鋼,非鉄金属(とくに銅),自動車,工作機械で占められた。化学肥料の輸入は傾向的をこは横這いを示している。
ところで,貿易の伸びは71年に入って緩慢となり71年1~3月のOECD諸国との貿易は,前年同期比で輸出7.6%増,輸入11.8%減となった。なかでも輸入は,日本(1~9月)4.1%減,イギリス(1~5月)65.1%減,西ドイツ(1~4月)27.0%減,イタリア(1~4月)9.3%減,カナダ(1~4月)3.6%減と70年の輸入の好調とは逆に,主要国は軒並みに減少し,わずかにフランス(1~5月)47.2%増,スウェーデン,オランダが増加しているだけである。
このような71年に入っての輸入の停滞は,備蓄用として69,70年に急増してきた非鉄金属の輸入が一巡し,また70年に大幅に拡大した入超是正が進められているためとみられる。
しかし,71年春の広州交易会は,最近5ヵ年間における最良の交易会であったとみられ,輸出入契約高も10億ドルと70年秋の広州交易会を20%も上回ったと推測され,また71年秋の広州交易会にも世界各国から多数の企業が参加し,輸出入契約も順調に進んでいるので,本年前半の貿易の低調は今後改善されるだろう。また71年4月の米中貿易規制緩和に関する米大統領の声明,さらに7月米中両国から同時に発表された米大統領の中国訪問についての報道によって,1950年12月以来禁止されてきた米中間の直接貿易再開がにわかに現実性を増してきた。こうした米中接近に触発されて中国市場を目ざす西側諸国の動きも活発になっている。また71年10月26日中国が正式に国連に迎え入れられることになって,こうした傾向はいっそう助長されるに違いない。いずれ中国も西側諸国の貿易緩和の措置を受け入れて,東西貿易はさらに拡大傾向を辿るものと思われる。