昭和46年

年次世界経済報告

転機に立つブレトンウッズ体制

昭和46年12月14日

経済企画庁


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第4章 変貌する世界貿易

1. 危機に立つガット体制

ガット(関税と貿易に関する一般協定) は,「貿易および経済の分野における締約国間の関係が,生活水準を高め,完全雇用ならびに高度のかつ着実に増加する実質所得および有効需要を確保し,世界の資源の完全な利用を発展させ,ならびに貨物の生産および交換を拡大する方向」に向けることを目的としている。その目的を実現するために「関税その他の貿易障害を実質的に軽減」し,「国際通商における差別待遇を廃止」するための「相互的かつ互恵的な取極を締結」するという原則を明らかにしている。これらの理念は,いうまでもなく,30年代に保護主義,ブロック主義が高まって世界貿易が不振に陥ったという苦い経験から生れたものであった。

当初,国際連合の下部機構として「国際貿易機構」(ITO)を設立し,世界貿易の運営について明確かつ厳密な国際協定を締結することが意図された。この提案をもとに,数次の交渉を経て1948年にできあがったのが,「国際貿易機構憲章」(成立地の名をとリハバナ憲章ともいう)であった。しかし,IMFとともに戦後世界において自由貿易の追求に資することが期待されたITOもその超国家的な権限の故にリーダーシップをとったアメリカはじめ各国議会の批准が得られず,結局実現にはいたらなかった。

したがって,戦後世界貿易を律するものとして,工TO成立までの暫定的取極とされていたガットが,代わってその任に当たることとなったのである。1945年11月,アメリカは上記ITO構想と同時に,関税率の相互引下げと特恵関税の廃止について交渉を行なうよう提唱した。これにもとづき,1947年アメリカをはじめとする23ヵ国が参加して123の関税相互引下げ交渉を成立させた。この結果をジュネーブ関税譲許表としてとりまとめ,これに関税関係の諸規定と貿易制限廃止についての規定などをITO憲章ジュネーブ草案から抜萃して,一つの協定にしたのがガットである。

しかも,ガットは当初の締約国のうち対外貿易総額の85%を占める国々が協定を受諾したときに確定的に効力を生ずることとなっているが,受諾した締約国はハイチのみである。現在までガットは,協定と同日付で作成された「暫定的適用に関する議定書」に基づいて,暫定的に実施されているのである。これによれば,輸入制限の撤廃等の条項を含む協定第2部は,締約国の国内法令と合致する範囲においてのみ部分的に義務づけられている。

また,ガットは国際協定であって,厳密な意味での国際機構ではない。I TOの不成立が確実となって以来,,常設国際貿易機関の必要性が認識され,1955年3月のガット第9回総会でOTC(貿易協力機構)に関する協定が調印された。だがこの協定も発効に必要なだけの受諾が得られず,いまだに発効していない。したがって,今日存在する総会,理事会,事務局などの機関は,協定にもとづいたものではなく,事実上国際機関として機能しているにすぎない。

ガットの国際協定としての性格は,,その義務違反国に対する制裁の仕方に端的に現われている。すなわち,義務違反国に対してはガットが自ら制裁を行なうのでなく,被害を受けた国に対抗措置を認めるという形をとっている。

このように厳格な機構をめざしながらついに拘束力の弱いものにならざるをえなかったのは,国際貿易に関する協定のもつ限界である。すなわち,国際貿易の拡大というグローバルな目標は,しばしば自国産業保護という個別の目標と衝突するということである。ITOの提唱者であったアメリカにおいてさえ,超国家的な国際機構の出現は自国産業の安全保護上好ましくないとして,議会での批准は拒否されている。為替の安定が各国の国益にも合致することから,ともかく国際的な合意の成立をみ,国際機構が設立されたI MFの場合と明らかな対照を示していよう。このように貿易の拡大という抽象事項では合意が得られても,そのための具体的技術的事項となると,各国の様々な思惑がからみ,合意の成立しにくい基盤があると思われる。ガットの二大目的である関税引下げと貿易制限除去にしても,数字で量的に計測しうる関税引下げの面ではかなりの成果が挙っているが,貿易制限除去,とくに非関税障壁の撤廃に関しては,各国の利害がからみ,ある程度は進んだが,現在はかばかしくない状態にある。

こうした限界性を備えていたガットではあるが,それは戦後世界貿易体制の中で,その指導理念である貿易の自由化と無差別待遇の原則の下に,各国に話合いの場を提供してきた。したがって,ガットの運営も具体的事情に応じて様々な対応をみせている。

戦後,まずガットの直面した問題は,アメリカなど当時ドル地域と称された国々に対する差別的措置の撤廃である。ガット協定第14条(無差別待遇の原則の例外)第1項は戦後の過渡期の措置として,ドル不足に悩む各国がアメリカ産品などに輸入制限を課することを認めている。富めるアメリカは寛容の態度でこれを受入れたが,その裏には結局のところ世界中の国がアメリカ産品を欲しがっていたという実体がある。それだけアメリカの経済力は抜群であった。その後,西欧,日本の経済力が回復するのに伴ない,このドル地域に対する制限は解消することになった。1958年ヨーロッパ大陸6ヵ国はEE Cを結成した。ガットは24条で関税同盟を予想しているが,ガット成立時に予想されていたのはベネルックス関税同盟程度の規模のものであったといわれる。EECのような本格的な経済統合に対しては,当然に議論は集った。無差別原則に対する挑戦だったからである。EECの解答は,地域統合の促進による域内諸国の経済成長が,域外からの輸入増大をもたらすということであった。こうした中で,アメリカの調停もあり,58年のガット第13回総会で妥協が成立した。ローマ条約の法律問題は一応たな上げし,EECはガットにつねに情報を提供して,具体的問題はそのつど処理するというものであった。

その後たびたび討議がくり返され,今もって最終的な結論は出ていない。

共通農業政策等個別的には問題があるものの,関税同盟としてのEECはいわば黙認された形となっている。さらにEECは,地中海,アフリカ諸国と連合関係を結び,これと特別な優遇措置を確立しているが,これもまた無差別原則をめぐる果てしない論事をよび起した。今回,イギリスなどが加盟することになり,一段と規模を大きくする上に,残るEFTA諸国とは自由貿易地域を結成し旧英連邦諸国の一部と協定関係を結ぶことになれば,域外に対する差別は実質的に強まることになるので,ガットの原則に対する脅威はいっそう増大しよう。

つづいて生じた問題は,発展途上国の取扱いである。すなわち,1958年の「ハーバラー報告」を契機に,ガット内部に発展途上国の貿易拡大のための特別の施策を求める声が高まり,発展途上国の輸出関心品目に対する特恵供与の必要性が論じられるようになった。

この問題については,ガットに加盟していない社会主義諸国までをも含めて,真に多角的に処理せざるをえなかった。結局,1964年第1回国連貿易開発会議(UNCTAD)に持ち込まれ,70年にいたって最終的合意をみて先進国は発展途上国産品に対する関税引下げを行なうことになったが,これもまた無差別原則に本来そぐわない制度である。しかし,無差別原則も,原則のための原則ではなく,均衡ある貿易の拡大を通じて資源の有効利用をはかり,諸国民の生活水準を高めるといったブレトン・ウッズの理念に照らして判断さるべきである。

このように,これまでガット体制は無差別原則をめぐって揺れ動いたが,さらに自由貿易原則にまで問題が拡がっている。従来,ガットが,自由原則の中心的役割を果たしてきた裏には,アメリカのイニシアティブがあった。

60年代に入ってからアメリカに対する形式的な差別措置は消えたとはいえ,アメリカが関心をもっている品目に対する輸入制限や高関税は実質的にアメリカ産業の輸出競争力を減殺させるものであった。したがって,アメリカは輸出拡大のために自由貿易原則を強く推進してきた。しかし,もともと輸入制限の少ないアメリカでは,たび重なる関税引下げが国内産業の輸入競争力低下を加速化し,輸入増大が生産転換のテンポを超えるようになった。ドル調整の遅れもあって,輸入重圧が増し,保護措置を望む産業の数は目立ってふえてきている。ここにいたって,アメリカは他国の保護主義を口実に自らも保護主義的措置の採用に踏み切った。そのうちの一部について,ECは報復の権利を留保するなど,保護主義応酬の危険が増大している。

保護主義的傾向が最近強くなってきた根底には,産業調整が円滑を欠いている面がある。非関税障壁問題あるいは農業問題もこういったところに根ざしているのであって貿易問題の解決はしだいにその基盤をなす産業問題,雇用問題の解決が前提となってきている。

前述したようにガット体制はIMF体制よりも,拘束力の弱い制度であるために,現在のところ協定を改正すべきであるといった提案は少くともガット上正式にはなされていない。しかし,それだけに,現状を成り行きのまま放置することはきわめて危険である。1930年代に逆もどりすることのないように,多極化する世界経済の中で,国際協調の場としてガットを活用し,ガットの諸原則を再確認すべきときである。

同時に,各国間の経済交流が活発化していること,すなわち,商品の移動のみならず,資本,技術など,生産要素自体の移動もまた旺盛になっている事実を考慮すべきである。すなわち,生産要素の移動が少ない段階にあっては,商品貿易は世界の経済的福祉を増大させる唯一の手段であったが,今日,その点で大きな変化がみられる。ブレトンウッズ体制の究極目標である世界経済発展への道を前進するためには,ガットに期待するのみならず,各分野にわたって幅広い国際協調が必要である。


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