昭和46年

年次世界経済報告

転機に立つブレトンウッズ体制

昭和46年12月14日

経済企画庁


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第2章 揺れ動く国際通貨体制

5. EC通貨同盟への道

EC(ヨーロッパ共同市場)は1971年初から経済通貨同盟をめざす本格的な統合段階に入った。これはECにとってローマ条約の基本理念にそったより高次元の統合過程ではあるが,1958年の共同体発足後にみられた内外の経済環境の大きな変化を反映して,その構想はしだいに変っており,今後も統合の進捗にともなって多くの曲折を経るものと予想される。とくに,71年5月のヨーロッパ通貨危機の再発により,ECは通貨同盟発足後のはじめての措置である域内通貨間の変動幅縮小を延期せざるをえなくなったこと,さらに8月央のアメリカ新経済政策の導入に対処するために必要な域内の共同歩調を早急にとることに失敗したことなどは,通貨同盟完成への前途がきわめて多難であることを示唆している。しかし,経済通貨同盟の形成は,69年12月のハーグ・コミュニケにもみられるように,ECの強化にとって中心的な課題であり,これを回避して統合化をすすめることは不可能であるとみなされている。加えて,現在,世界経済をまきこんでいる国際通貨体制の再編成に対して通貨同盟が具体化しつつある域内通貨統合化の方向は大きな影響力をもつとしてその動向が内外から注目されている。本節はこうしたEC通貨同盟の形成が域内外経済にもつ意義を,その背後の情勢変化との関連から検討する。

(1) EC通貨同盟の形成と背景

1)通貨統合の進展

EC通貨同盟は今後10年間に域内通貨の完全交換性,平価の絶対的固定化,資本移動の完全自由化などの段階的達成をめざして71年初より3年間のその第1段階を発足させた。現在のところ,まだ第2段階以降の具体的スケジュールは決っておらず,第2段階への移行についても2年の猶予期間を設けて,もし第1段階のスケジュールが順調にすすまない場合にはそれまでの措置を破棄するという留保条件がつけられているなどその内容はきわめて流動的である。しかし,ECはすでに逆もどりできない統合過程を歩んでおり,多くの困難が予想されるにもかかわらず,通貨同盟の完成に向って加盟国の努力がつづけられるとみられる。

EC通貨同盟は基本的には「EEC(欧州経済共同体)を設立する条約」,いわゆるローマ条約にもられた共同体理念の所産である。しかし,ローマ条約そのものは関税同盟や共同市場の形成については詳細に規定しているのに対して,経済通貨同盟については前文で一般的な方向を示しているだけであり,本文でも通貨評議会を通ずる加盟国間の通貨政策の調整に言及しているにすぎなかった。これは,通貨・金融政策の統合は基本的に国家主権にかかわるために過渡期の統合目標とすることが困難であったこと,また,ローマ条約起草当時,ヨーロッパ通貨はほとんどがまだ交換性を回復しておらず,フランやリラには平価切下げの不安がたえない情勢であったことなどを反映したものとみられる。

第2-16表 EC経済・通貨統合の進展

通貨同盟が具体的な形をとり出したのは,EECの活動が軌道にのり,加盟国通貨も安定化を示すようになってからである。EC通貨同盟の具体的構想は,62年10月のEEC委員会による「第2段階における行動計画覚書」においてはじめて提示されたが,これはEEC統合の加速化にたいする当時の盛り上りを背景としたものであった。しかし,その後こうした通貨統合の具体的内容が明らかになるにしたがって,加盟国間で技術的,政治的な意見の対立が深まり,通貨統合への熱意も急速に後退した。

経済通貨同盟へのうごきは,60年代末から再び表面化してきた。すなわち68年2月のバール副委員長による「通貨統合に関する覚書」,69年2月のE C委員会「共同体における経済政策の調整と金融政策の協力に関する覚書」(いわゆる第一次バール案)などが相ついで作成され,後者は同年7月の理事会で採択された。

EC通貨同盟の構想が現実的なものとなったのは,69年12月のハーグ首脳会談の合意にもとずくものである。この会談はECの過渡期の実績を評価し,つづく10年間におけるEC統合の基本方向を確定することを目的としており,ECの将来にとってとりわけ重大な意義をもっていた。すなわち,会談の最終コミュニケは,69年末をもって,ECはローマ条約が定める過渡期を終了することを宣言するとともに,70年代における共同体の「強化」と「拡大」のための基本方針を決定した。その中で経済通貨同盟の創設はEC強化の中心的措置の1つであることが確認され,さらに,69年2月の委員会覚書を基礎として,70年中にその段階的実現のための計画を作成することが合意された。このために設置された特別委員会(いわゆるウエルナー委員会)は加盟国およびEC委員会から提出された計画案を検討したうえで,単一通貨をもつ通貨同盟の創設を最終目的とする統合計画の中間報告を発表した。このウエルナー原案は,経済通貨同盟の発足を1980年と定め,71~73年を第1段階とする段階的統合計画案である。

EC加盟国はこの原案にそれぞれ異なった評価を与えながらも,原則的には受入れることを表明し,70年6月の理事会で採択された。この際,EC理事会は加盟国の共通意見をとりまとめ,さらに技術的問題について域内中央銀行と検討することを特別委員会に委託した。この結果,作成されたものがウエルナー報告第2次案「経済通貨同盟実現のための段階的計画」であり,70年10月,EC委員会に提出された。

このウエルナー報告は,ハーグ首脳会談で合意された共通の意志が存続する限り,経済通貨同盟は70年代に実現しうる目標であるとし,そのためには経済政策の決定権が共同体に移される必要があり,また,単一通貨の採用が望ましいとしている。機構面では,経済政策の決定機関,共同体中央銀行制度が必要不可欠とされる。こうした通貨統合の発展は,経済政策の集中や各分野の統合の進展と平行して行なわれなければならないことがとくに指摘されている。そうして,現段階においては,段階的計画の全体について厳密な予定表を作ることは不可能であるとして,第1段階についてのみ具体的措置を示している。ここには,①第1段階の当初から,域内通貨間の為替相場の変動幅を対ドル為替変動幅よりも実験的に縮小し,将来は制度化することを加盟国中央銀行に勧奨する。②経済通貨同盟の最終的実現を可能にするため,第1段階の適当な時期にローマ条約に必要な修正を加える準備をすることなど注目すべき措置を含んでいた。

EC委員会はウエルナー報告の内容を手なおしした委員会案を作成したが,この委員会案についても意見の対立が大きく,予定どおり70年中に最終的な合意をみることができなかった。しかし,71年に入ってEC委員会による意見調整がすすみ,ポンピドー・ブラント会談による政治的妥協が成立したことなどを背景として,2月9日,閣僚理事会において「経済通貨同盟の段階的実現に関する決議案」はついに採択された。この結果,EC経済通貨同盟は71年1月1日にさかのぼって,ウエルナー報告のスケジュール通り第1段階を発足させることができ,70年代に完成することをめざして前進することとなった。

2)通貨同盟発足の背景

EC経済通貨統合化へのうごきが60年代後半においてとくに活発化し,多くの問題を残しながらも予定どおり71年初からその第1段階を発足させることができたのは主としてつぎのような理由によるものとみられる。

第1は,67年11月のポンド平価切下げを契機として国際通貨情勢が大きく揺れうごくなかで,EC加盟国は通貨政策を相互に協調する体制を確立しておらず,69年8月のフラン切下げ,同10月のマルク切上げについてもECと・しての事前協議ができなかった。このため,加盟国は多くの困難を経験し,通貨面における域内協力の必要性が痛感されたことである。

これまでECは通貨,金融問題を域内だけで処理せずに,IMF,BIS(国際決済銀行),EMA(ヨーロッパ通貨協定)のような国際通貨機関の枠内で取上げるという基本的姿勢をほぼ貫ぬいてきた。これは,ローマ条約の規定を反映したものでもあった。しかし,その後ドル,ポンドを基軸通貨とする現行国際通貨体制の弱体化が明らかになるにしたがって,EC通貨統合を支柱として現体制を改革しようという考え方が内外で強まった。

こうした議論に加えて,68年秋以来のヨーロッパ通貨危機は主要国間の平価に不均衡を生じたことを直接の契機としているが,基本的には現行IMF体制が硬直化したためにひき起されたとする批判が強まり,ドルの大規模流入による域外からのインフレーションの激化をできるだけ回避しようという意見が域内で大勢をしめるにいたった。

第2は,域内統合化がすすむにしたがって,経済通貨面での統合が必要不可欠のものとなってきていることである。すでにECは商品および労働については,ほぼ完全な自由化を達成しており,資本取引きについてもかなりの自由化をすすめている。こうした経済の統合化,ないしは同質化の進行により形成された広域経済は,それにふさわしい統一的経済,通貨政策の導入によってはじめて十分な機能を発揮するとみられる。いわゆる最適通貨地域の形成である。すでに,ECは域内為替相場の安定を目的とした短期資金援助機構を発足させている(総額20億ドル,貸出期間は原則として3ヵ月。70年2月より)が,こうした方向での通貨協力は,今後ますます重要性をますであろう。とくに,農業面での共通市場創設は,ドルを計算単位とする共通農産物価格の採用と農業指導保証基金(FEOGA)を中心として運営されているために,域内通貨間の為替レート安定をいっそう重要なものとしている。たとえば69年8月のフラン平価切下げは,フランスに対して国内価格調整のため,共通農産物市場を2年間離脱することを認めざるをえなかった。

また,69年10月のマルク切上げおよび71年5月以降のマルクおよびギルダーの変動相場制移行後はそれぞれ国境調整措置が適用されたが,さらに,この措置はアメリカの新経済政策発表以降はEC全域に拡大されることとなった。このことは共同市場の発展と通貨同盟が表裏の関係にあることを端的に示すものである。

ハーグ・コミュニケもECの強化にとって経済通貨同盟の創設が不可欠であることを表明しており,そのために段階的計画を70年中に理事会が作成すベきことに合意したことも域内の結束をさらに固めさせたとみられる。

(2) 第1段階の発足と問題点

1)第1段階の発足

こうした背景のもとに,EC経済通貨同盟はいよいよ実施段階にはいった。その第1段階(1971~73年予定)で実施が予定される主な政策措置はつぎのものである。

第1は金融面における通貨・金融政策の協調を強化する措置である。このため加盟国中央銀行はEC中央銀行総裁会議に参加し,銀行流動性,信用供与条件,金利水準などについての一般的ガイド・ラインを決定するとともに,その基準を実施する方法を決定する。

第2は,財政面における短期経済政策の協調を促進する措置の導入である。これは加盟国が景気政策を決定する際の協議手続を強化し,国家予算の共同審議を厳格に実施することを主内容としている。このために閣僚理事会が年3回開催され,EC経済情勢に関する委員会の報告と提案にもとずいて検討を行い,短期経済政策に関するガイド・ラインを採択する。第1回会合は年初に開催され,前年度の経済政策を検討した上で,その年の経済政策の大綱を樹立する。第2回会合では次年度の各国予算案作成のためのガイド・ラインを決定する。第3回会合ではECの経済情勢に関する年次報告を採択し,各国の次年度経済政策のガイド・ライン決定の資料とし,さらに加盟国における予算審議の参考資料として各国議会に提出される。

第3は,中期経済政策第3次計画(1971~75年)が委員会原案どおり決定されたが,実際の経済動向がこの計画の指標を乖離する場合には,その都度協議を行うこととされている。

第4は,国際収支上の困難に直面している加盟国に対する2~5年の中期資金援助を目的とした機構の設立である。この相互援助機構はすでに設けられている短期資金援助機構に対応したものであり,①信用限度総額20億ドル,②期間は1972年1月1日から4年間,その後は原則として5年ごとに自動的に更新する。ただし,経済通貨同盟の第2段階への移行について合意が成立しない場合は更新されない。③利用および負担限度額は,フランス,西ドイツ各6億ドル,イタリア4億ドル,オランダ,ベルギー,ルクセンブルグ各2億ドルなどを主要な内容としており,信用供与の諾否,信用供与の金額,条件(金利,方式など),借入れ国が経済政策上履行すべき義務,貸付国が国際収支困難におちいった場合に貸付国側からの貸付資金引揚げ,あるいは肩代り要請にたいする諾否などに関する決定は閣僚理事会が行うこととされる。

しかし,注目の域内通貨についての変動幅縮小については具体的な決定が行なわれず,4月末のEC蔵相会議にもちこされた。この会議で,EC通貨間の変動幅を現行の上下0.75%から上下0.6%に縮小し,6月15日より実施することが合意された。

域内変動幅縮小は具体的にはつぎのような方法で行なわれる。まず,ドルにたいする共同体基準相場を設定し,この共同体水準の上下に設けられた変動幅(たとえば0.6%)の範囲内に加盟国通貨の対ドル相場がとどまるように,加盟国中央銀行が為替市場において共同で介入する。共同体基準相場は,具体的には共同体各国通貨の対ドル相場が平価をそれぞれ何%上回るかを算出して平均し,さらにこの平均から域内変動幅をさし引いた(あるいは加えた)ものである。したがって,共同体水準は対域外変動幅(たとえば±0.75%)から域内変動幅(±0.6%)をさしひいた(±0.15%)の幅のなかにおさまることになる。もしも,対域外変動幅が拡大される場合(たとえば±1.5%へ),共同体水準をその分だけ拡大(±0.9%へ)することによって,縮小された域内変動幅を維持したまま,ドルに対する域外変動幅を拡大することができる( 第2-12図 )。この共同体水準は必要の都度,協議によって決定される。

こうして,域内変動幅の縮小が具体的スケジュールにのったのも束の間,5月初に再発したマルク投機はこの計画の実施を一時的にたな上げさせることとなった。この措置は,「マルクが従来の固定相場制度にもどるまで」という条件つきであり,当時は,ごく短期間の中断とみられていた。しかし,その後アメリカの新経済政策発表後は変動相場制に移行する国が増え,しかも,その調整が長びく気配を示しているために,域内変動幅の縮小のスタートはそれだけ遅れそうである。

2)EC通貨同盟の問題点

このようにしてECは経済通貨同盟の形成にむかって第1歩をふみ出したが,その前途はかなりの波乱含みとなりそうである。

それは第1段階を発足させるための決議案が,ウエルナー報告の内容からかなり後退した形でようやく合意がみられたことに第1にあらわれている。

EC委員会がウエルナー報告の超国家的要素を緩和したのは,主としてフランスの反対を考慮したものとみられる。フランスはEECの創設当時からE ECを主権国家の連合体とみる政治的理念を一貫してもち続けており,ヨーロッパ連邦を目的とするEC委員会などのユーロクラートと常に対立してきた。このため,フランスはECの共通政策が国家主権の移譲ないし制約を含むおそれがある場合には強硬な反対を表明してきた。こうしたフランスの立場をよく理解している委員会は,経済通貨同盟の形成がある段階にいけば当然,決定権の各国政府からECレベルへの移行が予想されるものの,第1段階をともかくも発足させることがECの強化にとって必要であると判断した結果,妥協したものとみられる。

すなわち,ウエルナー報告では,共同体の政策決定機関に関して,最終的には現行の国益を代表する各国閣僚で構成されているEC閣僚理事会から,超国家的共同体政策決定機関と欧州議会に権限を移行し,これに関連してローマ条約の規定を改訂することを提案していた。フランスは,共同体への権限移譲には反対しなかったが,超国家機関の設立と欧州議会の権限強化には強い難色を示した。このため,71年2月の閣僚理事会はこの問題の解決を第1段階の終了時近くまで延期することにし,ひとまず計画を発足させたものである。

第2は,第1段階における実験的措置についての妥協はえられたものの,西ドイツの提案により,いわゆる「慎重条項(Clause de Prudence)」が付加され,第2段階への自動的移行は行なわれないこととされた点である。このため,第1段階におけるスケジュールが順調にすすまない場合には,それまでに導入された通貨協力措置の効力が消滅する可能性も残されている。すなわち,第1段階の3年間における計画の実施状況から,経済面での統合の遂行が不十分と判断される場合には,2年間の猶予期間をおき(したがって,第1段階は5年間,71年初~75年末となる),それでもなお満足すべき改善がみられない場合には,それまでの通貨協力関係を白紙にもどすとされている。

これは,第1段階において通貨面での統合だけが進展し,経済政策面での協力がすすまない場合に,域内からのインフレーションを輸入することになるのを懸念して西ドイツが強硬に主張して採用されたものである。この背後には経済政策の統合強化を優先的とみる,いわゆるエコノミスト(西ドイツ,オランダ,イタリア)と,通貨金融面での統合を先行させるべしとするマネタリスト(フランスなど)の間の従来からの対立がある。

EC域内におけるエコノミストとマネタリストとの対立は根が深く,この対立は経済通貨同盟の具体化がすすみ,また,国際通貨体制の動揺が発生するたびに深まる傾向を示した。たとえば,ウエルナー報告を作成するに先だって各国から提出された段階的計画案にもそれぞれの立場のちがいが明白にあらわれている。すなわち,エコノミスト派の代表とみなされる西ドイツ経済財政相のシラーは,域内変動幅の縮小や為替安定基金の設置などの通貨統合措置の導入は,経済政策の調和が達成された後の問題であるとし,経済統合がすすめば通貨協調は自動的に,かつ強制的に実施できると主張している。

このためシラー案では経済金融政策の統合に重点がおかれており,為替変動幅の縮小などは後半の段階ではじめて導入されるようになっている。オランダも西ドイツにほぼ近似した立場をとっているが,たとえば,国際機関における加盟国の協調にたいしては留保条件をつけるなど一部ではより柔軟な態度を示している。

一方,マネタリスト派はフランス,ベルギー,ルクセンブルグであり,EC委員会も通貨統合の接近法に関してはマネタリストに賛成のようである。これらの各国は,為替変動幅縮小や為替安定基金のような通貨協力措置を第1段階の当初から導入する必要があるとし,また,域内の通貨協調の緊密化は経済政策の集中化を促進すると主張している。第2次バール案,ウエルナー原案,スノワ案(ベルギー)などがこの立場をとっている。最終的に合意されたEC委員会案も,どちらかというとマネタリストの立場にちかい接近方法となっており,このために西ドイツなどが慎重条項をつけることを主張したものとみられる。

第3は,イギリスのEC加盟が実質的に妥結し,ポンドが域内通貨に加わることにともなって生じる新たな問題である。ポンドの処遇については,今回の交渉はポンドにその他域内通貨と同一の地位を与え,ポンド残高を秩序をもって漸減させるということで基本的な合意をみ,加盟に際しての問題は一応解決された。したがって,前回の加盟交渉時までにみられたような,ポンドをEC共通通貨とするというような考え方は完全に後退したが,ポンド残高をEC通貨同盟のなかに具体的にどのような形で組みこむかについての検討はすべて今後にもちこされており,ポンドをめぐる問題はいぜんとして残っている。

戦後,ポンドの地位は急速に低下し,68年9月の新バーゼル協定によりポンド残高に対して為替保証を行なわなければならないほどであった。しかし,ポンドの貿易決済通貨としての役割は,ウエイトがかなり低下しているとはいえ依然として重要性を失ってはいない。また,ヨーロッパの資本市場としてロンドンの地位は依然としてずばぬけて高い。したがって,イギリスのEC加盟は,その完全な加盟が5年の過渡期を経てはじめて実現するにすぎないとしても,EC経済通貨同盟の形成に与える影響はきわめて大きいとみられる。

ポンド残高については,67年11月のポンド平価切下げを契機に,イギリスの国際収支は著しい改善を示すようになり,とくに,69年以降は経常収支が黒字基調に転じていることから,現在では,EC経済通貨同盟の重荷となる可能性はだいぶ薄らいだとみられる。すなわち,最近ではスターリング地域諸国の対外収支が大幅黒字を持続していることもあって,ポンド残高は68年当時と比較すると約10億ポンド増加して27億ポンドに達している。

68年9月の新バーゼル協定によるポンド支援措置は,総額20億ドルのスタンドバイ・クレジットを先進12カ国(BISを含む)が供与する一方で,スターリング地域各国がその公的ポンド保有残高を安定的に保持することを条件に,為替保証を行うことを内容としていた。この措置は3年を期限としていたが,さらに2年間延長することが最近合意された(71年9月)。なお,今回の更新にあたり,外貨準備に占めるポンド保有残高の最低比率は当初の水準から約10%程度引下げられた。これはEC加盟交渉におけるポンドの準備通貨としての役割を逐次軽減していくという合意に沿ったものである。こうして,ポンドが当面の問題となる懸念は一段とうすらいだとみられる。しかし,フランスなどはポンド残高の漸減について具体的なスケジュールを示すことを要求しており,それを示さないうちは新バーゼル協定にひきつづき加わらないとしている。

(3) IMF体制再編成とEC通貨同盟

これまでみてきたようにEC通貨同盟への道は平坦ではなさそうである。

とくに,8月15日のアメリカの新経済政策発表後における国際通貨情勢の急迫は,通貨問題に対する域内の対立を顕著にした。というのは,従来はマネタリストとエコノミストとの対立にみられるように,どちらかというと通貨同盟形成のための技術的ないしは接近法のちがいが問題になっていたのに対して,今回は国際通貨体制の再編成のなかでEC経済通貨同盟のとるべき方向が新たに問いなおされているためである。

EC委員会の立場は,一貫してEC経済通貨同盟の形成により域内通貨がその他通貨,とくにドルから独立した地域を形成することを目標としている。これは近年におけるユーロ・ダラー市場の急膨張による域内経済の不安定化,とくに,アメリカからのインフレーションの輸入に対するEC側の強い懸念を反映したものである。このため,EC側ではドルを準備通貨として使用することを漸次制限していこうという考え方をしだいに強めていたが,今回のアメリカの措置はアメリカ側からこれを決定的にしたものとみられる。ECとしては,EC通貨同盟の完成時に実現する可能性のあるEC共通通貨をドルにかえて準備通貨とするという考えは全くなく,むしろ,イギリスの主張するようなSDRに準備通貨の役割を与えることに賛成のようである。

為替相場の弾力化についても,EC委員会は従来からアメリカの国際収支赤字が域内流動性に与える過激な影響を緩和するために,小幅の変動幅拡大を主張していた。したがって,現在検討がすすめられているIMFの平価調整方式の弾力化に対しても積極的な姿勢を示している。同時に,通貨同盟形成の基本的な方針として域内通貨間の為替レート変動幅の縮小は,今後も維持されるとみられる。しかし,こうした域内為替変動幅の縮小ないし固定化と対外変動幅の拡大が原則的には両立すると主張されているものの,現在のような通貨体制の不安定がつづく限り,域内為替変動幅の縮小は技術的にも困難であり,EC経済通貨同盟への歩みはそれだけ遅滞を余儀なくされよう。

この問題に対する域内各国の反応はまちまちであり,とくに,5月初のマルク投機の際には西ドイツとフランスの立場の相異がより鮮明な形であらわれた。すなわち,西ドイツは従来から為替相場の弾力化にきわめて積極的であり,5月初のマルク投機に対処するために開催された緊急閣僚理事会においても「一定期間,一定限度内で域内通貨はすべて変動為替相場制を採ること」を主張し,域内の合意がえられないまま単独で変動相場制に移行した。

これに対して,フランスは域内通貨の為替レート変動により域内統合の進展がとどこおること,とくに共通農業政策の実施に大ぎな障害を与えるおそれがあることを理由に,西ドイツのような域内為替変動幅の縮小に先だって域内の為替レートを弾力化するという考え方にはげしく抵抗した。5月のE C緊急理事会でも,フランスは「現行平価を堅持し,為替管理によって国際的な資金移動を規制すべきだ」と主張した。同理事会も,こうしたフランスの主張をいれて,西ドイツの変動相場制はあくまでも一定期間だけ容認することを強調した声明を発表している。

この西ドイツとフランスの対立は5月以降つづいているが,加えて,8月央のアメリカの新経済政策の発表後は域内諸国がそれぞれ為替相場の弾力化措置をとったために,EC通貨同盟の行方はいっそう不確定なものとなっており,統合の強化そのものについても影をなげかけている。

域内通貨の為替相場弾力化により直接的な影響をうけたのは,EC共通農業政策であり,現在では域内農産物市場は事実上,西ドイツ市場,ベネルックス市場,フランス,イタリア市場に3分割されている。こうした市場の分割それ自体はEC共通農業政策にとって決定的な打撃を与えるものではないとしても,それが長期化することはEC統合の前進にとって大きな阻害要因となろう。

こうした域外からの圧力の前にEC通貨同盟は大きくゆさぶられているが,一方で,通貨同盟を前進させようという根強いうごきもみられる。たとえば,10月末に開催されたEC蔵相会議では,2月に決定された経済通貨同盟の段階的達成のスケジュールに含まれている年次報告が検討されており,また,最近では,域内為替相場の固定化に対して西ドイツ,フランス間に歩みよりがみられるなど加盟国がいぜんとして経済通貨同盟のプログラムを進めようという意志をもっていることを示している。

これまでみてきたように,EC経済通貨同盟はもともと域内統合の最終段階として形成されたものであり,したがってその内容も内向的性格が強く,外部に対しては従来と同様の通貨関係を維持しようとしている。しかし,国際通貨体制のわく組が再編成に直面している現在,EC内部におけるこうした通貨統合の進行は,国際通貨体制そのものに対しても有形無形の影響をおよぼすとみられる。すでにIMF,OECDなどの国際通貨会議ではECとして共同歩調をとろうとするうごきがみられ,たとえば主要国通貨の多角的調整のためにドルの切下げを要求している。

こうしてECはEC通貨同盟の発足という実績を背景に国際会議における発言をしだいに増すとみられる。今後イギリスなどを加えた拡大ECにおいて通貨同盟の形成が進展するにつれて,ドル圏とならぶEC通貨圏が出現するであろうが,このことはまた長期的な国際通貨体制の再編成に対しても大きな影響を与えずにはいないであろう。


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