昭和46年

年次世界経済報告

転機に立つブレトンウッズ体制

昭和46年12月14日

経済企画庁


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第1章 1971年の世界経済

1 停滞気味の世界経済

(1) 緩慢な北米の景気回復

アメリカは,主要先進国にさきがけて1970年初頭からいち早く引締め緩和に転じたが,1970年を通じて景気回復の力は弱く,70年第4四半期にはゼネラル・モータース(以下GMと略す)のストもあって実質GNPは前期比年率4.1%も減少し,70年の実質成長率はマイナス0.6%と58年以来12年ぶりのマイナスとなった。

景気が拡大に転じたのは71年に入ってからである。71年第1四半期には,GMストからの回復や71年8月に予定されていた鉄鋼スト(結局は回避された)に備えての備蓄買いなどの特殊要因にも支えられて,実質GNPは前期比年率8.0%と大幅な増大を見せた。しかしながら,70年第4四半期に7.1%に達したGNP需給ギャップ率は71年に入ってもなかなか縮小せず,製造業稼動率も71年上半期を通じて75%前後の低水準にあった。そのために,71年初頭より急速に金融緩和が進んだにもかかわらず,民間(特に製造業)の設備投資意欲は一向に盛りあがらなかった。ベトナムにおける戦線縮小にともない,軍事支出がひきつづき削減されたが,それも景気に不利な影響を及ぼした。

71年の景気回復を支えたのは,個人消費と民間住宅投資であった。このうち,民間住宅投資は金融緩和の恩恵を直接受けて,着工件数は年率200万弱と20年来の高水準に達したが,個人消費は耐久消費財需要を中心に増加し続けたものの,もう1つの力強さに欠けており,70年中に8%台に乗せた個人貯蓄率は71年に入ってもほぼその高水準に止まった。

こうして,第2四半期に入って前述の特殊要因が大方解消すると,GNPの実質成長率は前期比年率4.8%に低下した。回復した需要のかなりな部分が輸入品に向って国内生産に回らない傾向があることも景気の上昇力を弱める一因となった。それ以降も景気回復の足取りはもたつき気味で,.鉱工業生産指数は6月横ばいの後,7,8月と2ヵ月連続低下し,8月現在で69年9月のピークを6%下回る水準にあった。

このような景気の足取りを反映して,失業率は70年初めの4%から70年12月の6.2%へ一本調子に増大した後,71年前半を通じて6%前後の高水準に推移した。70年後半から現在にかけての高水準の失業の特徴は,従来同様黒人,未成年未熟練労働者の失業率が高いだけでなく,国防支出や宇宙開発支出削減に伴い,地域的にではあるが,ホワイトカラー技術者の失業が増えている点である。ベトナム帰りの除隊兵の就職難とも相まって,この高水準の失業は,現在のアメリカの社会不安を醸成する大きな原因となっている。

カナダ経済は,アメリカ経済の影響を大きく受けやすいが,アメリカとほぼ時期を同じくして70年春に引締め緩和に転じたものの,70年を通じて景気回復の足取りははかばかしくなかった。すなわち,実質GNPの成長率は第1四半期の前期比年率0.4%を底にして上向きに転じたが,第2四半期3.O%,第3四半期2.3%とその力は弱く,失業率も1月の4.7%から5月の6.1%へ急増した。こうして景気が低迷する中で輸入の減少から貿易収支の黒字が急増して投機的短資の流入を激化させた。それを阻止するために,カナダは70年6月から変動相場制に移行し,カナダ・ドルが実質的に切り上げられるのと同時に積極的な拡大政策を展開した。その結果,70年第4四半期に実質成長率前期比年率6.2%と景気は回復のきざしを見せ,71年に入って第1四半期4.8%とやや増勢が衰えたものの,第2四半期8.9%と成長テンポは速まった。しかしながら需給ギャップはいぜん大きく,失業率も71年に入っても6%を上回っており,よりいっそうの経済拡大が望まれている。

(2) 概して停滞気味の西欧と日本

以上のように,北米では1971年に入って不十分ながら景気が回復に向っているが,それと対照的に西欧と日本の景気は全体的に停滞気味である。

すなわち,西ドイツでは69年10月のマルク切上げ後財政金融面で一連の引締め政策がとられたため,輸出需要が減退するとともに在庫投資,設備投資を中心に需要圧力が弱まったが,物価の騰勢は一向に収まらなかった。そのため,引締め基調は70年を通じて維持され,年末にはしだいにその効果が現われてきた。71年に入ると政策のかじ取りにも拡張的要素が加味され,第1四半期には暖冬など一時的要因もあって,生産,受注が再上昇に転じ,それとともに再び賃金,物価の騰勢が激しくなった。そこで4月から6月にかけて自然増収分の凍結,政府支出の削減,預金準備率の引上げなどの安定化政策がとられるとともに物価抑制目的もあって,5月に変動相場制への移行が断行された。その後は引締め政策とマルクの実質切上げの効果が相まって,生産,受注が頭打ちになり,労働需給が一段と緩和し,製造業の操業度が低下するなど,徐々に鎮静化の効果が現われた。

フランスは,69年8月のフラン切下げに伴いインフレ対策として引締めを実施したが,内需の鈍化傾向が明らかになった70年後半期には早くも引締め緩和に転じた。景気は70年末から回復に向い,71年前半期を通じて主として個人消費,住宅建築および輸出需要に支えられて順調な拡大基調を維持した。こうしたなかで,消費者物価の騰勢は収まらず,また国際通貨投機の激化に伴い,短資流入が激しくなったので,5月から8月にかけて為替管理を強化し,公定歩合,預金準備率を引上げるなど,以後やや慎重な拡大政策路線がとられた。

イタリアは,69年の秋に労働情勢が悪化してから,70年を通じてストや社会不安のために生産が停滞的に推移したが,その後も社会不安は一向に収まらず,70年後半期から需要も急減して経済は全般的な停滞局面に入った。

北欧,ベネルックス等ヨーロッパ大陸の中小国は,69年から70年にかけて需要圧力が強かったのに加えて,69年の西ドイツ・マルク切上げの影響を受けてインフレが激化した。71年に入ってもほぼ同様の情勢がつづいたが,長期間にわたる引締めから,景気が頭打ちになり,下降に転ずる国が多くなった。スウェーデン,デンマーク,オランダ,ベルギーなどで失業率が急速に上昇し出したのが注目される。

イギリス経済は,以上のようなヨーロッパ大陸諸国の動向とはやや異って,67年以来長いこと潜在成長力を下回るところに低迷していた。これは67年11月のポンド切下げ以来,当初は国際収支が改善しないために,その後はコスト・インフレの激化のために,引締め政策を解除できなかったからである。67年半ばからようやくポンド切下げの効果が現われて貿易収支が改善しだし,国際収支は黒字基調に向ったが,インフレは年とともに悪化した。しかし,70年後半から失業が著しく増大するにいたって,ついに政府も拡大政策に転じざるを得なくなり,71年4月には民間の消費と投資の刺激をねらって減税を中心とするリフレ予算が打ち出され,7月にはさらに大幅な財政刺激措置が追加された。

一方,日本では69年9月に引締め措置がとられた後,景気は70年8月にピークを打ち,それ以降景気は鎮静化に向った。70年10月以来の引締め緩和,需要拡大策にもかかわらず,71年に入って景気停滞の色はいっそう濃くなった。

(3) 景気のすれ違い

以上のように,主要先進国の景気は,北米とヨーロッパ,日本の間で図式的にいえば,1970年には前者停滞,後者拡大持続,71年には前者ゆるやかな拡大,後者停滞というすれ違いを見せている。

これをOECD統計でみると( 第1-1表 ),70年の実質成長率は北米のマイナス0.1%に対して,ヨーロッパ(四大国計)は4.6%,日本10.9%であったが,71年上期にはそれぞれ年率6.4%,2.9%および6%と推定されている。同様な動きは鉱工業生産でもみられる( 第1-2表 )。すなわち,70年の鉱工業生産の増加率は北米のマイナス2.5%に対して,ヨーロッパ(四大国計)は5.0%,日本16.2%であったが,71年上期にはそれぞれ年率マイナス1.7%,2.2%(第1四半期のみ),および6.2%となった。一方,景気に対して遅れをもつ失業率は,71年に入っても北米ではいぜん高水準なのに対してヨーロッパではジリ高傾向になってきたのが注目される。

第1-1図 主要国の実質成長率

(4) 発展途上国の生産鈍化

1970年から71年にかけての発展途上国経済は,先進国の景気停滞の影響を受けて輸出が伸び悩み,生産の拡大率も概して鈍化した。

発展途上国は,1968年以降成長速度を早めてきたが,70年の実質成長率はIMFの推計によれば6.0%と前年の6.5%に比べてやや低下した。これは,前年の大きな拡大要因であった輸出の伸びが実質5.5%に止まり(69年は7.1%増),生産が農業,鉱工業とも前年の伸びをやや下回ったためである。

東南アジア諸国では,農業生産が,66年頃から高収量品種が普及したのに加えて天候条件に恵まれたこともあって,増産をつづけており,70年も69年の伸びには及ばなかったものの前年比3.9%と好調を続けた。一方鉱工業生産は,輸出の鈍化,ベトナム特需の漸減などにより,69年の9.7%7増から7.0%増へと鈍化している。

71年に入っても期待された先進国の景気回復が思わしくなく,一次産品市況も軟調を続けるなど,発展途上国の輸出環境は明るくなく,生産の拡大鈍化傾向がつづいている。

(5) 社会主義国の生産拡大

こうして西側の経済拡大テンポが鈍化したのに対して,社会主義国では中国,ソ連・東欧とも生産は概して順調に拡大した。

70年の中国経済は,文化大革命にともなう混乱から立直って順調な上昇を示し,工業および農業生産ともに大幅な拡大を示した。71年には第4次5ヵ年計画(71~75年)が発足し,前年にひき続き,かなりなテンポで経済は上昇している。

70年の実質成長率は10%に上ったものとされ,GNPは750億ドルの規模に達したとみられる。これは工業生産が前年比19.4%増,農業生産が6.1%増と順調な拡大を示したためである。

71年に入ってからも,工業生産は1~8月間に前年同期比18.7%増と,前年同様かなり大幅な拡大テンポを示している。農業生産も夏期作物(小麦,早稲,油脂作物)は主要地域で前年比1割程度の増加となった。

70年のソ連経済は,69年の天候不順による打撃から回復して,かなり大幅に拡大し,工業,農業生産はともに計画を上回った。71年に入ってからも工業生産は伸び率がやや鈍化しているもののなおかなりのテンポで拡大を続けている。

70年の国民所得(物的純生産)は2,838億ルーブル(ソ連公定の換算率で3,153億ドル)で,前年比8.5%増と計画を2.5ポイント上回った。これは,69年の工業の低成長,農業の減産から回復したうえ,さらに生産性の向上もあって,工業生産が8.3%,農業生産が8.7%と計画を上回る伸びを示したためである。

71年に入ってからも工業生産は1~9月で前年同期比8.0%とかなりのテンポで拡大している。他方,農業では一部の地域の気象条件の不良もあって,穀物収穫は史上最高といわれた70年の水準には達しないとみられる。

東欧諸国の工業生産は70年には概して好調で,69年に低成長であった一部の国も回復を示した。これに反して農業は天候不順と洪水などのため不振で,大部分の国で生産の横ばいないし減少がみられた。71年には,工業生産は一部の国で伸び率が鈍化しているが,農業生産は70年の不振から回復し,穀物の豊作を伝えられる国もある。


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