昭和45年
年次世界経済報告
新たな発展のための条件
昭和45年12月18日
経済企画庁
第1部 1970年の世界経済動向
第4章 主要国の経済動向
イギリスは1967年11月のポンド切下げから,1年半余をへた69年央頃に,切上げ目的である国際収支の改善に成功しはじめ,70年3月における1年間の基礎収支は596百万ポンドという巨額の黒字を出した。これは69年6月の対IMF約束額(最低3億ポンドの黒字)をはるかに上回るものであった。
こうした国際収支の改善は,ポンド切下げとそれをバツク・アツプした各種の財政・金融上の引締め政策が,世界貿易の好調とマルク切上げに助けられて,生産資源を国内需要から輸出へ切換えることに一応成功したためである。この点は輪出の伸び率ならびにそのシエアの変化にも窺われる。すなわち,63年価格でみた輸出(サービスを含む)は,67年の停滞のあと68年12.3%,69年9.3%と増加しつづけ,結局68~69年の2年間に22.7%も伸びた(名目額では36.1%の増加)。その結果,GNP(63年価格)にしめる輸出のシエアも,64~67年の平均21.8%から68年23.8%,69年25.7%へと,著しく上昇したのである。
しかし,70年になると,様相がやや変化し,上期の輸出が若干の特殊事情もあって鈍化したため,経常収支黒字幅の縮小傾向がみられた。くわえて,国内の経済活動も,国際収支面の制約もあって,69年央以降ほとんど停滞的に推移しており,失業数も70年はじめから増加傾向にあり,失業率(季節調整済み)は8月には2.6%とこの時期としては戦後の最高を記録した(69年平均は2.3%)
労働党政府は,国際収支好転を背景に,70年4月の予算案で小幅の所得税減税,減価償却率の引上げなどの財政刺激措置と,公定歩合引下げ,銀行貸出規制の部分的廃止など金融緩和措置をとったが,物価・賃金の大幅上昇傾向から本格的な刺激政策に踏み切ることができなかった。
その後6月に保守党政権が成立し,新政権は,企業のイニシアチブを尊重するという保守党の理念に従って,経済政策の根本的転換をはかり,10月末に財政規模の縮小と法人税,所得税の減税を柱としたいわゆるミニ予算を発表した。
70年上期の消費者物価は前年同期比5.4%高,第3四半期6.8%高で,騰勢の高まりがみられた。国際的にみても消費者物価の騰貴率が最も高いグループに属する。この物価上昇の原動力となった賃金上昇率は,上期に8.4%(前年同期比)第3四半期には10.7%に達した。しかも鉄道,炭鉱,鉄銅,郵便,電力など20%以上もの賃上げ要求が現在目じろおしにみられる。政府は労組に対して自粛を要請しているが,情勢は必らずしも楽観を許さない。
また設備投資が政府の意図するほど盛上らぬことも70年のイギリス経済において期待はずれの一つであった。
このようにみてくると,ポンド切下げにより,国際収支の改善には,一応成功したものの,企業と労組の双方にみられるイギリス経済の体質的な弱さはまだ十分に改善されたとはいえない。その意味で,年内に議会へ提出予定の「労使関係法案」の成行が注目されよう。