昭和45年
年次世界経済報告
新たな発展のための条件
昭和45年12月18日
経済企画庁
第1部 1970年の世界経済動向
第4章 主要国の経済動向
1969年第4四半期にはじまったリセツションは70年上期中もつづき,実質GNPは,69年第4四半期に前期比0.2%減のあと,70年第1四半期も0.7%減となり,第2四半期にはやや回復(0.2%増)したものの,その水準は低かった。製造業の操業度も69年上期の84.5%から70年第2四半期の77.9%へ低下した。
年央前後から底入れの兆候が出てきたものの(第3四半期の実質GNPは前期184%増),まだその力は弱く,9月央からはじまったGMのストもあって,早めの景気回復は期待薄となった。
いうまでもなく,今回の景気後退はインフレ克服のために68年央以来本格化した財政,金融上の引締め政策と国防需要の減少によるもので,需要別ではベトナム戦争の縮小による軍事支出の削減,自動車を中心とする耐久消費財の不振,住宅建築の減少,およびこれら最終需要の弱化に誘発された在庫投資の減少が主因であった。軍需から民需への転換を契機とした後退という点で,53-54年後退と性格的に似ているが,勿論その規模や持続期間の点では今回の方がずっと軽微である。
景気後退の様相が明らかになるにつれて,70年初から連邦準備は金融政策を緩和し,公開市場操作により通貨供給量をふやし,70年8月には預金準備率の一部引下げを実施した。さらに11月10には約1年半ぶりに公定歩合を引下げ(6.0%から5.75%へ),その後一カ月もたたぬ12月1日には第二回目の引下げに踏み切った(5.5%へ)。また財政も地方政府の建設支出棚上げ措置の解除(3月),社会保障給付の増額と公務員給与引上げ(4月),5%付加税の廃止(7月)など,リフレ措置がとられ,連邦財政尻も70年第1四半期には赤字化(18億ドル)し,第2四半期にはその赤字が大幅に増加(142億ドル)し,連邦財政全体としての景気刺激効果がつよまった。
今回のリセツションにみられる大きな特徴は,後退下におけるインフレの進行である。卸売物価の上昇率は69年の3.9%に対して70年1~8月も前年同期比4.0%とあまり変らなかったが,消費者物価の上昇率はむしろ高まった。季節調整済み指数でみると年央以降やや鈍化の気配があるものの(2-5月平均の前月比0.4%から,6-7月の0.3%,8月の0.2%へ),前年同期比では1-8月で6.2%高となっており,69年の5.4%高さえ上回っている。
このような景気後退下における消費者物価の上昇持続は,コスト要因によるところが大きい。
製造業の時間あたり賃金収入は69年の6.6%増のあと70年上期も5.5%上昇した。生産性の上昇率は2-3%とみられるから,賃金コストは高まったことになる。
ニクソン政府は,当初所得政策の有効性を否定し,総需要抑制策一本でインフレとの戦いをすすめてきたが,いわゆる漸進主義(gradua11sm)により急激な抑制措置を避けたこともあって,インフレは容易におさまらず,加えてコストインフレの様相が次第に濃くなってきたので,70年央に所得政策的色彩のつよい全国生産性委員会の設置と「インフレ警報」の発表に踏み切った。
他方,景気後退に伴い,貿易収支が著しく改善されたことも注目される。
アメリカの貿易収支黒字は67年にはまだ約41億ドルもあったのが,68年にわずか8億ドル余となり,69年も12.8億ドルていどにとどまった。それが70年1~9月には24.7億ドルもの黒字を出しており,年率にすれば約33億ドルとなって,年初の政府目標24-25億ドルを大きく上回った。これは輸入が比較的よく維持された(1~9月前年同期比11.3%増)半面輸出が非常に増加した(17.4%増)からである。輸出の好調は西欧と日本の好況によるものである。
このように,貿易収支は好転したが,資本の流出が増加したため(直接投資の増加や短資の流出),綜合収支の赤字は依然として大きく,流動性ベースで70年1~9月間に年率43.5億ドルに達した。