昭和45年
年次世界経済報告
新たな発展のための条件
昭和45年12月18日
経済企画庁
第1部 1970年の世界経済動向
第3章 小康を見せた国際金融情勢
フラン,マルク平価の変更は,国際金融情勢を一時的にせよ鎮静化させる直接的契機となったという意味で一応成功したとみることができよう。一方,この平価調整はフランスおよび西ドイツ経済の均衡回復にどのような影響を与えたであろうか。平価調整後ほぼ一年を経過した現在,両国経済のたどった足どりを比較してみると,フランスの対外収支不均衡は急速な立直りを示したのに対して,西ドイツでは経常収支黒字幅の著しい小幅化がみられるものの,資本収支面では再び短資の大規模な流入が続き切上げ前の水準に戻ってしまっているという差異がみられる。また,マルク切上げのもう一つの目的であるインフレーションの抑制はいまだに成功していない。以下では,平価変更が両国の対外均衡の回復に異なった影響をもたらした背景を比較し,とくに,西ドイツについては前回のマルク切り上げ時との対比を行なうことにする。
1969年8月11出こ実施されたフラン平価11.1%の切下げは,国際通貨不安の渦中にあったフランス経済が,前年の5,6月スト以降急激に悪化した対外均衡の回復を意図して導入した厳しい調整措置であった。政府は平価切下げの効果を確実にするために,(1)財政収支の均衡を70年初までに達成する,(2)70年春までに超過需要を解消する,(3)貿易収支を70年央までに均衡させ,それ以降は黒字とするという予定表を示し,財政金融政策の引締め,為替管理の強化,物価凍結など一連の安定化措置を導入した。
こうした措置に加えて,10月末にはマルク平価の切上げ(9.29%)が行なわれたことや世界貿易が好調を続けたこともあって,フランス経済の均衡回復は急速にすすんだ。とくに,対外収支の回復は予定よりはるかに早く,輸出の輸入カバー率は69年末にはすでに均衡点である93%を上回るようになった(第13図)。輸出が主としてEEC域内市場の好調から大幅な伸びを続け,69年8~12月の前年同期比9.2%増,70年上期のそれは16.8%増となっている一方で,輸入は急速に伸び率を鈍化させて,69年8月~12月の前年同期比11.4%増,70年上期7.6%増となったことによる(いずれもドル建て)。
この結果,貿易収支は急速に収善されており,70年上期には約3.5億ドルの黒字を計上するものと推定されている(第15表)。このため,貿易外収支は依然として赤字基調にあるものの,経常収支は約1.5億ドルの黒字となり,資本収支の改善も同時に進行するとみられることから国際収支はかなりの黒字を計上するものと推定される。金・外貨準備が70年1~9月間に約9.1億ドル増(SDR.,1.65億ドルを含む)となったことがこれを裏付けている。
このようにフランスの対外均衡回復がかなり早い時期に達成されたのは主としてつぎのような内外情勢によるものとみることができる。
まず第1に輸出面では,平価切下げが,ドル建て輸出価格に有利に作用したことがあげられる(第16表)。今回の切下げは,計算上はドル建て輸出価格を11.1%引き下げることになるが,国内物価の強い騰勢を反映してフラン建て輸出価格も高い上昇を示しており,その結果ドル建てでは横ばいにとどまっている。しかし,世界的なインフレ傾向の中で輸出価格は各国とも上昇を続けており,さらには西ドイツのマルク切上げが行なわれたこともあって,結果的にはフランスは優位な価格競争力を持つことになったのである。しかも世界の輸入需要はアメリカの景気後退にもかかわらず好調を続け,世界輸入は69年下期の対前年同期比13.4%増,70年上期14.4%増と高い伸びを記録した。こうした中でフランスはEEC向け,フラン圏向けを中心に輸出を好調に増大させたが,これを第14図の輸出量増加率の動きで見ても,69年9月以降,高い上昇を続けていることから明らかである。
第2に輸入面では,切下げが有効に作用して,フラン建て輸入価格を大幅に引き上げたことがあげられる。第16表に見るとおり,69年第4四半期以降,フラン建て輸入価格は17%を上回る高い上昇率を続けている。これはもとより一次産品市況の高騰をはじめとする世界的な貿易価格の上昇によるところが大きいと思われるものの,なおかなりの部分がフラン切下げによる影響と考えてよかろう。ちなみに計算上はフラン建て輸入価格は切下げにより,12.5%上昇するはずである。このような輸入価格の高騰の結果,第14図に見るように,輸入数量は69年11月以降横ばいないし減少を示しており,それ以前の高い伸び率と顕著な対象を見せている。そして,この11月以降,輸出入カバー率が均衡ラインヘ回復したことはすでに第13図で見た通りである。
第3に68年の5月危機以降における急激な貿易収支の悪化はむしろ一時的な要因によるものと見られていることである。すなわち,68年下期以降の貿易収支悪化の主因は輸入が国内の超過需要と平価切下げを予想した大規模な在庫増加により急増したことである。このため,平価切下げとその後の金融財政引締めの強化により消費ブームが抑制され,国際通貨不安が解消するにともなって貿易収支の改善がスムーズに進んだものとみられる。
最後に貿易外及び資本収支面では,68年5月のスト以降貿易外取引きや資本収支の悪化が顕著になったが,これに対し各種の厳しい為替取引の規制措置が導入され,平価切下げ時にはほとんど自由な為替取引きが禁じられたほどであったということがあげられる。さらには,69年秋以降,これまで国外に逃避していたフランの還流が見られたことも無視できない。
こうした諸要因によって,フランスの対外収支不均衡は急速に是正されたが,今後はヨーロッパの輸出環境が悪化を予想されることもあり,成り行きは楽観を許さないと思われる。特に問題は国内物価の騰勢が依然として衰えを見せないことであり,これが輸出価格にはね返れば価格競争力の優位性も徐々に薄れていくと思われ,世界的なインフレーション下にあってもトップ級にあるフランスの物価上昇率が今後どのような推移をたどるか注目されるところである。
西ドイツは長期にわたるためらいの後,1カ月ちかい変動相場制への移行を媒介として,69年10月26日,マルク平価の9.29%切上げを実施した。この平価変更は61年3月の5%切上げについで戦後第2回目のものである。
西ドイツの場合は平価の上方への調整でもあり,その2か月前にフランスが放置すれば69年末までに金・外貨準備が枯渇するという懸念からフラン切下げに追いこまれたのと比較するとかなり余裕を残していた。しかし,68年秋以降の相対的低金利維持による資本輸出の促進や国境税調整措置による輸出抑制,輸入促進政策の結果,基礎収支は69年1~10月間に約97.3億マルクヘと大幅な赤字となったものの(前年同期の赤字は約12.2億マルク)大規模な短資流入が続いたことから金・外貨準備は約22億ドル増加して121.8億ドル(69年9月末)に達した。
一方,国内景気は69年初来すでに過熱傾向を示しており,超完全雇用の下でインフレ圧力が強まっていたが,69年9月以降の爆発的な賃上げが加わって物価上昇は急激に大幅化した。国内需要の抑制のために,69年3月以降,金融引締め措置が強化されたが,海外からの大規模な流動性の流入が続いたこともあってあまり効果をあげることができなかった。
69年のマルク切上げはこのような内外情勢の下で均衡回復の最後の手段として導入されたものである。これまでのところ,平価切上げは経常収支黒字幅の大幅減少を中心に国際収支面では一応の成功を見せているものの,もう一つの重要な目的であるインフレ抑制についてはほとんど効果があがっていない。
まず対外面について見ると,第17表のように経常収支黒字幅は69年上期の29.7億マルクから70年上期の6.4億マルクへと大幅に縮小している。この黒字幅縮小の主因は貿易外及び移転収支の赤字が69年上期の37.2億マルクから,70年上期の56.4億マルクへと急増したことである。これは切上げによるマルクの対外購買力の増加に刺激されたと思われる観光支出の増大や,外国人労働者の国外送金の著増によるものである。
これに対し,貿易収支黒字は69年上期の66.9億マルクから70年上期の62.9億マルクへと僅か4億マルクしか減少を見せていない。
この貿易収支について,まず輸出価格を見ると,今回の切上げによってドル建て輸出価格は計算上9.29%上昇することになるが,実際は平価切上げ前のマルク相場は長期にわたってすでにかなり高くなっており,この先取分を考慮すると実質的切上げ幅は7.5~8.0%(前者は経済諮問委員会,後者はブンデスバンクの推定)-であったと思われるが,さらに,68年11月に変更された国境税調整幅(標準税率は11%から7%へ)が平価切上げと同時に旧に復したため,その分だけ切上げは減殺されると考えられるので,実効切上げ幅は3.5~4.0%にすぎなかったと思われる。これを実際のドル建て輸出価格の動きで見ると,69年第4四半期には前期比7.8%の上昇が見られるが,これは上述の切上げ効果の他に,国内物価の強い騰勢を反映したものと思われる。
他方,輸入価格は切下げによりマルク建てで8.5%低下する計算となるが,マルク相場高による切上げの先取り分や国境税調整の廃止を考慮すると2~3%の低下に止まったと見られている。実際のマルク建て輸入価格の動きは,69年第4四半期に前期比2.7%低下しており,実効切上げ幅を反映している。
このように,輸出入価格とも平価切上げ幅を大きく下回る変化にとどまったが,これに対し輸出入数量の伸び率は,第15図に見るように,輸出が切上げ直後の11月,12月に著しい伸び率低下を示し,その後もやや伸び率の鈍化を見せているのに対し,輸入は切上げ以前とほぼ同一水準で推移し,大きな変化は認められない。これは先に見たように輸入価格がわずかの低下しか示さなかったことの反映と思われるが,さらには,価格弾力性の小さい食料品,原燃料が総輸入の3分の1以上を占めるという西ドイツの輸入構造にも帰因していよう。輸出についても,やや鈍化傾向がうかがえるとはいえ,なお所期の成果を見せていないが,これは輸出受注の大幅な増加が続いていた為に切上げ時に高水準の受注残をかかえていたことによるものと見られる。輸出受注の動きで見ると,切上げの行われた69年11月以降急激な鈍化ないし減少傾向に転じていることは,平価変更の効果を端的に映し出しているものと思われ,先行き輸出のかなりの鈍化を予想させるものがある( 第16図 )。
次に資本収支の動きをみると,切上げの行なわれた69年第4四半期に一挙にその影響が現われている。すなわち長期資本収支の赤字はそれ以前の2~3倍に拡大し,また短期資本収支は前期97億マルクの黒字から,108億マルクの赤字に転落した。しかし,国内景気の過熱,高金利等の影響から,さらにはアメリカの金融緩和などによるドル流出から,70年第1四半期には47億ドル,第2四半期には58億ドルと短資の流入が続き,資本収支は切上げ以前の水準に戻ってしまっている。
以上の点について前回のマルク切上げの場合をみると,平価変更1年後の62年第1四半期には,輸出は前年同期比4.8%増と鈍化を見せたのに対し,輸入は同21.3%と増勢を強め,この結果貿易収支黒字幅は62年上期に15.5億マルクと前年同期の36.3億マルクの半分以下にとどまった。同時に,貿易外取引きが61年下期以降赤字に転じ,移転収支の赤字幅も拡大した為に経常収支黒字幅は急激に縮小(61年下期2.5億マルク),62年上期以降は赤字化した。
このように前回の平価切上げが対外収支の黒字是正に速効のあった背景には,今回とは対照的に世界の物価動向が安定していて,切上げの価格効果が敏感に現われたこと,さらに,当時はアメリカの不況による世界貿易の鈍化局面にあたっていたことなどがあげられよう。
物価抑制については,前回の平価切上げも速効的な効果を発揮せず,消費者物価が安定化したのは62年第2四半期以降であった。しかし,当時の物価上昇率が年率4%程度であったのに比較して,最近のそれは5~6%にも達しており,その上昇要因も賃上げによるコスト・プツシュの性格を強めているなどいっそう抑制は困難となっている。
とくに今回の平価切上げは,きわめて強い景気過熱局面において実施されたためにインフレーションの収束にはより長い時間がかかりそうである。平価切上げが断行された時点の景気局面を比較してみると,いずれも景気上昇期が10期ないし11期と西ドイツの平均からみても息の長い上昇局面において生じていることがわかる。しかし,生産上昇率,需給ギャツプ率(潜在成長率と実績の差を比率化したもの),操業度,受注/出荷比率,失業率などの主要指標を比較しても,いずれも今回のほうが需給のひっ迫度が高いことを示している(第18表)。また,平価切上げ後の輸出受注の減少もむしろ前回より小幅であるなど,景気過熱の鎮静化はきわめて緩慢な足どりを示している。加えて,今回の平価切上げは世界的なインフレーションを背景としているために,輸入価格が予想したほどには低下せず,輸入価格インフレを食い止める作用が小さかったこと,また,期待された農産物価格の下落がほとんどみられなかったことなども物価抑制効果を減殺したものとみられる。
60年代末の国際通貨不安の中で,主要国の国際収支の不均衡は拡大傾向を示したが,69年下期以降は不均衡の縮小がみられるようになった。すなわち,国際収支(非金融部門)の慢性的赤字国とみられていた基軸通貨国では,アメリカの赤字幅が69年上期をピークに急激な減少を示し,イギリスもポンド平価切下げの効果が69年に入ってようやくあらわれた下期には大幅な黒字を計上したことから,全体として赤字幅を減少させている(第19表)。
また67年末から赤字国に転じたフランスも,68,69年中は赤字幅の急激な拡大を示したが,70年上期には均衡ないし黒字化したとみられる。
一方,黒字国の代表である西ドイツにおいても,69年上期までの大規模な黒字の累積から一転して69年下期には大幅な赤字を計上した。しかし,70年に入って経常収支の黒字幅には減少傾向がみられるものの,再び短資の流入が大規模化したために,70年上期の総合収支は大幅黒字を計上した。また68年上期以降,日本の総合収支は黒字基調を続けている。イタリアは69年に資本収支の赤字幅が急速に拡大したために大幅な赤字を計上したが,70年に入って各種の資本流出規制がとられたことから急速に改善に向ったものとみられる。
こうした国際収支の変化は,国内面での経済政策の効果があったことはもちろんであるが,平価調整を契機とする主要国間の貿易収支および貿易外収支の変化に加えて,資本の流れに変化がみられたことが大きな要因であった。まず,主要国の経常収支は第20表のように,基軸通貨国で68年,69年上期に赤字化した後,下期以降は黒字に転じているのに対して,その他主要国のうち西ドイツ,イタリアなどでは黒字幅が69年以後縮小傾向を示しており,フランスでは平価切下げ後は赤字幅の縮小ないし均衡化がみられる。
資本取引きについても,マルク平価切上げの前後では資本の流れが大きく変化している。西ドイツでは,69年春から秋にかけて短資流入が相いついだが平価切上げ後それを上まわる短資の還流がみられたために,69年の資本収支は,45.2億ドルの赤字を計上した(第21表)。しかし,70年に入ってこの資本純流出が止んだばかりでなく,再び純流入がみられるようになった。これに対して,アメリカでは,68年初来の大規模な資本流入が70年に入って逆転し,70年第1四半期には約34億ドルの純流出となった。
イギリス,フランスの資本収支は,マルク平価切上げ後は西ドイツからの資本流出によって,さらに,70年に入ってからはアメリカからの資本流出によって急速に改善されている。
こうした国際収支,とくに資本収支の動きを反映して,主要国の金・外貨準備の変化も平価切上げ前後では異なったパターンを示している。基軸通貨国では,68年以降にみられた増加が,70年第1四半期まで続いたが,その後は国内の金融緩和によって資本が流出に転じたため,70年第2四半期以降は,再び減少している(第22表)。西ドイツの金・外貨準備は平価切下げ直後に急減した後,70年に入って再び急増傾向を示し,1~9月間に41.7億ドル増となっている。フランスでは,68,69年に31.6億ドルの金・外貨準備の減少をみたが,70年初来増加に転じ,1~9月間に9.1億ドル増となった。また,イタリアでは,68年以降,金・外貨準備はかなり大幅な減少となっている。
このほか,カナダ,日本はほぼ増勢を維持してきたが,70年下期に入って小幅化ないし赤字化傾向がみられ,スエーデン,スイスなどでは減少傾向を示している。