昭和44年

年次世界経済報告

国際交流の高度化と1970年代の課題

昭和44年12月2日

経済企画庁


[前節] [次節] [目次] [年次リスト]

第2部 世界経済の発展と国際交流の増大

第4章 企業活動の世界化と産業政策の変化

2 企業活動の世界化が及ぼす諸影響

以上のような企業の世界化の進展はどのような影響を企業活動や国民経済に及ぼしただろうか。これを企業の活動パターンに及ぼした影響と国民経済に及ぼした影響に分けてみてみよう。

(1)多国籍企業の新しい活動パターン

企業の海外生産活動の進展は多国籍企業の活動パターンに影響を及ぼし,それをかなり変化させていることはいうまでもない。

1)地域本部の設立

企業活動の世界化が進展してくると,多国籍企業の海外事業を担当している部署が本社機構から分離し,その全額出資の子会社として,海外に現地法人としてその多国籍企業の活動について大幅な権限を委譲された地域本部が設立される例が非常に多い。この地域本部はその地城の子会社の生産販売,研究,財務などの諸活動を現地において調整,統合するために設置され,特定の重要事項を除いては大幅な経営上の意志決定権をまかされている場合が多い。例えばフォード・ヨーロッパ本社は,フォード社のヨーロッパにおける地域本部としてイギリスに1967年に設立されたが,同社はフォード社のヨーロッパの子会社である英国フォード社および西独フォード社に関する経営政策および実行について最終決定権を有し,親会社に対しては年次報告を行なう義務しか負っていないといわれている。

フォード・ヨーロッパ本社の役員構成はアメリカ人8人現地人4人となっている。本社の職員はアメリカ人130人,現地人270人,計400人で,ほとんどフォード本社と同じ機能を果すだけの能力を有しているといわれている。また,ITT社は世界全体を3つに分け,地域本部としてヨーロッパ本社(プラッセル),ラテン・アメリカ本社(ブエノスアイレス),極東パシフィック本社(香港)を設けている。さらに,ヨーロッパに進出しているアメリカの化学会社も,このような地域本部を設立している。(第76表参照)

2)資金調達の世界化

最近の多国籍企業は,必要な資金調達について,本国に対する依存度を減少させる傾向がみられる。アメリカ企業の海外子会社の資金調達の依存度をみると,第77表のようにアメリカ,本国に対する割合が,61年には22%であったが,64年には16%に低下し,国外調達が25%から34%へと上昇している。こうした傾向は60年代後半においても進展し,本国依存比率は69年にはさらに9%に低下することが予想されている。これはアメリカの国際収支対策も大きな要因となっているが,ユーロ市場を中心とするヨーロッパ金融市場の発展のほか,第78表にみるようにアメリカの銀行の海外進出による海外支店網の拡大および充実がこの傾向を促進した大きな要因となっている。

3)経営戦略の柔軟性の増大

企業活動が,世界各国に拡がってくるにしたがい,その経営戦略は,その国の実情に合わせて,とみに柔軟性を増大させてきているものが多いようにみうけられる。

たとえば,60年代初めまでは進出企業は現地人の幹部の登用や現地の経営システムの採用などをしぶる傾向が強かったが,多国籍企業としての活動の範囲が広くなり進出先の事情に精通するようになるにしたがい,また,多国籍企業の活動の拡大に伴い現地の人材の活用が必要になるにしたがい,現地人の幹部を登用するようになってきた。

さらに,現地の経営の方法や労働慣習を尊重するようになってきでいる。

その他,多国籍企業の製品が数多くの部品を必要とする場合には部品をそれぞれ異なる国の工場で生産するとか,財政面において,最近の通貨不安を反映して,多国籍企業の資金為替リスク対策などの金融操作を世界的に行なうなど,経営戦略もいろいろと変化をみせてきている。

(2)企業合併の進展

1)ヨーロッパを中心とする合併の進展

企業の世界化の進展により国境をこえて世界の巨大企業同志が直接に競争するようになり,これらの企業の間の競争もそれだけ世界的なものとなり,激化してきた。従来は,国籍を異にする企業間の競争は,企業間の製品輸出のレベルでの間接的なものであったが,企業の生産活動の世界化が進展するにしたがって,世界市場での生産活動を中心とする企業活動全般での直接的な競争となってきている。

このような企業の総合力という点になると,経営管理,技術開発,資金調達などの面においてアメリカの企業とヨーロッパの企業の間の大きな経営及び技術上の格差が露呈してくることになる。こうしたことから,ヨーロッパでは企業相互間の合併が促進されることとなった。

たとえば,西ドイツの場合は1960年代を通して企業の合併件数は増加傾向をつづけ,68年の合併件数は59年に比べて4倍以上,この5年間に2倍近くの増加を示している。また,イギリスの場合もこの5年間に約2倍に増加しているし,フランスやイタリアの合併件数も増加している。(第79表参照)

ことに,第50図にみるようにアメリカ企業の進出のはげしかった機械(電機を含む)および化学の他,アメリカ企業の進出をあまり受けなかった金属といった分野にまで合併が拡がっている。また,当然のことながら,その合併の形態も水平合併が圧倒的に多く,しかも,各国のトップ企業間の合併のケースが多かった。そして主要産業の分野におけるトップ企業間の合併を通して,ヨーロッパ諸国の主要産業は,次第に数社に集約されてゆく傾向にある。こうして,企業合併を進めることで,ヨーロッパの企業は国際的な競争力を強化しようとしたわけである。

2)各産業部門における企業合併

以下,各産業部門毎の具体例を簡単にまとめてみよう。(第80表および第51図)

(a)自動車部門

アメリカのビツ・グスリーの進出に刺激されて,1968年にイギリス最大のBMC社は,イギリス第5位のレイランド・モーター社と合併した。これにより,ヨーロッパの自動車工業は,アメリカのビッグ3とイタリアのフィアット社,西ドイツのフォルクスワーゲン社,フランスのルノー社,イギリスのBMLH社のヨーロッパ系メーカーによって編成されるようになった。さらに最近イタリアのフィアット社とフランスのシトロエン社の提携にみられるように,ヨーロッパの異国間でも提携を強め,アメリカ系メーカーに対抗しようとする動きがでてきている。

(b)化学部門

企業規模が大きいことが研究開発費などの面より決定的に重要な化学工業の分野では企業合併が著しく進展している。

1966年,イタリアのモンテカチニー社とエヂソン社が合併し,ヨーロッパ第2位の化学会社モンテカチニー・エジソン社が成立した。また,最近の例としてはヨーロッパ第8位のオランダの化学会社AKU社と同国の有力化学会社KZO社との合併が決定され,新会社はその売上規模においてヨーロッパ第5位の化学会社となった。

さらに,フランスでもヨーロッパ第9位の化学会社であるサンゴバン社とポンタムツソン社との合併が発表されている。

(c)電算機部門

電算機産業部門におけるIBM社の地位は圧倒的である。IBM社は世界の電算機の3分2のを生産しており,ヨーロッパにおいてもその支配の程度は圧倒的である。

こうしたことからヨーロッパでも,イギリスとフランスで合併による企業規模の拡大の努力が行なわれている。フランスでは国産メーカーのCAF社とSEA社が合併してCII社が設立され,他方,SNERI社とCC社が合併してSPER社が設立されて,国産電算機メーカーはこの2グループに集約された。また,イギリスにおいては,1968年3月イギリス最大の電算機メーカーであるICT社,EE社,プレッシー社の3社が合併して電算機メーカーとしては世界第4位の規模のICL社を設立した。

(d)鉄鋼部門

ヨーロッパの鉄鋼業は,工業立地が不利であったなどのほか,特に企業規模が小さかったことがアメリカや日本の企業に比べで国際競争力の点で大きな弱点になっていた。このような弱点を克服するために,ヨーロッパ各国の鉄鋼業における企業合併は第51図のように著しく進展した。たとえばイギリスにおいては1967年大手14社が国有化され,英国鉄鋼公社が結成された。この会社はアメリカのU.S.スチールに次いで世界第2位の規模になった。こうした合併は図のように,西ドイツ,フランス,ベルギーなどでもそれぞれ進展している。

3)企業合併の問題点

こうした企業合併の進展により,ヨーロッパ企業の規模は著しい拡大をみせたが,反面いくつかの問題点があることを見逃すことはできない。

第1の問題点は,現在ヨーロッパで進行している企業集中は,主として各国の最大規模の企業を中心としたものであろこと,また,形態的にみても水平合併が多いことなどを考えると,ヨーロッパのいくつかの産業分野において,かなり寡占的な産業構造が形成される可能性をもっていることである。

第2の問題点は,ヨーロッパにおける企業間の合併がEECの発展にも拘らず,現在のところ各国ベースの企業間の合併に止っており,EEC内の国境を越えた合併の例が少ないという点である。ヨーロッパ諸国の企業の合併は主として同一国内の企業相互間の合併に限られており,ヨーロッパの企業がアメリカの企業に対し規模の面で充分に対抗する競争力をつけるためにはヨーロッパの国境を越えた企業相互間の合併が必要であるにもかかわらず,ヨーロッパの国境を越えた国籍を異にする企業相互間の合併の例は,きわめて少ない。

わずかに国境を越えた合併の例としては,1964年の西ドイツのアグファ社とベルギーのゲバルト社の合併,西ドイツの2大航空機メーカーの1つで,あるVFW社とオランダの航空機メーカーのフッカー社の合併があるにすぎない。

第3の問題点は,ヨーロッパの合併がもっぱら水平合併中心で,アメリカで進行中の複合的合併を中心とする経営の多角化がおくれていることである。1960年代にはアメリカでも史上3番目の合併隆盛期を迎えているが,その合併の形態は第52図に示したように,ヨーロッパの水平合併と異なり業種の異なる企業間での複合的合併が主流を占めている。

これはアメリカのように寡占化が進展し,技術革新と企業のシステム化が急速に進展している経済においては,従来のような単一製品の開発や販売にとらわれず綜合的な技術体係の開発と製品の多角化による企業経営の複合化ないしはシステム化が必要なためである。

ヨーロッパにおいても,システム化を中心として産業構造が高度化し,企業集中による寡占化が進展すれば,ヨーロッパの企業としても水平的合併による企業規模の拡大のみではなく,複合的合併による企業活動の複合化を促進させることが必要となってくるのではないだろうか。

最近ヨーロッパでもユニレバー社とアライド・ブリワリーズ社合併計画やランク社とデ・ラ・リュー社の合併計画など,複合的合併の例が実際にでてきているがまだその数は極めて少いようである。

(3)国民経済に対する影響

企業活動の世界化は,当然企業の本国やその受入国の双方の国民経済に種々の影響を及ぼすが,この中で最も重要な問題は,第1に多国籍企業の進出がその受入国の国益をどの程度制約するかということ,第2に多国籍企業の進出がその受入国の経済発展にどのような影響を与えるかということである。

このような影響を一般的に分析することはむずかしい。それは第1に多国籍企業の進出国における行動,第2に受入国の経済発展段階や経済構造,第3に多国籍企業の本国および受入国の政府の政策や規制などによって著しい差がでてくるためである。ここでは,西ヨーロッパの場合について,その影響を検討してみることにしたい。

1)国益との関係

多国籍企業はその企業の利益を重視するあまり,その行動が受入国の経済政策や経済計画のわくからはみ出してしまい,その国の自主性を損う場合が往々にしてある。また,受入国においては,個々の産業分野が外国企業の支配下に移ってしまい,経済の重要な部分が国外からの指令により動くようになるのではないかという懸念も大きい。この傾向は,多国籍企業の進出が基幹産業の分野や電算機のような全般的な技術進歩にかかわる分野に関連があればあるほど大きいといえよう。また,労使関係についても各国が独自の慣行を持っているが,多国籍企業は過去において,現地の政府と事前に充分な協議を行なうこともなしに工場を閉鎖したり大量の解雇を行った事例がいくつかあった。

このような多国籍企業の進出によって受入国の自主性が損われる程度を何で判断するかは難かしい問題であるが,その国の経済全体あるいは技術先端産業,国防産業,関連産業分野の広い重要産業など一定の産業分野に占める多国籍企業の比重で判断することも考えられる。

西ヨーロッパの諸国の経済全体に占める外資企業の比重を,国内企業投資全体に占める外資企業の投資の比率(1963年-97年の平均)でみると,イギリスが最も高く7.3%,次いでイタリーが4.7%,オランダ3.6%,西ドイツ2.8%,フランス2%となっている。(第53図参照)

また,西ヨーロッパに進出したアメリカの外資系企業(製造業)の各国の売上全体に占める比率も第54図のように,イギリスで8%,西ドイツ5%,フランス4%となっていて,全体としてはそう大きなものではない。しかし,業種別にみると電算機,自動車,石油などについてヨーロッパ諸国に占めるアメリカ系企業のウエイトは大きい。また,その所有形態も完全子会社の比重が大きくなっている。(第55図参照)

このように業種によっては多国籍企業のウエイトが大きく,また,完全所有子会社が多いという事実は,同じ企業進出といっても,企業や産業界の自主性をかなり侵すことになるといえよう。

第54図 アメリカ企業の進出度

2)経済発展との関係

企業活動の世界化は資本だけでなく,新しい技術,経営管理上の知識,資金調達力,研究開発力といった「経営資源」を移動させることでもある。したがって,これらの「経営資源」の移動は,その受入国の生産性の水準を高め,経済成長を促進すると一般的に考えられる。西ドイツの場合についてみると,第81表に示したように,アメリカ系企業は,一人当り売上高の水準も高いうえに,輸入比率も高く,研究開発力も強いなど,経営力が強い。

たとえば,1966年における西ドイツのアメリカ系企業と西ドイツ企業全体の付加価値生産性を比較すると,前者が45,000ドイツ・マルクであったのに対し,後者が18,860ドイツマルクと前者が後者の2.4倍となっている。他方,1966年の西ドイツの製造業における全従業員数は7,949千人であったが,その内訳をみると現地企業の従業員が7,766千人であり,アメリカ系企業の従業員数が183千人であった。従って,簡単な算術で大ざっぱな影響を計算すると,アメリカ系企業の進出は1966年の西ドイツの国民生産を,アメリカ系企業の進出がなかった場合に比べ,4,784百万ドイツ・マルレク(183千人×(45,000-18,860)DM)だけ高めたことになる。この金額は1966年の西ドイツの国民総生産(4,807億ドイツ・マルク)の1%に相当している。この約48億ドイツ・マルクに相当する国民生産の増加額はアメリカ系企業の進出によって,第1に西ドイツの低生産部門から高生産部門に資源が移動したこと(構造的要因),第2にアメリカ,系企業が進出した分野においてアメリカ系企業が資源をこの部門の現地企業に比べ,効率的に利用したこと(効率的要因)の結果であったといえよう。

このほか現実には,アメリカ系企業の技術や経営管理法の国内企業への拡散などを考慮するとこの国民生産の増加額はさらに大きなものとなるであろう。

つぎに,これら多国籍企業の進出による受入国の国際収支に対する影響を第82・83表にもとずいて,簡単な試算を行ってみると,多くの国ではプラス要因として動いたことが想像できる。といっても,現実には,多国籍企業の子会社の輸出ないし輸出政策はその企業全体の経営政策および本国の政府の指示によって歪められる可能性も大きく,また全体的利益という観点から子会社の輸出に地域的制限を加えたりする例も多い。さらに,政治的な本国政府の指令が多国籍企業の子会社の輸出に大きな制約を加えることもあるので,一概に受入国の国際収支に好影響がでるとはいい切れないことはいうまでもない。

以上のように一般的には企業の世界化の進展は世界全体の資源配分を改善し利益を生み出すといえるが,その利益が受入国の国民経済の利益として実現されるかどうかは多国籍企業がその受入国において「善良な企業市民」として行動するかしないかにかかっているといって過言ではなかろう。