昭和43年
年次世界経済報告
再編成に直面する世界経済
昭和43年12月20日
経済企画庁
第3章 世界貿易構造の変化
以上のような,自由主義諸国における貿易構造の多様化現象は,社会主義諸国においても同様の形で進んでいいる。
社会主義国における輸入の推移をみると,1950年代後半以来,圏内貿易の比率の低下,東西貿易の比率の上昇といった傾向がみられる( 第27図 )。
東欧諸国及び中国の輸入総額の伸びは,50年代後半の年率10.7%から60年代前半には年率6.7%とかなり鈍化した。鈍化の幅は対ソ輸入の場合とくに著しく,西側先進国からの輸入が50年代後半から60年代前半にかけて年率16.9%から11.5%に低下したのに対し,対ソ輸入は年率8.6%から4.3%に低下している。
60年頃から,圏内貿易の上でこうした伸び率の大きな低下がみられるのはソ連の輸出が他の社会主義国の輸入に占める割合が低下したことによるところが大きい。中国の場合,中ソの対立の激化によって60年央からソ連の経済技術援助供与が全面的に停止して中ソ間の貿易規模が縮小し,67年にはピーク時(59年)の20分の1にまで縮小した。他方,東欧諸国では,各国の産業構造の高度化によって対ソ依存が弱まり,他面でコメコン域内の国際分業が伸び悩んでいる。
1) 東欧圏
1960年以降東欧域内におけるソ連の相対的地位は低下し,これと対照的に東欧の輸入に占める社会主義圏外諸国,とくに先進国のシェアは大幅に拡大した。 第28図 によって東欧の輸入の地域別構成をみると,東欧域内とソ連のシエアは縮小したのに対して圏外先進国,なかでもEECのシエアが目立って拡大している。同じ先進国のなかでは,日本のシェアはまだ小さいとはいえ,その拡大が著しく,EFTAのそれは小幅にとどまった。
このような東欧の輸入の地域構成変化にみられるソ連の相対的地位の低下を各国別にみると,二つの類型に分けることができる。第1は対ソ輸入依存度はほとんど変らなかったが,西側の輸入のシェアが拡大した諸国であり,第2は対ソ輸入依存度そのものが低下した諸国である。 第69表 にみるように大別して前者に属するのは先進国のチェコ,東ドイツと中進国のハンガリーポーランドであり,後者に属するのは後発国のルーマニア,ブルガリアである。
このように,東欧域内におけるソ連の地位が相対的に低下したのは,東欧各国の産業構造,ひいては貿易構造が高度化したため,一方の原料および後発国向けの資本財の主要供給国であるソ連と他方の資本財の供給国たる域内先進国,それに近づきつつある中進国,工業化を進めた後進国との関係が変化し,東欧諸国の輸入需要に対するソ連の輸出の適応能力が低下したことによるところが大きい。
すなわち,東欧諸国の産業構造は50年代の工業化を通じて著しい変貌を遂げた。 第29図 にあげた典型的な3国の事例が示すように50年代と60年代における構造変化には著しい特徴を看取することができる。すなわち,50年代には多くの国で鉄鋼,建設材料など「基礎工業」の比重が増大したが,60年代にはこれらの工業の比重は若干低下した。他方,機械,化学など,「高度工業」の比重は一貫して増大している。
これを国別にみると,鉄鋼業が上述のような変化を示したのは,チェコ,東ドイツ,ハンガリー,ルーマニアであり,建設材料工業の同様な変化はチェコ,ハンガリー,ポーランドの諸国にみられる。
このような変化は,50年代の重工業中心の工業化によって基礎工業の拡充が行なわれた段階を経て,60年以後産業構造が一段と高度化し,機械および化学工業が主導的地位を占めつつあることを示すものである。また,産業構造と需要構造が高度化するにともなって,消費財工業は,比重こそ低下したが,品質の向上と品種の多様化が要請されてきており,消費財工業自体が内容的には高度化への途をたどっている。
このような産業構造の変化に対応して,貿易構造も当然変化をみせている輸出の品目構成において機械,化学品など高度工業品の比重が増大していることはいうまでもないが,輸入の品目構成にもまた注目すべき変化がみられる。東欧諸国のうち,前述したところと同様典型的な3ヵ国をとると, 第30図 に示すように,先進国チェコでは機械輸入の比重が一貫して著しく増大しているのに対して,後発国ブルガリアでは50年代に極めて大きかった機械輸入の比重が60年頃までかなり縮小し,その後再び増大の兆候をみせている。その他の東欧諸国では,東ドイツが先進国型の構造変化をとげ,ハンガリーもややそれに近い動きを示している。一方,ポーランドとルーマニアは後発国型あるいはそれに近い変化をみせている。
このことは,先進国ないし比較的先進的な国は国内の産業構造が高度化するにともなって機械を中心とする工業国間国際分業への参加を漸次深め,これを通じて技術進歩を促進させるような機械設備をますます多くもとめていること,他方,比較的遅れた諸国は国内における機械生産の発展によって機械輸入の一部代替を達成した後,より高い工業化水準において工業国との国際分業関係に参入する方向をとりつつあることを意味するものであろう。こうした機械輸入の比重の変化のほかに,消費需要の多様化に対応して一部の国では消費用工業品の輸入の比重も増大している。
このような需要構造の変化に対応して,ソ連,東欧諸国間,すなわち,コメコン域内の取引も,西側先進国からの輸入もほぼ同様な動きを示したのであるが,そこには若干の相違もみられる。 第70表 に示すように,コメコン域内取引では「社会主義的国際分業の基本原則」(61年のコメコン第15回総会で採択,62年第16回総会および加盟国首脳会議で審議)の発表に現われているように,機械および化学工業を中心とする域内分業が60年以後強調されたことを反映して,とくに機械の比重が増大した。これに対して西側先進国からの輸入では,機械の比重は50年代後半にココムの緩和もあって急増した後60年以後はあまり増大をみなかったものの,化学品と合わせた比重はコメコン域内取引のそれを超えている。このことは,コメコン域内分業が一応の成果を収めつつある反面,コメコン域内取引と先進国からの輸入とが競合関係にあることを示すものであろう。
以上,述べた東欧諸国あるいはコメコン全体の産業構造,貿易構造の変化は,同地域内におけるソ連の地位にどのような影響を及ぼしているであろうか。
ソ連は元来原料輸出国であって,機械については,主として社会主義圏内の後発国と圏外の低開発国に輸出している反面,東欧域内および圏外の先進国からの輸入に大きく依存している。 第71表 にみるように,ソ連の東欧向け機械輸出は大幅に伸びたにもかかわらず,東欧からの輸入は,相手国が先進国たると後進国たるとを問わず,著増しており,ソ連の東欧からの機械輸入は依然として輸出の3倍に近く,ソ連の純輸入の程度はほとんど変っていない。
ところで,東欧諸国の産業貿易構造がソ連の地位に及ぼした影響は,つぎのような諸点に現われている。
第1は,各国の貿易構造において様械の比重が増したが,東欧諸国の輸入とソ連の輸出とではその比重の変化に乗離がみられることである。したがって, 第72表 のように,東欧諸国の機械輸入に対するソ連の機械輸出の適応度は低下しており,とくに東欧域内の先進国またはこれに近い国の場合にそれが著しい。
第2は,機械のなかでも東欧諸国,とくに東欧先進国の産業構造の高度化にともなって増大しつつある高度工業用機械,設備の需要に対して,ソ連の適応能力が限定されており,全体としてのソ連,東欧ブロックの機械輸入が西側先進国への依存をますます強めていることである。
第73表 に示すように,ソ連の機械輸出の主力は社会主義圏内外の後発国,低開発国向けの完成工場設備(プラント,機械輸出総額の約3分の1)航空機,自動車,鉱山機械,土木機械,農業機械などである。そのほかの機械類は,工作機械,動力設備,鉄道車輛,船舶など輸出額がかなり多い(3000万ルーブル以上)ものを含めて,多かれ少なかれその輸入が同種のものの輸出を上回っている。とくに化学工業,消費財工業用設備については,ソ連自身が東欧と西側の先進国からの輸入に大きく依存している状況である。また,東欧の先進工業国と同様,技術進歩を促進するため西側先進国から先端的機械,技術を輸入する必要に迫られていることも周知の事実である。
他方, 第74表 に示すように,これに対する西側先進国の適応度は高く,従来は低かった日本のそれも目立って上昇している。
以上みてきたように,東欧諸国が基礎工業の拡充を中心とする50年代の工業化の段階から60年代の産業構造の高度化の段階に入るにしたがって,東欧とくに先進国の変化しつつある需要構造に対するソ連の適応能力は低下し,あるいは低下する可能性をはらんである。そしてこのことが現在の東欧諸国の西側への傾斜を条件づけているのである。
2) 中 国
中国の対外貿易におけるソ連の地位の低下は,主に中ソ対立の激化によって,60年央から,ソ連の経済技術援助供与が全面的に停止されたためもたらされた。しかし,こうした政治的要因のほかに,50年代前半にソ連の社会主義工業化の経験を踏襲して,鉄鋼,石炭,建設資材など,いわゆる「基礎産業」の建設を中心としながら展開された経済開発のパターンが,60年以後農業の近代化と農業関連工業の育成を重視したパターンに変化し,この変化に対してソ連の輸出適応力が低下したことも影響している。
中国は53年に社会主義工業化の実現を目ざして第1次5ヵ年計画に着手したが,もっぱらソ連の「重工業優先,大規模企業重視」という古典理論に則した工業化方式が採用されて,いわゆる「基礎産業」の建設に重点をおいて経済開発が進められた。一方,ソ連の機械輸出の動向をみると,一般に高度精密機械の輸出が弱いとみられるなかで,鉱山設備,動力設備,熔鉱設備,道路建設設備,鉄道車輛,自動車などの輸出力は相対的に大きく「基礎産業」の確立を目ざす中国の工業化あるいは技術開発に対しては,ソ連の産業貿易構造はきわめて適応力が大きかったといえる。実際問題として,50年代前半の中国の経済開発はほとんどソ連の援助による技術指導,設備設計,設備供給によって技術開発の基盤がつくられ,企業建設が進められてきた。ソ連から供給された対外援助の規模は,総額14億600万新ルーブル(約15億6,200万ドル,支払利子をふくむ返済総額で,このうち,25%程度は軍事借款。しかし,ソ連側の発表では,援助総額は18億1600万新ルーブルとなっている)で,この経済援助によって, 第75表 にみられるように,重工業部門に重点をおいた企業建設に必要なプラントが導入され,技術的サービスが提供された。なお,ソ連が中国に対し,60年末までに建設援助を確約したプロゼクト数は291単位に達した。これはソ連が社会主義諸国に援助を約束したプロゼクト数668単位(1960年末現在)の44%を占める膨大なものであった。
こうしたソ連の経済技術援助に加えて,国内的にも農業の集団化によって貯蓄動員機構が整備され,貯蓄率が急速に高まって工業化が進んだ。しかし60年代前半に中国経済が当面したのは,農業生産の停滞と過剰人口圧力という二つの大きな問題である。 第76表 に示されるように,50年代における工業生産の急増に反して農業生産の伸びは人口増加率とあまり大差がない。このような農業生産の停滞は要するに,50年代前半における経済開発の重点が重工業生産に偏った結果,農業投資が比較的軽視されたためもたらされたものである。一方,過剰人口圧力については,大規模企業および近代セクターのみを重視する工業化の過程では,急増する労働力人口を完全に吸収し得ないという点が明らかになったことである。
こうした農業停滞と労働吸収の問題解決に迫られて,50年代後半から,60年代前半にかけ,経済開発のパターンは「工業と農業,大規模企業と小規模企業を同時並行的に重視する」という経済政策がとられるようになり,また近代的農法の導入と同時に徹底した労働集約農法が取り入れられるようになった。
このような経済政策の転換は産業構造の上でも大きな変化を伴なう。第1に工業生産の部門別構成でみると60年代前半には化学肥料,農業機械,合成化学設備など農業関連工業を中心とした化学工業および機械工業の比重が大幅に増大し,第2に,60年代に入って国防工業を軸とした設備機械工業が急速に発展したことである。
ところで, 第77表 にみられるような産業構造の変化に誘発された新しい輸入商品需要に対して,ソ連の輸出適応力はきわめて低かったことが指摘されている。たとえば,化学肥料,化学繊維,特殊鋼,肥料プラント,石油精製プラント,合成繊維プラント,酸素製鋼プラントなどの新規需要は,ソ連に輸出力が乏しく,すべて西側先進国の輸入に依存するようになった。また穀物不足に対処して,61年より開始された緊急食糧輸入についてもソ連も同じように食糧不足国であり,すべてカナダ,オーストラリアなど西側諸国からの輸入に依存せざるを得なかった。
第31図 にみられるような食糧,化学品,機械,その他工業品の市場別輸入構成の上で,60年代に入って圏内(とくにソ連)の比重低下がみられるのも以上のような産業構造の変化に伴なう新しい輸入商品需要に対して,ソ連の輸出適応力が低下したことを示すものに他ならない。
以上のようなことから,ソ連,東欧の地域的統合体たるコメコンは,この地域の産業構造,貿易構造の変化に対応して,いまや再編成を迫られているといえよう。とくに東欧先進国の西側へ傾斜する傾向が生じているだけに,主導国ソ連にとって「コメコン体制の強化」の必要は大きい。
1949年に創設されたコメコンは,西側のOEECに対抗する東側の経済協力機構であったが,50年代前半には東欧各国は基礎工業中心の全面的工業化を進めていたので,各国はコメコンを通じての経済協力よりも,それぞれの国の経済自給化に傾きがちであった。
この時期には,西側も東側に対する輸出に厳重な統制を加えており,東側はコメコンの枠内でソ連中心の結束が保たれた。そして東欧各国の工業化はソ連の原料および設備の供給により促進された。この場合ソ連は,原料についてはもちろん,設備についても,さきにみたように鉱山,土木機械などの供給力が比較的強いことからも,東欧の需要に適応する能力をかなりもっていたといえる。
ところが各国が平行して全面的国有化を進めたことは,国内経済に隘路と不均衡を発生させ,東欧諸国を深刻な経済困難に陥しいれた。とくに,高度工業たる機械工業が成長するにつれて各国平行の,どちらかといえば自給化傾向の強い工業化政策が不合理なことは,ますます明かになった。
このようにして,コメコンは域内の国際分業と規模の経済を重視するようになったのである。すなわち,産業構造の高度化に対応して,機械,化学工業を中心に各国の生産計画,ひいては国民経済計画の調整を通じて,いわゆる「生産の専門化と協業化」を図るという構想が生れたのである。しかるに後に述べるようにコメコン加盟各国の国内価格体系は貿易価格と全く切り離され,各国通貨の換算レートは恣意的であるため,比較優位による国際分業は成立しがたいので,「生産の専門化と協業化」は,各国の歴史的,自然的条件を考慮してコメコンの機関が協議,勧告する生産の割当によるほかなかった。このような,いわば各国内の中央集権的計画体制を国際化した方式は必然的に超国家的な計画機関を創設するというソ連当局者の構想を生んだが,国家主権保持の立場からルーマニアがこれに反対したことは周知の事実である。現在でも,加盟国の工業化の水準には,著しい格差があってその分業体制の進展には制約があるし,圧倒的に経済力の大きいソ連の支配的地位はコメコン体制を決定づけている。
もちろん,その間コメコン域内の電力,石油の供給網の建設,鉄鋼共同体(インテルメタル)共同貨車プールなど見るべきものがあり,多数の二国間協力協定も締結された。また,前掲の第70表にみるようにコメコン域内貿易における機械と化学品の比重が増大し,国際分業の進展がみられた。しかしコメコンが国際分業構想を打出したころ,東西緊張の緩和,輸出統制の改廃が行なわれたため,コメコンの国際分業の進展と逆行して西側からの輸入の増加と,機械,化学品の比重の増大も著しかった。こうして域内国際分業と西側への傾斜が競合しながら進んできたのである。
いま,コメコンは,価格体系のひずみ,域内における双務協定貿易への偏向,交換性のない「振替ルーブル」による決済などの問題を抱えている。それは域内はもちろん域外との貿易を阻止することによって各国の経済成長率を抑え,技術進歩に立遅れをもたらしているのである。それらの問題とは,つぎの3点である。
1) コメコン域内の価格問題
コメコン域内の貿易価格は現在「1960-64年平均国際価格」を基準とすることになっているが,域内の実際の取引価格は域外の価格と水準を異にし,域内でも相手国により異なる双務的な契約で決められている。しかも,コメコン域内諸国の貿易企業損失は補助金で補填し,利益は国家予算に吸上げるという方法で,実勢が全く反映しないし,為替レート・(外貨換算レートと呼ぶ)が維持され,国内価格は国際価格と完全に切離されている。
このような種々の非合理性を除去しなければ,国際分業,貿易の利益の評価は困難である。
2) 経済関係の多角化
コメコンの域内国際分業の進展はいまだ十分ではなく,分業化の中心をなす機械についてもコメコンの勧告に基づいて特化された生産高は域内機械生産の6%,輸出額の14%程度であった。
また,コメコン銀行を通ずる「振替ルーブル」の多角決済による貿易の多角化も十分成果をあげていない。それは依然として,各国貿易が双務協定に基づいていることにより制約を受けているからである。
3) 「振替ルーブル」への交換性賦与
「振替ルーブル」はソ連国内ルーブルと等価とされ,コメコン銀行で貿易差額決済に用いるが,交換性がないため,この「振替ルーブル」の蓄積は事実上無利子の借款に等しい。これがコメコン域内貿易の拡大を阻止する傾向があるので,すでにポーランドなどから部分的交換性賦与(残高の一定部分に対する交換性)の提案が出されているが,いまだに解決されていない。
これらの諸問題を解決し「コメコンの強化」を図ることなしには,コメコン体制の動揺,東欧諸国の一層の西側傾斜は避けられない。いまソ連・東欧ブロックには,経済成長と技術進歩のため,各国の経済改革とならんでコメコン体制の再編成が必要となっているのである。