昭和42年 年次世界経済報告 世界景気安定への道 第1部 1966~67年の世界経済
昭和42年
年次世界経済報告
世界景気安定への道
昭和42年12月19日
経済企画庁
第1部 1966~67年の世界経済
第2章 海外諸国の経済動向
(1) 1966~67年の経済動向
西ドイツ経済は1966年央から67年にかけて戦後最初の本格的な景気後退へ突入したが,67年初め以降金融財政政策が引締めからリフレヘ転換したこともあって,67年央までに景気後退は底入れとなり,秋以降やや回復のきざしをみせ始めた。
1)戦後最初の本格的な景気後退
実質国民総生産は1965年に5.1%増,66年上期に3.2%増(前年同期比)のあと,下期には前年同期比1.7%増にとどまった。(季節調整済み数値では前期比減を示したのではないかと思われる。)さらに67年上期には前年同期比1.7%減となった。半年次データで実質国民総生産が前年同期比で減少を示したのは,戦後はじめてである。
景気後退の様相は鉱工業生産と雇用に最もよく現われている。季節調整済み鉱工業生産(建設を除く,OECD作成の指数)は66年第2四半期をピークとしてその後低下し始め,67年第2四半期までに5.9%低下した。月別にみると,ピークの66年6月から67年6月まで8%の低下であった。これまでも循環的な景気不振期に季節調整済み鉱工業生産(四半期データ)が前期比で低下したことは数回(51年第3四半期,58年第2四半期,61年第2四半期,63年第1四半期)あったが,低下期間も短く(わずか1四半期)低下幅もごくわずか(2%前後)であった。今回は低下期間が4四半期にわたっており,低下幅も約6%という大幅なものであった。
こうした鉱工業生産の低下が需要の減少によるものであったことは,製造業新規受注の動きからも明らかである。季節調整済み受注額は66年第1明半期から67年第1四半期までの間に9.6%低下した。とりわけ国内受注は同期間に14.2%も低下した。これまた戦後最大の低下である。(過去に国内受注の低下幅が最も大きかったのは,62年第2四半期から63年第1四半期までの5.3%減)
生産低下は操業率の大幅な低下をもたらし,製造業の操業率(IFO研究所調査は66年1月の85%から67年1月の77%へ低下したが,この77%という操業率はおそらく戦争直後の時期を別にすれば戦後最低であろう(従来の最低は59年1月の81%)。
生産の低下は当然ながら雇用数にも影響を与え,工業雇用者数は66%年6月~67年6月間に約8%減少した。失業者数も66年5月から前年同月の水準を上回りはじめ,とくに年末頃から急増し,67年2月には67.4万人に達した。失業率も66年2月の1.O%から67年2月の3.1%へ大幅に上昇した。その後は失業者数は除々に減少したが,これは季節的なもので,季節調整済み数値で増加傾向がとまったのはようやく年央以降であった。他方,従来失業者数を大幅に上回っていた未充足求人数も次第に減少しはじめ,12月には60年以来はじめて求人数が失業者数を下回るにいたった。季節調整済み数値でみると,求人数はその後67年2月まで減少したあと,ほぼ横ばいとなった。
2)投資の減少が主因
需要面からみた景気後退の主因が在庫投資と固定投資の大幅な減少にあったことは,第18表からも明らかである。すでに1966年下期に国内需要(54(年価格)は前年同期比1.5%減少したが,これは主として固定投資の減少前年同期比3.1%減)と在庫べらしによるものであり,このほか政府消費の若干の減少,個人消費の伸びの鈍化も,後退の一因となった。
67年上期になると,固定投資の減少幅がさらに大きくなり,前年同期比で12%も減少し,在庫水準も減少を続けた。さらに,個人消費がほとんど横ばいとなり,その結果,国内需要は前年同期比5.5%の減少となった。それにもかかわらず,総需要の減少幅が,1.9%にとどまったのは,輸出が依然大幅な増加(11.5%)を続けたからである。
固定投資の内容を発注ベースでみると,資本財工業の新規国内受注(企業の設備投資の先行指標)はすでに66年第1四半期から前年同期を下回り始め,第4四半期には16%減,67年第1四半期には20%減となった。また,産業用建設許可額も66年第4四半期から前年同期を下回り始め,67年第2四半期には15.7%減となった。このほか公共建設や住宅建設の許可額も66年下期以降大幅な減少を記録した。
3)後退をまねいた金融,財政政策
景気後退の主因となった設備投資の大幅な減少がどうして生じたかといえば,コスト増による利潤減少や金融引締めによる資金調達難に加えて,経済拡大率の鈍化,操業度低下傾向などから企業の投資意欲が1966年春頃にはすでに循環的な衰えをみせていたところへ,金融引締めが強化されたことと,その後におけるリフレ政策への転換の時期が遅れたことにある。66年3月に発表されたIFO研究所の調査によると,工業投資は65年の16%増のあと66年はわずか3%増にすぎないとされていたし,先行指標である資本財の国内受注も66年第1四半期にはすでに前年同期を約1%下回っていた。4月に発表された民間経済研究所合同報告書も,投資意欲の減退から景気情勢が変化した点を指摘し,金融引締めの緩和を勧告していた。それにもかかわらず,ブンデスバンクは,物価と賃金の上昇傾向を抑えるために5月に公定歩合の引上げ(4%から5%へ),金融市場証券売却利率の引上げ,手形再割枠の削減など,金融引締め措置をさらに強化した。たしかに当時は消費者物価が前年同期比4.5%という「朝鮮動乱以来の」上昇率を示していたが,それはブンデスバンク自身が認めていたように,主として公共料金引上げや家賃統制の緩和による家賃の上昇,非鉄など原料品の国際価格上昇などを反映したものであって,この種の物価上昇を国内需要の抑制で阻止しようとすることが果して適切であったか否かは疑わしい。いずれにせよ,この金融引締めの強化により,それでなくてもひっ迫状態にあった金融・資本市場がさらに引締まり,未曾有の高金利時代を現出,起債額(純額)も66年の124.7億マルクから67年の55.2億マルクと激減した。こうした金融ひっ迫が企業の投資意欲をさらに低下させ,また住宅建築や地方政府の公共投資に大きな打撃を与えた。
こうして夏から秋にかけて景気停滞傾向がさらに顕著となり,他方物価は安定的となり,国際収支も大幅な黒字を示すようになったが,ブンデスバンクはインフレの再燃を恐れて政策の転換を躊躇し,11月はじめ発表の月報においても,「現在の経済情勢は金融政策の基本的な転換を許すほど安定していない」と判断していた。ブンデスバンクが金融緩和に踏み切ったのは,ようやく12月になってからであった。
財政政策も適正でなかった。ブーム期の65年に所得税減税と支出の大幅増加によって過熱景気をあおったため,このような財政運営に対する批判が高まったことから,66年の財政は緊縮財政となり,とくに公共投資は金融ひっ迫の影響もあって大幅に圧縮された。民間部門の浮揚力が弱くなりかけたちょうどその時に,財政がデフレ的に働いたのである。さらに景気後退の懸念が次第に強くなってきた66年末においても,67年度予算の編成にさいして予算均衡の見地から支出の削減と増税が提案されたほどであった。後述のように構造的な財政難から財政立直しの必要に迫られていたことはたしかであるが,財政の景気政策的運用という見地からみると問題の多いところであった。この67年度予算案の編成をめぐってエアハルト内閣が倒れ,12月1日キージンガー連立政権(キリスト教民主同盟と社会民主党の連立)が成立したが,この間約1ヵ月ほどの政治的危機が企業の投資意欲に対して追加的な悪影響を与えたとみられている。
なお,この67年度予算均衡化のために石油税の増税・自動車通勤者に対する租税優遇措置の削減などの増税措置がとられたが,これらの措置も景気不振による消費者の買控えからすでに減少傾向にあった自動車売上高をさらに減少させることで,景気後退を一層促進したとみられる。
なお,EEC内部の税制調和促進の一環として,西ドイツで68年1月から付加価値税を採用する(現行取引高税に代えて)ことが決定されたことも,67年における在庫べらしの追加的原因となった。政府原案では,旧在庫(68年1月1日に企業が所有する在庫)の税負担軽減率が比較的少なくて不利であったために,企業は税制上の考慮からも在庫圧縮につとめためである(この点はその後かなり改善された)。
4)景気の底入れ
後述のように,連邦政府と金融当局は1967年にはいってリフレ政策へ転換し,金融緩和と財政上の刺激措置をとった。それによって景気後退の進行を食いとめることができたし,部分的には回復の兆候もあるが,まだはっきりと自立的な景気回復のはじまりを確認しうる段階ではない。
第36図によればたしかに工業生産(季節調整済み)は67年初めから横ばいに転じ,7,8月にはやや上向きの兆候をみているし,工業受注も6月頃からやや回復している。しかし,これは第1次景気対策による政府発注増を反映したものとみられており,民間需要が上向いてきた兆候はあまりない。企業の設備投資は,ブンデスバンクの推定によると,67年第1四半期に前年同期比14%減だったあと,第2四半期には16%減となった。季節変動を除去しても,第2四半期には前期に引続き低下したという。企業の建設投資も,建設許可額からみるかぎり依然減少傾向にある。10月上旬に発表されたIFO所研究所の調査結果によると,68年の工業投資は前年比3~5%増とされ,企業の投資意欲が若干回復したことを示しているが,67年に関しては依然12%減となっており,この減少率は66年12月,67年6月の調査結果とまったく変っていない。在庫調整は一応終ったようであるが,さればといって在庫の再蓄積がはじまった兆候もまだないようである。
67年第1四半期までわずかながらも拡大要因であった個人消費は,ブンデスバンクの推定によると,第2四半期には季節調整済み数値で前期比2%減少したとされている。小売売上高(季節調整済み)をみても,8月まで一進一退ながら低水準から脱していない。
このような個人消費の停滞ないし減少傾向は,不況による雇用減,操短等から勤労所得が減少したことが主因である(第2四半期の勤労所得は前年同期比0.6%減)。それが消費者の買控えをよび,とくに延期可能な衣料や耐久消費財などの売行きが減少した。とりわけ乗用車の新規登録台数は,66年上期にはまだ前年同期比7.2%増だったのが,下期には9.7%減となり,さらに67年上期には16%減となった。ただし最近は減少幅が小さくなっている。
5)物価と賃金の安定化
66年春頃までかなり大幅な上昇をみせていた物価動向は,その後,景気情勢を反映してしだいに安定的となり,とくに工業品生産者価格は微落傾向をみせている。
工業品生産者価格は66年5月から横ばいとなり,秋頃から微落しはじめ,その傾向が67年5月まで続いた。6月から下落傾向がやんで横ばいとなったが,これは中東紛争による石油価格上昇のためであって,それを除くと微落傾向という基調に変りがなく,67年8月の水準は前年同月より1.0%低い(66年の平均上昇率は3.5%)。
消費者物価指数は依然緩漫な上昇傾向を続けているが,上昇幅は次第に鈍化しており,67年8月の水準は前年同月比14%高であった(66年の平均上昇率は3.5%)。
66年以降における消費者物価上昇の主因は,統制解除による家賃の大幅な上昇と諸サービス価格の上昇にあったが,本年にはいってからは諸サービス価格も工業製品価格と同じくほとんど横ばいとなった。
賃金の上昇率も66年央以降次第に小幅となってきた。失業増と操短の拡大という労働者に不利な景気情勢の下で労組側はむしろ防衛的立場に追いこまれており労働協約の更改による賃上げ幅も小幅となった。その結果,たとえば工業労働者の1人あたり賃金収入の伸び率も,66年の6.6%に対して67年第1四半期には5.4%(前年同期比)第2四半期には2.8%へと著しく鈍化している。
他方不況による人員整理や合理化措置の進行により労働者1人あたりの生産性は最近再びわずかながらも上昇傾向をみせており,賃金コスト面からの企業利潤に対する圧迫はかなり緩和されたといえる。
6)貿易と国際収支の黒字拡大
国内需要の不振とは対照的に,外需は依然大幅に増加しており,この輸出需要が景気を下支えする大きな役割を果してきたが,その伸び率は最近鈍化している。すなわち66年の輸出の伸びが12.6%であったのに対して,67年1~8月のそれは前年同期比9%増であった。季節調整済み数値でみると輸出の増勢鈍化は一層明らかであり,とくに7月以降はほとんど横ばいとなっている。
先行指標である製造業の輸出受注もほぼ同様の鈍化傾向を示していたが,6月から8月にかけて再び増勢の高まりがみられる点が注目されよう。
他方,輸入は国内不況を敏感に反映して減少をつづけてきた。66年上期の輸入はまだ66年同期を約8%上回っていたが,下期になると,前年同期比1.3%減となり,さらに67年1~8月には6.1%減となった。しかし,季節調整済み数値でみると,輸入の減少傾向は最近とまったようである。
このような輸出の著増と輸入の減少により,商品貿易の黒字幅は67年1~7月間に約100億マルクに達し(66年同期は31億マルク),その結果,経常収支尻も66年1~7月の赤字16億マルクに対して67年同期には60億マルクの黒字となった。
これから長期資本の赤字額を控除した基礎収支の黒字幅は42億マルク(66年同期は約13億マルクの赤字)となった。このように基礎収支が大幅な黒字を出したにもかかわらず,ブンデスバンクの金外貨準備が1~7月間に約6億マルクも減少した理由は,民間銀行の短資輸出(主としてユーロダラー市場向け)が大量に(約53マルク)行なわれたからである。この銀行短資の大量輸出は基礎収支の黒字とブンデスバンクの相つぐ預金準備率の引下げにより民間銀行の流動性が著しく高まったにもかかわらず,不況による国内資金需要の停滞と金利低下のため銀行がその手持資金の在外運用を増やしたからであった。しかしこのような銀行の短資輸出は金融緩和政策により国内景気を刺激しようとするブンデスバンクの方針に逆行する面もあるので,ブンデスバンクは7月初めに短資輸出の抑制措置をとり,その結果銀行の短資輸出も減少した。
7)金融緩和政策への転換
1966年12月1日の預金準備率の引下げにより,ブンデスバンクはようやく金融緩和政策へ転換した。金融緩和措置は当初慎重に進められたが,連邦政府の積極的な財政リフレ政策に呼応して次第に積極化し,67年1月から5月まで公定歩合が4回引下げられた(5%から3%へ)。預金準備率も67年にはいって9月までに6回引下げられ,約60億マルクの銀行資金が解放された。またブンデスバンクの公開市場操作の対象となる金融資場証券の売出利率も10回引下げられた。
このような金融緩和措置は,国際収支の黒字と相まって銀行流動性をふやし,金利低下を促進した。たとえばコール・レートは66年央のピーク6.44%から67年春には5%前後まで低下し,さらに8月までに2~3%となり,ときには1%台を現出した。
また確定利付債券の利回り(既発行分)もたとえば公債利回りをみると66年央の平均8.5%から次第に低下し,67年4月以降は7%弱となったが,短期金利はどの低下をみせなかったのは,金融緩漫と金利低下を背景に起債が非常に増下を背景に起債が非常に増えたからである。67年1~7月間における純起債額は,72.2億マルクに達し,前年同期のほぼ2倍となった。その大部分は政府債,地方債および抵当債であった。
8)赤字財政による景気の振興
キージンガー内閣は,成立後いち早くリフレ政策への転換を決意し,1967年1月19日の閣議で67年度予算案を決定すると同時に,それとは別にいわゆる「緊急予算」を編成して,中短期の借入金により総額25億マルクの財政投融資を追加的に実施するほか,民間企業投資の刺激のために特別償却制を導入することにした。その細目は次のとおりである。
(a)67年度予算-当初の予算見積りから支出額を約25億マルク削減し,間接税徴収時期の繰上げなどで約9億マルクの増収をはかることによって,歳出規模740億マルク(前年比5.9%増)の均衡予算とした。
(b)「緊急予算」-中短期の借入金により,25億マルクの財政投融資を行なう。主として国鉄,郵便,道路建設などの公共投資に使用される。
(c)特別償却制の実施-67年1月20日から10月末までの間に取得または製造された動産または不動産について,動産10%,不動産5%の特別償却を認める。
この第1次景気対策は景気後退の進行を食いとめるのに役立ったが,景気回復なもたらすところまではいかなかった。その原因は,緊急予算の執行が遅れたこと(発注が完了したのはようやく6月末であった),緊急予算により連邦政府関係の投資はふえたが,政府投資の約8割余をしめる州地方政府の投資が不況による税収減で大幅に削減されたこと,また民間設備投資も特別償却制の導入に対してあまり反応を示さなかったことにある。
そこで連邦政府は7月上旬に第2次景気対策として総額53億マルクにのぼる追加的な財政投融資を連邦,州および地方政府を通じて実施することを決め,9月上旬の特別議会へそれを「1967/68年第2次特別景気・構造対策計画」として提出,議会の承認をえていよいよ実施のはこびとなった。この第2次景気対策は,中短期の借入金により,連邦,州および地方政府が総額53億マルク(うち連邦負担分28億マルク,州負担分20億マルク,地方政府負担分5億マルク)の財政投融資を行なおうとするもので,総額53億マルクのうち43億マルクは中央,州政府による投資,約10億マルクは住宅建築融資(利子補給を含む)と国有企業向け融資である。政府投資は学校,病院,運輸通信,上下水道など社会資本の充実に向けられ,また投融資とも構造地域(失業など構造的問題を抱えている地域で,主として国境地帯,西ベルリン,ザール等をさす)を優先することになっている。つまり景気対策と同時に社会資本の立遅れや地域開発問題の解決にも役立たせようとするわけである。注目されるのは,住宅建築融資を除いて,すべての発注を10月1日ないし15日までに完了するように義務づけたことで,景気対策の即効的効果を狙ったものといえる。
なお,今回の財政投融資53億マルクは昨年の粗固定投資の4.3%に相当し,また政府投資分43億マルクは昨年の政府投資の約2割に相当する。
(2) 中期財政計画と増税問題
1960年代に入って経済成長率の鈍化と平行して税収の伸びが鈍化したにもかかわらず,歳出面では国防費,社会保障費,公共投資などを中心に依然大幅な増加を続けたため,連邦政府は近年深刻な財政難に陥るにいたった。 そこで連邦予算の根本的立直しをはかるため,中期財政計画を作成して,一方で既存の義務費を削減すると同時に,増税によって税収をふやすことが必要となった。67年7月に閣議決定をみた中期財政計画(67~71年)によると,国防費と社会保障費などの支出を大幅に削減することによって,財政支出の増加率を年平均6%に抑えると同時に,所得税(年所得16,000マルク以上の所得のみ)と法人税の3%増税(付加税の形で68年1月から実施),68年1月から導入予定の付加価値税の税率引上げ(標準税率10%を11%へ,68年7月から実施),従来法人税を免除されていた貯蓄銀行など1部の金融機関に対する法人税の適用(68年1月から)などによって税収増加をはかることになっている(68年度の税収増加推定額は約12億マルク)。
なお,この中期財政計画は,67~71年間に関する「中期経済見通し」(経済省作成)に基づいたもので,それによると,同期間における平均成長率は名目5.2%実質3.6%と想定されている。年次別にみると,67年の実質成長率は2%,68年以降は年平均4%と推定されている。目標失業率は0.8%(雇用労働力人口に対する失業者の割合)とされ,物価の上昇率は70年以降1%に抑える予定である。この「中期経済見通し」は単なる予測ではなく,政策目標であり,その意味では「中期経済計画」といってよい。資源の配分については,投資率の上昇とりわけ公共投資の平均以上の増加を想定している点に特徴がある。
(3) 当面の見通し
前述したように,西ドイツの景気回復がすでに始まったか否かについてはまだ断定しうる段階ではないが,いずれ遠からぬうちに景気回復の方向に向うであろうという点では,大多数の観測者の意見が一致している。在庫べらしというマイナス要因の解消,金融緩和,コスト圧力の減退など回復への地ならしができてきたのに加えて,輸出増勢の持続があり,さらに今後は第2次景気対策による公共投資の増額が次第に刺激的効果をもつだろう。すでに住宅建築の先行指標は金融緩和を背景に立直りの兆候をみせつつある。問題は民間企業投資の回復だが,前述したように1968年には工業投資が若干回復する予想であり,従来と同じように総需要の回復に若干のラグを伴いながら設備投資は68年中に次第に回復に向うものと思われる。ただし,回復の時期やテンポについては,増税実施というデフレ要因も加わっているので,若干の問題が残ろう。
9月初旬の議会におけるシラー経済相の説明によると67年下期の実質成長率は0.5%(前年同期比)と推定されているが,もしそのとおりであれば,67年の実質成長率は前年比マイナス0.5%程度になろう。
68年の経済見通しについては,10月初旬発表の民間経済研究所合同報告書の予測があるが,それによると,68年の実質成長率は上期5.5%,下期4.5%(いずれも前年同期比)とされ,かなり高い成長率を予想している。 従来の経験でも景気回復期の成長率はかなり高いので,この予測には納得される面もあるが,他方ベルリン経済研究所のように,上期3.1%,下期2.5%という低い予測もある点に注意すべきであろう。(なおEEC委員会は10月末発表の四季報のなかで西ドイツの実質成長率を67年マイナス0.5%,68年3.5~4%と予想している)。