昭和41年

年次世界経済報告

昭和41年12月16日

経済企画庁


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第4章 新局面を迎えた国際資本移動

3. 各国の直接投資対策

(1) 直接投資に対する一般的対策

アメリカの対欧企業進出は,当然ヨーロッパ側の対策強化を余儀なくさせた。とはいえ,資本の自由化に逆行することを許されないので,対策はおのずと前向きのものとなった。そのうち,おもな点をあげると,第1は企業の合併,集中,連係の強化であり,第2は政府による企業巨大化の促進であり,第3はEEC委員会によるヨーロッパ型会社法の提案である。

1) 企業の集中・合併

EECの発足した1958年以来,域内諸国の企業合併は,3,000件を越え,E FTA地域でもまたかなり急速な企業合併が進行している。

しかし,EEC諸国には,アメリカの大企業に匹敵するものが少ない。たとえば,66年に合併したモンテカチニ・エジソンはイタリア化学製品市場の約80%を占めるが,EEC全体での化学市場シェアは15%であり,同じく合併によって誕生したティッセン・フェニクス・ラインロールも西ドイツ鋼市場の25%を占めるが,EEC市場全体に対しては,10%未満にすぎない。

第31表 大企業の市場占有率

第32表は主要国の集中を示す1つの指標であるが,鋼塊,乗用車産業ではヨーロッパの立ち遅れが目立っている。最近活発化したヨーロッパ企業の合併は,アメリカ大企業の子会社と対抗するための自衛手段ともみられるが,結果的には競争激化する資本主義世界で,みずからの地位を確保する積極的な経営手段ともなっている。

2) 政府の対策

また,このような企業の自然的動きは,政府の合併促進措置によるところも大きい。フランス,イタリアなどでは最近会社法の改正などにより企業の合併を促進し,またイギリス,フランスのように政府融資により企業の集中,近代化を進める国もあり,過度の集中でないかぎり集中排除規則の緩和も考慮されている。企業の連係は従来カルテル法で規制されたが,これも緩和の方向にあり,EECのヨーロッパ石炭・鉄鋼共同体は業界の集中,結合にE EC委員会以上に寛大な態度を示すにいたっている。

3) EECのヨーロッパ型企業案

EEC委員会は域内各国の会社法がそれぞれの国内法となっており,EE C域内の国際的な企業結合ないしは支店,子会社の設置に法制上,税制上種種障害のあることに気づいて,これを調整して一本の会社法とするため,64年2月,統一会社法第一次草案を提案した。そして,66年1月末にはヨーロッパ的企業育成に関する基本構想を独占禁止諮問委員会に送付,2月初めには「企業集中化に関する共通政策覚書」を加盟国に送り,さらに4月22日には,「ヨーロッパ型企業創設に関する覚書」を発表した。こうした提案ないし覚書の趣旨は,EEC加盟国の企業は米英の国際企業(WorldEnterprize)に比べて比較にならぬほど小規模であるのが普通であるから,域内企業の合併によって,EEC域内資本による大企業会社を創立し,EEC内外において外国の国際企業と競争できるようにすることであった。ところが,EEC加盟国の現状では法制,税制面の相違から,国際合併や支店設置には種々の障壁があり,とくに二重課税や法人収益に対する累進課税などが大きな障害となっている。EEC委員会の提案は,この種の障害を除去するためになされたのだが,このような会社法をEECの共通立法として国内法に優先させるか,あるいは各国法として同一趣旨を織込むかで,加盟国の意見が対立している。いまのところフランスが国内法を主張して,他の5ヵ国と相容れないが,いずれにせよ域内の合併を容易にする方向にあることは確実である。

(2) 主要国の直接投資対策

つぎに,ヨーロッパ主要国が外国からの直接投資にどのような態度でのぞんでいるか,その大要を述べよう。まず一般的な傾向として,①西ドイツやベネルックスの積極型,②フランスの警戒型,③スウェーデンの消極型に分けることができよう。

63年3月OECD貿易外取引委員会は西欧諸国に比較してスウェーデンの外国為替統制はきびしいと声明し,またOECDの民間諮問機関である産業経済諮問委員会(BIAC)から65年央OECDに対しスウェーデンの国際証券取引の完全自由化を要求するよう申し入れたが,スウェーデン当局は小国には耐えかねるほどの悪影響があるとして,いまだに反対している。

つぎに,主要国の直接投資受入態勢を示そう。

1) フランス

クライスラー,GEのフランス進出以来,フランス当局はアメリカ企業の対仏直接投資に批判的となり,進出を抑える態度をみせたのであったが,フランスを締め出されたアメリカ企業はオランダ,ベルギーに向きを変え,ここでフランス企業と手を組んで事業を開始するものも現われた。ベルギーオランダはEEC構成国であるため,やがてはこの国で作られた製品が自由に域内を移動し,フランスに輸入されることもあろう。そうなれば,フランスー国の抵抗はアメリカ企業に対してたいした障害にならないばかりか,場合によってはフランスの企業や国際収支に悪影響を及ぼすことも考えられよう。おそらくそうした考慮から,64~65年に許可を留保していたアメリカの直接投資に再び窓を開いたと思われる。しかし,これまでと違って,①大規模な対仏直接投資については一応米仏の合弁企業であるこを原則とし,②アメリカ企業がフランス国内で研究・開発事業を営むか,あるいは技術援助をフランス側に提供することが望ましいとしているようである。

要するに,OECD資本自由化コードのA表に盛られた直接投資の自由化はもはや逆戻りを許されないために,外国企業の技術を相対的に弱いフランスの企業に取り入れるか,あるいは米企業がフランス企業との合弁で実施する研究・開発の成果を利用して,フランス企業の体質改善をはかる前向き態勢に変わったのであろう。

しかし,これだけの条件ではフランス企業は受身の側に立たざるをえないから,もっと積極的な企業体質の改善が必要なのはいうまでもない。こうした点について第5次5ヵ年計画(1965~70)は,その第3章「経済活動」のなかで,フランスの遅れを取り戻すため,ヨーロッパ的,または世界的規模をもつ大企業を少数形成し,アルミ,製鉄,自動車,機械,電力,エレクトロニクス,航空機,化学,医薬などの重要部門にこの種大企業1~2社を育成する方針を明らかにしている。そのため,政府は優先的に資金の便宜を提供し,巨額の研究・開発投資(計画期間中6億フラン)を予定している。

こうした長期的な大企業育成方針のもとに政府は65年の会社法改正にあたって,会社の合併を有利にする税制を制定し,また国債を発行して,その売上金を鉄鋼業に貸し付け合理化と合併を促進している。また,国営の銀行は2~3のグループに整理,統合し,重要産業に対する融資能力を増大させるはずである。また公共発注によって大企業の利益を増進するなり,あるいは特定産業について価格凍結令の適用をとくに除外して,企業収益力を向上させている。こういった政府の刺激も加わって大手鉄鋼メーカー,電機,化学企業の合同が続いている。

2) 西ドイツ

西ドイツは,1950年6月以来急速に直接投資の受け入れを開始し,54年には早くも当時のOEEC(OECDの前身)資本自由化規則の水準まで自由化を達成した。その後,現在までに残存制限をほとんど撤廃し,米英仏をしのぐ資本自由化国となった。こうした動きの背景には自動車(フォルクスワーゲン,ベンツ),化学(IG後継3社),電機(シーメンス,A.E.G),機械(マンネスマン,グーテホフヌングスヒュッテ)のような十分国際競争力を身につけた大企業があった事実も見逃がせない。

しかし,電気,ガス,水道投資については現在なお許可制とし,過度の外国資本化を防いでいる。また,66年春には西ドイツ唯一の民族石油資本ドイツ石油(DEA)にはアメリカのテキサコが買収の手をのばし,シュミッカー経済相から警告されたけれども,テキサコは初志を曲げず,ついに西ドイツの石油産業は米英などの外国資本に握られた。この頃から,西ドイツ資本による国際企業育成の必要が痛感され始めた。こうして,キール,ハンブルグにある公私造船所の合併,西ベルリンにおける機械メーカーの合併ならびに国営特殊会社による統合を発表,他方民間のイニシァティブによって大手鉄鋼業の合併が進み,また電気機器その他では大手の業務提携が決まり,鉄鋼業はその販売部門を四大地域に整理,統合しようとしている。

3) イタリア

イタリア企業の資本力,その他の競争力は西ドイツ,フランスに比較してかなりの遜色がある。にもかかわらず,国際収支上の目的あるいは南イタリア開発手段として,アメリカその他の直接投資を受け入れた。こうした動きに対して,中小企業筋の苦情があったが,政府は国家資本を産業に注入して,いわゆる混合経済により外国資本と対抗しようとしている。産業復興公社(IRI)は国家資本の導入役としての意義を増し,自動車のフィアットが作るヨーロッパ的規模のディーゼル・エンジン工場,スニア・ビスコーサの紡織機械工場はIRIから強力な援助を受けている。民間の企業合同としては,化学企業(モンテカチニ)と電機企業(エジソン)が合併し,国営の炭化水素公団(ENI)の化学部門をしのぐ規模の化学企業が出現した。

4) スイス,ベルギー

この両国は,小国ながらもほとんど完全な資本自由化を達成した国であるが,スイスの場合は,この国の製造業の大半が中規模の特殊専門品メーカーであるため,大量生産を必要とせず,また外国の大企業が進出してきても,大量生産によってスイス企業を圧迫するおそれは少なかった。65年には機械,電機の大手であるブラウン・ボーベリが特殊機械メーカーのエリコン社との合併をはかったが,合併によって得るところ少しという理由から交渉は中断した。66年9月には,スイスの時計会社がアメリカ企業に買収されたことに端を発して,スイス時計産業連合会は業界に統合を勧告したが,家族経営的色彩の強い業界だけに即効は期待しがたい。

ベルギーは,国内経済的な理由から外国の直接投資を完全自由化しているが,しかし国産品使用比率の要求やベルギー国内で調達される資金の50%を国内で使用する要請を残し,銀行業の開設には許可制をしき,国営企業,公益事業と競合する直接投資は禁止している。

5) イギリス

イギリス,アメリカは経済的,民族的にも親近感が強く,またイギリスが歴史的な海外民間投資国家であったため,とくにアメリカ資本に警戒的といった気分はみられず,自動車,機械,化学には少なからぬ外国資本が導入されている。しかし,イギリス企業の国際競争力強化手段として,66年始めには産業再編成公社案が発表され,1億5,000万ポンドの政府資金をもって国民経済に大幅に寄与する合理化計画を推進しようとしている。具体的にはイギリス工業がより大規模,かつ,より能率的な単位となるよう合併を助成するが,その際当公社の推進する合併が独占禁止委員会に提訴されないよう保証している。野党時代,大企業に対して批判的であった労働党が政権の座についてのち,慢性的なポンド危機やアメリカ自動車工業によるイギリス企業の買収問題に直面して,微妙な政策転換を行ないつつあるようにみえる。それを裏書きするかのように,企業合併は労働党政府成立後異常に増大した。すなわち,49~53年の4年間には現金取引または株式交換の形による会社買収は2億3,100万ボンドに過ぎなかったのに,54~58年の4年間には5億7,800万ポシドヘ急増し,さらに59~63年では16億ポンドヘ急増,64年では1年だけで3億4,000万ポンドとなった。ところが,ウィルソン政府が完全に支配した65年には4億ポンドと空前の記録を樹立した。しかも,独占禁止委員会の運用は寛大となり,経済省に出された合併申請72件中,この委員-会から拒否されたのは僅か3件に過ぎなかった(1965年)。


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