昭和41年

年次世界経済報告

昭和41年12月16日

経済企画庁


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第4章 新局面を迎えた国際資本移動

4. ドル防衛と国際資本市場

1963年後半の金利平衡税提案によって,世界の外債市場はアメリカから西欧へ移ったが,この年の起債額は5億7,000万ドルあまりであって,まだニューヨークに代わるほどのものではなかった。しかし,64年には約2倍(11億3,000万ドル)となり65年にはさらに増大してアメリカに接近した(アメリカ13億1,000万ドル,ヨーロッパ12億7,000万ドル)。しかし,アメリカ企業によるヨーロッパでの証券発行を除くと前年水準を下回っている。これは,64年まで有力な起債者であった日本,スカンジナビア諸国の需要が衰えたからでもある。一方,金利平衡税提案後のアメリカ市場での外国人発行は64年に一時減少したものの,その後この税金を一部除免される国が増加したこともあって,65年には微増に変わり,66年上期ではさらに増大する傾向があった。

(1) ヨーロッパ起債の増大

アメリカ企業の対欧直接投資はいっこうに衰えないため,アメリカ政府は1965年2月と12月に国際収支対策として,企業の直接投資に枠をはめ,それがヨーロッパでの資金取り入れを増大させる結果となった。短期資金はユーロ・ダラー市場を通じ,長期資本はヨーロッパ主要国の資本市場で起債の形で調達された。そのため,ヨーロッパ市場にはかなりの資本不足と高金利現象が認められるにいたった。過去1年余の間における国際資本市場の特色は,こうしたアメリカ企業のヨーロッパにおける起債であった。ドル防衛によってドルの持ち出しを制限されたアメリカ企業はヨーロッパ市場資金を調達し,それがヨーロッパの起債額を増大させた。ドル防衛の目的からアメリカ当局がながらく希望していたヨーロッパ資本市場の開発がようやく結実したかのようにみえるのであるが,その原因をもう少し調べてみよう。

その第1は,ドル防衛によって本国からの資金調達を抑制されたアメリカ企業子会社によるヨーロッパ現地での起債である。65年2月,長短期資金の流出阻止を目的とするドル防衛が始まったのち,ヨーロッパ所在のアメリカ企業は同年央ごろからいっせいに起債活動を開始し,66年上半期には6億ドルに達した。第2の要因は高金利である。OECD調べによると,外債利回りは65年中に平均0.5%,66年上半期には0.25%騰貴して,銀行貯蓄ないし株式市場資金が公社債市場に流出し,ヨーロッパ市場での起債を助けた。米企業子会社債には親会社の保証があり,一部には転換社債の魅力もつけられていたため,有利,安全性をねらうカナダ,中近東,ラテン・アメリカの資金がヨーロッパに流入した。

ヨーロッパ市場におけるアメリカ企業債の発行は,単純に考察すると,その金額だけアメリカ本国からの資金流出を防ぎ,ドル防衛に寄与したともみられるのであるが,事実はそうではない。というのは,アメリカ企業によるドル建新規発行債はヨーロッパ人が従来から保有していた既発債利回りははるかに高く,一部にはアメリカ一流企業の株式に転換できる権利もついていたため,既発債を売って,新規債に乗り換える運動もみられ,アメリカ企業によるヨーロッパでの資金調達中3分の1までが他のドル証券からの乗り換えであるか,あるいはこの種の新規発行のない場合には,アメリカ市場で新規証券を購入する潜在的ドル証券投資層によるものであったとみられる。つまり,アメリカ企業ヨーロッパ起債の3分の2だけが65年ではおよそ2億ドルがアメリカの国際収支赤字の増加を防いだとみられる。

アメリカの資金を国際金融に詳しいヨーロッパ人に運用させれば,国際金融はもっと開発されるといわれたのは,10年も前のことであるが,いまユーロ・ダラー市場,ドル建ヨーロッパ起債などの形でそれが現実化しているのは注目すべきことであろう。65年央に始まるアメリカ企業のヨーロッパ起債は,1年間で実に9億8,100万ドルに達した。超一流のアメリカ親企業が背後にあったとはいえ,これはかなり大きな金額であり,同じ期間のヨーロッパ市場起債総額の半分近い。また63年~65年上期のドル建発行額は実νこ20億3,500万ドルで,ヨーロッパ市場起債総額の約3,分の1を占めている。この事実は,ドルの流通量が世界でもっとも大きく,かつヨーロッパ市場にかなり出回っていることを示している。

(2) ヨーロッパ市場最近の動き

1965年7月には,EEC6ヵ国でイタリア電力公社債が同一表面利子で同時に発行された。いわゆるアプス構想にもとづく平行債(para11el10an)である。小国の通貨を合わせればかなりの資金が動員できる利点をねらったものだが,2億2,000万ドル相当の起債額中4分の3がイタリア国内で調達され,真に外債といえるものは5ヵ国合わせても4分の1に過ぎなかった。イタリア電力公社債の試みはたんに平行債の実験に過ぎないというみかたもあるが,その後1年経過しても次回の平行債が出ていないところからみると,その魅力に乏しいのではないかと思われる。金利水準の比較的低い国の市場が,割高金利の国へさや寄せする傾向があり,そのため起債者の負担が割高となるからである。

ヨーロッパの資本不足とアメリカ企業資金調達のもたらした西欧の高金利ば債券利回り高となり,公私の起債を妨げている。たとえば,ヨーロッパにおけるドル建債標準金利とみなされるスカンジナビア諸国の4銘柄平均利回り(ロンドン市場)は65年2月の5.53%から66年8月の6.81%へ1.28%騰貴した。これは,同じ期間のアメリカの国債平均利回りの0.64%騰貴,EEC諸国ならびにスイス国債平均利回りの0.82%高に比べてかなり大幅である。

新規外債利回りは66年7~8月で7%まで高まり,わが国最近の公債利子率をも上回るものさえ現われた。こうして,高利の負担を免れるためアメリ力企業は転換社債を発行し,親企業株への乗り換えを認めることによって,比較的低利の借入を行なったが,そのことはアメリカ本国親企業株主の不満を抱かせる半面,ヨーロッパの子会社も騰勢持続に嫌気して,最近ではヨーロッパ起債にかわって,在欧米銀行支店から中期の借入を行なう新しい動きがみられ,66年5月~9月には約1億ドルに達したとみられる。

なお,最近の動きとしては,イギリスが66年9月一切の外国証券投資を抑制し66年央にはスイス当局が銀行の外債引受けを緩和したけれども,外債発行希望者の申し込みは依然として続いており,1回の発行額も2,000万相当ドル以上になることはむずかしい。西ドイツは,65年1月に新規発行税を廃止し外債発行は有利になったが,その後,金融当局の引締め政策などによって金利は異常に騰貴し,66年夏には大企業シーメンスさえも僅か1,250万ドルの10年借入に10%の利子をつけるほどであって,その他主要ヨーロッパ市場もかなり資金需給がひっ迫しているので,当分は外債発行にはさほど多くを期待できないであろう。フランスは66年11月,外債発行その他長期資本取引きの自由化要綱を明らかにしたが,実施には議会の議決が必要である。

63年の金利平衡税を契機として,日本ならびにヨーロッパの起債者がニューヨークからヨーロッパ市場に転換し,また近くは65年のドル防衛による米企業の起債が新たに加わったためにヨーロッパ資本市場が成長した。事実,金利平衡税の適用を受ける国の借手とアメリカの直接投資ガイドラインの適用される借手によるヨーロッパ市場発行額は,63年の4億9,300万ドル,64年の8億3,600万ドル,65年11億1,200万ドル,66年上半期11億4,700万ドルへといちじるしく増大した。しかし,これを除くとヨーロッパ市場の起債額は,この3年半の間に年平均2億ドルに過ぎないし,それ以前の3年半に比べてほとんど増大していない。

この事実は,63年以来ヨーロッパ諸国にみられた制度的,技術的な改善と合わせ考えてみる必要があろう。かりにそうした努力が払われたにしても,ヨーロッパの貯蓄はアメリカほど底の深く,大きいものではなく,通貨にしてもポンドを除けばいずれも国際通貨の域に達するものがない。そのポンドは,再三の危機に見舞われて,ポンド建外債発行は今日なお厳重に規制され,その他ヨーロッパ通貨は各国のまちまちの景気情勢によって需給関係がかなり変動し,場合によっては通貨当局が外債発行に手心を加える。外債発行技術は改善されてはいるものの引受機関はいまなお小規模であるし,一回の引受額4,000万ドルを超えるものは少ない。こういった各種の障害が,ヨーロッパ市場の発展をはばみ,たんにアメリカの国際収支事情によってニューヨークの一時的代替市場化したに過ぎないかのようにもみえる。

第47図 国債・券証発行額

しかし,アメリカの国際収支事情がニューヨーク市場のヨーロッパ市場に対する再開を許すのはかなり先のことであろうから,長期的にみてヨーロッパ市場開発に対する期待は弱まらないであろう。それにしても,ヨーロッパ市場の真の開発は,各国の経済政策の調整,あるいは単一通貨を前提とするであろうから,その実現までにはかなり長い道程が必要であろう。


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