昭和41年
年次世界経済報告
昭和41年12月16日
経済企画庁
第3章 先進国のインフレーション
以上のような,欧米先進国の根強い物価上昇は,高成長過程における需要の堅調を背景として生じたものであり,この過程で進行した,労働力のひっ迫やその他の経済構造上の諸要因によって影響されているという見方が一般的である。つぎにとくに物価上昇と,消費構造の変化,労働力需給のひっ迫の関係について検討してみよう。
(1) 消費構造の変化
第2章でも述べたように,近年の欧米諸国の高い経済成長は,消費需要の増大によって支えられるところが大きかったが,消費水準の上昇の過程で,消費需要構造にもかなり急速な変化が生じている。すなわち,主要国の消費支出構成比をみると,共通しで耐久消費財やサービス的支出など所得弾性値の高いものの支出ウェイトが増大した半面,食料費支出のウェイトは減退傾向をたどっている。
この需要構造の変化に対して,供給力の適応が比較的円滑に進んだ耐久消費財などの部門では物価もかなり安定していたのに比べて,サービス部門のように技術的制約などから供給力の適応が遅れ,あるいは農産物のように農業労働力の流出のため生産力の絶対水準があまり伸びていない部門では,物価上昇が大きいという対照を示している。
近年における西欧諸国の物価上昇の原因としては以上のように,旺盛な消費需要が重要であったばかりでなく,完全雇用下の一般的な超過需要傾向の強まりが指摘されている。この要因が労働力不足の基調のもとで産業諸部門の供給力の適応の困難性を強めており,さらに部門間における賃金上昇の波及を促進しているとみられる。
(2) 労働力不足と物価上昇
近年の欧米諸国における物価上昇は,とくに高成長下の労働力不足によって影響され,る度合いが強まってきたという見方が,しだいに一般化してきている。これをつぎに,主要工業国14ヵ国のクロスセクション分析によって,おおよその傾向を検討してみよう。
まず,最近の主要工業国の賃金上昇が,どのような要因によって強められているかについてみよう。各国の賃金決定機構には,社会的,制度的基盤の違いがいろいろと影響していると思われる。ここでは労働力需給を表わす指標としての失業率と,労働組合の賃上げ要求の要因になる消費者物価とが近年の賃金上昇に与える影響がどうなってきたかを定量的に考察すると,この二つの要因が賃金上昇に与える影響は60年代にはいって一段と強まっていることがわかる(失業率については第38図,消費者物価については同図の注3における推定式に示されている)。このことは,労働力ひっ迫による賃金上昇が,イギリス,オランダといった特定の国だけでなく,その他の多くの先進業工国についても共通要因として影響する度合いが強まってきていること,また消費者物価の上昇が賃金上昇に及ぼす影響も共通して強まりつつあることを示している。
つぎに,主要国の物価と賃金の関係をみよう。賃金上昇の物価に与える影響は,卸売物価と消費者物価とではかなり異なる。工業の賃金上昇が直接的に影響するのは,主として卸売物価に対してであるが,卸売物価と工業賃金コストとの関係は,国ごとに相当の違いをみせている(第39図)。すなわち西欧工業国,とくにイギリス,西ドイツ,フランスについては,工業賃金の上昇率も,賃金コストの上昇もいちじるしく,また卸売物価の上昇幅も大きい。これに対して,アメリカでは工業賃金上昇が工業生産性の上昇に吸収されているために,ことに60年代にはいってからの工業の賃金コストは若干の低下を示してきた。日本は60年代にはいってからの工業賃金の上昇率は他の諸国に比較しても高位であるが,工業生産性の上昇も大幅なために工業賃金コストの上昇は相当に打消されており,また60年代前半までの卸売物価は微落傾向を示している。
ついで,消費者物価に対する卸売物価,賃金の影響について,主要工業国14カ国のクロスセクション分析で検討してみよう(第40図および注の推定式参照)。
主要国間の分析結果では,卸売物価の消費者物価に対する影響度は60年代にはいってかなり低下している。これは卸売物価が工業品を中心とした消費者物価のコスト的な性格が強く,生産性の上昇によって物価上昇に対する影響力を弱めているためである。一方,賃金率の上昇は,とりわけ第三次産業の賃金コストの上昇を通じて,消費者物価上昇に与える影響は高まる傾向にある。後者については,高雇用,労働力不足経済下で,第三次産業の賃金が,需要増加や工業賃金上昇の間接的波及などの影響をうけて上昇し,その半面,第三次産業とくにサービス業は労働集約的でかつその生産性上昇にはかなり限界があるためにその賃金コストが増大することが,消費者物価上昇の一つの要因となっているようにみられる。
(3) アメリカにおける賃金・生産性・物価の相互関係
以上でみた物価と,労働力不足および賃金の間の相互関係を,アメリカの場合について計量的方法によって検討してみると(第41図および注を参照),1961年から65年の間に賃金率は19.7%上昇したが,これは主として失業率が6.7%から4.6%に低下したことによる上昇分と,この間に消費者物価が4.8%上昇したことによるものである。第41図の注に示した相関式によれば,この賃金上昇に対して失業率の低下は14%だけ寄与したことになり,消費者物価の上昇が86%だけ寄与したことになる。この賃金率の上昇は消費者物価を13%上昇させる要因となったが,同期間に生産性は15.6%上昇し,これが消費者物価を8%引下げる役割を果したので,結果として消費者物価の上昇は5%となった。なお,61年から65年にかけての失業率の低下があっても,消費者物価がまったく上らないためには,この期間の生産性の上昇は21%でなければならなかったはずであるが,実際には生産性上昇は15.6%に止まったために,その分だけ消費者物価が上昇することになった。
こうしたマクロ的分析のほかに,同じアメリカつにいて,部門別の賃金,生産性が部門別の物価に与える関係をみても,かなり密接な関連があることが見いだされる。食料価格と,工業品中の耐久財価格については,とくに賃金と生産性の影響が密である。また,農業や第三次産業の賃金上昇は,工業賃金によって影響されやすい関係にある。これをアメリカ経済の現実の過程についてみると,61年以降65年にかけては,50年代後半とは対照的に,耐久財部門の生産性上昇による賃金コストの低下が,物価全体の安定に大いに貢献してきたことがわかる。他方,サービス部門(総合)については,年々の生産性の上昇は2%前後に限られているのに,サービス需要が強く,また賃金の上昇圧力も強いために逐年,賃金コストが上昇して,消費者物価全体の上昇の重要な要因となっている(第42図および備考参照)。
アメリカは他の諸国に比べると,流通,加工部門が,早くから近代化されてきた国だとされているが,消費者物価上昇のなかで,なおいっそう流通部門の近代化が要求されているようである。たとえば,65年以降アメリカの農産物価格の上昇が消費者にとって問題となっているが,最近の農務省などの調査によれば,農産物価額全体のうち農業生産者の手取りは33.8%にすぎず,他方卸小売マージン35.5%,加工業者マージン25.7%,輸送マージン5%となっており,いわゆる流通,加工マージンの割合いがきわめて大きい。個別の農産物価額についても流通,加工マージンが大きな品目が多い。西ヨーロッパ諸国においても流通,加エ経費の割高傾向は共通しているようで,あとにも述べるように,欧米諸国の物価対策のうちでも流通加工部門の近代化による流通加工経費の節減は,重要な課題となっている。