昭和41年
年次世界経済報告
昭和41年12月16日
経済企画庁
第3章 先進国のインフレーション
1960年代にはいって,先進国における物価対策は経済政策上重要な位置を占めるにいたっている。すなわち,従来の物価対策の中心は通貨政策であったが,近年の先進国の新しいタイプのインフレーションに対しては通貨政策だけでは十分な効果をあげることができないことがしだいに認識されるようになってきた。そのため,物価対策の内容も個別価格対策的なものから広汎で複雑なものとなってきている。以下では,欧米各国における物価対策の内容を概括する。
(1) 競争条件の整備
適正な価格を保つために,企業の公正な競争条件を整備することばどの国においても古くて新しい問題であり,先進国の独占禁止法は,60年代にはいってからもいっそう充実されつつある。
すなわち,アメリカでは,19世紀末からきびしい独占禁止法を実施しているが,再販価格維持契約については比較的ゆるい措置をとってきた。最近の傾向としては,誇大広告などの欺瞞的取引きに対する規制の強化がある(62年)。イギリスでは,独占的行為の原則的禁止は行なっていないが,64年にいたって再販売価格維持契約を原則的に禁止した。
また,65年には「独占および合併法」を採択し,個別問題ごとに独占委員会の調査に付すること,および,独占事業者の価格表公開および価格規制を行なうことができるようになった。
また,フランスで独占禁止法が採用されたのは50年代にはいってからで,:内容もそれほどきびしいものではない。しかし,消費者物価に関係の深い再販売価格維持契約については比較的徹底した禁止策をとっている。また,63年の改正で誇大広告禁止を含む独占禁止法の強化を行なった。西ドイツでは原則的に独占禁止政策をとっているが,再販売維持契約の規制はゆるやかで,最近の改正でも登録公開制がとり入れられたにすぎない。
(2) 構造対策
1)先進国では,価格上昇のいちじるしい部門の供給力改善に,従来よりも力がいれられるようになった。最近とくに価格上昇が大きい農産物については,生産者に所得を補償し,販路を調整して,価格安定に資する事業団あるいは基金が増設され,また,農業改善事業に対する融資枠拡大,補助金増額,農業技術振興などが進められている。,しかし,政府支持価格などは,農産物価格の下方硬直性を強めるものとして反対も強い。
また,製品価格上昇率の大きい中小企業についても,近代化,合理化のための資金上の優遇,あるいは奨励策が進んでいる。一方,緊急的手段としての輸入措置は,50年代には先進国においてはほとんど適用されなかったが,60年代にはいってからは,個別品目ごと,に輸入措置や関税操作がpばしば弾力的に行なわれるようになった。
2)流通経費の上昇が顕著になるにしたがって,流通市場の整備が各国でとりあげられるようになった。生産者段階での共同出荷の助成,卸売市場の整備や小売段階でのスーパーマーケットの増設および小売店との契約などの措置によって流通経費の削減が試みられるようになった。フランスでは,このような対策がかなり効果をあげている。
3)労働市場のひっ迫に悩む西欧諸国では,外国人労働者の流入をはかっているが,これはとくに景気の過熱局面において労働力不足の緩和,に貢献した。また,60年代にはいってから時代の要求に応じた水準の労働力を確保するために,労働力の再開発が目指されるようになった。先進諸国における最近の技術教育,職業訓練に対する政策努力は経済計画との関連においても高まっている。
(3) 所得政策の採用
インフレ抑制のために,価格や所得決定に政府が直接に関与したりあるいは誘導目標を設定するいわゆる「所得政策」が,欧米先進国において採用,展開されていることは,最近の一つの特徴である。しかし欧米各国におけるこの政策の必要性の度合いとか,その動機などについては,それぞれの社会的,制度的事情および時期に則してかなり異なっている。したがって,「所得政策」といわれる内容にもかなり大きな差があって,これまでに明確な定式化が確立されているわけではない。
欧米諸国でこれまでに展開されてきた一連の「所得政策」は,ほぼつぎの三つのタイプに分けることができよう。
1) 狭義の「所得政策」
これは,オランダおよびイギリスで展開されたもので,当初は賃金の過度の上昇を抑制することを目的としていたが,その後しだいにその他所得の上昇についても規制を行なうように拡大された。
オランダでは,戦後もっとも早く賃金決定に政府が関与し,それが経済再建の推進に貢献したが,その半面あまりに統制的色彩が強かったためにしだいに反対をよび,63年以降は困難が増大している。これに対して,イギリスでは50年代後半以降,貨幣所得を物的生産性上昇の範囲内にとどめることが安定的成長の達成に必要であるというコーエン報告などの考え方を基礎に,賃金および利潤の形成に政府が介入する政策の必要性がしだいに浸透するようになった。こうして,62年に発表された「所得政策-その第2段階」において始めて所得政策(Incomespolicy)という用語が使われ,生産性上昇率についてのガイデング・ライトの設定,国民経済発展審議会(NEDC)国民所得委員会(NIC)の設定など,長期的所得政策を具体化するための準備が進められた。
こうして,所得政策に対する国民各層の認識は徐々に高まったが,NED Cを中心とする本格的な所得政策の実施までにはいたらないまま,労働党内閣に引き継がれることになった。労働党内閣は64年10月発足以来,精力的にこの問題に取り組んできた。まず,64年12月に政府,労組,使用者が所得政策に関する基本的な見解ならびに意図において一致したことを示す「生産性価格,所得に関する意図の共同声明」が発表された。ついで「価格・所得政策の機構」についての白書が65年2月議会に提出され,さらに価格,所得委員会の具体的な構成,機能が決定された(「価格・所得政策」65年4月)。
このような過程を経て,イギリスの所得政策は現在実施の段階にはいっている。
2) ガイドポスト政策
これは主としてアメリカ,西ドイツにみられるもので,賃金および物価の上昇に対して一定のガイドポストを示し,主要部門における急激な上昇を抑制する政策である。
アメリカにおいては,物価上昇に対して民間部門が責任ある行動をとる必要性がアイゼンハワー政権以降強調されるようになり,1962年以降大統領経済報告において年々,賃金および物価上昇に対する一般的ガイドポストが示されるようになった。たとえば,66年の賃金のガイドポストは,生産性の長期トレンドを考慮して3.2%と設定されている。これは,従来の過去5年間の生産性上昇率の移動平均値をとる方法に若干修正を加えたものである。このガイドポストを守らせるために,いわゆる説得政策が並行して行なわれ,賃金・価格の決定に政府が直接,間接に働きかける政治的措置がとられている。たとえば,62年と66年の鉄鋼価格の引上げおよび65年の銅,アルミ価格の引上げについて政府が介入したのがその代表的な例である。西ドイツでも62年の自動車国内販売価格の引上げおよび63年の賃上げストに際して政府の介入などが行なわれた。
3) 所得配分の是正を含む広義の所得政策
これは,フランスの第5次計画のなかにみられるが,物価上昇を抑制するばかりでなく,所得格差の縮小を目的としたもので,より広義の所得政策といえよう。フランスにおいて所得政策的な動きが現われたのは,イギリスと同じく61年以降であるが,その進捗状況はイギリスよりやや緩慢のようである。「所得協議会」が63年に設置されて,所得政策の検討が開始され,66年には所得政策実施に要するデータを調査する所得・価格研究所が設置されている。
以上みてきたように,物価安定政策は,先進諸国とも共通して重要性を増しつつある。現在のところ,どの国でも唯一のきめ手になる物価政策は存在するわけではないが,各国の成長段階や社会,政治的環境に適合した物価安定策が確立されることは,60年代後半におけるもっとも大きな課題の一つとみられる。