昭和40年
年次世界経済報告
昭和40年12月7日
経済企画庁
第2章 世界貿易の発展
ここ数年来,東西貿易は急速な伸びを示しており,社会主義国の資本主義国からの輸入は,62年に6.1%増,63年8.2%増,64年には18.6%増となった。
各国別にみると,64年には,ソ連・東欧11.7%増,中国(アジアの社会主義圏をふくむ)25.3%増と,食糧輸入もあって,かなり大きな伸びを示した。とくに,西側先進諸国からの輸入の伸びが大きく,社会主義国全体で23.4%増という著増を示している。一方,社会主義国の資本主義国への輸出は,63年の14.1%増から64年には9.5%の増加となった。
このような東西貿易拡大の動きは,世界貿易に占める東西貿易の比重にもっとも明瞭にあらわれている。世界貿易に占める社会主義国の輸入の比重をみると,ほぼ60年を転機として社会主義諸国間の域内貿易の比重が低下しはじめるのに対し,東西貿易の比重は漸増し,とりわけ,資本主義工業国からの輸入の比重は著増を示している(第37表参照)。
これは中ソ対立の激化による中国の輸入市場転換,ソ連の7カ年計画発足による資本財輸入,農業災害による中ソ両国の緊急食糧輸入,東欧諸国の西側接近などにより,社会主義諸国の資本主義工業国に対する輸入依存度が急速に高まったためである。
以上のような社会主義国の貿易構造の変化と東西貿易の増勢は,各国別の動向でみると,いっそうはっきりする。
すなわち,ソ連では,7ヵ年計画(1959~65年)のもとで,設備投資が大幅に増大したのに伴って,機械,設備の輸入が増したが,地域別では,コメコン諸国と資本主義工業国からの輸入がほぼ平行的に伸びた。とくに,資本主義国からの輸入設備に対する依存度の高い化学工業や軽工業の振興が推進されつつある現在,機械輸入は西ヨーロッパ主要工業国および日本を中心とする資本主義工業国からの輸入の半ばに近づき,東西貿易拡大の主要因となっている。
この傾向にかなりの影響を及ぼしたのは,63年の不作による63~64年のカナダ,アメリカ,オーストラリアなど資本主義諸国からの小麦の大量輸入である。小麦輸入のはじまった63年には,資本主義工業国からの鋼材,鋼管の輸入は大幅に減少し,日本を除いて機械輸入も微減を示した。このような動きは64年にも続いたとみられるが,65年後半には再び農業不作のため,カナダ,フランス,アルゼンチンからの小麦の輸入がはじまった。
中国では,中ソ対立の激化につれて,社会主義市場から資本主義市場への輸入地域転換が進み,63年には輸出入総額に占める資本主義市場の比重は過半数を超えるにいたった。また,日本,イギリス,フランス,西ドイツ,イタリアなど資本主義工業国から輸入される商品も,鋼材,化学肥料,単体機械の段階から,最近では,各種プラントの輸入も積極的に行なわれるようになっている。一方,農業減産のため61年にはじまった緊急食糧輸入も,主として,資本主義諸国から輸入が行なわれたが,その後,中国における農業生産の好転によって,64年から65年にかけて輸入量はいくぶん減少し,かわって,資本財の輸入が増大している。
以上のような東西貿易の拡大傾向は,基本的には社会主義国の資本主義工業国に対する輸入依存度の上昇によるものであるが,それに伴って,社会主義国および資本主義国の双方で,貿易拡大のための政策の積極化がみられる。
従来,社会主義諸国では,貿易は自給傾向の強い経済体制のもとで不足物資を補完し,あるいは外部の新技術を導入することを主要な目的として運営されてきた。しかし,このような機能のほかに,近年は貿易の経済的利益が重視されるようになった点が注目される。
たとえば,ソ連では,社会主義圏のみならず「全世界的な規模での国際分業によって社会的労働を節約し,労働生産性を高める」(「外国貿易」誌65年第2号)ことが強調されているが,これは東西貿易をもふくめて貿易の経済的利益を認めようとする積極的な姿勢を示すものといえよう。この点から注目されるのは石油輸出である。石油工業は,たとえば,他の主要輸出品たる木材の搬出に比べて,労働生産性の上昇やコストの引下げが目立ち,輸出産業としても相対的に有利とみられる。東西貿易においても木材輸出の比重がほぼ横ばいであるのに対して,石油輸出は急速に比重を高め(63年の対資本主義工業国輸出の23.5%),貿易拡大に大きな地位を占めてきている(第43図参照)。
また中国でも,東西貿易拡大に関していくつかの注目すべき施策が進められている。第1は,比較生産費的基準に沿った小麦輸入の継続,米輸出の再開という政策である。これは,国際市場における米・小麦比価(小麦の価格は米の40%ないし50%)と,中国における米・小麦の卸売比価(必ずしもコストを反映しないが,上海市場における米の卸売価格の小麦粉のそれに対する比率は低下している)を考慮したものである。このような米・小麦の卸売比価の動きは,両者の土地生産性(だいたい米は小麦の2.5培-第40表参照)を反映しており,中国の食糧作付体系のうえでも,米主・小麦従の方向がとられ,同時に米の輸出拡大が積極化されている。
第2に,輸出品目の多様化が促進されていることである。中国経済が回復しはじめた62年から64年にかけて,ホンコン,シンガポール,ビルマ,セイロン,インドネシアなど各市場において,繊維品,セメントなど比較優位製品とともに,これまで比較劣位とみられてきた鋼材(棒鋼,2次製品),機械(旋盤,ミシン,扇風機,自転車など比較的加工度の低い品種)などの輸出の著増がみられるようになった。そして同地における日本の輸出増加率を大きく上回って,あらためて日中工業品輸出の競合関係が注目されはじめている(第41表参照)。これは中国が進めてきた資本財産業の優先発展政策によって,資本財部門のコストが,急速に低下しはじめたためである。
以上のような社会主義諸国の西側に対する輸入依存度の上昇と貿易政策の積極化に対応して,資本主義諸国も,拡大市場として,社会主義圏の将来性に注目して,東西貿易促進のため種々の措置を講じている。たとえば,西ヨーロッパ諸国や日本は5ヵ年を原則的な限度とするベルン協定の規定を上回る延払いを認めている。また従来東西貿易に立ちおくれていた感のあるアメリカも,ソ連・東ヨーロッパとの貿易を拡大する意向を示し,63年に,対ソ小麦輸出に踏みきったのをはじめとして,一部東ヨーロッパに対してプラント輸出を行なうことになった。
日本の対社会主義圏貿易は,近年,他の工業国に比べて,大幅な伸びを示している。そのうち,対ソ連貿易は,63年以来西欧工業国の伸び悩みのうちにあってかなりの拡大をみせた。66年以降の5ヵ年貿易協定の締結に際しては,シベリア開発需要が織りこまれる可能性がある。他方,対中国貿易は64~65年に大幅に伸びたが,延払い問題をめぐりLT貿易の先行きが注目される。