昭和40年
年次世界経済報告
昭和40年12月7日
経済企画庁
第2章 世界貿易の発展
低開発国貿易は,工業国の経済拡大の影響を受け,1958年来の停滞を破って,1963~64年に増勢を強めた。
まず,先進国向けの輸出が増勢を高め,やがてそれが輸入増となってはねかえった。63年から64年へかけて,従来大きく開いていた貿易収入の赤字はいちじるしく縮小し,金・外貨準備はわずかながら増加に転じた。この好転は,さらに低開発国の輸出価格の上昇をともなっており,第38図にみるように,従来の傾向とは異なった動きが,これらの輸出入,価格,金・外貨準備といった指標に同時にあらわれた。1965年にはいると,輸出の増勢に鈍化が起こったが,輸入はなお増勢を維持している。
過去に低開発国貿易が,似たような拡大を示した時期を求めれば,朝鮮戦争の影響がほぼおさまった1953年から57年までの期間をあげることができる。51年から52年にかけて,低開発国の輸出価格は急落したが,53年から56年までは横ばいを統け,金・外貨準備は増勢を維持していた。
この1953~57年の期間の特徴は,低開発国の輸入の増加が輸出をリードした点にある。独立した低開発国が経済開発に乗り出し,いちじるしく投資率を高め,開発財輸入を著増させた時期であった。輸出の伸びは,少なくとも55年までは相当なものであったが,その後は輸入に大きくリードされた。当時,スターリング地域の国々は戦時中に蓄積したポンド債権があり,また,アメリカを中心とした外国援助が増加し,この輸入増をまかなうことができた。
しかし,1957年になると,貿易収支の赤字は異常に拡大し,加えて先進工業国の景気後退による影響で輸出が減少して,58年以後62年まで統く停滞期にはいってしまう。
ともあれ,この53~57年の拡大期は4年間続いた。これに対し今回の拡大は,2年後にはやくも終了するきざしをみせはじめた。1964年後半から低開発国の輸出価格は上昇をやめ,金・外貨準備も横ばい状態にはいった。輸出では増勢の鈍化が起こり,65年上期にはこの鈍化傾向は強まった。
輸入はなお増大を続けているが,64年末から国際収支難が再燃した国々がかなりあって,輸入制限を強化しており,早晩輸入の増勢は弱まるものとみられる。
これは今回の貿易拡大が先進国の輸入増を起動力とするもので,その増勢が弱まればその悪影響が拡がる結果となるからである。この問題は先進工業国の景気と密接な関連があるが,これについては前節で述べた。また,先進国からの援助は増大を続けているが,対外債務の累積により,その元利払いが著増しており,1960年代にはいってから,援助の実質的流入はほぼ横ばい状態となってしまっている。この段階では,輸出の動きを離れて,輸入が大きく伸び続けることは困難となる。
ところで,低開発国貿易の世界貿易における役割であるが,1953~57年の拡大期と57~62年の停滞期および62~64年の再拡大期を比較検討すると,日本をふくめた先進国にとってのその意味は意外に大きい。
通常は,低開発国貿易の伸び率が低く,世界貿易の増加に対する寄与も低いと考えられているが,第34表でみるように,1957~62年の停滞期にはそのとおりであるとしても,拡大期については,世界貿易に対しかなりの拡大効果をもった事実を認めることができる。とくに,先進国の輸出を,第39図に示すように,先進国向けと低開発国向けに分けて比較してみると,53~57の期間には,低開発国向け輸出は,先進国間貿易とほとんど同じ増加率で伸びたことがわかる。この時期には,低開発国の経済開発の推進が先進国の資本財の輸出を促進したのである。このことは1963年から最近までの期間についてもある程度あてはまる。
他方,先進国の低開発国からの輸入は増加率がかなり低いが,第35表に示すように,先進国の国内総生産と比較すると,ややその比率を高めている。つまり,先進国の輸入依存度上昇は,主として先進国間の工業製品貿易の拡大によるものであるが,一部は低開発国からの輸入の増加にもよる。
ここで注意すべき点は,1957年までは先進国の低開発国に対する輸入依存度の上昇は,もっぱら石油輸入の増大によるものであったが,58年以後60年代にはいると,これに工業製品輸入の増加が加わることである。ガットの調査によれば,64年にも先進国向けの低開発国製品は相当な伸びを示した。
1950年代における低開発国の工業化は,58年以降に労働集約的工業製品の輸出増加をもたらすにいたったのである。また逆に,先進国の低開発国向け工業製品輪出の増勢はいちじるしく鈍化し,とくに化学品と機械以外の「その他製品」の場合は減少さえ示している。一方で,国際収支難のため輸入制限が課され,他方工業化が輸入代替効果をもったためである。
この低開発国の「その他製品」の市場としては,先進国が主となっており,日本をはじめとする先進諸国に対して低開発国が内外の市場で競争者として立ちあらわれてきたわけである。しかし,機械類については,低開発国間貿易が7割を占め,先進国市場では競争力の弱いことを示している。
以上述べてきたところからわかるように,低開発国貿易を伸ばすためには,現在の段階では,その先進国向け輸出の増加と,先進国からの援助の増額ないしは援助条件の緩和を進めることが前提となってきている。しかし援助問題のもつ困難性と同時に,低開発国輸出の促進が先進国との競合問題や特恵問題など,日本をはじめ先進国に対し重大な影響を及ぼす可能性があることを十分考慮しておく必要がある。
1963~64年に起こった世界貿易の拡大は低開発国の輸出を大きく増加させ,国際収支の大幅な改善をもたらし,輸入の増大を可能にして,鉱工業生産の伸長に寄与したとみられる。
しかし,1964年以来,インドをはじめとして,国際収支難の再燃した国が増加しており,再び輸入制限が強化されて,成長率を鈍化させる懸念が出てきている。
この国際収支難の再燃は,輸出の伸びが鈍化したことが直接の原因であるが,過去に累積した対外債務の元利払いが年々増加し,先進国からの援助の純流入額が61年以後横ばいとなっている背景を考慮しなければならない。
援助の目的は,先進国と低開発国との間に拡がる格差を縮小させ,世界経済が全体として安定的発展を遂げるようにするため,低開発国が自律的発展の軌道に乗るまでの,いわゆる「離陸期」に資本を供給し,資本財や技術を提供することにあると考えられる。離陸過程を順調に経過しつつあるといえるためには,投資の持続的成長と,輸出入均衡,ないしは将来の債務返済を考慮に入れて輸出超過の見通しが必要である。そこで投資率,貯蓄率および輸出のそれぞれが増加を持続するようになることがその指標としてあげられている。しかし,多くの低開発国では,貯蓄率は上昇せず,輸出は伸び悩み,むしろ当面する経済困難を緩和するため,さらにいっそう多くの援助が要請されるような状態にある。
低開発国の経済困難をカバーするため援助の増額が必要であるとしても,その半面,援助対象や援助方法の再検討も援助の効率を上げるために不可欠のように思われる。巨大なダムや製鉄所より,適正規模の産業や農業開発のプロジェクトを援助せよとの声も強い。また,受入れ側の低開発国で援助を必ずしも有効に用いていないばあいも見受けられ,この点の改善が要望される。
援助額(社会主義国の援助を除く)はすでに90億ドルの水準に近づいているが,これは低開発国の輸入のほぼ3分の1,総投資額の4分の1に達すると推定されている。援助は低開発国経済のなかに組みこまれてしまい,多くの国では近い将来,成長を落とさず援助を減少させる見込みはない。しかも低開発国の対外債務(期間1年以上)は年々増大し,1958年に90億ドルであったものが,64年には330億ドルに達しており,その累積債務の元利支払いがいまや援助総額の3分の1となり,今後いっそう増大していく見込みなのである。
無償援助の増額や借款の条件緩和が要請されるのはこのためであり,実際にも平均償還期間は延び,平均利子率も低下する傾向がみられる。1965年6月にはイギリス政府が1人当たり所得が低く,債務負担の重い一部の低開発国に対し,無利子の借款を与えると発表し,7月末に開かれたDACの上級会議では,政府援助の70%を贈与または贈与類似の形で供与していない加盟国は,原則として今後3年間に贈与および年利率3%以下,期限25年以上の条件のものを政府援助総額の約80%まで高めるという勧告を採択している。
日本の援助条件は,これに比較すれば,かなりきびしいので,向こう3年間に経済力に応じて適当な緩和措置をとっていかなければならない。
また一方,援助額を増加する問題については,64年の国連貿易開発会議で採択された国民所得の1%という援助額の目標を達成する方向へ進んでいく必要がある。
現在,アジア諸国が主体となって,エカッフェ地域の経済成長と経済協力を促進する目的で,アジア開発銀行(TheAsianDevelopmentBarnk)設立の準備が着々と進められている。日本はこのアジア開発銀行に参加し,10億ドルの資本金のうち2億ドルを出資する意向をすでに表明したが,アメリカ,カナダ西ドイツなど域外先進国の協力も予定されている。