昭和40年

年次世界経済報告

昭和40年12月7日

経済企画庁


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第1章 世界経済の成長と循環

4. 社会主義国経済の好転

社会主義国の経済成長率は,1964年には62年,63年の過去2ヵ年より大幅であったが,それ以前の成長率をなお下回っている。64年における成長率の上昇は,主としてソ連の農業生産が回復したことと,東ヨーロッパ諸国の工業生産の増加率が高まったことによるものであった。

東ヨーロッパでは,ハンガリーとポーランドで農業生産の増勢鈍化により成長率が63年を下回ったほかは,他の東ヨーロッパ諸国の成長率は上昇したか,少なくとも63年なみであった。ただチェコでは計画修正にともなう生産調整で国民所得が63年に4%減少したのち,64年にも同じ水準にとどまった。

65年にはいって,中国経済は62年以来の回復を続け,ソ連の工業生産も増加テンポを高めるなど,社会主義国の経済好転がみられる。

(1)上昇をみたソ連経済

1963年に農業の不作のため,従来みられなかったほどの低成長に落ち込んだソ連経済は,64年には農業生産の回復によって63年を上回る成長率を示した。しかし工業生産は63年より増加率が低下したが,これは主として,機械工業の増産テンポの低下と63年の農業不作の影響による食品工業の不振が続いたからで,農業の回復の好影響で工業生産が目立った伸びをみせたのは65年にはいってからである(第20表参照)。

このように,ソ連経済は64年から65年にかけて成長率の高まりを示したのであるが,これだけで,近年,とくに60年以降の成長率鈍化の傾向になんらかの転換が生じたとはいいきれない。この好転は,農業生産の落ちこみからの回復と,それに影響された食品工業を中心とする工業生産の上昇によるものだからである。

60年を転期とする長期的な経済成長率の鈍化は,59年以来農業生産(国民所得に占める比重は58年が24.1%,63年が20.5%)が農地開拓による増産の頭打ちでいちじるしく小幅な成長を続けていることにもよるが,工業生産も64年までほぼ一貫して増加率が低下し,経済成長率の鈍化に拍車をかけてきた。このような工業生産の増加率の低下傾向を部門別にみると,消費財部門の伸びがいちじるしく小幅になっており,また生産財部門でソ連工業に大きな比重を占める機械工業,金属工業の伸びが鈍化している一方,これらの工業部門に代わって重点施策の対象となっている化学工業が予定どおりの増産を達成しておらず,63年以来伸び率はむしろ低下している(第21表参照)。

この工業生産の成長鈍化の主要な要因としては,①投資の伸びが59年から61年にかけて国防費の増大の影響で急激に縮小し,その後も比較的小幅であること,②投資のパターンが変化し,合成化学工業,電子工業など新規部門への投資が増しているが,急速には増産効果が得られないこと,③農業の不振が続いて工業原料面の制約を与えていること,④軽工業品の品質・品種が不満足なため,ぼう大な滞貨が発生していること,⑤労働力の供給に限界があるうえに労働時間が短縮(59年の週平均46時間に対して61年の週平均41時間)されたことなどをあげることができる。

このような成長鈍化の要因をふくみながら,ソ連経済は64~65年にはいちおう成長率の上昇をみた。しかし,65年には再び農業不作に見舞われ,63年についで大量の小麦買付けが行なわれた。この小麦買付けが国際経済やソ連の貿易へ影響を及ぼすことはもちろんであるが,農業不作自体は,経済成長を低下させる要因となろう。

66年からは新5ヵ年計画がこのような条件のもとに開始される。この5ヵ年計画では,農業部門で,5ヵ年間に戦後における過去の投資総額に匹敵する巨額の投資が行なわれて,近代化による増産が推進される。また工業部門では,一方で割拠主義の弊害があらわれてきた地域別の国民経済会議を廃止し,工業部門別に中央管理機関を整備して統一的指導を強化する半面,他方個別企業については上級機関から与えられる計画指標の数を減らし,また技術革新のために適宜利用しうる資金を増すことにより,企業の自主性を高めるなど,計画および管理体制の改善が行なわれようとしている。

さらに生産の効率向上とインセンテイブの促進については,従来企業の運営と従業員に対する報奨の主要な基準となっていた総生産高指標は,品質・品種の向上・改善を妨げ,またその計画超過遂行が主として報奨の基準となっているため,計画目標を故意に低め,生産要素をより多く入手しようとする企業側の努力を助長するという弊害があるので,販売高,利潤および利潤率などが企業運営と報奨の重要な指標とされる。そのほか,価格や信用が経済運営の用具としてますます重視されるが,新たな価格体系は1966年にその基本方針が定められ,67~68年に実施に移されることになっている。

今後のソ連経済の成長は,新5ヵ年計画におけるこれらの措置の成否いかんにかかっている。

(2)回復を続ける中国経済

1964年から65年にかけて,中国経済は比較的順調な回復を示している。農業生産では64年に食糧および綿花,家畜などの生産がこれまでわりに高い収穫をあげた年(第1次5ヵ年計画の最終年次にあたる1957年)の水準にもどった。

65年にはいっても概して農業生産の好調が続き,小麦は64年に比べ増加率の減少が予想されるものの,早稲は全国平均して10%程度の増産となり,中・晩稲もまた比較的増産が見込まれている。

作柄の好転は,主として品種改良,灌漑設備の普及,化学肥料の増設,農業機械の導入など農業近代化に負うところが大きいが,また,米作の作付面積の拡大や北上化による食糧増産の効果も大きい。

工業生産では,化学肥料,農業機械など農業関連産業を中心に著増し,64年には前年比15%増の増大をみた。さらに65年にはいって投資活動の高まりから,鉄鋼,機械,セメントなど投資財産業も増産に転じ,また外貨取得のための翰出産業として重要な綿紡績,あるいは化合繊,プラスチックなど軽工業部門もかなりの増産となっている。

こうした工農業全般にみられる生産の回復は,計画当局がこれまで明示してきた,①農業投資の増大,②農民および都市労働者に対する労働刺激措置の採用(労働に応じた分配制の確立,農民の個人所有地の拡大,自由市場の開設,出来高払制の強化)などを主な骨子とする経済回復のための政策が,ようやく実を結びはじめたことを示している。現状のままで推移すれば,おそらく65年において,工業生産は前年比11%増,農業生産は5%増の計画は超過達成となるだろう。

ところで,66年には,経済回復を終え,再び経済拡大をめざして第3次5ヵ年計画(1966~70年)が発足しようとしている。さしあたって計画当局にとって必要なことは,国内資金調達とプラントおよび主要機器の入手に目安をつけることである。とりわけ後者については,中ソ対立のきびしい現状から判断して,ソ連の経済技術援助がまったく期待できないので,プラントおよび工業品の大部分を国内自給によって輸入代替し,一部を資本主義工業国からの輸入に市場転換するという従来からの政策を当分継続しなければならず,したがって,開発テンポも必然的に緩やかなものとなろう。

第22表 中国の工農業生産


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