昭和40年
年次世界経済報告
昭和40年12月7日
経済企画庁
第1章 世界経済の成長と循環
低開発国の経済は,1960年以降成長率の低下傾向に悩まされてきたが,64年にはかなりの拡大(推定5%増)を達成したものと思われる。前掲第1図で示したように,低開発国の鉱工業生産は1963年から増勢を強めており,農業では東南アジアなどで増産を記録した。
東南アジアの成長率は63年に10年ぶりに5%を超え,64年もほぼ同程度の伸びとなったと推定される。63年に1.7%に落ちたラテン・アメリカの成長率も,64年には高まったものと思われる。
この成長率の高まりは,農業生産の上昇に加え,63年以来の輸出の好調で外貨受取りが増大して国内経済の拡大が可能となり,とくに鉱工業生産面では,資本財や原材料輸入を増加させたことによる。
しかし,1950年代後半から低開発国の成長率は鈍化傾向を示しており,低開発国と先進国との経済力の格差は拡がってきていた。先進国の成長率は60年代にはいって再び高まる傾向が出ており,64年についても,アメリカと西ヨーロッパは5%ないしそれ以上の値を示したので,低開発国の経済拡大も格差縮小とまでにはいっておらず,人口の急速な増加を考慮すれば,1人当たり所得の格差はなお拡がり続けている。
64年に低開発国経済が全般的にみて拡大したといっても,国別にみると,貿易面の成果もさまざまであり,農工業で比較的伸びた国でも,食糧不足問題が悪化したり,インフレ圧力に悩まされた国がかなりあった。
輸出増加にもかかわらず,金・外貨準備を減少させた国や,拡大政策のため国内需要が強く輸出が増加しなかった国もあり,財政赤字と結びついた拡張的金融政策をとったのは,アルゼンチン,インドネシア,ナイジェリアなどがあげられる。インドでは食糧不足が深刻化し,物価の上昇が続いたうえ,さらに中国やパキスタンとの対立から軍事費の重圧がかかり,拡張的な政策が事態を悪化させたので,64年下期から65年にかけ,引締め政策がとられた。
他方,貿易が拡大して,経済状勢が好転したところでインフレーション圧力を押えようとした国のうち,イスラエルとフィリピンは財政赤字の削減でこれに成功した。しかし,ブラジル,チリ,韓国では,なお物価の上昇が続いている。
64年の食料は増産だったとはいえ,人口1人当たりにすると増加傾向は認められず,急激な都市化の進行,生活様式の変化といった事態が,さらに農産物の需要を累増させ,食料の不足と物価の上昇を招いているばあいが多い。工業化の推進がこの傾向をいっそう強めている。
低開発国の経済発展に強力な開発政策が必要であることは一般に認められており,いまやほとんどの低開発国が経済計画を策定している。その大部分は,工業化をもって経済発展の推進力とする構想に立脚したものである。
しかし,鉱工業生産も,60年代をならしてみると,50年代に比較して増勢が弱まっている。
これは,根本的には,低開発国経済の特徴である低い貯蓄率,経営者と技術者,および熟練労働者の不足,市場の狭さ,インフレーションなど経済環境の悪化,あるいは社会の前近代性といった近代的工業の発展に対する障害が順調に克服されていないためであるが,直接的には,輸出の不振による外貨難が資本財や原材料の輸入を抑えていることが理由としてあげられる。
この外貨難や上述の基本的障害とも関連して,工業化を推進するため農業部門の発展が必要である点が,近年強調されるようになった。
第19図は,東南アジア諸国について,国民所得と農業生産の増加率の関係を示したものであり,農業生産の伸びた国が,成長率も高いという傾向がみてとれる。
低開発国における農業の比重はいちじるしく高く(東南アジア諸国でGNPの3~6割,就業者の5~9割)成長率を左右するが,工業化の推進に対しても,食料と原料の供給,農産物輸出による外貨の稼得,あるいは農産物輸入削減による外貨の節約,資本の供給,労働力の供給という,多面的かつ直接的な役割を果たす。
これらの役割は相互に関連しているが,現在ではそれは食料供給の不足という観点から照明をあてられている。食料不足が経済のあらゆる面に悪影響を及ばして経済開発を押しとどめ,工業化の推進を困難にするばかりか,国によっては政治不安や社会不安をひき起こしているからである。
低開発国の食料供給を1人当たりでみると,1950年代後半にいたって戦前水準にようやく復帰しているが,その水準は先進国の3分の1にも充たぬ低いものであった。しかも,60年代にはいると,この低い水準から再び低下がはじまった傾向がみられる。これは農業生産の伸びがはかばかしくないうえに,人口増加率が高まり続けてきたからである。将来を眺めると,展望はいっそう暗い色彩を帯びてくる。将来人口の国連推計によれば,今世紀末に低所得国の人口は50億人を超え,1958年の2.5倍に達する。この急増する人口に見合った食料の増産がなければ,現在まだ食料の不足に悩まされていない国までも,将来,不足国へと続々転化していかざるをえない。
また,幼弱な工業部門が雇用機会を十分作り出すことができず,農村人口の急速な減少が期待しえない低開発国の実状では,1人当たり所得の増加をはかるうえでも,農業生産の増大が必要である。商品作物では,生産性がいちじるしく高く,収益も上がるばあいがあるが,食糧生産については,通常,生産性は低い。このため,フィリピンなどでは,農地を砂糖きびのような商品作物へ転換する動きさえみられる。
食料生産を高めようとするとき出あう困難性は,さまざまな側面をもっ複雑なものである。技術的な後進性と新しい技術の普及が困難なこと,資本蓄積の低さ,といったものから,土地制度,流通機構の前近代性や農民の態度など社会制度的要因に及んでいる。
しかも,低開発国,とくに東南アジアの農業が直面している問題は,従来多くのばあいそうであったような,人口の増大に応じて耕地面積を拡げていく増産方法に限界がみえており,今後の増産は主として土地生産性の向上にまたねばならぬことである。
第17表に戦後の穀物生産の変動を示した。生産の増加率そのものでは,先進国にさほど劣ってはいないが,戦時中の減産の回復による部分もあり,また耕地面積の拡大が大きい役割を果たしている。土地生産性の上昇は,ヨーロッパや日本と比較すればやはりいちじるしく遅いといわねばならない。しかし,この間における農業生産の拡大に低開発国の払った努力は相当なものであって,第18表および第19表にみるように,灌漑面積の拡大,とくに化学肥料の増加率はいちじるしく高い。このような土地生産性を引き上げるための努力が,所期の成果を上げていないのは,各々の施策が有機的に結合されて効果を発揮するところまでいっていないためと,実状によくあった方法が採用されているとは必ずしもいえぬためであろう。
増産の方法を耕地面積の拡大から土地生産性の上昇へと切り換えることは,いちじるしい困難性を孕んでいるようで,過去の先進国のたどった道をみても,このことはいえそうである。第20図に5ヵ国の土地生産性の推移を穀物について示したが,前世紀以来生産性が一貫して上昇しているのは日本だけである。他の先進国は第2次大戦中,あるいは戦後に上昇が起こった。それ以前の欧米諸国の努力は労働生産性の上昇にもっぱら向けられていたのである。
東南アジア諸国では,主要作物は米であり,集約的栽培方法の普及に努力している。アジアにおいてとくに高い水準にある日本の稲作技術が,これらの国国の農業開発の一助となることは,マラヤ,インド,パキスタンなどですでに実証されている。今後,日本の農業技術を熱帯地域の農業諸条件に適応させるための研究改良を行ないつつ,日本が農業面の援助で果たすべき役割はかなり大きいものと思われる。