昭和40年

年次世界経済報告

昭和40年12月7日

経済企画庁


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第1章 世界経済の成長と循環

2. 先進国経済の拡大

(1)アメリカの好況持続

(1)長期好況と政府の成長政策

アメリカ経済は64年から65年にかけて引き続き急テンポの拡大を示し,65年の実質成長率は5.0%,65年上期のそれは4.9%(前年同期比)に達した。かりに65年全体の実質成長率を4.5%と想定すると,現民主党政権成立以来65年まで5ヵ年間(60~65年)の年平均成長率は4.4%となる。この成長率は50年代後半(55~60年)の2.2%に比べてはもちろんのこと,戦後アメリカの経済成長率が比較的高かった50年代前半(50~55年)の4.3%と比べても劣るものではない。しかも,61年3月以来の景気上昇過程は現在(65年12月)で58ヵ月も続いており,平時としては史上最長の上昇期間となる。このような長期にわたる経済拡大の結果,失業率(調整ずみ)も63年平均の5.7%から65年10月の4.3%まで低下してきた。

アメリカ経済が1957~61年間の長期的低迷から脱却してこのように活力をとり戻し,長期的好況を続けてきた主因は,ケネディ・ジョンソン政権の成長促進政策にあったといってよい。

ケネディ以前の時期においては,景気拡張期の比較的早い局面で物価抑制の見地から金融引締め政策がとられ,好況の持続につれて引締め政策がさらに強化された(たとえば,58年5月に景気回復がはじまったとき,わずか4ヵ月後の9月に公定歩合が引き上げられ,さらに59年9月までの1ヵ年間に4回も公定歩合が引き上げられた)。このような金融引締めは,住宅建設や耐久消費財購入など比較的金融に敏感な需要を抑制する重要な一因となった。また,財政政策も均衡重視の見地から運営されたために,好況時には連邦財政が大幅な黒字となって経済にデフレ的影響を及ぼした。しかし政府はこのような財政のデフレ作用を相殺する措置をとらず,むしろ社会保障拠出金の引上げや消費税増税などを行なった。

これに対して,ケネディ政府は,61年に成立して以来,景気刺激的な金融政策をとり,短期金利は国際収支上の考慮からある程度高めに維持しても,長期資金についてはその供給を潤沢にすることにより,低金利を堅持する政策をとってきた。64~65年においても,国際収支上の考慮から公定歩合の再引上げ(64年11月)があったものの,公開市場操作による銀行流動性の維持,長期預金最高金利引上げによる長期資金の潤沢な供給などの政策が引き続きとられた。

このため,第10図から明らかなように,今回の上昇局面においては,長期金利はまったく安定的であり,そのことが住宅建設や耐久消費財の購入に対して好影響をおよぼした。また財政面においても,必ずしも年ごとの収支均衡にこだわらず,むしろ景気刺激の見地から赤字財政を継続した。

アメリカの連邦財政は,その高率の累進所得税制のため,景気後退時には後退の幅を小さくする作用をもつが(ビルト・イン・スタビライザー),半面では景気拡張期には税収が著増して民間資金を吸い上げ,好況をチェックするという抑制的なはたらきをする。経済自体の自律的な拡張力が強くて需要が供給を上回るような時期には,このような財政の好況抑制作用はむしろ過熱の防止に役立つことで,「安定的な」景気持続を可能にするともいえよう。しかし,自律的な浮揚力があまり強くない時期には,好況を短期に終わらせる可能性をもつわけである。このような時期には,好況を持続させるためには,財政面から支出の増加または減税が必要となってくる。民主党政府はこの点に着目して,景気回復がいちおう軌道にのった62年以降も,投資減税と減価償却期間短縮によって財政面から投資を刺激し,さらに63年初めには画期的な所得税減税の構想を打ち出した。この所得税減税は議会の審議が遅れたために,1年おくれて64年1月と65年1月に実施された。さらに65年央には消費税減税が行なわれた。

このようなケネディ・ジョンソン政府の財政政策が実際にも好況の持続に効果をあげたことは,第11図からもよみとれる。同図は53年以降の連邦財政(国民所得勘定ベース)の収支尻の推移を示したものであるが,53~60年までは朝鮮動乱で国防費が膨張した53年を除くと,不況時に赤字,好況時に黒字というパターンを繰り返してきたのに対して,62年以降は拡張期においても連邦財政尻が赤字を続けてきたことがわかる。ただし,65年上期は大幅な経済拡大により受取超過となったが,下期以降66年上期までの時期については65~66年度の予算案によると約60億ドルの赤字となる予想である。

以上のように金融と財政の両面から国内景気を刺激すると同時に,他方では経済成長の制約条件となるはずの国際収支赤字については,国際金融協力や各種のドル防衛措置によってその是正につとめ,国内成長を阻害せぬように配慮された。64~65年においても金利平衡税の実施や資本流出規制などの措置がとられた。また,賃金,物価の問題についても,ガイド・ラインの設定や個別的説得など,いわゆる所得政策が推進され,物価上昇の抑制に努力が払われた。

2)減税下の経済拡大

このような成長政策のなかでも,とりわけ所得税の大幅減税が64~65年の経済拡大に大きな力となった。すでに3年も続いた拡張期間のあとをうけた64~65年に,経済成長率が再び高まったのも,減税のためであったといってよい。

大統領経済諮問委員会の推定によると,減税のおかげで消費者支出は90億ドルだけ余分に増加したというから,消費者支出だけを考えたばあいでも,64年の経済成長率(名目)は,もし減税がなかったとすれば,5.2%(実際は6.7%)にとどまったであろう(63年の名目成長率は5.1%)。さらに,減税の設備投資に対する刺激効果(法人所得税の引下げによる利潤増加と消費者需要の増大を通じて)を考慮にいれるならば,64年の高率の経済拡大がいかに減税に負うているかは明らかであろう。

64~65年の経済拡大が大福な減税の刺激の下に続いたことは,経済拡大の性格にも大きな影響を与えた。61~63年間の経済拡大が耐久消費財,住宅などの個人の投資的支出と政府支出を拡大の主柱としていたのに対して,64~65年には住宅建設が後退した代わりに設備投資が大幅に増加して投資ブームを現出したこと,および耐久消費財を中心とする個人消費がいちじるしく伸びて経済拡大に大きく寄与したことが特徴となっている。この点はGNPに対する比率からもうかがわれるのであって,GNPに対する民間事業固定投資の比率は63年の9.4%から64年の9.9%,65年上期の10.3%へ上昇しており,この10.3%という比率は50年代の投資ブーム期であった56年(10.6%),57年(10.5%)に迫るものである。また耐久消費財購入のGNPに対する比率も63年の9.7%から64年の10.1%へ高まって,50年代の記録である55年の9.9%を抜き,さらに65年上期には10.6%に達した。

このほか,鉄鋼スト見越しのために64年末から65年前半にかけて大福な在庫投資があり,それが65年上期の経済拡大率を異常に高めたことも,64~65年の一つの特徴であった。

3)戦後循環との比較

このように,61~65年という長期の拡張過程のなかで拡大要因がしだいに変化してきたとはいえ,これを戦後3回の拡張局面と比較すると,非常に大きな相違がみられる。

第6表は,戦後4回の循環を後退(前期の山から谷へ),回復(谷から前期の山の水準まで),上昇(前期の山の水準から当期の山まで)の3局面に分けて,それぞれの局面における主要需要の伸び率(年率)を比較したものである。第1次循環と第2次循環には朝鮮動乱による国防費の膨張と縮小という特殊要因があるが,その点を捨象すると,第1次から第3次までほぼ共通してつぎのような特徴が指摘できる。

個人の非耐久消費財とサービスに対する支出は各局面を通じてきわめて安定的であり,景気後退の規模を小さくするのに役立った。政府購入は前述した朝鮮動乱による攪乱を除くと,後退時に下支えとなったが,拡張期には概して中立的であったといえる。輸出はGNPの4~5%前後にすぎず,したがってアメリカの景気変動には,あまり大きな役割を果たしていない。これに対して,耐久消費財購入と住宅建設,民間事業投資および在庫投資は変動の振幅が大きく,景気循環に主役を演じてきた。

そこで,耐久消費財,住宅建設,事業固定投資,在庫投資という主要な変動要因が,各循環局面でどのような役割を果たしたかをみよう。

過去3回の景気拡張局面においては,在庫投資の反騰が回復のきっかけとなり,それに住宅建設と自動車を中心とする耐久消費財需要が加わって景気上昇をリードした。しかし,その後設備投資がもり上がるブーム局面では,金融逼迫によって住宅建設がいち早く大幅な減少をみせ,また自動車景気も長続きしなかった。その結果,やがて投資ブームの一巡と在庫投資の減少から景気後退をまねくという循環パターンを繰り返してきたわけである。

これに対し,今回の循環では,在庫投資の反騰が景気回復のきっかけとなり,その後住宅建設と耐久消費財需要が上昇をリードした点ではほぼ同様であるが,過去のように住宅建設と耐久消費財需要が短期間に崩壊せず長く続いたこと,設備投資も比較的早く立直りしだいにその勢いをましてまたこと,いいかえれば,耐久消費財,住宅,設備投資という3本の柱が長期にわたりー多少時期的なずれがあるとはいえーほぼ並行して伸びてきたことが,今回の拡張期と以前の拡張期との決定的な相違点であり,それがまた今回の上昇を息の長いものにした理由でもあった(住宅建設が64年下期以来やや減少しているが,減少福は小さく,過去のように大きなマイナス要因となっていない)。

この点は,各拡張期における耐久消費財購入,住宅建設,事業固定投資の推移および増加期間を示した第12図および第5表からも明らかであろう。

また,各循環期における在庫投資のビヘイビアをみると(第13図参照),61年以降現在まで,在庫投資が,それ以前に比べて比較的安定的となったことが注目をひく。

このような長期にわたる総需要の増加をもたらした最大の要因が,政府の成長政策にあることは前述したとおりである。だがそのほかにも,経済自体に長期拡大を可能にするような諸条件があったことを見逃してはならない。その第1は,58~61年の停滞を通じて労働力や設備にいちじるしい遊休が生じたことである。失業率は53~57年の平均4.3%から58~61年の平均6.1%へと上昇,また製造工業操業率は同期内に平均88%から平均82%へ低下した。このような事態が成長政策の採用を促すと同時に,その実施を可能にした。つまり,インフレなき経済拡大を可能にする前提条件となったのである。さらに1964年の年次報告書で指摘したような人口動態的変化(若年層の増加や新世帯形成数の増大など)や,自動車や設備の更新需要の増加(自動車の年間廃棄台数は61年の444万台から現在の600万台近くへ),最近の鉄鋼業投資の激増(64年36%増,65年12%増)にみられるような技術革新の進行なども,経済自体に醸成されてきた新しい成長要因であるということができる。

第7表 各拡張期における戦略的需要の上昇期間

(2)西ヨーロッパにおける経済拡大

1)経済拡大の持続

1964年の西ヨーロッパ経済は,一部に景気後退を経験した国があったが,全体としてみると成長率の高まりを示した(推定5.7%)。この5.7%という成長率は1950年以来第3番目の高さ(60年6.5%,55年6.1%)であり,明らかに64年が西ヨーロッパの成長率循環のピークであったことを物語っている。これは,イタリアを除いてほとんどすべての国が大幅な拡大を示したからである。だが,このような旺盛な拡大のなかで多くの国がインフレ圧力に見舞われ,それに対処するための引締め政策の結果,また一部の国では供給面での隘路出現の結果,65年にはいると成長率の鈍化を示す国が多くなった(例外はイタリア)。

64~65年の西ヨーロッパの経済拡大をもたらした要因は,国によって一様でない。いま4大国についてみると,まずイギリスは5.7%という同国としては戦後最高の成長率を達成したが,これは主として62年秋以来の政府の成長政策に刺激されて(金融,財政上の刺激措置),耐久消費財,とくに乗用車に対する消費需要の63年に引き続く急上昇と,それに誘発された製造業の設備投資の増加,住宅投資および政府投資の大幅な伸びによってもたらされたものである(第8表参照)。しかし,この拡大テンポの急上昇も,労働力および生産能力の隘路から長続きせず,輸入が急増したのに対して輸出が伸びなやんだために,国際収支は急速に悪化して,64年末にはポンド危機の再発を招いた。それ以来,輸入課黴金の導入,国際的ポンド支援,経済引締め政策の実施などによりポンド不安は65年秋以降遠のいたが,経済活動は停滞的兆候をみせはじめた。

西ドイツは,63年の輸出ブームが64年の投資ブームをひき起こし,さらに65年には,所得税減税などの措置もあって個人消費がもりあがり,設備投資とともに拡大の2大支柱となった。このような景気の高揚によって,労働市場の窮迫,一部設備の隘路を生じてインフレ圧力が拾頭し,政府は64年春以降,外資流入抑制,金融引締めなど引締め措置をとったが,現在までのところ物価抑制に十分効果を発揮していない。しかし供給側の隘路のため成長率はしだいに鈍化してきた(64年の6.6%から65年の5%へ)。

フランスでは,63年秋にインフレ抑制を目標とした安定計画が導入され,それ以来,経済成長率は急速に鈍化し,64年末から65年初めにかけて後退的局面にはいった。設備投資の停滞,個人消費の不振などがその主因であったが,政府が引締め緩和措置に転換した65年春以降は緩慢な景気回復過程を示している。

これには輸出の大幅増加に加えて,住宅建設の好調,政府投資の増加,個人消費の若干の回復などが主因となっている。

イタリアでは,インフレーション対策の実施(63年秋)が景気後退をひき起こし,とくに固定投資は64年に前年の水準より10%も下回り,民間設備投資の低下はもっと大幅であった(15~20%)。このため,成長率も2.7%という52年来の低水準となった。しかし,64年秋以来の引締め緩和と景気刺激策により,景気もしだいに回復し,65年5月には後退前のピークに達した。

2)戦後における経済拡大要因の変化

西ヨーロッパの経済拡大を全体としてみると,年々のGNPの増加率は循環的変動を示しているが,成長率は60年以降も50年代とあまり変わらない。OECDヨーロッパおよびEECについてGNP増加率の年々の動きをみると(第14図),いずれも1950年以来,ほぼ同一のGNP増加率循環パターンを示している。いま,このGNP増加率循環の山から山を基準として期間を分け,第1期(1951~55年),第2期(1955~60年),第3期(1960~64年)として,各期の平均成長率を地域別および主要国別にみると,つぎの点が明らかとなる(第9表)。

第1に,西ヨーロッパ全体についての経済成長率は,第2期にやや低下した程度で,ほぼコンスタントな推移を示している。これは主として,EECの成長率の低下がEFTA諸国の成長率の高まりによって相殺された結果である。

第2に,EECにおいては期間ごとに成長率の鈍化がみられるが,これはフランスの成長率は上昇したけれども,西ドイツの成長率が大きく鈍化したためである。なお,イタリアはこの間ほぼ同じ成長率を維持している。

つぎに,これらの成長テンポのちがいを需要要因の動きからみよう。

まず,EECl本でみると,主要な成長要因は,全期間を通じて投資および輸出であった(第10表)。しかし,これらの要因の相対的重要性には変化がみられ,第1期の固定投資の伸びに対してもっとも大きな寄与をした住宅投資が第2期以降では鈍化を示し,第3期では輸出の伸びに鈍化がみられ,政府消費と個人消費の伸びは逆に高まった。このような変化は,第1期では住宅の戦後復興需要が強かったこと,第3期では西ドイツの輸出がマルク切上げの影響をうけて伸び率を低下させたこと,また,第2期以降西ドイツの国防支出が大幅にふえたことなどが影響している。この点は,主要国別にみた推移からも明らかである。

まず,成長率の鈍化傾向を示している西ドイツでは,期間ごとにみた最終需要の伸び率は,政府消費を除いていずれも低下を示している(第11表)。逆に成長率の高まりをみたフランスでは,総固定投資および輸出が成長要因となっており,どちらも期を追って伸び率が上昇している。このほか個人消費が第3期に急増しているのは,アルジェリアからの大量帰還者の影響がかなりはたらいたためである。イタリアの第3期における経済拡大テンポは,第2期とほぼ同じであるが,成長要因は投資から消費需要に移り,とくに耐久消費財需要の重要度が増している。イギリスにおける第3期の成長率上昇は,主として固定投資の上昇によるものである。

このような主要国における異なった需要の変化は,それぞれが置かれている供給条件のちがい,およびその変化からも影響を受けている。供給要因が西ヨーロッパの成長制約要因として作用する度合いは,労働力不足が全般的なものになるにしたがっていっそう重大化している。50年代前半に労働力過剰型であった西ドイツは,その後しだいに深刻な労働力不足型へ移行し,そのことが成長の重大な制約条件となった。また従来,労働力が相対的に豊富といわれたイタリアでも,50年代末から60年代初にかけての高成長期に熟練労働力の不足が生じ,その他のEEC諸国にとっても,イタリアの移民の増加による労働力の補充は困難となっている。一方,主要国では労働力の産業間移動(とくに農業からの労働力の流出)が進んでいるが,60年以降では,これにも鈍化傾向がみられる。

労働市場の逼迫から全般的に労働節約的投資需要が強く,これが西ヨーロッパにおける経済拡大を支える一つの要因ともなっている。国別には多少差がみられるが,この期間を通じて投資率はいずれも上昇を示しており(第15図),しかも固定投資を建物と設備にわけたばあい,設備投資の比率上昇がいちじるしく,これは労働力節約その他の合理化投資の反映とみられる。しかし,西ドイツのように,投資率の上昇にもかかわらず成長率が鈍化を示しているばあいもある。これは,総固定投資に占める社会投資(道路,学校)などの割合が上昇したこともあって,限界資本係数が高まったためであろう。

3)景気局面のずれと景気波及

前述のように,1964~65年における西ヨーロッパ主要国の生産の動きには景気局面のずれが明らかに認められるが(第16図),このずれの存在は,EECのような統合の進んだ経済においては,域内貿易を通じてそれぞれの国内均衡の回復を促進させる方向に作用しているようである。たとえば,62年後半から63年にかけて西ドイツの景気が比較的不振であったのに対して,イタリアとフランスがインフレ的好況のさなかにあったために,西ドイツのイタリア・フランス向けの輸出が大幅に増加し,それが西ドイツの戦後第4回目の循環的上昇局面を導入するきっかけとなった。その後,西ドイツが投資ブームで急速な経済拡大をみせ,輸入需要が大幅に増加した64~65年には,イタリアとフランスの景気はインフレ対策としての引締め政策によって不振に陥っていた。この国内景気不振による輸出ドライブと西ドイツのブームを背景に,両国の西ドイツ向け輸出が64~65年に大幅に増加した。イタリアの西ドイツ向け輪出は64年25%,65年1~6月間47%増,フランスの西ドイツ向け輸出も64年17%,65年1~6月間24%増であった。このイタリア・フランスの西ドイツ向け輸出の急増は,貿易収支のいちじるしい好転をもたすと同時に,大きな需要増加要因としてはたらき,両国の景気回復に大きく寄与した。また,その半面,イタリア,フランスからの輸入の著増は,西ドイツ国内の強い物価上昇圧力を緩和するのに役立ったのである(第12表)。

4)西ヨーロッパ諸国の景気対策

1964~65年における西ヨーロッパ諸国の景気対策の方向は,イタリアとフランスを除けば,おおむね経済安定の確保を目的とした引締め基調に終始したといえる。これはいうまでもなく,イタリアとフランスを除くほとんどすべての国が,程度の差こそあれ,景気過熱に見舞われていたためである。

この時期に引締め政策を実施した国のなかでも,イギリスは国際収支難とポンド危機という重大な経済危機に見舞われていただけに,とりわけきびしい引締め措置の採用を余儀なくされた。公定歩合の危機レベルへの引上げ,銀行貸出制限,公共投資抑制,増税など,過去のポンド危機の年(57年と61年)とほぼ同様,またはそれを上回る措置がとられた。このような引締め措置の結果として,個人消費,とりわけ耐久消費財需要はいち早く頭打ちとなったが,民間企業投資の増勢は意外に根づよいものがあった。これは一つには保守党末期から打ち出された成長政策の影響で,長期的な経済成長に対する企業の信頼度が高まったせいであるとみられている。

西ドイツのばあいは,引締め政策とはいっても,国際収支の大幅黒字からの均衡回復を目的とした資本流入阻止ならびに資本流出促進策を除けば,支払準備率の引上げと公定歩合の引上げなど金融的措置だけにとどまった。財政政策では連邦財政の支出膨張抑制など反循環的措置があったものの,地方政府の支出膨張や65年1月からの所得税減税などを考慮すると,全体として財政は拡張的にはたらいたといえる。このことは,財政をインフレ対策に活用することのむずかしさを物語るものであるが,半面では,西ドイツにおける引締め政策採用の必要性がイギリスほど緊急的でなかったという事実もそこに反映されているといえよう。

他方,イタリアとフランスでは,むしろ64年末から65年にかけて引締め緩和ないし刺激措置がとられた。これは,イタリアとフランスの景気局面が他の西ヨーロッパ諸国のそれと異なり,62~63年にインフレ的過熱状態に陥ったため,63年秋ごろから強力な引締め措置がとられ,その結果64~65年には経済活動が不振となっていたからである。また引締め政策の目的であった賃金・物価の過度な上昇の抑制,あるいは国際収支の是正(イタリアのばあい)についても,いちおう所期の目的を達成しえたからであった。しかし,賃金・物価の上昇の傾向が完全にとまったわけではなく,イタリアもフランスも引締め緩和ないし景気刺激の転換にはかなり慎重であった。この点はとくにフランスについていえるのであって,イタリアが単なる引締め緩和のみにとどまらず,積極的な景気振興策をとったのに対して,フランスはおおむね単なる引締め政策の緩和だけにとどめたといえる。

このように,同じく慎重といっても,イタリアとフランスの景気対策に積極と消極という対比がみられた理由は,主として両国の景気情勢そのものに求めることができる。つまり,イタリアが64年はじめから夏ごろまでにかなり急速な景気後退を経験し,その結果失業者の増大,企業倒産の増加などの危機的様相を呈したのに対して,フランスのばあいは,64年秋ごろから65年初めまで軽度の後退的局面を現出しただけであった。このため,64~65年におけるフランスの景気対策は公定歩合引下げ,銀行貸出制限の緩和,賦払信用制限の緩和など,引締め措置の撤廃に重点がおかれ,積極的な景気振興策といえば法人税の改正,設備投資促進のための公債の発行などにとどまった。これは,自律的な景気回復力に期待をかけていた政府の楽観的な景気見通しからすれば当然の姿勢ともいえる。フランス政府はそうした短期的な景気対策よりも,国際競争力の強化を目的とした長期的な構造政策(資本市場育成,企業合同,流通機構合理化など)に重点をおいたようである。

他方,イタリア政府は,金融引締め解除のほか,①公共部門の投資促進,②住宅建設の促進,③企業の社会保障拠出金の一部国庫負担,④不況産業(繊維,建設,造船)に対する税制上の援助措置,⑤中小企業向け融資の強化,⑥失業手当支給期間の延長など,かなり積極的な政策をとってきた。

以上に述べてきたように,64~65年における西ヨーロッパの経済政策の重点は,イタリア,フランスを除いて,おおむね引締め基調に終始したとはいえ,引締め政策をとった国でも,長期的な成長意図が放棄されたわけではない。とりわけ,50年代の低成長から脱却しようとして前保守党政権の末期から成長意欲をもやしてきたイギリスでは,64年秋の政権交代とポンド危機が起こってからもその点に変わりはなく,現労働党政府が65年10月に発表した6ヵ年計画(1964~70年)でも,イギリスとしては高率の年平均3.8%という経済成長を目標にしており,成長阻害要因の除去についても,なかなか意欲的であるといえる。

またイタリアでも,このほど決定された5ヵ年計画(1966~1970年)は,年平均5%の成長率を目標としている。この成長率は50年代後半から64年代前半にかけての平均成長率(5.7%)より低いが,この間におけるイタリアの成長条件,とりわけ労働力供給の基本的な変化を考えれば,やはり野心的な目標だといえるであろう。これに対して,現在議会で審議中のフランスの第5次5ヵ年計画が目標としている年平均成長率5%は,第4次計画の5.5%に比べてやや低く抑えられており,物価安定に関する配慮と相まって,フランスが相対的に安定重視の方向へ移りつつあることを示すものであろう。

(3)先進国の物価と成長政策

以上みてきたように,欧米諸国の経済は64年から65年にかけ,全体としては高い成長をとげてきたといえるが,すでにある程度示唆したように,その成長過程において欧米諸国の物価はおおむねかなりの上昇を続けた。物価問題は経済成長を達成するうえでますます困難な,しかしその解決が重要な問題となりつつある。

64~65年の物価動向を主要国別に検討すると,ほぼつぎのような特徴がみてとれる(第17図,第13表)。

① 西ヨーロッパ諸国のうち,イギリスと西ドイツの物価が,景気の成熟ないしは,過熱化にともない,かなりの急上昇をみせた。とりわけイギリスの物価騰貴はいちじるしく,これが貿易収支の悪化,ひいてはポンド危機の一因となった。イギリスの輸出が64年にはいっていちじるしく増勢の鈍化をみせた主因は,旺盛な国内需要とくに活発な投資活動が輸出余力を失わせたことにあるが,これに加えて,卸売物価の上昇が他の国と比較して高く,輸出競争力を弱めた面も否定できない。また64年以降起こった輸入急増のなかで,工業原材料とならんで機械を中心とした工業製品の輸入増がめだったのも,国内物価の騰貴が一因であったものとみられる。イギリスと比較すれば,問題はさほど深刻でなかったとはいえ,西ドイツにおけるインフレ圧力にもかなりのものがあり,65年には西ドイツとしては比較的高い2.8%の上昇を示し,引締め政策の採用をよぎなくさせた。

② 62~63年の物価急騰と国際収支悪化が経済引締めと物価抑制措置をもたらしたイタリア,フランスでは,経済活動の沈静化とともに卸売物価は安定的となったが,消費者物価はじり高を続け,これが景気刺激策の実施に制約を与えた。

③ 1958年以降きわめて安定的に推移してきたアメリカにおいても,65年にはいるとかなり高いテンポの物価上昇がみられはじめた。もっともこの物価騰貴には農産物価格の一時的上昇が多分にはたらいており,一般的な意味でのインフレ圧力はまださほどでないが,それでもすでに前に述べたように,物価の動向いかんは,今後の金融政策や国際収支動向にかなりな影響を与えるおそれがある。

このように,欧米諸国では多かれ少なかれインフレ圧力が顕在的,潜在的に続いており,その解決が完全雇用の達成とその下での経済成長の維持にとってますます重要な課題となりつつある。急激な物価騰貴は景気の持続的な上昇を破壊するだけでなく,貿易自由化が進行し主要工業国間の経済関係が密接化している現在では,他国に比べてのインフレのより強い昂進は,その国の国際収支に鋭く影響を与えるからである。

だがこの課題は,完全雇用の達成そのものがインフレの主因となっているだけに,その解決はきわめてむずかしい。物価騰貴の要因は国による特殊性がかなりあり,一般的な説明ではつくせないけれども,第1に完全雇用による労働力不足の激化が招く賃金上昇が有力な原因となっていることはほぼ共通して指摘しうる。すなわち,賃金の騰貴はまずコスト面から物価上昇圧力になるとともに,他方賃金上昇は雇用増と相まって需要をふやすことによりそのコスト増の価格への転化を容易にする。もっとも,このメカニズムの背後には賃金騰貴を強める労働組合,企業側における価格管理という二つの要因があり,これが賃金騰貴を主因とするインフレの進行じたいを加速することになっている点は見逃せない。

第2に,その完全雇用達成のための成長過程がもたらした各部面での経済のひずみ,あるいはゆがみがあげられる。たとえば西ヨーロッパ諸国の消費者物価の上昇には,農産物価格の上昇や,公共料金の引上げなどの要因が作用するばあいが多いが,これも農業や流通機構の近代化の遅れや社会投資の不足といった構造的問題に起因している。

したがって,インフレ克服のための政策は,財政・金融面からの景気調節措置も重要ではあるが,とりわけ,①賃金騰貴の抑制と企業の価格引上げの抑圧,②物価上昇要因となっているいくつかの経済機構の改善,という点に核心を求めざるをえないことになる。たとえばアメリカはで,ガイドポストの設定を通じ,あるいは鉄鋼・自動車など主要産業の賃金交渉にある程度干与することによって賃金騰貴をなるべく抑えるといった政策がとられると同時に,鉄鋼など主要物資の価格引上げに対する警告という形で管理価格による物価上昇を未然に防止しようとしている。またイギリスは,国際収支を改善しつつ,高成長をとげる目的で所得政策をとりあげ,労使協調を通ずる物価抑制につとめている。フランス,イタリアなど西ヨーロッパ大陸諸国では,この所得政策はまだ本格化していないが,金融政策を中心としながらも,あわせて,農業・中小企業の合理化,住宅建築,社会投資の促進,流通機構の合理化などの長期的な構造改善策をとるという物価対策を展開しているのは,前述の②に関連するものである。

なかでも,とくに所得政策は,その必要性あるいは重要性が各国でしだいに認識されており,またOECDや国連ヨーロッパ経済委員会などの国際機関もその実施を声高く呼びかけつつある。だがここで注意しておかなければならないのは,第1に,所得政策は,賃金労働者の賃金を生産性の上昇内に抑えるというだけでなく,企業利潤,農民の所得,独立小商工業者の所得など国民の所得全般の均衡ある上昇をめざすものでなければならず,したがって,そのためには中小企業合理化,農業近代化,社会投資の増大(住宅,道路,学校など)といった構造改善政策が必要な前提条件となってくることである。そこで,第2に,経済政策もより長期的な展望の下で経済各部門のバランスのとれた発展をめざすという性格を強めなければならず,また,それなしには所得政策の成功もおばつかないことになる。最近,イギリスの6ヵ年計画,イタリアの5ヵ年計画,フランスの第5次計画,EECの中期共通計画など,中期経済計画が盛行しているのも,そうした要請に応えようというものにほかなならい。