昭和39年
年次世界経済報告
昭和40年1月19日
経済企画庁
第1部 総 論
第4章 世界貿易の発展と新しい動き
(1)国連貿易開発会議の開催とその経緯
世界経済の発展のなかで,立ちおくれがちである低開発諸国の貿易を拡大し,経済開発を促進する諸方策を討議するため,1964年3月23日から3カ月にわたり,121カ国の代表をスイスのジュネーブに集めて国連貿易開発会議が開催された。
1)国連貿易開発会議の経過
会議は各国の閣僚と関係諸機関代表の一般演説が終った後,五つの委員会にわかれて個別に問題の討議を行なった。
会議のはじまる直前の第18回国連総会で,75カ国の低開発諸国が会議に寄せる期待を述べた共同宣言を上提したが,この75カ国(現在は77カ国)を中核として,低開発諸国は予想以上の結束ぶりを示し,強硬かつ具体的な諸要求を先進国につきつけてきた。
この要求に対して,先進国側は一般的にいって厳しい態度をとったが,その足なみは必ずしもそろわず,アメリカは自由貿易原則に立ち,貿易障壁の除去に好意的であったけれども,商品協定の拡充には消極的で,また低開発国製品に対する特恵の供与に反対し,アフリカ連合諸国を背景にもつフランスは,一次産品市場を組織化し,価格を固定して貿易秩序を新しく作り出すという市場組織化案をもって自己の立場を守ろうとし,ベルギーも同様の態度をとった。イギリスは低開発国の特恵案の部分的修正に野力し,一次産品価格に対する補償融資問題では独自の提案をするなどかなり柔軟な姿勢をみせ,日本は農業や中小企業について他の先進国よりも大きな国内問題をかかえているため,低開発国の要求を受け入れるにはいっそう困難な立場に置かれた。従来のガット・IMF体制から疎外された形となっていた社会主議諸国はこの会議の開催には積極的に賛成したが,低開発国側から要求をつきつけられる受身の役割を負わされ,会議の主役となることはできなかった。
2)国連貿易開発会議の成果と将来の課題
会議における決議事項を概観すると,まず一次産品問題については,最終本会議で採決された妥協案は,一次産品問題の解決のために貿易障害の除去と商品協定の両方が必要であると述べ,低開発国の輸出関心品目に対する先進国の輸入障壁を,1969年末までに可能な限り軽減ないし撤廃することを勧告し,また貿易開発理事会の下部機関で一次産品問題の研究,「商品取決めに関する一般協定」の起草などを行なう勧告を盛り込んだものであった。このほか,市場組織化案の研究グループ設立など9件の勧告が採決されている。
製品・半製品問題では,中心的議題となった特恵の供与について専門家の委員会を設け,特恵原則の可否自体の検討と,その実施の方法を検討させるという勧告が本会議で採決されただけで,特恵問題は今後に持ち越された。
援助問題については低開発国援助の一般原則,低開発国援助目標として国民所得の1%を当てることなどの勧告が採決され,また討議の中心となった一次産品価格下落に対する補償融資の問題では,長期的な輸出収益の低下について,第2世銀(IDA)に新設する基金により補足する可能性を世銀に検討させること,および同様の基金を国連に設ける案を新機構で検討する勧告案が採択された。
新機構問題では,国連貿易開発会議を今後少なくとも3年に1回(次回は1966年)開催し,55カ国(うち,18カ国は西側先進国)からなる貿易開発理事会(年2回開催)および事務局を設置することなどが定められ,表決方法については特別委員会で研究し,国連総会で決定することになった。
先進国と低開発国の主張が正面から対立し,混乱の多かった会議であったため,上にみたようにほとんどの重要案件が決着にいたらず,継続審議という形で妥協した場合が多かった。唯一つの具体的な成果といえるものは,ともかく新機構が発足するにいたり,各問題について,今後本格的な討議と具休的方策の検討が,国連貿易開発会議とその下部機関で継続して行なわれることとなった点である。
低開発国は会議終了後も77カ国を中心として先進国に対する要求の表明を行なっており,先進国側はOECDで対策を協議しはじめた。
すでに64年9月下旬から,新機構の特別表決調停手続に関する国連特別委員会が開かれ,10月下旬からは内陸国の通過権に関する委員会が開催されている。
12月から開催された国連第19回総会では,貿易開発会議の最終議定書および報告書,ならびに上記新機構の手続に関する特別委員会の報告書が承認され,また新機構の事務局長任命の確認手続がとられ,新機構の発足が確定する。
(2)低開発国貿易の現状
国連貿易開発会議において,低開発国経済の発展を促進するため,貿易を中心として多面的かつ抜本的な対策の採用が強硬に主張された背景には,低開発諸国の経済的諸困難がますます深刻化していく事態が横たわっていた。
1)低開発国の経済発展と貿易
第二次大戦後,低開発諸国は急速な経済発展を基本的な政策目的として取り上げた。このため,1950年代における低開発国の経済成長率は年平均4.4%を記録し,先進国の平均4.0%を上回って,世界の総生産に占める低開発国の比重は15.6%に高まった。しかし,この成長率は次第に低下しはじめ,50年代前半に4.6%であったものが,後半には4.3%に低下し,さらに60年代にはいってからは4%程度に落ちている。しかも先進国の2倍といわれる人口増加率は,逆に年々上昇していくすう勢にあり,1人当り国民総生産の増加は,近年では年率1.8%を下回ってきているとみられる。
低開発国の場合,経済成長を支える国内資本形成は,先進工業国からの資本財の輸入に大きく頼らざるを得ず,このため輸入能力の大きさが成長率を厳しく規制することになる。そのうえ,工業化を中心とする経済の開発が進むにつれ,消費財その他の品目における輸入代替効果があらわれたが,輸入原料に対する需要の高まりが生じてこれを相殺し,また人口増加と所得上昇が生み出す食糧消費の増大に農業生産が追付かぬ国々では,穀物輸入の著しい増加が起こった。このようにして50年代の低開発国の輸入増加は年平均5.6%となったが,輸出は3.6%にすぎず,さらに貿易外収支についても,流入外資に対する利子,配当の支払い増大があり,また輸送や保険のサービスを先進国に頼っているため,その分の赤字が拡大し,経常収支は急速に悪化していった。このため金外貨の流出が起こったが,輸出を大幅に上回る輸入を維持し,したがって経済成長を支えたものは主として外国援助と外国民間資本の流入であった。
この外資流入額は年を追って増大し,やがて低開発国の対外債務の尨大な累積を招いた。そのため,62年末における低開発諸国の対外公共債務は200億ドルを大幅に上回るにいたった。
このような巨額の外資,贈与の流入は,なお増大する輸入需要をまかなうに足りず,またそれ自身が利子,配当の支払を逐年増加させ,低開発国の国際収支難は悪化するばかりで,輸入制限措置はますます強化された。
その結果,輸入の増加率は次第に低下し,50年代後半には年平均4.2%,60年代にはいって2.0%となった。ほぼ同様の時期に起こった経済成長の鈍化は,他に多くの原因を見出すことができるにせよ,輸入資材の不足をその重大な一因としていることに疑いはない。
このような事態に直面して,61年の第16回国連総会は「開発の10年」を決議し,低開発国の経済成長率を年平均5%に高めるという目標を掲げた。
この決議にしたがい,国連事務局は60年代の平均成長率を5%とした輸入の所要額を算定し,同時に輸出見込額と外資流入額を推計して相互の比較検討を行なった。この試算によれば,低開発国の輸入は年率6%以上の速さで増大しなければならず,現存する諸条件に基本的変化が起こらぬかぎり,70年には経常収支の赤字は200億ドルに達する。また,資本収支での黒字を考慮しても国際収支の赤字は110億ドルとなるという。
この推論は,国連貿易開発会議にプレビッシュが提出したレポートに引用され,低開発国の貿易を促進して開発を援助する新政策の勧告の一根拠とされたのである。
2)世界貿易における低開発国の地位
第二次大戦後における世界貿易の拡大は,先進工業国を中心として起こった。戦前の経験をふまえて構想されたガット・IMF体制のもとで,これら各国は1950年代に貿易依存度を上昇させ,経済の効率を高めて成長を促進し,それがまたいっそうの貿易の拡張をもたらした。
自由化と相互主義を理念とするガット・IMF体制は,先進国間貿易の急速な拡大を保障したが,低開発諸国は一方的に貿易為替制限を強化せざるをえず,低開発国の貿易は先進国に大きく立ち遅れることとなった。世界貿易た占める低開発国の比重は逐年減少し,50年代の初めに28%であったものが,60年代には21%に低下した。
しかし,低開発国の輸入依存度は著しく高く,とくに経済開発政策が強力に実施されるようになった50年代半ば以降,先進国から輸入される開発財に対する需要はきわめて活発であり,輸入消費財に対する需要も強い。
問題は,この輸入需要が慢性的な国際収支難に起因する厳しい貿易為替制限に妨げられて,十分に満たされることなく,経済成長を制約する隘路の一つとなった点にある。
低開発国の輸入拡大を支えるために,先進国の援助,民間資本の流入が増大を続けてきたが,第22表にみるように,外国為替収入の8割は依然として輸出によるものであり,輸入能力が輸入需要に見合った拡大を遂げえなかった主因は,低開発国輸出の停滞であるといえる。
低開発国の輸出増加率が著しく低く,世界貿易における低開発国の地歩が失われつつある理由の一つは,輸出品目構成が需要の伸びの低い一次産品に偏っているため,世界貿易の需要パターンの変化に即応できなかったことである。
朝鮮動乱の余波が一応おさまった53年から61年までの間における一次産品貿易数量(社会主義国の貿易を除く)の増加率は,工業製品の半分にすぎず,石油を除けばさらに低い増加率を示すことになる。石油以外の一次産品貿易が伸び悩む要因としては,需要の所得弾力性が低いこと,先進国で国内生産の保護政策がとられていること,技術進歩による原単位量の低下,代替品の進出などがあげられる。一次産品貿易がもっているもう一つの問題は交易条件の長期的な悪化傾向である。53年から61年までの間に工業製品の輸出価格は7%上昇したのに対し,石油を除く一次産品の国際価格は11%下落した。なお,石油価格はこの間ほぼ同一水準であった。
このような交易条件の悪化によって,低開発国の輸入能力がどれだけ削減されたかを試算したものが第22表である。
51年から62年までの間の交易条件の悪化によって生じた輸入能力の消減は,同期間における外国援助,民間資本の流入額の36%,または外国政府贈与額の77%に相当するものである。
いま,一次産品貿易が工業製品貿易との関係で著しく不利化していった50年代の経験を,第二次大戦前の世界貿易拡大期である20年代と比較してみよう。一次産品貿易の大宗をなし,近年価格下落の著しい農産物を工業製品価格と対比したものが第9図である。20年代においては,農産物貿易の増加率は工業製品貿易とほぼ同等の大きさであり,しかも工業製品に対する農産物の交易条件は上昇ないし安定的であった。交易条件の水準としてはむしろ戦後が高く,60年代初期と20年代末期がほぼ同じになっている。
工業化政策の推進にもかかわらず,低開発国の貿易は一次産品輸出,工業製品輸入というパターンをなお維持しており,低開発国からみる限り,先進工業国との垂直分業関係が成立している。しかし,先進国として一括される国ぐににはオセアニア諸国,南アフリカという一次産品輸出国が含まれており,また工業国とみなされる北米や西欧の諸国も大量の農産物を輸出している。
低開発国は,その主要輸出品である一次産品の世界貿易が工業製品貿易と比較して不利化するという傾向に悩まされているばかりでなく,一次産品貿易の流れのなかにおける主要な供給者としての地歩を失いつつある。
第25表は,1960年価格で比較した53~55年平均の輸出額と59~61年平均の輸出額である。燃料を除いて,すべての品目で先進国の増加率が高いばかりでなく,食糧,原料,燃料を加えた一次産品輸出額では,53~55年には低開発国の方が大きかったものが59~61年には先進国の輸出額が低開発国を追い抜いている。
そのうえ一次産品価格の下落傾向は,低開発国の輸出品自についてとくに強くあらわれ,第26表にみるように,非鉄金属を例外として,一次産品輸出価格でも低開発国の相対的不利化が明瞭に示されている。
一次産品輸出は多くの不利な条件を負っているため,将来その急速な増大を期待できないので,低開発国は国際市場における成長商品である工業製品輸出に進出すべきだという意見が近年強まってきた。
現在,工業製品の世界貿易に占める低開発国の比重は5%にすぎず,その大半が農産物加工品,繊維品などの軽工業品と卑金属である。しかし,その輸出増加率は高く,一次産品輸出の停滞ときわだった対照を示している。
低開発国が輸出する工業製品の多くは需要の急増が望めない品目であるが,先進国市場の大きさを考えれば,低開発国製品の比重を高めることはなお可能であるようにみえる。
しかし,アメリカ,イギリスなどの先進国市場で輸入制限を課せられた繊維製品のように,先進国側に産業構造の調整を強いる結果になる場合は,強い抵抗に出合うこととなろう。
3)低開発国の農産物貿易
世界の一次産品貿易額は約560億ドルにのぼるが,そのうち石油を中心とする鉱産物を除いた400億ドルは食糧,飼料および農産原料からなっている。
前出の第25表および第26表からもわかるように,一次産品貿易における低開発国の不利化は,その大宗をなす農産物貿易について著しい。ここでは,低開発国の農産物貿易の内容を検討してみよう。
農産物の世界貿易で最も大きい比重を占めているのは先進国グループであり,全体の70%を輸入し,50%を輸出している。農産物貿易の主要な流れは,先進国間貿易と低開発国の先進国向け輸出の二つで,それぞれが全体の3割を占めている。また先進国から低開発国へ流れる農産物の比重は約1割である。
農産物貿易における先進国の比重は増大しつつあり,1655~57年平均と1959~61年平均を比較すると,この間,世界の農産物貿易は41.5億ドル増加したが,このうち7割は先進国が輸出したものであり,先進国相互間の貿易が最も大きく伸びただけでなく,低開発国,社会主義国向けの先進国輸出もまた増大した。
これに対し,低開発国の農産物輸出はわずかしか伸びず,しかも先進国向け,低開発国向けの双方で減少している。先進国向けのうち,北米,西欧に対するものは減少したが,日本は低開発国,とくに東南アジア諸国からの輸入を増大させている。
農業技術の急速な高度化を背景として,先進国農業は先進国で生じた農産物需要の拡大を充足し,さらに対外援助などの経路を通じて低開発国に対する供給を大福に増大させた。つまり,工業製品貿易においてその圧倒的部分を占める先進国が先進国間で貿易を拡大し,援助,借款を通じて低開発国向けの輸出を伸ばしているのと同様の現象が農産物貿易でも起こったのである。
ここで注意しなければならないのは,社会主義国との貿易が低開発国諸国に対してもつ意味である。社会主義国は,先進国に対して一次産品輸出,工業製品輸入,低開発国に対しては工業製品輸出と一次産品輸入という中進国的貿易構成をとっている。低開発国の社会主義国向け輸出は,輸出総額の5%を占めるにすぎないが,その9割が農産物であり,しかもその増加速度は著しく高く,50年代央から以後の低開発国の農産物輸出の減退を防いだ。
上にみたような低開発国の農産物輸出の伸び悩みは,その輸出品目に需要が停滞的であり,価格下落の大きかったものが多いこと,国内需要増大などによる輸出余力の減退および競争力の低下から先進国農産物の進出を許したことの二つに起因するものである。
いま,低開発国の輸出品目構成が需要パターンの変化に対して著しく本利であった点を確かめるため,主要農産物を次の三つに分類して,それぞれの需要の伸び率と各地域の輸出増加を比較してみよう。
① 主として先進国から輸出される品目穀物(米を除く),酪農品,肉,卵,羊毛
② 先進国と低開発国双方が輸出し競合する品目米,油脂,砂糖,甘きつ類,タバコ,綿花
③ 主として低開発国から輸出される品目コーヒー,ココア,茶,ジュート,硬質繊維,天然ゴム
輸入需要が最も伸びた農産物は,先進国から主として輸出される品目であり,その需要増の半分が先進国で起こった。注意すべきは,農業が不振で食糧の不足を招いた低開発国が穀物輸入を増大させたため,需要増の27%は低開発国に帰せられることである。この先進国から低開発国へ向けての穀物輸出の相当部分が,アメリカの余剰農産物処理によるものである。
これら先進国からの輸出品目に対する需要は,先進国においては高級食品である乳製品,肉,卵,および家畜飼料としての雑穀が大きく伸び,低開発国では小麦その他穀物,社会主義国では羊毛の需要増が大きかった。
つぎに,需要の拡大率の大きかった品目グループは,先進国と低開発国が総額の4割と5割を輸出する競合品目である。主要市場はやはり先進国であるが,需要増加は社会主義国,先進国,低開発国のいずれでも起こった。社会主義国はとくに米,砂糖輸入を激増させ,先進国は油脂類,甘きつ類,タパコの需要を伸ばし,低開発国は米と綿花の輸入を拡大した。
この品目グルーブでも先進国輸出の比重は一段と高まっているが,社会主義国は低開発国からの輸入を伸ばした。
主として低開発国から輸出される品目の世界貿易額は価格の大幅な下落もあってやや減少した。値下りの影響を最も大きく受けたコーヒー,ココアについてみると,輸出数量ではそれぞれ32%および25%増大しているのに,輸出額では21%,13%と逆に減少している。いずれの品目についても輸入を激増させ,貿易額の減退を下支えたのは社会主義国であった。
このように,農産物貿易の品目構成の変化は低開発国の輸出に不利に働いた。これに加えて,多数の品目にわたって先進国および社会主義国の進出が起こり,低開発国の比重が低下した。主として低開発国の輸出する品目では低開発国が半供給独占状態にあるが,競合品として上に掲げた品目はもとより,主として先進国から輸出される品目についても先進国,社会主義国との競争が存在している。これはアルゼンチンあるいは中東の一部諸国のように,温帯農産物の輸出に特化しているものがあるためである。
第29表は,1953~55年から1959~61年の間に現実に起こった各地域ごとの輸出変動率と,かりに同期間において,各品目ごとの輸出額が各地域とも同じ率で伸びるものと仮定した場合における各地域ごとの輸出変動見込率とを比較してみたものである。
これによると世界全体の農産物貿易は18%伸びたのに対し,この仮定による低開発国の輸出増が9%にしかならないのは,低開発国輸出の品目構成が農産物貿易の拡大の方向からみて,それだけ不利であったことを示している。また,仮定の輸出増9%に対し,実際の増加が1%にすぎなかったのは,先進国および社会主義国からの競争に会って後退したり,また食糧不足や工業化による原料需要増から輸出余力を失ったりして生じた各品目における比重の低下があったことを意味している。
低開発地域のうち,品目構成が最も不利であったうえに比重の低下が著しかったのはラテンアメリカである。輸出数量としてはかなり伸びており,価格下落の著しい熱帯産品の比重が高い点で品目構成として不利となったのであり,また一方で先進国との競合品である穀物,羊毛,綿花などで比重が低下し,他方,熱帯産品ではアフリカの進出に出会ったためである。
アジアは価格低下の影響をあまり受けずにすみ,この意味で品目構成としては最も有利であったが,ココナット製品,ジュートなど独占的商品を除き,大ていの品目で比重が低下した。これは競争力の低下も一因であるが,人口増加による国内消費の増大,工業化の進行による原料消費の増加が輸出余力を減退させたことが大きく響いている。
このラテンアメリカとアジアの比重の低下に対し,アフリ力と中近東は品目構成では不利であったが,多くの品目でかなりの輸出増を達成した。
アフリカは甘きつ類,飲料作物,タバコ,ゴムの輸出を伸ばし,中近東は,綿花,米,バナナの輸出を増大させた。しかし,なお先進国の進出にあっ,て,全体としてみるとわずかながら比重の低下を招いている。そのうえ,価格下落の影響もかなりあって,輸出の増加はさほど大きいものではなかった。
低開発諸国としては,価格下落の防止,先進国の熱帯産品消費の促進を考えるとともに,先進国と競合する分野でも品質改良,生産能率の向上などによって比重を高める意図をもっている。
いうまでもなく,主として先進国の輸出する品目については,先進国の国内における自給度が一般に高く,低開発国と大きく競合する品目も相当部分が自給されている。しかも,これらの品目の多くは農業保護政策の対象とされ,外部からの競争がきわめて困難となっている。先進国の農業保護政策の緩和ないし低減は,先進国間貿易の問題としてクローズ・アップされているが,低開発国もまた先進国の農業保護政策の撤廃ないし緩和を求めている。
4)最近の情勢と低開発国の立場
1962年後半から上昇をはじめた一次産品価格は,63年には食糧価格を中心として著しい騰貴を示し,低開発国の輸出は大幅な拡大をみた。朝鮮動乱による高値の時期に拡大された供給能力に,ようやく需要が追い付いたのではないかとの見解が出され,低開発国の交易条件悪化は停止したかのようにいわれた。しかし,この値上りには一時的要因が多く働いており,64年にはいってからは農産物の国際価格は再び不落してきている。
すでにみてきたように,低開発国貿易は多くの問題をかかえており,その解決は従来の行き方では困難であって,低開発国側は抜本的対策を要求し,先進国の譲歩を迫ってきている。今後,国連貿易開発会議その他の場を通して,低開発国側の要求はますます強まってくるものと考えなければならない。
日本も低開発国の貿易の伸長を助け,いろいろな形での援助を供与していく責務が,経済力の充実とともに増大していく。もちろん,経済協力の目的は低開発国の経済発展を促進することにあるが,日本としては,これを通じて低開発国との適切な国際分業関係を確立し,貿易拡大の基礎をつくっていく方向を目指す必要がある。