昭和39年
年次世界経済報告
昭和40年1月19日
経済企画庁
第1部 総 論
第1章 世界経済の動向と日本
1964年9月アメリカの金利平衡税は,提案後1年余にして大統領の署名を経て正式に成立した。ケネディ前大統領によって提案されて以来,年余の間に,この租税による外債調達コストの上昇と法案の帰すうをめぐる不安などから,ニューヨーク市場における外国証券の発行は激減した。一方アメリカの措置やその要望に刺激されて,ヨーロッパ資本市場の開発は急速に進展し,わが国もその余恵に浴することができた。だが,64年9月には金利平衡税の適用が決定し,一方ヨーロッパ市場はニューヨークに代替するほどの規模ではないので,日本の将来の起債についてあまり多くは期待できそうもない。
これら国際資本市場の動きを市場別にみると,まずニューヨーク市場では,金利平衡税発表後,わが国の外債やADR(American Depository Receipt)は,経過的なものを除いてまったく杜絶し,アメリカの購入する市場経由の株式などの証券にしてもほとんど停止状態となった。米市銀のローンは一時増加したが,その後減少し,現状はその水準で横ばいに推移しており,米市銀のクレジット・ラインの関係もあり,今後増大する見込みは少ない。わが国の外資導入に深刻な影響を与えてきた金利平衡税法は,アメリカの国際収支の改善状況が必ずしもはかばかしくないこともあって,その延長が問題となっている。アメリカの標ぼうする資本取引自由の原則からみても早期に廃止されるべき性格のものといえよう。
他方,ヨーロッパ資本市場は金利平衡税提案前後から①制度的制限の緩和―イギリスは63年に,従来の英連邦諸国のほかEFTA諸国にもポンドによる資本調達を認め,フランスは63年に戦後はじめて外債市場に門戸を開いた。②金融機関の共同引受けの活発化,③外債金利の税法上の優遇(西ドイツ)などによって,しだいに開発されてきたが,過去1年間にみられた最も著しい動きはドル建て外債ならびに株式の発行である。ドルがヨーロッパにおいてこのように利用されるにいたったのは,近年ユーロ・ダラーの供給量がふえたほか,一部のドルの出し手の預け期間が1年以上数年といわれるほど長期化するにいたり,ロンドンの引受業者の活発な活動を仲介としてドル建て証券の買い手を欧大陸行・保険業界などに見出だせたからである。
ヨーロッパにおけるドル供給の増大は,かねてからユーロ・ダラーの短期市場を形成していたが,この市場が短期的かつ不安定な市場でないことは,最近のBIS調査その他からもしだいに明らかにされており,わが国はこうしたユーロ・ダラーの取入れによって,貿易金融に資するとともに,ドル建て公社債によって長期外資を取入れ,ニューヨーク市場閉鎖後における外資需要の一部を補填した。だが,需要が充足されたというにはほど遠い。
わが国の外債発行は第8表にみられるように,過去1年間にわたってアメリカからヨーロツパに転換されたのであるが,既発行の外債,特に転換社債については,国内株式市場の低迷もあり,その値動きは思わしくなく,今後の発行についてもあまり大きな期待はもちえない状態となっている。
ヨーロッパ資本市場は発展しつつある段階にはあるとはいえ,イギリス,スイス,西ドイツなど主要な市場はアメリカに比較すればまだまだ小さく,そのうえこれらを除けば,まだ大した引受け能力を持っていない。各国の市場を動員しようとするアプス構想も十分な実を結ばなかった。また有力な市場スイスが,64年春国内の経済対策として,外国証券の発行について中央銀行の承認の基準を厳しくするなど抑制的な態度に変わり,いわゆる底の浅さをみせている。
64年11月の米英公定歩合の引上げは,いまのところ米英における外国の長期資本調達を著しく阻害することはなさそうであるが,金利平衡税の期限延長などの懸念もあって,わが国をめぐる国際資本市場の動向はやや予断を許さない。