昭和38年

年次世界経済報告

昭和38年12月13日

経済企画庁


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第2部 各  論

第5章 共産圏

1. ソ連,東欧の経済動向とコメコンの活動状況

(1) 1962~63年のソ連経済

(a)1962~63年の概況

1963年にソ連は7カ年計画(1959~65年)の後半期に入った。ソ連の発表によれば,62年までの4年間に工業生産は7カ年計画の39%に対して,実績では45%増加し,また国家計画による固定投資は予定の1,010億ルーブルに対し実績は1,070億ルーブルにのぼったといわれる。しかし農業生産は低成長を続けて大幅な増産計画を達成しえず,工業生産とのあいだに計画遂行における格差を生んでいる。

1962年の穀物生産は未曽有の収穫量に達したにもかかわらず,全体としての農業生産の増加率は前年より低下し,国民所得の成長率は61年に引続きさらに鈍化して,前年比6%というソ連としては異例な低さに落ちた。

63年に入って上半期の工業生産,投資,個人消費の諸指標はさらに成長鈍化を示唆しているようである。加えて冬の寒波と夏の旱ばつによる農業の不作のため,大量の小麦を自由圏諸国から輸入する必要が生じた。また61年に激増した軍事支出はその後もわずかながら増加を続けている。

以下,主要経済指標から62~63年の経済動向を概観してみよう(第5-1表参照,ただし,ソ連の公表する経済指標はその内容と算定方法の点で自由経済圏のそれと異なるので,同種の指標を相互に直接比較することはできない)。

① 国民所得と工業および農業生産

国民所得(ソ連の統計では物的生産とその関連部門の純生産額)の伸びは1962年には前年にくらべて6%と,1961年よりさらに鈍化し,また引続いて計画を下回っており,ソ連としては近来にない低い水準に落ちた。このように1962年の経済成長が鈍化した主因は,工業生産,建設,商業などの諸項目の成長率が前年を上回ったにもかかわらず,農業生産の成長率が61年の3%から62年にはわずか1.3%に低下したことにある。

工業総生産(企業別の総生産額の集計)は,62年には前年にくらべて9.5%とかなり大幅な増加を示し,61年の実績および62年の計画のいずれの増加率をも上回った。61年に計画を達成しなかった消費財生産も62年には計画を超える実績を示した。

63年の計画では国民所得の増加率は7%と62年の実績を上回ってはいるが,60年,61年の9%,62年の8.6%にくらべるとかなり低い。これは,恐らく農業生産の増加率(未発表)が従来の過大な計画より著しく低目に予定されていることによるものであろう。

63年計画の工業生産は前年比8%増と62年の計画とほぼ同一の増大が予定されている。近年工業生産計画はやや低目に定められ,実績が年々それを上回ってきたのであるが,63年上半期にも工業総生産は前年同期にくらべて8.5%増加し(63年1~9月では前年同期比8.7%増),年間の計画増産率を上回った。しかし,62年の年間9.5%よりかなり増勢が鈍化し,7カ年計画開始以来の最低の増産率となった。

② 雇用と労働生産性

国営部門全体の労働者,職員数は62年には60年および61年にくらべるとわずかな増加に止まり,63年上半期にはこの傾向はさらに著しくなった。これは近年の200万に及ぶ兵員削減につづいて60年1月に決定をみた120万の兵員削減計画が61年に入ってから中止されたことを反映するものである。この兵員削減の中止は,戦時および戦後の1940年代における出生率の低かったこと,したがって,また今後数年間労働力人口の増加率の低いこととあいまって,労働力の供給に大きな制約となっている。

工業部門の労働者数の増加も61年の前年比5%に対して,62年には3.3%にすぎなかった。反面工業における労働者1人当り生産性の向上率は61年の4%に対して62年の6%に上昇した。このようにして工業生産の増大に対する寄与の比重は労働力から労働生産性に移った。

60年から61年にかけて8時間労働制から7時間労働制へ切換えられたため1人当りでの生産性の向上は小幅で,一時増産への寄与率を低めたのであったが,7時間労働制への移行が終るとともに生産性の向上が再び増産の主導力としての地位を回復してきたのである。63年上半期には前年同期にくらべ労働者数の増加が2.4%であったのに対して生産性の向上は62年年間と同じく6%と,この傾向はさらに顕著にあらわれた。反面このことは63年上半期の工業増産率鈍化の一つの要因が労働力の不足にあったことを示している。

③ 固定投資と個人消費

62年の国家計画による固定投資は前年と同じテンポで増加し,305億ルーブルと7カ年計画の総投資額の年平均の上限をも上回る規模に達した。しかし,62年の修正計画にくらべると97%の達成に止まった。建設部門における主要な欠陥は依然として資金,資材を多数の建設事業に分散させていること,設計が不備で建設の進行中にしばしば変更されたこと,設備や資材の引渡しが遅れたことなどであった。

国家計画外の投資では,前年に引続いて政府の投資集中政策の影響で計画外の国営企業投資は横ばい,個人住宅投資は11%の減少であった。しかしコルホーズの投資が8%増とかなり増したため,全体としての固定投資の伸びは5.8役と前年を上回った。

つぎに個人消費の指標としての小売売上高(コルホーズ市場の売上高を除く)は62年に金額で7%,実質で6%増し,計画には達しなかったものの,その伸び率は61年のそれを上回った。しかし畜産品の供給不足,品質不良のための軽工業品の滞荷の発生は依然として続いている。

62年6月にはバターと肉類の小売価格が引上げられ,年間でバターの売上げは実質で前年より3%減少し,また肉類の売上げは4%増加したが,その水準は60年なみであった。

個人消費についてはいわゆる「社会的消費フォンド」,すなわち教育費,医療費,福利施設および社会保障関係の経費の支出を考慮しなければならないが,62年にはこの支出額が前年にくらべ7.6%増した。したがって個人消費は全休として6%余の増加となったとみられる。

以上に見たところから,63年には国民所得に占める固定投資の比率は減少し,個人消費の比率はほぼ不変であったと考えられる。そのほか,在庫投資の伸びは農業生産の不調で比較的小幅であったとみられるが,純輸出は前年の約3.4倍に著増した。

とくに注目されるのは国防支出である。国防支出は61年には前年より27%も増え,その影響は消費財工業および住宅建設への投資の減少にあらわれたようであるが,62年にもさらに予算額で13%増しているので,この年の9月に発表された個人所得税の減税計画の中止以外にも影響するところ少なくなかったと思われる。

63年計画では前年にくらべ国民所得の7%増加に対して,国家計画による,固定投資は9.8%,小売売上高は6.9%の増加で,いずれも前年を上回る伸びが予定されている。しかるに,63年上半期の実績によれば,固定投資は141億ルーブルで年間計画の335億ルーブルからみると,かなり低調で,前年同期にくらべると4%増に過ぎなかった。また小売売上高の実績もおなじく4%の増加に止まった。

(b)工業生産の部門別動向

工業生産の伸びは,さきに述べたように,62年には前年より多少大幅であったが,これは部門別にみるとエネルギー部門,化学工業,食品工業の生産増加率の上昇によるものであった(第5-2表参照)。以下部門別に特徴的な動きをみよう。

① 重化学工業

とくに注目されるのは化学工業で,その増産テンポは年々高まってきた。

しかし,数年前から先進工業国に対する立遅れを取戻すためその振興が強調されてきたにもかかわらず,生産実績は7カ年計画の予定より遅れている。

したがって63年計画では増産テンポがさらに高められ,固定投資も36%の増大が予定されている(62年の投資は計画18%増,実績8%増)。

63年1~9月には,化学工業全体およびプラチスチックの生産はほぼ年間計画どおりの上昇を示したが,化繊,肥料の増産テンポは62年なみに止まった。

これと顕著な対照をなしているのが鉄鋼業である。その生産は62年までほぼ一貫した上昇を続けてきたが,63年には,自由経済圏からの輸入で問題となっている鋼管を除き年次計画どおり増産の幅が縮小している。

エネルギー生産部門では引続き石油,ガスの高成長と石炭の低成長という燃料生産構造の高度化が進んでいる。その結果燃料生産に占める石油,ガスの比重は,58年当時の31.8応に比べ62年の46%,63年計画の48%と7カ年計画の目標たる65年の51%(長期計画の1980年目標は68%)に接近しつつある。しかし石炭もコークス用を中心に増産が続けられ(20カ年計画では2倍増産),露天堀の拡大,採堀の機械化と自動化など技術革新が行なわれている。

機械・金属加工工業部門では主導的な工業部門として7カ年計画の予定を上回るテンポで増産が続いているが,62年には前年よりそのテンポがわずかに低下した。とくに注目されるのは過去数年来,石油工業や化学工業など重要産業設備の生産が計画に達していないことである。63年に入って機械・金属加工工業の増産率は,年間計画ほどではないにしても,さらに低下している。しかし高性能の工作機械,化学工業用設備,農業機械の生産に重点がおかれ,とくに農業機械は依然として大幅な増産が続けられている(62年21%,63年計画22%,63年実績1~9月17%)。

建設資材工業は貫して増産テンポが低下している部門である。しかし7カ年計画初期の大幅増産により計画遂行の点ではすでに他部門より高水準に達している。

第5-1図 ソ連工業の部門別生産動向

② 消費財工業

軽工業の増産率は一貫して低下し,63年1~9月にも62年の低水準を脱していない。しかも増産努力は続けられているものの,その固定投資は62年には計画の前年比33.5%増に対して実績は8%増に止まった(63年計画は22%,増)。さらに問題なのは製品の質で,依然として品質の改良と品種の多様化が要請されている。

他方食品工業の増産テンポは61年,62年と上昇を示したが,63年には再び低下した。しかし需給の緊迫している肉類の生産(国営企業の生産高)は62年の前年比13%増,63年1~9月の前年同期比13%増(63年年間計画10%増)と好調を示した。

耐久消費財の生産は依然としてかなりの増大を続けているが,その増産テンポは61年以来次第に低下している。62~63年の動きをみると,冷蔵庫は62年の前年比22%から63年1~9月の前年同期比9%へ,また洗濯機は同じく40%から27%へ落ちている。その生産台数は62年1月~9には冷蔵庫67万台洗濯機165.7万台で65年までにはそれぞれ年間200万台,257万台の水準に達するといわれているが,前者の達成は困難であろう。

(C)農業生産の推移

工業生産が全体としては比較的順調に伸びているのに反して,農業生産は7カ年計画開始以来低成長を続け,増産予定を大幅に下回ってきた。このような工業と農業の成長と計画逐行におけるアンバランスは農産物とくに畜産品の需給の逼迫など経済全体に悪影響を及ぼしている。

こうした農業の不振を打開するため61年,62年と相ついで管理機構の改革や技術上の新政策が実施され,コルホーズの生産面に及ぶ統制の強化と飼料増産のための作付構成の転換が行なわれた。また農業部門に対する固定投資は,ソフホーズその他の国営農業部門では61年,62年とも前年に比べ22%も増加し,コルホーズでは61年には前年なみに止まったものの,62年には8%とかなりの増加を示した。しかし以上のような政策と投資の増大もまだ目立った効果をみせていないようである。

① 62年の実績

62年には飼料穀物を中心として穀物生産は58年の記録的豊作を上回り,他の飼料作物も著しく増産され,畜産も前年にくらべてかなり大幅に増加した。しかし綿花,加工用甜菜が減産,油用作物が前年なみというように,穀物その他の飼料作物以外の農作物の作柄は概して不良であった。その結果,農業総生産の伸び率は61年の3%から62年の1.3%に落ち,これが62年の経済の成長を鈍化させた主たる要因となったのである(第5-3表参照)。

62年には穀物生産と畜産は記録的水準に達した。しかしいわゆる「合理的な消費水準」を保障するための62年の予定生産量たる穀物の1億6,380万トン,肉類の1,290万トン,牛乳の8,500万トンと対比すると,62年の生産実績では畜産品の需給の均衡とそれを基礎づける飼料の確保をはかるには不十分なのである。

② 63年の予想

63年の収穫実績はまだ判明しないが,7月19日に発表された作付状況(第5-4表参照)によると,全体として増加した作付面積のうちで食糧穀物はやや減少しているとみられる(小麦は微減)。これに反して加工用甜菜,綿花等の原料作物は多少増えた。とくに豆類,トウモロコシ(種実用)などの作付は大幅に拡大されているのに対して,牧草の作付は前年に引続きかなり縮小されている。これは牧草より濃厚飼料へという62年以来の作付転換がなお続けられたことを示すものである。しかし,62年に大幅に拡大した種実用以外のトウモロコシ,飼料用甜菜の作付はかなり縮小し,作付転換に一部調整が加えられた。

63年の作柄は,冬に欧州全体を襲った寒波と夏の異常乾燥など気象上の悪条件のためかなり不良のようである。越冬穀物とくに小麦は一部地域で枯死したし,夏の成育も悪かったといわれる。食糧穀物の作付面積は前年より縮小した上に,作柄が不良だったので,64年の収穫期までの農産物とくに穀物の需給緊迫は著しいであろう。すでに63年9月から10月にかけて自由圏諸国から大量の小麦ないし小麦粉を買付ける契約が調印され,カナダから680万トン,オーストラリアから180万トン,アメリカから400万トン,その他西ドイツ,フランスなどから若干量の買付けが行なわれることになった。

ソ連は従来主として東ドイツ,チェコ,ポーランドの東欧諸国やイギリスなどに大量の穀物を輸出し,小麦の純輸出量だけでも61年には414万トン,62年には470万トンを越えた。しかるに今回1,000万トン以上を輸入することになったのであるが,62年の小麦収穫量の7,060万トンと比較しても,その規模がかなり大きいものであることが察知される。

(d)貿易の動向

62年の貿易は輸出が63億ルーブル(70億ドル),輸入が58億ルーブル(64億ドル)で出超は前年の154百万ルーブルから527百万ルーブルヘ大幅に拡大した。このうち自由圏との貿易は,輸出が約20億ルーブル(22億ドル),輸入が17億ルーブル(19億ドル)を占め,全体の三分のーに近い。

60年と61年における貿易の伸びは,中ソ貿易が激減したため,比較的小幅であったが,62年には59年につぐ大福なものとなった。62年にも中ソ貿易,とくにソ連の対中国(本土)輸出が著減したにもかかわらず,このような結果を生じたことは,すでに対中国(本土)貿易の比重が目立って低下したことを示している。またそれは,コメコンの強化によってコメコン諸国との貿易が伸びたことと,自由圏との貿易とくに低開発地域向けの輸出が大幅に拡大したことにもよるのである(第5-5表参照)。

① 地域別構成

62年の貿易は前年に比べて金額で輸出総額が16.6%,輸入総額が10.7%伸び,61年の伸び率を大きく上回ったが,これを共産圏(キューバを含む)と自由圏に分けてみると,前者との貿易は比較的拡大の幅が小さく,貿易全体に占める比重は過去数年一貫して減少している。これは主として中ソ貿易の縮小によるものであるが,62年にも中国(本土)からの輸入は借款の返還があるため比較的わずかな減小に止まったものの,対中国(本土)輸出はなお著減を示し,輸出入合計でソ連の貿易相手国中61年の第4位から第6位に落ちた。その他のアジア共産圏諸国との貿易は拡大したが,アルバニアとの貿易は激減して,62年にはほとんど皆無(貿易統計に特掲されていない)となったつこれに反し,コメコン諸国との貿易は輸出入とも前年を上回る伸び率を示し,圏内貿易の拡大を支える要因となった。なお,60年,61年と著増してきたキューバとの貿易は62年には砂糖を主とする輸入の大幅減少により輸出入総額ではほぼ横ばいとなった。

② 商品別構成

貿易の商品別構成では61年から62年にかけて輸出入とも完成品の比重が増した(第5-6表参照)。輸出のうち機械,設備の比重は中ソ貿易の減少の影響で59年の21.5%から61年の16.1%に減少したが,62年には若干回復した。中国(本土)への輸出総額は59年から62年までに四分の一以下に,そのうち機械輸出はわずか4.6%に減少した。そのため機械輸出総額は59年の1,051百万ルーブルから61年の838百万ルーブルに落ちたが,コメコン諸国や低開発諸国への輸出が増加して62年には1,052百万ルーブルとほぼ59年の水準にもどった。

62年に食料品の比重が増したのは,畜産品,魚類,野菜,穀物製品の輸出がかなり増大したことによる。完成品のうちの燃料と原油を合計すると燃料はかなりの比重を占めているが,原油は自由諸国へも大量に輸出されている。

(e)経済管理機構の改革と1964~65年計画の作成

1957年の地域別国民経済会議の創設と農業指導の国家機関であるエム・テー・エスの改組によってソ連の経済管理体制は,工業および建設における地方分権化,農業におけるコルホーズの自主性の向上という傾向を示した。しかるに近年中央機関の整備と共産党の指導の強化など新たな動きが出てきている。これは①地域別国民経済会議による経済管理体制が地域割拠主義,とくに資材の供給面における不円滑をもたらしていること,②建設事業では資金,資材の総花的分散の傾向が続いていること,③農業とくに畜産振興のため作付構成の転換による飼料の増産を強力に指導する必要が生じていることなどに対処しようとするものである。

すでに62年初,コルホーズとソフホーズの双方に対して従来手の及んでいなかった生産面に対する指導をも掌握する地域別の「農業生産管理部」と「農業委員会]が設置され,これを通じてとくに共産党の指導体制が整備されたが,62年の11月の共産党の決定にしたがって,この指導力を強化するため,共産党の組織自体が農業と工業,建設その他の二つの系列に分割された。

さらに,同じ党の決定にしたがって国民経済会議の従来の管轄区域が統合され,広域化された。これに応じて全国の地域別国民経済会議の数は103から40に減少した。それと同時に建設事業を国民経済会議の管轄から分離して各地域別に独立の建設事業の管理機関が設置されることになった。

また中央の経済機関としてソ連邦を構成する各共和国の国民経済会議の活動を総合調整する「ソ連邦国民経済会議」が設置され,同時に従来国家計画委員会(ゴスプラン)一本であった計画機関は年次計画その他の短期計画を担当する前記のソ連邦国民経済会議と長期計画を担当する国家計画委員会とに二分された。

その後,63年3月にはさらに重要な中央機関の整備が行なわれた。それは,①「ソ連邦最高国民経済会議」を置いて,全国の工業および建設の最高の指導機関とし,各種国家委員会(経済関係各省に相当)をこれに従属させること,②連邦と共和国の国家計画委員会,国民経済会議,建設委員会などをそれぞれ系列化して,これらを前期のソ連邦最高国民経済会議に従属させることであった。

このように最高国民経済会議を頂点とする経済管理体制が成立したのであるが,他方では地方の国民経済会議や国営企業の権限の拡大がうたわれている。また国営企業の運営について,固定設備,手持ち原材料など使用資本に対する利潤率をもって企業の能率測定の基準とし,またこの利潤率を基準とする報奨制を導入すべきだとの提案が行なわれた。現行制度が企業の総生産額の計画遂行を企業活動のもっとも重要な指標とし,計画利潤実現を報奨の基準としているのにくらべると,この制度は資本の利用効率を高める刺激となる。この提案には賛否両論があるが,他方では能率的な企業運営組織を創設するため新たに企業法が制定されることになっている。

以上のような経済管理機械の改革に対応して7カ年計画にもなんらかの調整が加えられることになった。すなわちその最後の2カ年である1964年~65年計画の作成が決定されたのであるが,この2カ年計画とつぎの5カ年計画ではとくに化学工業に重点がおかれることになった。すでに1958年ごろより化学工業の振興は強調されてきたにもかかわらず,それは7カ年計画の予定より遅れ,現状のままでは7ヵ年計画も未達成に終わるかも知れないといわれる。

したがって,7ヵ年計画の最終2ヵ年で化学工業の振興はきわめて重視されることになったのである。その目的は,①農畜産物増産のため肥料,農薬など農業生産資材の供給を確保すること,②合成化学品により衣料,靴などの消費財を増産すること,③非鉄金属その他の不足物資および農産原料の代替品を増産することにある。

そのほか以上の計画作成にあたっては,投資の面でもっとも重要な建設事業に資金と資材を集中し,早期の操業開始をはかるとともに,現有企業の改造と新装備の導入に対する投資を大幅に増加するなど投資効率を向上させることを重視すべきだとされている。

(2) 東欧の経済動向とコメコンの活動状況

(a)1962~63年の東欧の経済動向

62年には東欧の経済成長は前年に引続き鈍化した。これは東ドイツを除く諸国の工業生産の増加率が前年より低下したことにもよるが,農業部門が依然として不振で,62年の生産も天候の影響もあってほとんどすべての国で横ばいないし減少を示したためである。

① 工業および農業生産

62年に全体としての東欧の工業生産は前年に引続き成長率鈍化の傾向を示したが,工業化の水準の低い諸国では依然としてかなり急速に伸び,計画をも上回った。一部の国では,61年および62年の農業の不振が農産原料の供給と原料,設備の輸入余力を減退させることによって直接間接に工業生産の成長を鈍化させた(第5-7表参照)。

さらに62年にも過去数年と同様,一部の工業部門で過剰在庫が蓄積され,他の工業部門で供給不足が生ずるという不均衡が出現した。これは計画化と工業管理に欠陥があるため関連工業部門の成長と貿易とのあいだの調整が不十分なことや新規生産能力の稼動開始計画が達成されなかったことによる。

このような不均衡は,比較的貿易依存度が高く,かつ生産構造の高度な東ドイツ,チェコ,ポーランドでは成長を著しく阻害する要因となっているようである。

そのため,これらの諸国では長期計画が中止ないし調整されるに至った。

すなわち東ドイツとチェコではそれぞれ6ヵ年計画と第3次5ヵ年計画がその遂行期限の3ヵ年を残して廃棄され,64年から新長期計画が開始されることになった。そしてこの間将来の経済成長の地固めのため計画および経済管理機構の改革と平行して不均衡の調整,計画目標の引下げ,生産構造の変更などが行なわれようとしている。またポーランドでは現行の5ヵ年計画は存続されたものの,今後の投資計画に大幅な修正が加えられ,主として「非生産的」部門と消費財工業に対する投資が大幅に削減された。

このような事情は63年の計画にも反映している。多くの諸国では63年計画の工業の増産率は62年と大差はよいが,チェコとポーランドでは63年計画が前年をかなり下回っている。とくにチェコではわずかに1%増という異例の低い増産率が予定されている。

62年の農業生産は気象条件が悪かったためほとんどすべての国で悪影響を受け,61年,62年と続いた不作で飼料も不足し,畜産も増産を阻まれた。この結果,農業総生産は前年の減産から回復したブルガリアを除き横ばいないし減少を示した(第5-8表参照)。しかし穀物生産はポーランドとルーマニア以外の諸国は61年の収穫を上回り,とくに東ドイツの収穫は前年の不作にくらべると著しい回復をみせた。ただ他の諸国の穀物生産が55~59年の水準を多かれ少なかれ上回っているに反し,東ドイツのみはその水準に達しなかった。63年には寒波の影響で各国の穀物生産はかなりの不振であったとみられ,一部の諸国では西側から穀物を輸入することになった。

農業不振の打開策として62年中に一部で農業増産の刺激策がとられた。ブルガリアでは各種農産物の調達価格の大福引上げ,農業生産資材の値下げ,所得税の減税が行なわれ,東ドイツでも一部の農畜産物の価格が引上げられた。

② 国民所得,投資および消費

東欧諸国の国民所得の伸びは,ブルガリアを除き,前年に引続いて62年も鈍化した。これは工業生産の増加率が低下したことにもよるが,その主因は農業生産の不振にある(第5-9表参照)。

固定投資は,チェコとルーマニアを除く4ヵ国では61年を上回る増加を示したが,ブルガリアでは建設と設備の引渡しが遅れたため計画をかなり下回った。東ドイツでも前年と同様建設資材生産の立後れや労働力の不足が解消しなかった模様で,引続き計画が達成されなかった。

ハンガリーでは61年に投資計画の調整が終り,62年に著しい増大をみせた。62年にはチェコでも投資計画の調整が行なわれ,計画では投資の微増を予定していたのであるが,実際には,投資財と労働力の不足のほかに協同組合とコルホーズの投資が約25%減少したため,投資全体の規模も約5%縮小した。このような国営以外の部門の投資の横ばいないし減少は,ハンガリー,ポーランド,ルーマニアなどでもみられるのであって,これは東欧諸国における最近の農業不振とコルホーズ所得の増勢の鈍化を反映するものと思われる。

63年には大部分の国で62年と同程度の投資の増大が予定されているが,チェコでは前年に引続いて6%も減少することになっている。

個人消費を反映する指標として小売売上高をみると,ハンガリーを除いてその増勢は61年より鈍化した。とくに東ドイツではわずかながら減少した。

63年計画ではブルガリアとハンガリーで62年よりかなり目立った増加が予定されているのに反し,チェコや東ドイツではきわめて小幅な伸びに止まっている。

②貿 易

東欧6ヵ国の貿易は62年に輸出入合計で前年比約8.2%増と61年の伸び(9%)を下回った(第5-11表参照)。これは東ドイツとブルガリアの貿易拡大が著しかったにもかかわらず,他の諸国の貿易の増加率が多かれ少なかれ低下したためである。貿易収支をみると,チェコの出超が前年より著しく増したほかは,輸入増が輸出増を上回ったため,貿易収支は悪化した。とくにポーランドでは食糧と石炭の値下りで交易条件が悪化したため入超幅は著しく拡大した(第5-10表参照)。

62年の貿易の地域的構成からみると,各国とも61年に比べ輸出入合計におけるソ連の比重は増大し,ほとんどすべての国で共産圏内貿易の比重も増大した。ただブルガリアでは他の東欧諸国との貿易の伸びが小さかったため,圏内貿易の比重は縮小した。チェコでは,対中国(本土)貿易がさらに減少したにもかかわらず,ソ連以外の共産圏との貿易の比重はほぼ変わらなかった。

自由圏との貿易の拡大は,61年の場合と逆に,圏内貿易の伸びより小幅で,ブルガリアを除く4ヵ国では東西貿易の比重が縮小し,とくにチェコと東ドイツでは東西貿易は減少さえ示した(第5-11表参照)。チェコでは外貨の不足のため自由圏からの輸入が困難となったが,これがさきにみた貿易黒字の著増の要因となったのである。

(b)コメコンの多角決済制の導入

コメコンは62年6月の総会で「社会主義的国際分業の基本原則」というとりきめを採択し,また各国の副首相級のメンバーから成る執行委員会を設けるなど,その活動を強化した。コメコン諸国の貿易総額は62年には前年にくらべて10%拡大したが,そのうちコメコン域内貿易が14%,とくに機械,設備の取引額が21%増加したことも,機械工業を中心とする国際分業の進展を物語っている。

さらにコメコンは従来の国際分業による相互貿易の拡大,計画の調整のほかに,さらに通貨金融面の協力を強化した。すなわち62年12月に開かれた第17回コメコン総会は,各国間の決済組織の改善や金融および銀行事業における経験,情報の交換と協力を推進するため通貨,金融問題に関する常設委員会を設け,またコメコンの国際銀行の設立と多角決済制の導入を承認した。

従来多角決済制の欠如はコメコン内の経済交流の増大を阻止する一つの障害となっていた。57年の第8回総会で一応多角決済協定が結ばれたものの,これは基本的には双務決済に基礎をおくもので,双務清算勘定の帳尻を相手国の同意をえて,多角決済に移すことができるに止まるものであった。しかしこれはたんに2国間の収支尻を決済するに過ぎず,多辺的な国際分業を促進する手段にはならない。この意味でコメコン総会の新提案は,完全な多角決済制の確立を目標としたものである。

このような多角決済を行なう機関としての「国際経済協力銀行」に関する協定は,63年10月22日コメコン執行委員会で調印され,同銀行は64年1月1日から業務を開始し,「振替ルーブル」によって加盟国間の多角的決済を行なうことになった。

発表されたところによると,①同銀行はコメコン諸国の経済協力の促進を目的とするもので,本部をモスクワに置き,その理事会は全加盟国の代表によって構成される。②加盟国相互の輸出入その他の決済は振替ルーブル(0.9ルーブル=1ドルに相当する金含有量をもつものとされている)によって行なわれる。③同銀行は振替ルーブルによる多角決済,加盟国の貿易その他の活動に対する信用供与,振替ルーブルの余裕資金の受入れと保管,加盟国および非加盟国の金および外貨の預金の受入れなどの業務を行なう。④関係諸国の委任により,これらの国が設定した資金により,工業企業その他の建設,運営に対して信用を供与し,非加盟国との振替ルーブルによる決済を行なうことができることになっている。

銀行の設立と多角決済制の導入はコメコン諸国間の経済交流を促進することを企図したものであるが,コメコン以外の諸国,とくに低開発諸国との貿易にも影響を及ぼすとみられる。すなわち国連の“World Economic Survey1962”によれば,コメコン諸国相互間の保有残高の振替の可能性は,他の諸国との貿易にこの制度を利用する路を開くものであるといわれる。

多角決済制の導入とも関連して,コメコンはすでにコメコン域内の貿易価格体系の改定を決定している。この改革の目的は,同一製品について従来みられた各国の貿易価格の不統一を大幅に是正すると同時に,国際市場価格に一層近づけることであって,域内貿易の基準として従来の1957年価格に代って1957~61年平均の国際市場価格が採用されることになっている。