昭和38年

年次世界経済報告

昭和38年12月13日

経済企画庁


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第2部 各  論

第3章 東南アジア

3. 工業化の進行と貿易構造の変化

(1) 工業化の水準と速度

東南アジア全体としての工業化の水準と進展を鉱工業生産の人口1人当り付加価値でみると第3-3表のようになる。水準としては,1962年にいたっても,世界平均の十分の一以下,ラテンアメリカと比較しても四分の一以下に過ぎない。しかし増加テンポは著しく急速であって,とくに1953年以後に工業化の急進が起っており,第3-27図に示すように,1953~58年の5年間の増加年率は8%を超えた。1958年以後は成長はやや鈍化したが,なおかなり高い増加率を維持している。

工業化の内容をみるため,重工業の付加価値を軽工業のそれで割った指標を作ると,東南アジアは世界平均の数字の三分のー,ラテンアメリカの6割程度にしかならない。東南アジアにおいては急速な重工業の建設テンポにもかかわらず,重工業の比重が依然低いこと,しかしまた反面では重工業の拡大と同時に軽工業のかなりの伸長がみられたことがわかる。

かような工業化の進行の結果,国内総生産に占める鉱工業の比重,とくに製造業のそれが大多数の国で遂年増大を続けている(第3-4表)。

(2) 変化する輸入構成

以上述べた工業化の進行は貿易構造にどのような変化をもたらしたであろうか。東南アジアの工業生産が著しく拡大した1953年以降について,まず輸入に与えた影響をみよう。

(a)商品別構成

用途別にみた輸入構成は第3-4表に示すとおりである。独立を達成したアジア諸国が意欲的な工業化計画に乗出した1950年代はじめから,資本財と原材料の輸入増大が著しく,近年にいたってもその増加テンポは衰えていない。

農業生産の伸びがはかばかしくないのと,人口増加の圧力によって食糧輸入も増加傾向にあるが,年々の豊凶によって変動するので,これを除いて輸入構成比を算出した。

資本財輸入は1953年の28%から1961年には38形へシエアーを拡大しており,他方,資本財用原材料はほぼ一定の割合に止っている。これは多くの国が工業化の初期段階にあって,主として消費材工業の建設を進めており資本財生産はまだ低水準にあるためで,工業化の進行とともにますます資本財輸入に頼らねばならぬ事態を示している。

このことは国別の輸入構成をみても明らかであって,工業化を強力に推進している国ほど資本財輸入のシェアー拡大が著しい。なかでもインド,中国(台湾)は拡大テンポだけでなく資本財輸入のシェアー自休も大きく,インドにおける196工年のそれは食糧をも含む総輸入額の48%,中国(台湾)のそれは35%に達する。

これら両国は消費財生産だけでなく,重化学工業にもかなりの努力を注いでおり,それが資本財輸入に一層の拍車をかける結果となっている。インドについては資本財の生産も次第に増大してきて,資本財用原料の輸入シェアーも拡大傾向にある。

第3-28図 東南アジアの輸入構成

かような資本財輸入の増大にもかかわらず,中国(台湾)を例外として,長期的にみれば,ほとんどの国について輸入依存度の傾向的変化はないといってよい。

この輸入依存度を一定水準におさえた要因は消費財輸入の側に見出すことができる。

人口増加と経済成長にともなって,消費財需要は当然拡大するわけであるが,食糧以外の消費財輸入はほぼ横這いで,輸入総額に占める比重も1953年前後の30%から20%へと低下してきた。

もちろんこれは,工業化を目指す東南アジア諸国が,資木財輸入に関心を注ぎ,外貨難からする引締めや,新興産業保護のために消費財輸入を抑制している事情が大きく働いている。

しかし,消費財工業の発達につれて輸入代替効果が明瞭に現われてきていることも事実である。各国における消費支出に対する輸入消費財(除食糧)の比率をとると,ビルマ,中国(台湾),インド,フィリッピン,タイなど多数の国で減少傾向をだとっている(第3-29図)。

かような輸入代替効果が輸入の膨張をおさえ,外貨節約に役立ったことは明らかであるが,実は,工業化の進行が可能にした輸入消費財の駆逐が直接に貿易収支に表現されることにはならない。

すでに1950年代のはじめから,消費財用原材料の輸入が,1958年の不況期を除けば毎年のように増大を続けてきている。つまり,国内における消費財生産の増大につれて原料に対する輪入需要が拡大し,製品の輸入代替効果を大きく削減するのである。非食料消費財輸入と消費財用原材料輸入の比率をとればきわめて明瞭にあらわれているように(第3-4表),とくに1959年以降,消費財用原材料の輸入水準は相対的に著しく上昇した。

これは移植された近代的工業が必ずしもその国の国内産原料を使用しないこと,あるいは国内産額を上回る原料をやがて使用するにいたることを一面において示すものであるが,他方また低開発国の工業化がまず最終消費財生産からはじまる形態をとるため,輸入された加工原材料や中間財を使用することになる結果である。しかもこれら中間財はいわゆる基礎材が多く,大規模な近代的重工業の生産物であって,技術,資金,市場いずれの点からみても低開発国がただちに生産に着手することのできぬ分野なのである。

これは国内産原料を直接使用する紡績業や製糖業などからさに一歩を進めようとするとき,低開発国が直面せねばならぬ問題の一つである。各国の消費支出に対する輸入消費財用原料の比率をとってみると,セイロン,中国(台湾),韓国,タイではその比重が高まっており,上述の事態をはっきりと示している(第3-30図)。その他の国々では傾向が判然としないが,インドにおいては逆に減退しており,困難に直面しながらも進行している重化学工業への進出が効果をあらわしてきていることがうかがえる。

ほとんどの国で国内粗固定投資に対する資本財輸入の比率が上昇傾向にあることは当然予想されるところであるが,資本財用原料輸入の比率も中国(台湾),インド,韓国では高くなっており,資本財生産の進行を示すものと思われる。

(b)相手地域別輸入構成

第3-5表で明らかなように,1955年~1961年の期間をとると,この間に起った東南アジアの輸入増の大部分が先進国からのものであった。

工業化の推進にともなう資本財輸入の激増は,先進国からの製品輸入,とくに機械輸入の急増に示されている。資本財供給に関しては,ソ連・東欧からのものも小額ながら激増しており,そのシェアーも高まってきている。

しかし,輸入額に占める比率をみると,工業製品だけでなく食糧と素原材料についても先進国のそれがかなり高く,しかも著しく増加してきているのである。素原材料では低開発国,とくに東南アジア域内からの輸入が実額でも大きく減少した。

これは農業生産の不振と人口増加の圧力で東南アジア諸国の食糧,原材料の不足状態が強まり,北米その他の過剰生産国からの食糧輸入が急増し,原材料についても品質や外貨支払条件が原因となって,北米からの綿花など輸入先が先進国へ向けられてきたことを反映している。

工業製品については,その輸入の7~9割が先進国からのもので増加率も高い。しかし,東南アジア諸国における工業化の進行にともない域内諸国向けの製品輸出が増加し,また共産圏からのものの急増があった結果,先進国の比重はやや低下してきている。

他方,中東からの石油輸入を例外として,他の低開発地域からの輸入は金額も少ない上に増加もさほどでなく,東南アジア諸国における工業化が他の低開発地域に大きな影響を与えたとは考えられない。

第3-6表 東南アジア輪入増加率

第3-7表 東南アジア翰入相手地域別構成

(3) 工業製品輸出の伸長

低開発国の工業化にかけられた期待の一つに,伸び悩む一次産品にかわって工業製品の輸出を増大させることがある。東南アジアの輸出に占める工業製品の比重は2割程度に過ぎないが,逐年増加していることは,第3-30図に示されている。

これに反し,従来からの輸出の主力であった一次産品,とくに原料品の輸出は減退傾向を示してきた。

しかし,輸出総額に占める製品輸出のシェアーは国によって著しく異なっており,5割近いインドと中国(台湾)から,1%にも満たぬセイロンやインドネシアなどまである。製品輸出はたんに工業化の水準を反映するだけでなく,相手市場が低開発国の輸出したい品目を吸収する可能性の有無,それに品質と価格の両面にわたる競争力が問題となってくる。したがって各国それぞれの特殊な要因が作用するわけであるが,後にインド,中国(台湾),タイ,香港について個別の検討を加えることとし,ここでは東南アジア全体としての動向をみておこう。

市場としては第3-8表にみるように先進国向けが製品輸出の6割近くを占めている。その主品目は繊維品その他の軽工業品であって,従来からの特産品的原料の加工品が増加しているうえに,低開発国が低廉な労働力を用いて作り出した労働集約的商品が先進国市場に進出してきたことを示している。しかもその増加率は高く,軽工業品輸出に占める先進国市場のシェアーは増大している。

少額ながら,新たに輸出に乗出してきた機械類,化学品については主として低開発国,しかもそのほとんどが東南アジア域内向けのものである。競争力の点で,また低開発国が製造しうる品目が限られている点で,やはり市場は低開発国相互のあいだに見出さざるをえなかったものであろう。

機械輸出については先進国向けの増加率も著しく高く,いくつかの品目が先進国の拡大市場へ吸収されていったことがわかる。とくに1959年以降にその増勢は強まっているが,これは先進国側の経済拡大があったと同時に,東南アジア諸国の側の工業水準の向上,輸出体制の整備,強化があったためと思われる。

また共産圏向けは,化学品と鉱物性燃料以外の品目,すなわち食糧,原材料,機械,その他製品いずれも著増を示しシェアーを拡大してきている。

東南アジア諸国が工業化を進め,製品輸出を伸してきたやり方はさまざまであるが,まず気がつくことは繊維産業が依然として工業化の初期段階に大きな役割を果たし,需要停滞が問題となりながらも輸出市場に進出している点である。

特産品的性格を濃厚にもつ品目,たとえば精油,宝石作工,熱帯植物の加工品,染料などは以前からも先進国市場に輸出されていたが,繊維品を含めて近代的工業の生産物は一般に,最初は近隣諸国,東南アジア域内に市場を見出し,やがて吸収力の大きい先進国市場へ進出していくプロセスをとる。東南アジアとアメリカ,イギリスヘ向けられる製品輸出の割合が高いのはこの結果である。

また英連邦特恵制度がインド,パキスタン,香港の製品輸出に早くから有利に働き,フィリッピンがアメリ力市場に特別な地歩をえ,あるいはドル防衛措置により他の国々が閉め出された南ベトナムで中国(台湾)が輸出を激増させていることなど,域外諸国との特殊な結合関係が大きく作用している場合も少なくない。

第3-31図 東南アジアの輸出構成

第3-32図 輸出に占める工業製品のシェアー

(a)タ  イ

消費財生産を中心とするタイの工業化はかなりの進行をみているが,その製品輸出はまだきわめて低い水準に止っている。第3-9表に示すように,総輸出額に占める工業製品の比率は2%を超えない。しかし,その増加速度はかなり速く,1955年から1961年にいたる6年間の年成長率は9.3%で,とくに繊維品やその他の軽工業品の輸出増加が著しい。工業製品輸出の初期役階にある事例として検討を加えることとする。

品目ではセメント,綿製品,絹織物,それに宝石,貴金属製品が大きい。

合板などの木製品,ガラス器,その他金属製品も出荷がかなりの額に達している。

この品目にみるように,特産品的な原料の加工品がかなりの割合を占め,この種の製品を中心としてアメリ力など先進国向けが製品輸出額の3割に達する。しかし市場としては東南アジアが圧倒的であり,1955年から1961年のあいだに先進国の比重は著しく低下した(第3-10表)。

工業化の進行が生み出してきた製品は,東南アジアとくにインドシナ3国やシンガポール,ビルマといった近隣諸国へ出荷されていったのである。

この増大の中心となったものは,この6年間に4倍以上に拡大した繊維品や15倍にも達したセメント,ガラス器その他の新製品であった。機械・輸送機器に分類される品目でも,1955年にはわずかに6,200バートのフラッシュ・ライトがラオスヘ出荷されたに過ぎなかったものが,1961年には各種の機械部品や農機具,など多数の品目の輸出が70万バートに達した。

また,石けん類,グリセリン,木タール等の化学品も,輸出額は低下しているが,ますます東南アジア市場へ集中してきている。

タイの工業化は,先ず消費財加工の最終段階から出発して,次第に対象を拡げていき,国内市場を手中におさめながらようやく輸出にも乗出してきた。その際に,手近かな近隣諸国が市場となると同時に,中国(台湾)との関係にみられるような綿糸等の加工用原料の輸入などを通じて相互の経済関係を深めてきており,工業化が貿易構造におよぼす影響の初期のかたちを示している。

(b)中 国(台湾)

近年,中国(台湾)の工業は順調な伸び率を示し,生産は加速度的に上昇してきた。工業投資を反映して資本財輸入の増勢が著しく輸入依存度はかなりの上昇を示したが,輸出の伸長も続いておりGNPに対する輸出の比率も上昇傾向にある。

しかもこの輸出の増大は顕著な品目構成の変化をともなっており,砂糖を主力とする農産物加工品および米の輸出減少と,それにかわる工業製品の急増がみられた。輸出総額に占める工業製品の比重は1956年に15%程度だったものが,1962年には47%に達している。

増加の著しい工業製品は,輸出総額のなかで砂糖に次ぐ地位を占めるにいたった綿製品やセメントその他の軽工業品のほか,化学品,金属,金属製品,軽機械類が輸出額の大きな品目となってきた。このような品目構成の変化は台湾の工業化が軽工業だけでなく重化学工業部門にもある程度およんできた結果を示すものであるが,国内市場の吸収力を超える生産能力をもつ産業では輸出ドライブがかなりかかっているといわれる。

第3-12表 中国(台湾)の製品輸出構成

第3-13表 中国(台湾)の輸出品目構成

第3-11表は1955年と1961年の品目別地域別の製品輸出構成を示しておりこの6年間にすべての品目で著しい増加のあったことがわかる。地域構成をみても,1955年にはアメリカと日本,および近隣アジア諸国向けがほとんどであったものが,最近は西欧やアフリカ,中東,ラテンアメリカへも出荷するようになった。なかでも繊維品を中心とするイギリス,EEC諸国向けの増加は顕著である。しかし市場の転換が起っているのではなく,従来の地域で輸出を伸しながら,他の地域へも進出していくかたちをとっており,アメリカ,日本および東南アジア諸国が主要市場であることに変わりはない。

第3-33図 中国(台湾)の輸出構成

第3-34図 中国(台湾)の輸出入依存度

油脂製品,紙・木材製品など特産品的な原料の加工品は先進国で大きく伸びているのに対し,機械器具,金属・金属製品,化学品,セメントなど近代的工業の生産物は東南アジア,とくに南ベトナム,タイ,香港向けが激増している。工業化の進行による近代的工業の拡充につれ,東南アジア市場の比重がますます大きくなってきたが,他方,綿布,衣類などにみられるように,北米,西欧市場への進出めざましい品目も多い。生産物品目の多様化がそれぞれの相手地域に応じた商品の輸出増大を可能にしてきたのである。

(C)イ ン ド

インドは東南アジアでもっとも工業化の進んだ国であり,独立後重化学工業の建設に努力を傾注してきた。消費財の輸入代替効果が明瞭にあらわれているだけでなく,消費財用原料の国産化も進んでいる点が他の国々と異なっている。

輸出についてみても,その4割以上が軽工業品を中心とする工業製品で占められており,低開発国のなかで製品輸出額のもっとも大きい国の一つである。インドの綿製品,はきもの,ジュート製品などの輸出は,1920年代にかなりの額に達していたが,両大戦間にとられた保護関税と第二次大戦中における外国からの競争の停止で工業化が進み,戦争直後にアフリカ,東南アジア,さらにイギリス市場にも喰い込んでいったのである。

しかしインドの輸出の伸びは近年はかばかしくなく,輸出総額に占める工業製品の比重もほとんど変化がない(第3-14表)。

第3-15表 インドの製品輸出品目構成

これは最大の輸出品目である綿製品に典型的にあらわれているように,軽工業の建設がはじまったのはかなり以前のことであり,設備の老朽化が進み品質,価格の点で競争力が低下してきており,また軽工業製品の多くが市場拡大を期待できぬ品目であって,ここにインド製品輸出の伸び悩みの原因があるように思われる。

1957~61年のあいだにインドの製品輸出はほぼ横這いであったが,その地域構成にはかなりの変化が認められる。増加が起ったのは製品輸出の6割を吸収する先進国向けと額は小さいがソ連・東欧向けであって,東南アジア向けは変化なく,その他の低開発地域向けは24%も減少した。しかし比重を高めた先進地域はEEC,日本に止り,最大市場たる北米のシェアーはむしろ低下した。

増加の大きい品目は繊維品,卑金属,機械,化学品で,このうち繊維品はアメリカ向け,EEC向けなど先進国市場で拡大し,低開発地域,とくに東南アジアで減退している。卑金属は銑鉄など東南アジア域外で伸び,化学品は先進国向けが増加しているが,機械類は主たる市場を低開発国に見出し,とくに中東,東南アジア諸国向けが著増を示してきた。

第3-16表 インドの製品輸出増加率

この品目構成の変化は,明らかに工業化の進行を反映したものである。いまだに輸出のかなりの割合を占める特産品的製品が減少し,機械,金属製品など近代的工業の生産物が低開発国市場で伸びた。市場としてみた場合は製品輸出全体としては先進国向けが拡大著しく,需要停滞商品と目される繊維品にしても,先進国へ市場を転換することによって増加した。

先進国市場への依存度はますます高まっているが,他の東南アジア諸国と比較すると,インド製品輸出の特徴はラテンアメリカを除いて,世界の各地域に市場を見出していることである。その内容は綿製品を中心とする軽工業品が主体であるが,他の品目にも手を拡げてきており,いたるところで先進国だけでなく,品目によっては新興低開発国からの競争に直面している。

(d)香 港

香港は,綿製品を主力に,近年著しく工業製品の輸出を伸してきたが,輸出市場を目当てとしたその工業化は独得の条件に支えられ,特殊な形態をとった。海外市場で輸出を伸長させるためには原料をほとんど産出せず,水資源に不足する狭い土地で,競争にうちかつ低廉な製品を生み出さねばならなかったのである。

工場建設の急激なテンポは,第3-35図に示すように,工場法による登録工場数が急増していることからもわかる。この工業化の直接の契機は1949年をピークとする中国本土からの人と資本の流入であり,有能で低廉な労働力を新式機械と結合し,消費財の最終加工段階に特化したとき,世界市場へ乗出す条件が生れた。

製品はまず,朝鮮戦争以後減退した中国本土貿易のかわりに,東南アジア市場と英連邦諸国へ向けられた。英連邦特恵関税制度を利用すること,および旧来からの極東における中継港としての便宜がこの進出を容易にしたと思われる。

地場製品輸出の伸張と工業化の進行とともに,香港の中継港としての役割りが後退してゆき,輸出総額に占める地場製品の割合が増大を続け,また工業製品輸出の比重も高まってきている(第3-36図)。この香港製品の輸出は1959年以降,さらに一層の拡大をみたのであるが,第3-18表に示すように,これはアメリカ,西欧向けを中心とする先進国向けの激増によるものである。他方,かつての主要市場であった東南アジアの比重は著しく低下した。

第3-17表 香港の製品輸出地域構成

第3-19表 香港の製品輸出品目別地域別構成

1959年から1961年にいたる3年間に達成した輸出増加額の4割以上が先進国向けの繊維製品であった。プラスチック製品など軽工業製品の伸びも先進.国向けが大きかったが,繊維を含めて品目の多様化と高級化が進んでアメリ力向けが激増し,衣類,はきものなどではイギリス,EEC向けの拡大が著しかった。

機械類は小額ながら1959~62年のあいだに倍増した。低開発国向けも伸びているが,やはり先進国,とくにトランジスター・ラジオを中心に,アメリカ,ヨーロッパ向けが急増をみた。

機械類の内容もかなり多彩となり,置時計,双眼鏡,扇風機,カメラなどのほか,もともと地場産業目当てに製造をはじめたプラスチック加工機,プレス,ミシン等も出荷されるようになっており,先進国,低開発国何れに対しても輸出品目を多様化してきている。

軽工業製品のなかでも,先進国市場の需要に見合った品目を機動的に選択して生産を行ない,競争的価格で供給したところに,香港製品の輸出が拡大した要因をみてとれる。