昭和38年
年次世界経済報告
昭和38年12月13日
経済企画庁
第2部 各 論
第3章 東南アジア
1962年の東南アジア経済は,他の低開発地域全体とほぼ同様に,伸び悩み状態を示した。
1960年に比較的高かった国民総生産の増加率は,1961年に著しく低下し,1962年も同程度の伸びに止った。このため,一人当り国民所得の増加も前年に引続ききわめて低いものとなり,国によっては減少さえしたものとみられている。
鉱工業生産の上昇率は前年をやや上回ったが,1960年のそれには及ばなかった。農業の不振,とくに食料生産の停滞が農村需要の伸びを抑えたほか,農産物加工業にも悪影響を与え,インフレ対策および輸入制限強化もあって工業生産のより一層の上昇が押し止められた。
他方1961年に減少した輸出は,先進国経済の拡大につれて増加傾向に入り,このため鉱産原料および農産物加工品の一部についてはかなりの生産増加がみられた。
輸入はゆるやかな増勢にあり,金外貨準備は減少を続けた。
通貨量は引続き増大し,通貨改革,金融引締めなどの対策が取られたにもかかわらず,食糧を中心とした物価の上昇がとくに都市部において続き,多くの国が財政難に悩まされている。
1963年に入って輸出は増加傾向を維持し,輸入は横這いとなった。援助,外資の流入もあって金外貨準備は増大を示した。鉱工業生産は上昇を続けているが,農業は依然不振である。
1962年における東南アジアの輸出増2.7%は低開発地域全体の5%増と比較すればかなり低い。
しかし輸出単価が2%下っているから,数量としては4%を上回る増加である。
その特徴としては,増加がアメリカに集中したこと,および増加品目がすずなどの一部鉱産原料に止らず,農産加工品,繊維品その他の工業製品におよんでいることである。
そのほか1961年に激減した西欧向けが2%増となり,日本向けは鉄鉱石輸出の減退から逆に2%縮小し,東南アジアおよびその他低開発国向けは微増した。
輸出増の主因はアメリ力の景気上昇であるが,主要輸出品目のなかで,価格低落と合成ゴムからの競争を受けた天然ゴム,および先進国の鉄鋼生産不振のあおりを受けた鉄鉱石はかえって減少した。また,不作だった米の輸出も減少している。
なお,アメリカ向け輸出は1955年当時,景気上昇期にはアメリカの国民総生産の伸び率の2倍の比率で増加していたものが近年はほぼ同率に低下してきている(第3-1表)。
近年急速に拡大を続けてきた共産圏向け輸出は,1962年には11.3%伸び,東南アジアの総輸出額の7%に達した。
1963年第1・四半期の輸出は前年同期を5%上回っており,第2・四半期もそれ以上の増加が続いたものと推定されている。
低開発地域全体としては,1962年の輸入はほとんど横這いで,前年水準に止まったが,東南アジアのそれはアメリカからの資本財および食糧の輸入を中心に3.6%増大した。
対米輸入が14%増加したほか,日本,その他アジア諸国および中東からのものも増大している。逆に対西欧では9%の減少をみ,アジア,中東以外の低開発地域からの輸入も大幅に縮小した。
なお金額は少ないが,共産圏からの輸入は21%上昇し,総輸入額に占める比率は5%となった。
食料輸入の増大は農業生産の不振を反映するものであるが,輸入制限の強化にもかかわらず,資本財輸入は増加を続けており,重化学工業部門を中心とする投資が続いていることを示している。
1963年第1・四半期の輸入は前年同期を6%下回ったが,第2・四半期に上昇したとみられ,上半期全体としては横這いと推定されている。
貿易収支は1962年に低開発地域全体としてはかなりの改善をみたが,東南アジアではむしろ赤字幅が増大した。もっともそのテンポは若干鈍化している。
貿易収支が改善さた国でも貿易外収支は悪化したものがほとんどで,外資導入,借款受入れが行なわれたにもかかわらず,金外貨準備の減少が続いた。
しかし1963年上期には輸出の好調と輸入の停滞もあって,金外貨準備はやや増加している。
過去3年間続いた拡大の後を受け,1961/62年には農業生産の増加は著しく鈍化し,他の経済部門へのはね返りが大きかった。とくに不振だったのは食糧生産で,前年と同水準に止ったため,人口1人当りでは2%の減少となって輸入の急増を招いた(第3-4図参照)。これは天候の不順,洪水といった一時的原因によるところが大きいとされている。
農産原料ではジュートなど大幅な増産となったものもある。食糧では米の生産がとくに不振で前年の水準を超えず,とうもろこしは増勢の鈍化をみ,油料種子は減産となったが,小麦は4%程度増加した。砂糖,茶,タバコの生産は微増であった(第3-5図参照)。
食糧以外め農産物でもゴムの生産は減少した。他方,綿花,アパカは微増しており,ジュートは2期連続の不作の後を受けて大幅な増産を記録し,輸出も好調であった。
1962/63年には,小麦は一層の増産をみたが,米は引続いて不作となり,国によっては輸送隘路なども手伝って食糧危機が起った地域もあった。
東南アジア域内の米輸出は不振を続け,アメリカからの穀物輸入がさらに増大した。
鉱工業生産の総合指数は1960年に12%の大幅増加をみた後,1961年に増勢の鈍化が起ったが,1962年には増加率は8.5%とかなりの回復を示した。
この改善は鉱業生産によるところが大きく,製造工業については増加率は1961年と大差なかったし,電力,ガスのそれは高いながらも1961年を下回っている。
東南アジアの鉱業生産は,域内における重工業の建設と輸出増加を背景として,製造工業に比肩する成長率を示してきたが,1962年における鉱業生産の上昇も,この二つの要因によるものとみることができる。工業生産の内で重化学工業は1962年にもとくに大幅な伸びを示し,電力・ガスも引続き早いテンポで上昇を続けたので,石炭・石油は10%あまりの増産となり,すずは先進国向け輸出の好調から生産が増大した。ただし,鉄鉱石は日本,その他先進国の鉄鋼生産不振による輸出減退が響いて増加率が低くなっている。
製造業全体の成長率は1961年とほぼ同じ7%程度に止ったが,生産の不調に悩んだのはおもに軽工業であって,その増産のテンポは2年引続き低下した。重工業については生産は14%近い増大を示し,軽工業と重工業の生産額比率は1948年の1:0.4から1:0.6となっている。
軽工業の拡大テンポ鈍化は,綿製品など国内需要の伸び悩みに加え,先進国側の要請に従って輸出自主規制を行なったためもあるが,外貨難よりする輸入制限が原料や機械部品の十分な供給を妨げたこと,インフレ等による経済環境の悪化,動力不足や輸送隘路なども,多く私企業部門の消費財産業にしわ寄せされた結果である。
1963年上半期も,鉱工業生産は前年とほぼ同様の増勢を維持したとみられる。