昭和38年
年次世界経済報告
昭和38年12月13日
経済企画庁
第2部 各論
第1章 アメリカ
ケネディ大統領が高度成長政策を掲げてホワイトハウスに入っていらいすでに2年半近くになる。このあいだに政府はややもすれば停滞しがちなアメリカ経済の体質改善を目的として,各種の施策を実現した。しかし,国内では議会の反対,国外では各国との利害対立があって,大統領の抱懐する政策が全面的に陽の目をみるには至っていない。それにしても1962~63年には所得税の減税政策や設備投資,雇用の促進についてつぎに掲げるような施策が,実現したし,物価・賃金を安定させて国際競争に備え,かつ積極的に輸出を促進する措置もしだいに強化されつつある。
成長政策で最も考慮を要するものの一つは国際収支であるが,アメリカは国内の経済動向よりも国際政治に関連する巨額の対外支出を負担しているため,これが60年いらいの国際収支不安をかもし出す原因の一つとなっている。
この不安をたち切ることは高成長政策の地固めともなるのであるが,他方,近年の不安を作り出した原因が短期および長期資金流出にあったため,これをおさえるためかなり思い切った対策をとることになった。つぎに以上の施策を概説しよう。
1963年はじめに提出されたケネディ大統領の減税政策は9月25日下院本会議で可決された。今後上院で討議され1964年はじめに発効するとみるむきが強い。下院可決案はつぎにあるようにケネディ原案とはかなり異なっている点もあるが,ともかくこれによって消費と投資を刺激し,成長促進・失業減少という当初のねらいが実行に移されることはまず確実である。
はじめに減税案のおもな内容をケネディ原案と下院通過案とを比較しつつ簡単にみておこう。
ケネディ原案は現行税率を課税所得の第一税率階層から最終階層までほぼ一様に3割切下げ,これをおもに高額所得層にとっては増税となる「税制改革」で補うことにより,低額所得層に相対的に大きな減税をはかろうとするものだった(注1)。別の面からすると,税率軽減による成長促進と他方ではそれによっ生じるビルト・イン・スタビライザー機能の弱化という矛盾を税制改革による累進税の強化によって緩和しようとするものであった(注2)。
下院可決案では,基礎控除規定改訂以外の税制改革が大きく後退し,それにかわって,税率軽減が高額所得層にわずかばかり不利になったにすぎなかった。そのため全体としての低額所得層の減税に重点がおかれていた原案の特徴は薄れた。
それはともかく今回ケネディが減税政策をうちだした意義はつぎの点にあった。
1)昨年行なわれた減価償却期間短縮,投資減税および今回の法人所得税軽減による投資刺激策に加えて,個人消費を刺激する以外には1957年以降停滞している投資需要の喚起も経済成長の促進も困難なこと。
2)従来の「受身の赤字」とは異なり所得税軽減による積極的赤字財政策(注3)である。この点からする限り,それは平時におけるケインズ的処方箋のはじめての試みであるといってよいこと。
3)今回の減税案はニューディール期のそれとは違って,すでに国家の経済への介入も深まっている時期に登場している。この点をアメリカの連邦財政の構造についてみると,支出面では高度に軍事費中心であり(GNP対する比率は他の資本主義国より圧倒的に高い),収入面では高度の累進的税率と低い課税水準が採用されているので,すでに最も過剰生産能力の処理に都合のよい体系になっている(注4)。今回の減税の政策はこの連邦財政を収入面から改訂するものなのである。
さて以上のような意義をもつ減税政策にどの程度の効果が期待できるだろうか。
いま減税案の中核をなしている個人所得税軽減についてみていくと,下院可決案では,1864年中に所得税軽減の三分の二(約60億ドル)を,残りの三分の一(約30億ドル)は1965年に行なうことになっている。
最近の限界消費性向は不規則な変化はあるが,およそ93%である。これに他の漏れ“1eakage”(消費支出の増大によってもたらされたGNPの増大のうち会社利潤,社会保障掛金,税金など個人可処分所得には回らない部分,値はGNP増分の45~50%)を加味すると,消費乗数は約2となる(注5)。
個人可処分所得の増大があってから約半年間に上記の乗数効果の半分はあらわれる(注5)。したがって1年間で乗数効果の大半はでつくしてしまうとみてよかろう。
これをたとえば,1964年についてて適用すると,60億ドルの個人所得軽減は,はじめに約56億ドル(60×93/100 )のGNP増をもたらすから,これにさきの消費乗数を乗じて約112億ドルのGNP増を生み出す。1963年のGNPを5,800億ドルとするとこれはおよそ2%の経済成長をもたらすことを意味する。これが個人所得税軽減の経済成長に及ぼす効果である。過剰能力のあるアメリカ経済にとってこの乗数効果がまず作用し,つぎに加速度原理が作用する条件がつくりだされていくであろう,これがケネディ減税案のねらいである。
62年初めの大統領経済報告で賃上げを生産性上昇の枠内におさめる,いわゆるガイドポストが発表された。しかしこれは法的拘束力をもつものではなくて,世論を指導するのが主要な目的であった。事実航空宇宙産業の労使交渉にはガイドポストがかなり影響したといわれる。またその他の労使紛争の仲裁,調停にも影響を与えていくらかの役割を果たした。この役割というのはいってみれば心理的な圧力であって,労使とも交渉の場において,このガイドポストに留意せざるをえないし,紛争を仲裁ないし調停にもち込めば,両者のあいだに介在する仲裁者,調停者がガイドポストを尊重した裁定を下すだろうという諒察が双方にあったのである。このほか後日,政府が干渉する見通しの強い場合にはガイドポストの衝撃は強まりやすい。こうして賃金のインフレ的騰貴を防ぐ一方,物価についても,必要な場合には値上げを阻止する動きをみせている(たとえば62年4月業界の発表した鉄鋼価格一斉引上げの阻止)。1年後の選択的鉄鋼値上げに対しては,一斉値上げでなく,部分的な値上げであれば反対しないことを明らかにしたが,しかしそれも「物価の安定と鉄鋼価格の安定という枠のなかにある」ことを条件とした。なおまた,最近の鉄鋼,電機,アルミ,重化学品その他工業製品の値上がりについて大統領消費者諮問委員会は調査を開始すると発表した。この委員会は62年7月,消費者の声を政策に反映させる目的で発足したもので,諮問的な性格しかもたないが,消費者物価の値上がりに波及する前にうつべき手段を検討することになっている。連邦大陪審は10月下旬大手鉄鋼6社を召喚し,63年夏から秋へかけての鉄鋼製品値上げの調査を行なったとみられているが,果たして政府が62年春のような直接干渉に出るかどうかは疑問である。それにしても政府としては国際収支対策としてまた国内成長政策といった見地からしても,物価の安定には強い関心を示している。
過去数年間における物価,賃金の安定は,設備能力,労働力の不完全利用状態と内外における市場競争の激化によるものであるが,他面では政府の呼びかけにも効果があったものと思われる。
62年7月施行された固定設備償却期間の短縮は,機械,設備の平均耐用年数19年を約12年に短縮して,西欧水準まで引下げ,62年9月には年余の懸案であった投資減税法が可決された。これによって連邦財政の減税額は63財政年度で,12億ないし13億ドルと推定された。
この二つの措置がどれほど企業の設備投資に寄与したかを63年5月発表のマクグロー・ヒル社「工場,設備投資予測調査」からみると,63年の前年比投資増分27億4,000万ドル中11億6,500万ドル(42.5%)は前記の二つの措置によるものである。
ケネディ大統領就任直後に打ち出された雇用促進政策の第一は,地域開発であった。61年春議会を通過した地域再開発法によって連邦政府は4ヵ年間に3億ドルの低利資金を都市または農村の工場建設,公共事業に融資することになった。融資は所要資金の65%までである。適用地域は1 失業率が総労働力の平均6%以上に達するか,あるいは全国平均をはるかに上回る都市地域。
2 労働者がたえず不完全雇用状態にあって,所得の低い地方。
3 同じような事情におかれているインディアンの保護収容地。
であって,当初この指定を受けた市町村は933ヵ所に及んだ。指定地域はほとんど全米の各州にわたり,居住人口にすると全米人口の2割に近かった。
こうした資金のほかに連邦の贈与として公共施設に7,500万ドル,労働者再訓練に1,450万ドル,技術援助に450万ドル支出できることになった。
第二の雇用促進策としては人力開発法による4億3,500万ドルが計上され,40万失業労働者の再訓練と25万労働者の職場における訓練費に当てられた。
ついで62年秋,議会は別個の公共事業促進法にもとづく緊急公共事業費として9億ドルを新規に承認したが,これは62年春大統領が失業多発地域の緊急的公共事業費として要請したものであった。下水,公共建築,道路,病院など早急に着工して,1年間でほぼ完了し,新たに雇用を必要とする事業に支出することになった。62年10月24日に最初4億ドルの支出が議会で承認されたが,申込みが多いため,さらに5億ドルが追加された。
なおまた市町村側でも各種の雇用促進措置をとり,現在だいたい2万前後の地域社会開発機関を設け,工場誘致に努めている。
以上の措置はかなりの職場を作り出し,失業対策としての効果はあったが,しかし不況地域を長期的に自立させるには,まだ問題があるようである。公共資金の援助や租税特点だけでは工場を誘致して不況地域の再興をはかるには不十分であるし,基本的には不況地域労働者を他の都市に移動させる必要もあったと指摘されている(参考資料-経済企画庁海外調査月報昭和38年4月)。
株式市場の安定,強化もまた自由経済体制をとるアメリカとしては重要な課題である。大衆ならびに企業の資金を組織的に取りまとめて,工場,設備その他の固定投資計画に回す媒体が株式市場だからである。いわばアメリカ的経済体制のもとでの成長資金の一つの源泉はニューヨークの株式取引所であった。ところで62年5月の株式暴落はアメリカのみならず世界に大きな衝撃を与えた。この点についてはすでに前年度報告(77ページ)でふれたが,その後証券取引委員会はこの暴落の原因が空売りや大衆不安を反映した端株取引,市場当局の統制不徹底な店頭取引,取引所会員の利益目的の株式売買,株価変動調整の役割をはたさなかったスペシァリスト(特定株の売買を場内で取引するもの)などにあったとして,つぎのような市場機構ないし制度の改正を勧告した。
1 これまで証券取引委員会に報告する義務のなかった小規模な店頭取引業者にも業務の内容を完全に報告させる。
2 ブローカーならびにその使用人に対して証券取引委員会の統制権限を強化する。
3 証券取引に新規に従事する者の資格,能力,金銭上の責任に関する基準を設定する。
このための立法はすでに上院を通過しており,下院もほぼこれを認めるとみられる。
なお立法措置を必要としないで,証券取引委員会規則の変更だけで実現できる改正の要点は-
1 ニューヨーク株式取引所およびアメリカン株式取引場内取引(f1oor trading)の禁止
2 スペシァリスト関係の規制強化
3 端株取引の規制
4 店頭取引市場の乱用禁止
などであるが,一部に反対があるので,上記の改正の見通しは明らかでない。