昭和36年

年次世界経済報告

経済企画庁


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第2部 各  論

第4章 共産圏

1. ソ連,東欧の経済動向と東西関係

(1) 1960~61年のソ連経済と20カ年計画

1)1960~61年の概況

ソ連の7カ年計画(1959~65年)は,61年でその3年目にはいった。ソ連中央統計局の公表する経済目標でみるかぎり,農業部門を除くと,60年までの2年計画はほぼ順調に遂行されてきたといえる。しかし61年にはいってからは,経済の伸びが全般的に鈍化していることが注目をひく(第4-1表参照)。すなわち,1959,60年には多くの経済指標の伸び率が7カ年計画の年平均を上回っていたのに対しで,61年上半期の実績は7カ年計画の年平均と61年の年間計画をともに下回っている。以下,60~61年の経済動向を主要経済指標によって概観しよう。

イ)国民所得と工業および農業生産

60年には59年に引きつづいて工業生産が計画を上回る実績を示したにもかかわらず,国民所得(ソ連の統計では物的生産に関連した純生産額で,国連ECEの用語では純国民生産)の伸びが計画目標に達しなかったのは,農業生産がかなり大幅に計画を下回ったことによるものであろう。

61年計画の国民所得と工業生産(企業別総生産の集計)の増加率の関係をみると,前者の方がいくぶん大きくなっており,農業生産の増加率の大きいことが推測できる。61年の農業生産計画は公表されていないが,60年同様か作を著しく上回ることを予定している。最近までの報告によると,61年の農作物の作柄は良好のようで,国家の買付量も前年よりふえている。すなわち,61年10月15日現在で穀物の買付量は5,050万トンに達して,前年同時期のそれを13%上回り(年間買付計画は5,400万トン,60年比15.8%増),綿花の買付量は同じく300万トンで,28%余の著増を示した。他方畜産も多少好転しているが,一部の地域では家畜頭数の増加が計画に達せず,また肉や牛乳の国家買付は著るしく不十分であると伝えられる。

工業生産は7カ年計画の予定より速いテンポで上昇してきたので,ソ連政府は60年末工業その他1部の経済部門の目標を引き上げることによって7カ年計5画に修正を加えることに決定した。工業生産の年間計画増産率も59年の7.7%からしだいに引き上げられて,61年には8.8%と7カ年計画の年平均を上回るに至った。61年上半期の実績は同期の計画を2%上回ったが,年間計画の増産率には達しなかった。61年第3四半期には前年同期にくらべて9.4%の増産となり,結局61年1~9月では8.8%の年間計画と同じ伸びを示した。しかしその伸び率は59,60年にくらべると若干低下している。

ロ)雇用と労働生産性

全体としての国営部門の労働者職員数は,60年にはかなり著しい増加を示した。これは,産業協同組合員140万が国営企業に移されたという特殊事情があり,またおそらく60年1月に決定された120万の兵員削減が1部実施さされたことによるのであろう。戦時中の出生率低下や農業増産による労働力需要のため,長期のすう勢としては雇用労働者,職員数は微増にとどまると予想されるのであって,60年は異例に属するといえる。とくに国際緊張が強まり,61年7月ソ連当局の声明によれば,すでに兵力の削減が中止されているので,新たに雇用の面へ圧力が加わりつつあるといえよう。

つぎに工業生産における雇用と労働生産性の関係をみると,従来は生産の伸びに対して雇用の増加よりも労働生産性の方がより大きく寄与してきた。

ところが60年には前年にくらべて労働力は4.8%増加したのに対して,1人当たり生産性は5%の向上を示し,両者はほぼ同程度に生産の増大に寄与した。しかし現在ソ連では雇用の増加にはかなり限界があるので,長期的には工業生産の伸びは労働生産性の向上にまつところが多いのである。

他方,労働時間は,7カ年計画にもとづいて,60年には1日8時間制から7時間制(地下作業などは6時間)へ全面的に切り換えられ,週労働時間は平均39.4時間になったと発表されている。この労働時間の短縮は1時間当たりの生産性の10%の向上によって相殺され,1人当たりの生産性は5%の向上を示したのである。なお61年上半期実績では工業部門の労働生産性の向上は3.5%,労働力の増加は4.7%で,雇用のかなり著しい増加傾向がつづいている,

ハ)固定投資と個人消費

つぎに投資をみると,60年には国家計画の枠内の固定投資が大幅に伸びたが,61年にもかなり増加する予定であって,いずれもその増加率は国民所得の増加率を越えている。また,61年の計画投資額は7カ年計画の平均額の上限をも上回るに至った。上半期の計画は89%しか遂行されなかったが,これは資金の分散,資材と設備の不足によるものと思われる。

他方,個入消費の動きを小売売上げ高(コルホーズ市場の売上げ高を含まない)からみると,60年には59年同様国民所得と平行して伸び,7カ年計再の年平均を上回った。しかし,61年計画では,その増勢が鈍化し,上半期の実績ではその傾向がいっそう顕著に現われていることは注目に値しよう。

なお,ここで軍事費の増額について一言しておかなければならない。61年7月,前述の兵員削減の中止と同時に軍事費の増額が発表された。この措置によって,61年度の軍事費は約34%増額され,約124億新ルーブルと戦後の最高額に達することになった。

このような軍事費の大幅な増額は61年の資金,資材,労働力などの配分計画にかなり修正をもたらし,経済全休に影響するところが少なくないであろう。

2)貿  易

最後に貿易に目を転ずると,60年の輸出入総額(詳細な貿易統計は未発表)は477.7億旧ルーブル,101億新ルーブル(公定換算率で112億ドル)であり,実質で前年にくらべて5%の増加にとどまった。61年の貿易の伸びは6.5%と予定されているが,上半期の実績ではわずか2%にすぎなかった。59年の貿易の拡大は異常に大きかったにしても,従来貿易の伸びが国民所得の伸びを上回ってきたことからすると,60~61年の貿易の伸び率はきわめて小さい。

これはある程度農業の不振が,輸出総額の25~26役を占める農産物,食料品の輸出に悪影響をおよぼしていることによるとも考えられる。

ここで61年の貿易の動きを地域別にみると,第4-2表および第4-1図に示すとおりである。すなわち,61年には共産圏諸国との貿易の伸びがきわめて小さかったのに反して,自由世界との貿易は前年に引きつづいて拡大し,とくに輸入は大幅に伸び,総額の約3分の1にも達した。

圏内貿易では中国との貿易が前年にくらべてかなり大幅に減った。同国の農業災害によってソ連側の輸入は減少し,新規の借款がなかったため,輸出もそれに応じて縮小した。また,東欧諸国への輸出の伸びが小幅であったのは,それらの諸国の国内原料の供給が改善されたのと,一部の国の対ソ借款がほば使い果たされたためである。

自由世界との貿易では西欧からの輸入が主要工業国からの鉄鋼,機械,化学製品の輸入の著増を主因として大幅に伸びたが,西欧への輸出の伸びは,穀物輸出が減少したため,一部は石油輸出の増加によって相殺されたものの,59年のそれをはるかに下回った。低開発地域との貿易,とくに同地域からの輸入は大幅に拡大し,61年にも輸出入総額で22%の増大が予定されている。

3)工業生産の部門別動向

60年および61年1~9月の工業生産を部門別にみると,第4-3表に示すような動向をたどのた。ここで注目すべき諸点を拾ってみよう。

イ)エネルギー

60年は前年にくらべわずか1%の増産であった石炭は,61年1~9月には前年同期にくらべて減産に転じた。この間粘結炭の採掘は60年に9%,61年1~9月に2%増しているのであって,一般炭は一貫して減産をつづけている。他方原油は7カ年計画の年平均を上回る増産を示し,ガスの採取も60年に計画未遂行ではあったものの,その伸びはしだいに大幅になっている。この結果,燃料バランスはさらに変化し,燃料生産高に占める石油とガスの比重は59年の34,5.%から60年の38.2%(61年計画は42%,65年の目標は51%)へとかなり急速に増大している。電力生産の増大テンポは60年には7カ年計画年平均の下限も下回り,61年1~9月には年間計画の12%に達しない状態で,電力需給はなお窮迫しているとみられる。

ロ)機械,金属加工

この部門は,7カ年計画の年平均を上回る速いテンポで伸びている。しかし発電機と石油および化学工業用設備のような重要な製品の生産計画は60年61年上半期とも未達成に終わっている。このことは建設資材の増産率の鈍化,61年上半期におけるセメントの生産計画の未達成とともに,固定投資の遂行に悪影響をおよぼしていると思われる。

ハ)化学工業

化学工業は7カ年計画の最重点部門の一つで,年平均17%の増産が予定されている。現在,増産テンポは,まだそれに達していないものの,しだいに高まってきている。とくに,化繊の増産が60年の18万から61年1~9月の20%へ,肥料の増産が同じく7%から11%へと大幅になっており,数年来の化学工業振興対策は実を結びつつある。

ニ)消費財工業

以上の工業部門の動きはだいたいにおいて長期的な生産構造の変化を反映しているが,60~61年における軽工業,食品工業の動向は59~60年の農業生産の停滞に影響されている。すなわち,食品工業は60年には4%の増産にとどまり,60年1~9月にはかなり持直したものの,肉類の生産(コルホーズおよび個人の自家生産を除く)は前年同期より4%落ちている。また軽工業の生産額は61年1~9月には,3%の増加にすぎず,毛織物を除く各種の織物の生産のごときは,ほぼ横ばいあるいは減少を示している,。

耐久消費財部門はいぜんとして大幅な増産をつづけ,たとえば洗濯機は60年が32%,61年1~9月が41%,冷蔵庫は同じく24%,30%と生産の伸びを示している。しかし,この二つの製品については60年から61年上半期にかけて生産計画が達成されなかったといわれており,さきに述べた軍事費の増額によって軍需生産が拡大すれば,これらの部門はまず最初圧迫を受けるで

3)農業の不振とその打開策

以上みたように,農業以外の部門は60年まで7カ年計画の線に沿って,1部ではその予定を越えて成長を遂げてきた。これに反して農業部門は7カ年計画の初年度である59年以来停滞に陥った。このような相反する動きは7カ年計画遂行途上における重大なアンバランスを発生させるもので,61年1月の共産党中央委員会では農業の不振の問題が審議され,その対策の1部として農業省の改組をはじめとする農業管理機構の改革が決定された。

イ)農業生産の停滞

ソ連の公表によると,農業総生産額はスターリン死後の農業振興策によって,1954~58年に年平均7%を上回る成長を示し,とくに58年には前年にくらべて10.6%を増して,各農産物は記録的な豊作であったといわれる。しかるに59年には農業総生産額は前年にくらべて微減(耕種は5%減,畜産は6.4%増)となり,穀物をはじめ1部の農作物の収穫は前年をかなり下回った。60年の農業総生産額は未発表であるが,(国連,ECEは2~3%増,WorldEconomicSurveyは2%増と推定),穀物収穫高は多少回復したものの計画をはるかに下回った。また畜産は,59年には前年穀物が豊作だったため増大をつづけたが,60年には肉や牛乳の生産は減り,計画をかなり下回った(第4-4表参照)

7カ年計画では,農業生産は70%,年平均8%の増大が予定さ.れ,しかも,これは記録的な豊作といわれた58年を基準としているので,すでに発表当時から計画の実現には多大の努力を要するものとみられていた。しかるに,農業生産が2年間停滞している間に,工業生産は計画を上回る成長を示してき,た。もし農業が停滞をぬけ出ることができなければ,7カ年計画における工業対農業9アンバランスが重大化することは明らかである。

このような農業と工業その他非農業部門の成長の格差は,農産物の需給に不均衡を発生させている。ソ連当局の言明しているように,「農業が国民の需要に追いつけない」のは,都市人口の増加,低額賃金および年金の引上げ,減税などによって,とくに低所得者層の所得が増し,食糧に対する需要が増大しているのに,-他方で従来かなり顕著に増加してきた農業生産が停滞に陥ったからである。所得の増加に伴って食糧の消費構造が変化し,畜産品にたいする需要が増しているため,その需給はますます逼迫することになる。60年まで肉類や牛乳,乳製品の国家買付量が一貫して増加しているにもかかわらず,党の会議で「数年後に需要を完全に充足する」ものとして,7カ年計画の目標を上回る国家買付を行なうことが決定されたのはこのためである(第4-5表参照)。

ロ)農業不振の原因

農業不振の原因としては,過去2カ年の気象条件の不利と農業指導の欠陥とがあげられている。とくに60年初の党の会議では農業指導者の怠慢や不正行為が激しく非難された。だが気象条件は別としても,いわゆる「指導の欠陥」は偶然に生じたのではなく,過去数年の農業政策のマイナスの面が現われたものとみることができる。

第1に,農業の計画化が中央機関による作付計画の立案という方式から調達(集荷)計画を基本とする方式に変わり,また義務納入(供出)制が廃止されて国家買付制に代えられたため農業経営者の関心が調達計画の遂行成績を上げることに集中し,一部では種子までも売ってしまうとか,個人所有の家畜をコルホーズが買上げて調達機関への販売に向けるとかいうような各種の弊害が出てきた。

第2に,農業機械の大部分を保有し,コルホーズに機械作業のサービスを提供していた国営の機械トラクター・ステーションが廃止されたことによりコルホーズに対する国家の強力な統制力が弱まった。また農業機械を個々のコルホーズ自体が購入することになったため,各地域およびコルホーズの具体的条件に合うような性能を持つ機械に対する要求が出てきた。しかるに農業機械の生産の面でこれに応ずることが遅れ,主要農業機械の供給は58年以来漸減傾向にある。したがって農業機械の生産と配給の面に再編成が必要になった。

第3に,以上のような農業管理組織の問題のほかに新農地開拓の増産効果がある限界に達したことも考えられる。1954年以来,4,100万ヘクタールにのぼった未墾地,休耕地の開拓は穀物の緊急増産に大きく寄与した。しがしこの開拓計画の当切から,西側の観測によると,新開拓地の地力は数年で消耗するとみられていたのであって,穀物の収穫は56年を最高として以後それを上回ったことがなかった。ソ連当局も開拓地の生活,文化施設を改善するほか,穀物以外の生産とくに畜産を増大させるなど,新たな増産努力の必要を認めそいる。

さらに,新開拓地における増産が他の地域の農業に逆効果をおよぼした面もある。開拓地の穀物増産がかなりの成果を収めたことと,当局が開拓地での穀物調達を重点的に行ない一部地域でそれを中止したことによってある地域では作付けが減少したり,穀物の移入が増加するという事態が生じた。そのため,今後は開拓地のみでなく,すべての地域で穀物その他の食糧の生産を拡大することが要請されるに至った。

ハ)農業不振の打開策

以上のような農業の不振,生産の停滞を打開するに当たって,ソ連当局は根本的な政策転換を打ち出すことなく,従来の方針の枠内で,技術の向上をはかり,集約化を進め,また農業管理機構を1部改組することによって技術指導を改善するとともに,ある程度統制を強化しようとしている。すなわち,61年1月の党の会議の決定によると,今後の農業振興策として,次の諸点があげられている。

i)自然災害を未然に防止し,収穫の安定性を保持するために,中央アジアとヨーロッパロシア南部で大規模な灌漑,給水施設を建設し,一部で土地改良事業を行なう。

ii)肥料,農薬,農業機械などの農業資材の増産をはかり,このため7カ年計画の遂行によって生じた余裕資金をこの方面に振り向ける。

iii)「農業指導の改善,組織および政治上の活動」すなわち統制の強化,農業基幹委員の養成,科学,技術の普及など農業管理面の改善をはかる。

iv)以上のような方策とも関連して,農業省の改組,農産物の国家買付制度の改変など行政ないし制度上の改革を行なう。

この党の決定に従がって,61年2月下旬に農業管理機構の改組が発表された。,まず従来の行政管理機構であった農業省を改組して採種と育種事業の推進などの組織センターとしての末端に模範農場を設けて農業指導経営上の援助などの機関とした。つぎに,新しく専門の農業資材供給機関を閣僚会議直属機関として設けた。この機関の設立によりいままで現地の具体的条件に則していなかった農業機械の-生産と販売を,コルホーズなどの申請により「民主的」に運営する。また農産物の買付機構として,新しくソ連閣僚会議国家調達委員会を設けて,長期の予約買付制に移行した。最後に,コルホーズおよびコルホーズ員の余剰農産物の販売方法を改善し,いままでのコルホーズ員による販売のために生じた労力と時間のロスをなくすため,消費協同組合の買付けを強化した。

以上のような農業の管理機構の改革のほかに,コルホーズの資金面での負担を軽減するため,61年2月からつぎのような諸方策が実施された。

i)農業資材の値下げを行なう。たとえばトラック17%,トラクター9%,部品およびガソリン平均40%などである。

ii)7カ年計画末までに,肉,牛乳,卵の販売によるコルホーズの現金収入の80%に対して所得税を廃止する。

iii)コルホーズに対する短期および長期貸付の利子を引き下げる。

iv)国立銀行から借入れの返済を5カ年間,もとの機械トラクター・ステーションからコルホーズが買った機械に対する未済の支払を5~10年間延期する。このような諸方策は,1954年以降の農業振興策の場合のような農産物買付価格の引上げによらずにコルホーズの財政状態を改善しようとするものである。このことは今後の農産物価格政策とも関連して注目に値しよう。

4)20カ年計画の基本構造

現行の7カ年計画(1959~65年)は,その発表に当たって「共産主義建設Aのための15カ年計画の1部であるといわれていた。その15カ年計画そのものは確定した計画としては発表されなかったがさらに,1961年から1980年までの20カ年計画が立案されることになった。この20カ年計画はいわゆる「コメコン」加盟国のソ連と東欧共産諸国で歩調を合わせて立案,調整されるもので,60年3月初に行なわれた「コメコン」第14回総会のコミュニケによると,加盟各国はすでにこの長期計画の立案に着手し,全般的見通しと各国相互の経済関係について予備的協議を行なっているといわれる。

61年10月に開かれたソ連共産党第22回大会は新綱領を決定したが,この綱領に20カ年計画の大綱が示されている。新綱領は,社会主義体制から共産主義体制への移行をうたっており,そのため20カ年計画を通じて高度の生産技術水準を達成するものとしている。そしてつぎの二つの段階を想定する。

i)1961~70年

「共産主義の物質的・技術的基礎」すなわち高度の生産,技術水準を目ざして進み,人口1人当たりの生産でアメリカを追いこし,生活水準と文化水準が著しく向上する。コルホーズとソフホーズは生産性と所得の高い経営となり,快適な住宅に対する国民の欲求はほぼ満たされる。また肉体的な重労働

ii)1971~80年

「共産主義の物質的・技術的基礎」が創出され,全国民に物質的・文化的富の充実が保障される。ソビエト社会は「必要に応じた」分配の原則を実現しうる段階に近づき,「単一の全人民的所有への漸進.的な移行」が行なわれる。

だいたいにおいてこの期間に「共産主義社会」が建設され,次の期間にそれが完全に終わる。

このような予定表にもとづいて,20年間にどの程度の経済成長が計画されているか,以下それを見よう。

イ)経済成長

1980年に至る20カ年計間の経済成長率は第4-6表のとおりである。

i)工業生産

まず工業生産をみると,前期10年の9.6%,後期10年の9.2%という年平均成長率は,7カ年計画(1959~60年)の年平均8.6%を上回っているが,最近10年間の年平均10%前後,59年11%,60年10%という数字から推して,当面はほぼ無理のないところであろう。しかし20年という長期にわたって9%を上回る成長率が維持されるがどうかには問題がある。

この20カ年の工業生産および主要品目の生産目標は第4-7表および第4-2図に示すとおりである。ここで,まず注目されるのは,従来どおり生産財生産の優先にもとづいて高度の成長が予定されてい-ることである。本のため生産財生産が工業生産全体に占める比率は1960年の68%から1970年の70%へ,1980年には74~80%まで増大する。しかし1960~70年の前期10年間には生産財の2.7倍に対して消費財の2.4倍と,両者の成長の幅が比較的接近している。このことは,ここ10年間に消費水準の向上にかなりの力点がおかれることを示すものであろう。

さらに,主要品目の生産目標から生産構造の変化をみると,エネルギー生産では電力とガスが著しく伸びるのに対して,原油は比較的増加が小幅であり,石炭のそれは最も小さい。そのほか,機械および金属加工工業,化学工業,耐久消費財生産が大幅に増大することからみても現在進行しつつあるソ連のエネルギー生産構造,さらには全般的な工業生産構造の変化が一層大きな進展をとげることが知られる。

ii)農業生産

工業生産の場合より問題が大きいのは農業生産の成長率である。とくに前期10年の年平均9.6%という成長率は,1954~59年平均の7%,7カ年計画の年間8%という高い成長率さえ上回っている。しかもさきにみたとおり,

1959年,60年のソ連農業生産は停滞状態にある。この不振が打開されたにしても9%を越える高度成長が達成されるかどうかには疑問が残る。だが,農業生産,とくに畜産が需要に追いつけないと自ら認めているソ連として,初期の10年間に増産に最大限の努力を傾注しようとしていることも理解できる。そして党綱領が穀物の生産を20年間で2倍余にするのに対して,肉の生産は前期の10年で約3倍,20年で約4倍にするという目標数字を掲げていることからも知られるように,ここ10年間に畜産を大幅に増強しようとしていることは明らかである(第4-8表参照)。

農業生産の基礎とされている穀物の増産は,主として単位面積当たりの収量の向上(20年間で約2倍)を通じて達成されることになっている。ソ連当局者の言明によれば,これは収量の少ない作物から収量の多い作物へと,作付けを転換し,また休閑地を活用することによって可能になるとされている。

農業生産の成長率が以上のように高く予定されているので,国民所得の成長率も前期の10年間に9.6%と,7カ年計画の予定7.1~7.4%,最近の実績8%のいずれをも上回ることになっているが,それが達成されるかどうかは主として農業生産の成否いかんにかかっているのである。

iii)労働生産性

このような成長をささえている柱は20年間で約2兆ルーブルに上るといわれる投資と労働生産性の向上である。

ここで,第4-6表により,労働生産性の動きをみると,工業の労働生産性にくらべて,農業の労働生産性の向上がとくに大きいことがまず注目される。現在農)業の労働生産性は著しく低い。1959年現在で就業人口の41%が農林業に属し,しかも農産物が不足がちであることからも知られるが,ソ連の公表によると,農業の労働生産性はアメリカのそれの3分の1にすぎないとされている。これを急速に高め,工業の労働生産性(ソ連の推定でアメリカのそれの40~50)に対する立遅れを解消しようとすることはおのずから明らかである。

農業の労働生産性は当面の10年間に2.5倍になるとされており,農業生産の増加と同率である。このことは生産の増加がもっぱら労働生産性の向上によるものであること,他面からいえば,農業労働人口に増減がないことを意味する。ところが後期10年間には農業の労働生産性が急激に向上して,労働力の約2.5~3.0%が他の産業部門に流出し,農業生産の成長は比較的緩慢になる。

他方,工業では労働力は前期10年間に25%,後期10年間に最高20%増加する。しかし生産性の向上ははるかに大幅で,これが生産の増大に大きく寄与する。このように工業の場合にも,農業と同様,生産を増加させる主たる要因は労働生産性の向上に求められている。

ロ)国民生活

26カ年計画では,以上のような高い生産技術水準の達成とならんで,国民生活の向上がうたわれている。

これは二つの方向で行なわれるという。すなわち,第1は,労働の質と量に応じた勤労者の個人の給与を引き上げるとともに,小売物価を引き下げ個人税を廃止すること,第2は,労働の質と量とにかかわりなく,すなわち無償で与えられる「社会的消費フォンド」(教育,医療,年金交付,無償の公共サービスへの移行など)を拡大することであるとされている。

第1の点をみると,物価の引下げは小規模ながら従来も行なわれ,所得税の廃止もすでに漸次行なわれているが,労働による分配は当然残されることを示している。ただし所得格差が縮小することは,国民1人当たり実質所得(公共サービスを算入)は20年間で3.5倍余,労働者,職員の実質所得は10年間で約2倍,20年間で3倍~3.5倍,その内,低額所得は10年間で約3倍,コルホーズ員の実質所得は10年間で2倍以上,20年間で4倍余になるという数字からも知られる。所得格差の縮小は従来も低額賃金,年金の引上げ,税の減免によって行なわれてきているのであって,今後20年にさらにこれが推進されるのである。

第2の「社会的フォンド」の拡大については,その拡大テンポが労働に応じた個人給与の増大テンポを上回り,20年後には「社会的消費フォンド」が国民の実質所得の約半分を占めるようになるといわれる。これは「労働に応じた」消費の部分にくらべて「社会的消費」の部分が大きくなることを意味する。都市交通,水道,ガス料金,住宅費は現在でも他の物価にくらべて比較的安いが,20カ年計画によると,後期の10年の間にこれらが無償になるとされており,また企業,官庁,コルホーズの生産要員の昼食の無料給食制度を実施しはじめるともいわれる。

以上のように,党の新綱領は一般生活水準の向上,とくに所得格差の縮小,公共福祉サービスの拡大を強調して「必要に応じた分配」に接近することを示そうとしているもののようである。

いずれにせよ,党綱領のうたっているような生活水準の向上が達成されるかどうかは,生産水準の向上による国民所得のうちの消費部分の増大,国防費負担の推移いかんによって決定されよう。

(2) 東欧経済の動向とコメコンの活動状況

1)1960~61年の東欧経済概況

イ)工業および農業生産

東欧諸国の工業生産の伸びは,60年に工業化の遅れている諸国ではかなり鈍化したが,その他の諸国では機械,化学,建設材料,電力の生産を主導部門として前年の伸び率を多かれ少なかれ上回った。しかし東ドイツでは工業生産の伸び率は前年にくらべてかなり低下し,東欧諸国のうちで最低となった。とくに消費財生産の伸びが小幅で,食品工業の増産率は4%,軽工業のそれは2,9%にすぎなかった。なお,61年計画ではほとんどすべての国で工業生産の増加は前年の計画および実績より小幅になっている(第4-9表参照)。

つぎに農業生産をみると,59年に減産となっていたチェコ,ポーランドでは60年には耕種部門で増産に転じ,東ドイツ(総合指標は不詳)でも個々の農作物の作柄は良好であった。

これに反して農業国での農業生産の伸びは59年にくらべてかなり鈍化し,比較的工業化の進んだ諸国を含めて,ほとんどすべての東欧諸国(ポーランドを除く)の農業生産は計画に達しなかった。61年には多くの国で60年にくらべて増産テンポの拡大が計画されている(第4-10表参照)。

60年には前年に引きつづき東ドイツ,ハンガリー,ルーマニアで農業の集団化が強力に推進され,すでに東欧諸国は,ポーランドを除き,農業の集団化をほぼ完了し,全耕地に占める社会化部分の比率はブルガリアの100%,東ドイツの96%をはじめとして80%を越えている。短期間集団化が強行された一部の国では,少なくとも一時的には,混乱が生じたとみられるが,今後の東欧農業はこれがどの程度調整されるかによって決定されよう。

ロ)国民所得,投資および消費

60年の国民所得の増加率は,チェコを除くすべての国(東ドイツ未公表)で58年の実績,60年の計画のいずれをも下回った。とくに工業化の段階の低い諸国では工業生産も農業生産も増加率が低下したため,国民所得の伸びも大幅に縮小した。しかし61年にはこれらの国も含めて,発表された計画では国民所得の増加率は60年と同じか(ポーランドの場合),あるいはそれを上回っている。

固定投資の増加は69年に,ルーマニアを除くすべての国で前年より小幅であった。しかし投資額の減少したアルバニアは別として,投資の増加率は国民所得の伸び率を上回っている。ただ一部の諸国では両者のひらきが前年にくらべて縮小している。61年には数カ国で投資の伸びは61年に引きつづきさらに鈍化し,とくにブルガリアではこれが大幅で,国民所得の増加率をも下回ることになっている。

つぎに消費の指標として小売売上高をみると,ほとんどすべての国でその伸びは59年のそれを下回った。そのうちチェコとハンガリーでは計画をかなり超過したのに対して,他の諸国では計画に達しなかった。とくにポーランドの小売売上高が59年にくらべて2%の増加にすぎなかったのは,肉類その他の畜産品の供給が減ったことによるものである。61年にはこのポーランドを除いて,多くの諸国で小売売上高の増加率は60年より低下することが予定されている(第4-11表参照)。

ハ)貿  易

東ドイツとルーマニアを除く諸国の貿易は60年には前年にくらべて往復で12~18%増加して計画を上回り,またその増加率は国民所得や工業生産の伸びを上回った。東ドイツの貿易の拡大は小幅で以上の諸国とは逆の傾向を示した。ルーマニアの貿易は大幅に増加したが,それ以外の諸国ではとくに輸入の増大率は59年の大幅な増大率にくらべると多かれ少なかれ低下した。このためハンガリーを除いて(東ドイツは不詳)貿易収支は好転している(第4-12表参照)。

品目構成では機械,設備が大きな役割を演じ,60年の輸出に占める比率は東ドイツ50%,チェコ44.6%,ポーランド28%,ハンガリー37.9%,ルーマニア17%等どなっている。ブルガリア,ハンガリー,ポーランドは投資の伸びが鈍化したのにともなってこの機械,設備の増加率は59年より低下し,また後者2国では機械,設備の輸出が23~24%と大幅に増大した。

貿易の地域別構成の判明している諸国のそれをみると,60年には概して自由世界との貿易,とくに輸入が共産圏内部の貿易より大幅に拡大しているといえる。すなわち,チェコでは輸出入とも自由世界との取引額がより大きく伸び,ポーランドでは西欧に対する燃料と食糧の輸出が不調だったため,圏内への輸出の増加率の方が大きかったが,輸入は圏内の微減に対して圏外は大幅に伸びている。ハンガリーではソ連への輸出がとくに急速に拡大したのに対して,輸入では自由世界と他の東欧諸国との取引のほうが大幅に伸びた。

また東ドイツの貿易では共産圏との取引は4%の増加にとどまったが,自由世界との取引は24%も増加した。とくに低開発地域との取引は,チェコのそれとともに,著しく拡大したものとみられている。

2)コメコンの活動状況

ソ連,東欧の経済協定機関である経済相互援助会議(略称SEV,CMEA,COMECON)第13回総会は60年7月ブタペストでソ連,東欧諸国の正式加盟国代表およびアジア共産圏からのオブザーバーの出席のもとに開かれたが,ここでは1980年を目標とする20カ年長期計画を加盟各国で立案することが正式に承認された。ついで61年3月ベルリンで開かれた第14回総会では,この長期計画の作成作業が各国で行なわれ,その全般的見通しと各国相互の経済さらに,この第14回総会では「コメコン」の常設委員会の一つである外国貿易委員会から1961~65年の物資交換に関する加盟各国間の長期協定の交渉と締結の成果が報告されたが,これによると加盟各国の取引総額は1965年には58年にくらべて80%ふえ,そのうち機械設備は2.3倍,とくに化学工業が7倍,トラクターが3.3倍になるといわれる。また全体としての共産圏諸国の貿易も拡大し,圏外では新興独立諸国との取引が大幅に拡大することが指摘された。そのほか,化学委員会からは,さきに総会で採択された化学工業における専門化と協業化すなわち国際分業に関する勧告の実施状況と1965年までの期間におけるプラスチック,合成,化学繊維の増産について報告があり,総会の審議に付された。

以上のような「コメコン」の活動からも知られるように,ソ連と東欧諸国は計画の調整,生産の専門化と協業化,貿易の拡大という相互に関連した三つの面を通じてさらに統合化を強めている。また,第14回総会のコミュニケも伝えるところによると,この総会でいわゆる「社会主義的国際分業」の主要原則について意見の交換が行なわれ,60年11月の各国共産党モスクワ会議の声明にうたわれた趣旨に沿って,各国がさらにこの問題につれて研究をつづけることが承認されたといわれている。このことからみて,ソ連,東欧間の経済統合は今後いっそう強まるものとみられる。

(3) 東西関係の推移

1)東西貿易

ソ連,東欧と自由世界との貿易は60年に内貿易の伸びを上回る増大を示した(第4-13表参照)。

ソ連の貿易は,前年比5%増と比較的小幅な拡大にとどまった。圏内貿易がほぼ前年をわずかに上回ったのに反して圏外貿易は約22%と著しく増加した。とくに対西欧貿易は輸入の46%増(輸出は17%増,第4-13表の注を参照)を中心として大幅にふえたが,日本を除くアジアとの貿易は縮小し,とくに輸入の減少が目立っている。そのほか日本,アフリカ(輸出入)ラテン・アメリカ(輸入)との貿易が著しく拡大していることが注目される。

東欧の貿易は総額で11%とかなりな拡大を示したが,そのうち圏外貿易は16%増大した。圏外貿易の60%を越える対西欧貿易は60年には輸出が18%,輸入が9%増と前年に引きつづさ拡大をみせ,またアメリカからの輸入(主としてポーランド)およびアジアからの輸入の増加が目立っている。

61年にはいってからのソ連,東欧の西欧との貿易は第4-14表に示すように第1四半期に前年同期にくらべて東側の輸出が13%,同じく輸入が14%と引きつづいて増大しているが,とくにソ連の西欧向け輸出は20%(輸入は8%と大幅に増大している。

これを主要4カ国についてみると対イギリス貿易が60年に引きつづいて著しく伸びたのに対して,西ドイツ,イタリアとの貿易は大幅な拡大を示した60年にくらべて61年第1四半期には増勢がやや鈍化した。また対フランス貿易は60年の減少傾向から輸出のみが回復を示し,そのうちソ運の対フランス貿易は60年の増勢から減少に転じた。ソ連,東欧の西欧との貿易を西欧側からみると,輸出入とも総額を上回る伸び率を示しており,OEEC諸国の貿易総額に占める対ソ連,東欧貿易のシェアーは概して拡大する傾向にある。しかし60年現在まだその比率は輸入で3.5%,輸出で3.6%にすぎない。

2)ソ連,東欧諸国の低開発国援助

これらの諸国の低開発国に対する経済援助は主としてソ連からの借款供与であるが,ソ連についではチェコの援助が多く,東ドイツ,ハンガリー,ポーランドなどが多少これに参加している(第4-15表参照)。数年来急激に増大してきた援助の約束額は60年には前年にくらべて減少したが,受入地域別ではアジア中東,アフリカへの援助が後退し,ラテンアメリカへの援助が増大した。

またアメリカ国務省が61年10月に発表したところによると,軍事援助を含む全共産圏の借款贈与の総額は,過去2カ年に倍増して,年率にして10~15億ドル(うち軍事援助が13億ドル)に達したといわれる。さらに技術援助の面では,60年上半期には任期1カ月以上の技術者7,900人が23の低開発国で作業に当たっている。このような資金,技術援助にともなって全共産圏と低開発国との貿易は54年の8億6,000万ドルから60年の約26億ドルへと2倍以上に増大したと報告されている。

61年にはいってからのソ連の借款供与は,インド(2月,1億1,250万ルーブル)をはじめパキスタン(3月,2,700万ルーブル)に対して行なわれ,そのほかナイジェリア,ガーナ,スーダンとの間に援助協定の締結ないし交渉が行なわれた。