昭和36年

年次世界経済報告

経済企画庁


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第2部 各  論

第2章 西ヨーロッパ

1 1960~61年の経済動向

(1) 投資ブームの持続

1958年に軽い景気後退を経験した西欧経済は,同年秋から回復に転じ,さらに59年秋頃から設備投資を主軸とするブーム期にはいり,その勢いが現在までつづいている。

いま1960年のOEEC諸国の経済成長率をみると6.0%に達しており,これは前年の4.2%を上回るばかりでなく,前回のブーム期である1955年に次ぐ高率である。工業生産の伸張率も9.1%で,これまた55年のそれに等しい。

つぎに国別の成長率をみると,オーストリア,オランダ,西ドイツ,イタリア,デンマーク,フランスなどがOEEC平均を上回る成長率を示したのに対して,ベルギー,ポルトガル,スエーデン,イギリスなどは平均を下回った。概していえばEEC諸国の成長率が高く,その結果EEC全体として約7%の成長を記録した。

以上は60年の前年比成長率であるが,これを年間の推移としての観点からみると,60年下期から成長率はしだいに鈍化してきた。GNPに関する四半期データがないので,工業生産指数によって60年中および61年にはいってからの推移を示したものが第2-1表である。これによると,60年の工業生産は前年比9.1%増で,前年の増加率6.8%を上回っているが,59年第4四半期から60年第4四半期までの増加率は7.4%で,58年第4四半期から59年第4四半期までの増加率9.6%より鈍化している。季節差調整済み四半期指数の前期比増加率をみても同様であって,60年第2四半期から増勢鈍化の様相を呈しており,その傾向が本年にはいっていっそう強まっている。

このように工業生産の伸びがしだいに鈍化してきた理由は,いうまでもなく景気の高揚に伴う完全雇用ないし超完全雇用の出現により,労働力や設備の面で隘路が生じたためである。もちろん国によって事情は必ずしも一様でなく,たとえばイギリスのようにインフレ懸念と国際収支悪化に対処するために採用された引締め政策で国内需要(耐久消費財需要)がおさえられた国もあり,またベルギーのように重要産業である石炭業の不振やストライキに災いされた国もある。

ところで,このような西欧経済の拡大をもたらした要因は何であったか。

OEECの実質国民総生産の変動要因を示した第2-3表についてみると,59年の拡大は輸出,耐久消費財および住宅その他の建設需要を原動力としていたが,60年には耐久消費財や住宅需要の増勢が衰えた反面で,機械,設備を中心とする産業投資,在庫投資および輸出が主要な拡大要因となった。ただしこのうち輸出は後述するように,60年第2四半期以降アメリカの不況を反映して増勢の衰えをみせ,しだいに拡大力としての性格を失ってきた。したがって1960年における西欧経済の拡大はこれを工業投資ブームと規定することができよう。

国別にみても,第2-4表に示された諸国のうち,ノルウェーを除いたすべての国で,機械,設備投資の著増がみられる。とくにイタリア,オランダ,西ドイツ,オーストリアの機械,設備投資は大幅な増加を示した。これに対して住宅を除く建設(主として産業用建物と公共投資)の伸びは,イギリスを顕著な例外として他の諸国では前年を下回った。

このような旺盛な投資ブームが何に基因するかといえば,もちろん好況の持続による操業度の上昇,企業収益の増加および景気の先行きに対する企業家の楽観的期待などがその背景となっていたことはいうまでもないが,そのほか労働力不足による労働節約的投資,EECやEFTAなど地域統合による競争激化と市場規模の拡大を背景とした近代化投資の必要性が原動力となっている。さきに指摘したように,OEEC諸国の固定投資の重点が建設から機械,設備へ移ってきたこともその一つの証左であろう。

また西ドイツ産業の投資動機に関する調査によると,第2-5表のように合理化を主眼とする投資の比重は60年に53%,61年には55%という過半を占めている。

このような投資ブームは61年にもちこされ,ヨーロッパのほとんどすべての国で産業投資は前年を上回る予想である。この点は各国政府または有力民間研究所の投資予測調査を纒めた第2-6表からもうかがわれる。

以上のように西欧の投資ブームは61年中も継続すると思われるが,投資ブームのピークはすでに去ったとみられる兆候が出ている。その最も顕著な例はイギリスと西ドイツであって,産業投資の先行指標である機械受注や産業用建設許可額等にそれが現われている。たとえばイギリスの産業用建設許可面積はすでに60年第4四半期から減少しはじめており,61年第3四半期の前年同期比減少率は約40%に達した。また工作機械国内受注も61年にはいってから頭打ちないし微減的傾向にある(第2-7表参照)。また西ドイツでは3月のマルク切上げ以降,資本財国内受注が頭打ちとなり,住宅を除く建設許可額(産業用と公共用)も減少に転じた(第2-8表参照)。

第2-2表 工業生産の変動率

(2) 労働力不足とインフレ圧力の台頭

好況の持続と投資ブームの展開は多くの西欧諸国に完全雇用ないし超完全雇用状態を現出させた。労働力不足が一般的となり,大幅な賃上げと受注残の累増から一部諸国では強いインフレ圧力が生じた。また国内需要の著増と貿易自由化の進行により輸入が大幅にふえ,その結果国際収支の悪化をきたした国が多くなった(ただし重大な国際収支難に見舞われた国はイギリスだけであった)。

主要西欧諸国の労働事情は60年にはいって非常に逼迫し,労働力不足が目立ちはじめた。失業率はイタリアベルギー,デンマークを除いてほとんどすべての国で2%以下となった。また求人数が失業数を上回るという超完全雇用状態が(慢性的な超完全雇用状態にあるスイスを別として)西ドイツ,オランダ,スエーデン,ノルウェーで現出しており,このほかイギリスでも一時的に求人数が失業数を上回った(第2-9表参照)。

このような労働力不足に加えて,多くの国で工業とくに資本財工業の操業度が上昇して,フル稼動ないしそれに近い状態となり,新規受注高が出荷高を上回って,受注残が累積した。

いま西ドイツを1例としてみると,1955年を100とする製造工業操業度指数は,1959年4月の95から60年4月の99へ,なかでも機械工業の操業度は同期間に95から101へ高まった(第2-10表参照)。他方,製造工業の新規受注高と出荷高をくらべてみると,1958年には新規受注が出荷高を3%下回っていたが,59年には前者が後者を9%も上回り,60年にも8%上回った。とくに資本財工業のばあいは新規受注が出荷高を59年に11%,60年に19%も上回った。その結果,製造工業の受注残は60年末には3.9カ月分の操業に相当する水準まで上昇し,資本財のばあいは平均5.4カ月分となった (第2-11表参照)。

労働力不足は労組の立場を強め,大幅な賃上げが相次いで行なわれた。他方生産性も活発な設備投資により前年に引きつづき上昇したものの,操業度がすでに高くなっていたために生産性の上昇テンポは多くの国で前年より鈍化した。その結果,59年にはほとんどすべての国で生産性の上昇率が賃金上昇率を上回っていたのが,60年になると賃金の上昇率が生産性のそれを上回る国が出てきた。西ドイツ,イギリス,スエーデンがその顕著な例である(第2-12表参照)。

以上のように,1960年になると,一部西欧諸国でコスト・インフレ圧力が高まったものの,物価が比較的安定的であったことは注目に値する。第2-12表から明らかなように,60年における卸売物価はスエーデン,フランスを主要な例外として他の諸国の上昇率は1.5%以下,若干の国ではむしろ,低下している。ただし,60年下期から61年上期にかけての動きをみると,イギリス,西ドイツ,スエーデン,デンマークなどで約2%前後の上昇を示している。

労働力不足やインフレ圧力の高まりにもかかわらず,現実の物価動向がこのように比較的安定的であったのは,60年の農業豊作による農産物価格の低輸入原材料価格の弱含み安定(第2-13表参照)のほか,ブーム初期における高水準の外貨準備や自由化の進行を背景とする輸入の増加,世界的な競争激化による企業の価格政策の慎重化等によるものであろう。

つぎに生計費指数の動きをみると,卸売物価のばあいと違ってすべての国で程度の差こそあれ上昇傾向をつづけている(第2-14表参照)。これはサービス価格の上昇が主因であり,なかでも賃貸料が家賃統制緩和により上昇した(とくにフランス,西ドイツ,イタリア,オランダで)。

しかし60年における生計費指数の上昇テンポは概して前年のそれを下回っているが,これは食糧価格が前年は不作のため騰貴したのに対して,60年は豊作により低下したせいである。最後に60年下期から61年上期にかけての動きをみるために61年6月の水準を前年同月と比較すると,イギリスと西ドイツで3%前後の上昇を示している点が注目をひく。

(3) 貿易と国際収支

1)貿易の動向

OEEC諸国の輸出額(fob)は1960年に500億ドルに達し,前年を14%も上回った。他方輸入(cif)は553億ドルで,前年より18%も増加した。輸入の増加率が輸出の増加率を上回ったため,入超額も前年の約30億ドルから60年の53億ドルへと大幅に増加した。

輸出年額がこのように前年を14%上回ったとはいっても,年間の推移としてみると,第2-15表に明らかなように輸出は60年第1四半期をピークとしてその後やや低い水準で横ばいをつづけ,61年第1四半期に再び増加しはじめている。

60年,第2四半期以降の輸出の頭打ちは主として,北米向け輸出の減少によるもので,北米向け輸出は60年第1四半期から61年第1四半期までに2割も減少した。

北米以外の第3国(主として低開発諸国)向け輸出も60年第1四半期をピ-クとしてその後微減したが(第3四半期まで3%減)第4四半期から回復し,61年第1四半期には前年同期を約3%上回るに至った。

これに対して域内輸出は毎期増加をつづけ,61年第1四半期の水準は前年周期を11%上回っていた。

これを要するに,西欧の対北米輸出は激減,第3国向け輸出は高水準横ばい,域内輸出のみ増加をつづけたことになる。

対北米輸出の減少はいうまでもなく,アメリカ不況を反映したものだが,この点は前回のアメリカ不況期たる1957~58年に西欧の対米輸出が減少しなかったこととくらべて,著しい対照をなしている。これは,主として前回のアメリカ不況期には西欧の自動車輸出が強い上昇すう勢にあったのに対して,今回はアメリカのコンパクト・カーの出現による対米自動車輸出の激減と,59年にストで膨張した鉄鋼輸出が,60年に正常化したことによるものである(1969年1~9月間における西欧の対米輸出減の約1/2が自動車,約1/3が鉄鋼,であった)。

他方,西欧の輸入は前年に引きつづき60年中強い増加を示し,その傾向が61年上期もつづいた。ただし輸入の増勢は60年下期以来やや衰えている(60年全体の増加率18%に対して,60年第1四半期から61年第1四半期までの増加率は9%)。

輸入の動向を地域別にみると,域内輸入が終始漸増をつづけたのに対し,対米輸入は60年第3四半期まで大幅に増加したあと,高水準での横ばい状態となった。また,第3国からの輸入は60年第1四半期をピークとして,その後はほぼ横ばいをつづけているが,これは西欧の原料在庫の蓄積が一服したせいと思われる。

それはともかく,60年全体を前年と比較すると,域内輸入が18%増,対第3国輸入が10%増だったのに対して,北米からの輸入は40%も増加した。

西欧の対米輸入は,西欧自体の景気変動と密接な関係があり,従来も西欧のブーム期には資本財や工業原料の対米輸入が急増するのがつねであった。

69年の対米輸入が4割という大幅な膨張を示したのは,西欧の投資ブームによる機械設備や工業原料燃料の輸入増のほか,ジェット航空機の大量引渡し,59年に価格引下げを見越して手控えられた原綿の輸入増加等の諸要因によるものだが,このほかに59年から60年にかけて対ドル貿易の自由化が進展したことがアメリカからの消費財輸入の増加に拍車をかけたようである。

第2-16表OEEC諸国の輸入

2)貿易自由化の進展

この機会に60年から61年にかけてとられた西欧諸国の貿易自由化措置のおもなるものをみると,まずフランスは60年1月の自由化のあと9月,61年1月,4月の3回にわたり自由化を実施,その結果対ドル差別はほとんど撤廃され,その対ドル自由化率は60年はじめの80%から95%(1957年基準)へ高められた。同じくイタリアのドル貿易自由化率も60年初めの90%から60年11月の97%へ高まった。オーストリアも60年初めにはわずか54%だった対ドル自由化率を60年7月にOEEC並み(90%)へ引上げた。このほか,イギリス,ベネルクス,デンマーク,ノルウェー,フィンランド,スペイン等もそれぞれ(60)年から61年にかけて自由化措置をとった(第2-17表参照)。

さらに61年2月には主要西欧9カ国(イギリス,西ドイツ,フランス,ペネルクス3国,スイス,オーストリア)がIMF8条国へ移行することで,貿易為替の自由化の維持を国際的にも正式に義務づけられることになった。

3)国際収支の動き

つぎに,国際収支をみると(第2-18表参照),OEEC諸国の経常国際収支は,1960年に14.3億ドルの黒字であったが,これは前年にくらべると16.5億ドルもの悪化である。その原因はもっぱら前述した輸入の激増による商品貿易尻の悪化にあった。すなわち貿易収支は59年の赤字3.2億ドルから60年の赤字22.6億ドルヘ激増した。国別にみても,西ドイツを主要な例外としてほとんどすべての国の貿易収支が悪化したが,なかでもイギリス,イタリア,フランスが大幅な悪化を示した。

貿易外収支は前年の33.9億ドルから60年の35.8億ドルへと黒字幅が若干増加した。これは主として,フランス,イタリア,スペインなどの観光収入の増加が,イギリスの貿易外収支の大幅減少を相殺した結果である。

他方,長期資本取引は,前年は21.2億ドルの流出だったのが,60年には逆に4.8億ドルの流入に代わった。これは主として,59年に多額のIMFへの出資金や早期返済などがあったのに対して,60年には,それが少なかったせいである。

以上のように経常収支は悪化したが,長期資本取引尻が改善されたため,経常と長期資本を合計したいわゆる基礎的国際収支は前年とほば同じの9.5億ドルの黒字を示した。

しかし,60年中に西欧諸国の金外貨準備は合計して44億ドル余の増加を示したところからみて,約35億ドルの短期資金の流入があったことになる。

西欧諸国は国内ブームの抑制のため59年末以来公定歩合を引上げはじめ,とくに60年6月にイギリスが6%へ,西ドイツが5%へ引上げたのに対して,アメリカは6月に3.5%へ,さらに8月に3%へ引下げたため,欧米の金利差が開いてアメリカから短資が流出しはじめ,さらにドル不安がそれに拍車をかけた。短資の流入先は主としてイギリス,スイス,ドイツ,オランダなどであった。

以上のように1960年中は主としてアメリカと西欧との間に国際収支上のアンバランスが生じたのに対して,61年になるとケネディ政権の成立とドル防衛策により,ドルの信用がしだいに回復した反面で,西欧内部における不均衡が表面化してきた。すなわち,西ドイツの慢性的な黒字累積と,イギリスの経常収支赤字化がそれであり,簡単にいえばマルクとポンドの問題である。

第2-19表 西欧諸国の金外貨準備の変動