昭和36年

年次世界経済報告

経済企画庁


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第1部 総  論

第4章 低開発国援助の強化

1. 転機を迎えた援助体制

1960年から61年にかけて,低開発国援助に対する工業諸国の態度には著しい進展がみられた。これを示すものとして,(1)1960年秋の国連総会における決議,(2)5回にわたるDAG(開発援助グループ)会議,(3)ケネディ大統領の対外援助教書等をあげることができよう。

(1)1960年秋の国連総会の決議

1960年9月から12月にかけて開催された第15回国連総会で,低開発諸国は新たに加盟した18カ国(アフリカの17カ国とキプロス)とともに,先進諸国による低開発諸国開発のための援助強化を強く迫った。低開発諸国に対する経済援助は先進国の慈悲心からでなく義務として行なわれるべきものであり,彼等にすれば援助の受入孔は当然の権利である。過去において漠然たる憧れでしかなかった経済発展は,いまや彼等にとって現実的,かつ実現可能な野心に変わりつつあり,もしこの野心が挫折せしめられるならば,世界政治の安定は危機にひんするおそれがある。従来,国連を通ずる援助は技術援助に集中し,低開発諸国が求める下部構造(infrastructure)への投資を怠っている。このような事態を打開し,双務援助に伴いがちな政治的ひも付きを排するためには,国連にUNCDF(国連資本開発基金)を早急に設立する必要があり,また先進国は援助増大のためにその国民所得の1%を供出すべきである。というのが彼等の主張であった。

このように低開発諸国は,一致結束して先進国による援助の増大と強化を求めたのであるが,これらの要求が結局は決議として成立したことをみても,低開発諸国援助問題が国際政治経済上きわめて重大な問題となったこど,および工業諸国が協同して真剣にこれと取組まざるを得なくなったことは明らかである。

(2)DAG(開発援助グループ)会議の開催

1960年1月の大西洋会議を契機として,3月に9カ国を構成国(日本,アメリカ,カナダ,イギリス,フランス,西ドイツ,イタリア,ベルギー,ポルトガル)として発足したDAGは,60年10月までに3回にわたって会議を開いたが,具体的な成果としてはオランダの加盟をみた程度にとどまっていた。しかし,61年3月の第4回会議(ロンドン)で,アメリカが加盟諸国の国民総生産合計の1%を援助のために拠出することを提案したのを契機として,がぜん活発な論議が展開されるに至った。この提案第,(1)各国に一定の援助額を義務づけるおそれのあること,(2)各国にどう配分するかの問題があること,(3)援助の定義に関する各国の見解が統一されていないこと等のために正式決議に至らなかった。しかし今後援助をふやすという原則は正式に確認された。

つぎに7月の第5回会議(東京)では,加盟各国の政府が前記の原則を承認したことが報告されたほか,援助における民間投資の重要性,協同援助努力に関する作業部会―各国の援助の実績と性格についての報告,援助のための手続き,方法,指導理念に関する勧告を行なう―の設置,国際借款団の有用性,等々のことが正式に確認された。

DAGI-はOECD(経済協力開発機構)が61年9月30日に発足するとともに,その下部機関のDAC(開発援助委員会)として再発足することとなったが,これまでに建てられた基本線に沿って低開発国に対する援助体制が今後とも強化されていくことはまず間違いないところである。

(3)ケネディの対外援助教書発表

第4回DAG会議を前にして発表されたケネディ大統領の対外援助教書は,国際収支難からアメリカの低開発国援助が消極的になるのではないかという一般の観測を否定しただけでなく,アメリカの低開発国援助政策の転換を明示した。すなわち,(1)低開発国援助の重点を従来の軍事援助から経済援助に切り替え,(2)被援助国の民族的威信を尊重するために,贈与よりもドルで返済される長期かつ低利の借款を重視し,また,(3)援助供与のわくを被援助国自身の開発計画に置く代わりに,自立成長の段階にたっするために必要な努力(たとえば,土地改革や税制改革のような社会,経済改革)を払う用意と能力とをもつ国に援助の重点をおく一方,(4)アメリカとしても,被援助国が一貫した開発計画を立案し,遂行して行くことができるように,従来の1年きざみの資金供与態度を改めて長期的援助を与えられるようにし,(5)援助資金運営の効率化をはかるために対外援助機関を一元化する,等の新構想を打ち出した。

1960~61年に起こった援助体制の変化は前述のとおりであるが,実際の援助額についてみても長期的に増大しつつあることは明らかに認められる。OECDの1961年10月の報告によれば,全加盟国の公的私的援助の総額の推移は第3表のようになっている。

またアメリカ以外の工業国としてその動向が最も注目される西ドイツについてみても,政府の双務援助(借款のみ)の額はつぎのように発表されている。

1956年           44百万ドル

1957年           20   〃

1958年           52   〃

1959〃           236  〃

1960〃           172  〃

これによれば1960年は減少しているが,現在すでに1961,62年の2カ年分として1,250百万ドルの資金が手当て済みであり,61年上期中に援助を約束した額もすでに12億ドルに達している。


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