昭和35年
年次世界経済報告
世界経済の現勢
昭和35年11月18日
経済企画庁
第3部 国際貿易の構造
第3章 西欧における貿易自由化の背景とその影響
本章においてわれわれは,きわめて限られた素材からではあるが,西欧の貿易自由化に関してその経済的影響を検討してきた。これを要約すれば大体次のようになる。
(1)西欧においては,貿易自由化の利益を享受するための国際分業の基盤があった。
(2)自由化あるいは輸入割当ての増大を行なったことにより,国民経済の自給度は下がり相互依存度は上がつた。このような国際分業の進展は,西欧の経済発展に寄与するところが大きかつたと思われる。
(3)しかし,部門別にみれば,自給度が上がり相互依存度が下がつたものもあるが,これは主として新規産業や基幹部門において起こつた。政府の保護や企業の努力がこれに関係していると思われる。
(4)自由化の導入が短期的な輸入需要増大をもたらすということは,原料においてはみられず,工業製品において起こつた形跡がある。
ここで,これらの資料にもとづいて日本の貿易自由化がその経済にどのような影響をもたらすだろうかを考えてみよう。
日本が貿易自由化を推進するうえにおいて考えなければならない問題は,
(1)それが長期的にみて日本の産業構造と貿易構造にどう影響し,終局的に経済発展のテンポにどう影響するか。
(2)自由化の導入あるいは輸入割当ての大幅な増大によって短期的な輸入需要はどう影響されるか。また日本が自由化するということは当然相手国側の輸入―アメリカは初めから自由であるし,東南アジア諸国が自由化することは考えられないから,ここでは西欧諸国となる―も自由化されるということが前提であるが,その結果日本の輸出はどうなるか。すなわち国際収支にどう影響するか。
ということであろう。勿論これらの問題は日本にとってはじめての経験であり,われわれはこれに関しなんらの基礎資料を持っていない。しかし西欧の実績に関する前述の観察結果および日本経済の現段階を考慮すれば,次のようなことがいえるのではないだろうか。
(1)第1に問題となるのは,日本において,西欧の場合と同様な国際分業の基盤があるかどうかという判断である。第2節で西欧について考えた域内取引は,日本においては全自由世界に拡大される。地理的にみて西欧と比較できる工業経済圏を持たないために,西欧におけるような二段がまえの貿易自由化ができないことはたしかに日本にとってハンディキャップには違いない。しかしそれにもかかわらず,日本には自由世界工業国圏の一環として国際分業の利益を享受する基盤がすでにできているとわれわれは考える。その産業構造からみて,工業国として発展するのに必要な多様化の基礎的段階はすでに終わっており,特化による利益を生かして生産要素のより効率的な配分を考えるべき時期がきていると思われるからである。
日本に貿易自由化のための基盤があるとすれば,自由化の進展にともない全体として輸入依存度が上がりながら経済発展が達成され,しかもそのテンポは自由化しなかった場合にくらべて速いであろう。全体の輸入依存産が上がる結果として,当然多くの商品部門について輸入依存度が上がるであろう。しかしある種のものについては,依存度は横ばいかむしろ下降するであろう。それは新規産業や,未発達の基幹部門において起こることが望ましい。
前述した経済特化の利益というものは,長期についてみる限り,すでに成熟した産業のウェイトがますます増大していくということによってはもたらされない。比較生産費原理を現在の相対コストに適用することは,ダイナミックな経済を考える場合には不適当である。成熟した産業―現在において相対的に有利な産業―は,逆にいえばそれだけ生産性向上の余地が少なく,したがって自由貿易のもとでは後進国に退いつかれる可能性が多い。有利性が減少してきた商品は徐々に輸入に切りかわっていくのが自由貿易の,したがって国際分業の真の姿である。新規産業が発育する時期に輸入品を駆逐して自給度が上がり,成熟するにおよんで停滞し,やがて輸入依存度が上がつていくという過程が,多くの部門で,重なりあって起こりながら貿易と生産が上昇していくという姿が,正常な自由貿易下の経済発展である。
しかし現状において未発達であるということは,放置すれば輸入品に押されてしまうことを意味するから,このような産業構造の望ましい移り変わりを招来するためには,企業の努力を必要とすることは勿論であるが,同時に,政府の政策がその時に応じて当を得たものでなければならない。
自由化政策自体が,このような結果をもたらすように計画され実施されなければならない。
(2)短期間については,現在の相対コストのギャップをうめるべく,自由化の導入にともなって相対的に不利な商品の輸入が上昇し,有利な商品の輸出が伸びるあろう。この現象は工業製品についてのみ起こるだろう。食料を別とすれば,日本はほとんどすべての原材料を輸入に頼っている。したがって原材料輸入を動かすものとしては,生産との技術的関連,および相対価格による輸入先のふりかえによる変動以外には,在庫循環の要因があるだけである。在庫循環は企業の見通しによって起こる。したがつで生産者が製品需要の動向を見誤つたり輸入制限の復活を見こして投機に走つたりすることから国際収支の困難を起こすおそれもないとはいえないが,政府の政策と企業の見通しさえ誤りがなければ自由化によるショックはないと考えてよい。
工業製品輸入にある程度のショックが起こることは,現在の生産性格差がある以上やむを得ない。しかしもともと貿易自由化ば工業製品の自由化なのだから,これをおそれていては貿易自由化による経済発展をはかることは意味がない。そしてこのショックを緩和するためには,自由化のテンポや数量割当てのふやし方における操作という政策手段がある。
しかも,同じ現象は相手国にも起こるのである。日本の競争力は特に軽工業においてすぐれているといわれる。もし西欧が対日輸入を急激に自由化すれば,押えに押えられた日本商品は西欧市場においてブームをまき起こすかも知れない。第103表にみるごとく,共同市場諸国は現に綿布の輸出国であるがその輸出超過率は明らかに落ちており,厳重な対日輸入制限にもかかわらず域外からの輸入依存度は上昇している。西欧の繊維業界が日本商品をおそれているのは,すでに存在する彼我の相対コストの格差のためである。われわれは西欧からの輸入を自由化する以上は,日本からの輸入も自由化してもらいたい。その結果としては,当然西欧向け輸出の大幅な上昇を期待していいだろう。
だがわれわれは,自由化の実施にともない製品輸入増大に対処する方法を考えるとともに,現在有利な商品が将来も伸び続けると期待してはならないことは前述したとおりである。それは一時的な現象であるとともに,やがて後進国に道を譲る運命にあるからだ。しかし,この事実はまた,日本が貿易自由化にふみきれば,結局,労働集約的な軽工業に特化し,望ましい経済発展から逆行することになるという議論対する反駁ともなるだろう。工業国間の貿易自由化とは,決してそのような停滞的な過程をとるものでない。旧植民地は食料原料だけを生産し,本国は工業製品をこれに売るという形の国際分業―その結果前者はモノカルチュア経済から脱却できず,後者の経済構造はますます高度化した―は,工業基盤のない後進国と,それを与えることを欲しない先進国との間に,かつて存在した。しかし,現在の日本はそのような性質の後進国ではないことはすでに全世界が認めているところであろう。