昭和35年
年次世界経済報告
世界経済の現勢
昭和35年11月18日
経済企画庁
第3部 国際貿易の構造
第2章 アメリカの輸入需要と西欧・日本の対米輸出
アメリカの輸入水準はその国民所得にくらべて決して高いとはいえない。
これを年間輸入額と国民所得の比率によってみよう。1920年代から第2次大戦前にいたるまでの間,この比率はアメリカにおいては最低3%から最高7.5%で,特別のときをのぞけば3.5~6%の間にあった。これはT.S.Changがその研究の対象とした33カ国の中で最低のものである。1)また最近のそれをIM F統計の国際収支計算からみても次のようになっている。(単位10億ドル)
すなわち,財貨サービスの輸入はその国民所得に対し4~5%のところにある。
それにもかかわらずアメリカの年間輸入額は単一国としては世界第1位を占めているので,その輸入需要の道向が国際経済におよぼす影響がきわめて大きいことは,すでに第1部において述べたとおりである。戦後の西欧や日本での発展過程においては,ドル不足が常にボトルネックとなっていたため,アメリカの景気がよく,したがって輸入―西欧や日本からみれば対米輸出―が伸びるときには西欧・日本のドル事情がよくなり, これを基盤として経済成長が推進されてきた。不況のときには逆の現象が起こつた。しかし,もつとくわしく観察すれば,この10年間の動きの巾にはいくつがの問題点が発見される。
それは,
(1)アメリカの景気上昇あるいは下降―実質国民総生産の増減―が必ずしも輸入量の増減という結果にならないこと。
(2)総輸入量の変化の傾向が必ずしも完成品輸入量のそれと一致しないこと。
(3)したがって,完成品輸出国である西欧や日本の経済局面にアメリカの景気動向がそのまま反映しない場合があったことである。
戦後のアメリカの輸入数量および価格指数の推移は第95表に示すおりである。
また,食糧関係をのぞいた各分類について数量指数の推移を図で示せば,第61図のとおりである。
1950年までの間は西欧も日本も戦後の混乱期にあり,アメリカの輸入といえども正常の商業べースにもとづいて行なわれでいなとはいえないので,1950年以後の動向について,前述の諸点を考察してみよう。
好況にもかかわらず輸入量が減少した例ば1951年に起こつた。これは,1950に朝鮮動乱が起こると同時に輸入が激増したことの反動ともいえるが主として世界的なブームのための輸入価格急上昇―アメリカの国内価格の値上がりはそれほどでなかった―により輸入需要が抑圧されたためと思われる。
また不況期において輸入量が増大したのは1958年である。これは不況にもかかわらずアメリカの国内価格が上昇を続け―クリーピングインフレーションあるいはコストインフレーションとして特にさわがれたのはこの時期である―一方西欧・日本その他の供給力増大,コストダウンのため輸入価格が低落したので輸入需要が増大したものといえよう。
これらの事実は,アメリカの輸入量に輸入価格の変動が影響していることを示唆するものである。したがって,われわれの分析の中には単に所得だけでなく価格の指標をも導入しなければならない。それでは価格の影響はどれくらい大きいだろうか。さきの1951年と1958年についてみよう。第95表によれば,1951年に輸入価格は前年にくらべて26%上がつたのに輸入量は3%しか減つていない。また1958年には,輸入価格が約5%下がつたのに輸入数量は3%しかふえていない。このいずれの時期においても輸入数量の変動早が輸入価格の変動率よりも少ないことは,輸入需要の価格弾性値が1よりも小さいことを暗示している。2)勿論現実には,輸入価格の変化と同時にアメリカの国民所得(一生産)に起こつた変化の大きさと方向によって輸入量の変動におよぼされる影響が違ってくるから,この点を立証するためにば,所得の変化を考慮にいれた多元相関式をつくつて検討しなければならないが,この分析は第2節にゆずる。
この結果として,1951年には他国の対米輸出額は,―輸出価格の上昇率が輸出数量の減少率を大きく上回ったため―輸出量の減少にもかかわらず大福にふえて世界景気上昇に大きな役割を果たし,また1958年には他国の対米輸出価格は下がつたが数量の増大により輸出額は微減にとどまり,アメリカの不況が西欧や日本の経済にそれほど深刻な打撃を与えなかった―一種の停滞期となったにせよ―のである。
第61図 により,総輸入量と分類別輸入量をくらべてみると,完成品の持つトレンドと原料,半成品のそれとは明らかに離れている。
完成品は1950年以来強い上昇傾向を示し,原料はほとんど横ばいに近い。
また半成品の輸入量は1950年に突然上昇を示したが,その後は原料と平行に推移している。半成品を原料と同じ範疇に入れて考えるならば,1950年以後の原料輸入の所得弾性値は明らかに1より小さく,完成品輸入のそれは1より大きいとみるべきであろう。1)勿論これについても価格の変化を同時に考慮すべきことは前と同様である。
ここでHinshawおよびChangが計算したアメリカの輸入の所得弾性値をみると次のようになっている。2)
ここでは半成品の所得弾性値が最も大きく,原材料のそれも1あるいはそれに近く,完成品の弾性値は総輸入のそれよりもわずかに大きいだけである。
彼等の計算は戦前の資料によっているが,もしこれらの弾性値が戦後も変わっていないとずれば,各分類と総輸入とのトレンドの開きは 第61図 に示されているほどには大きくならないであろう。Hinshaw,Changの分析が正しいとすれば,なぜ戦後のアメリカの輸入のビヘイビアーが戦前と変わってきたかが問題となる。
この検討はあとに譲るとして,完成品輸入の所得弾性値がこのように高く,しかもアメリカ経済が成長を続けるだろうという前提をおくならば,完成品輸出国である西欧・日本の対米輸出は将来もまた強い増加傾向を続けると期待していいだろう。一方後進国が将来も原料輸出に頼ることを続けるならばアメリカ市場におけるシェアーの後退は避けられないとみなければなるまい。
次に短期的にみてみよう。総輸入量が減少したにもかかわらず完成品輸入量が増加した時期が二つある。これは1951年と54年である。前者にあっては,原料の輸入価格が前年の106から155へと約46%も値上がりしたのに対し,完成品のそれは143から168へ約17%の値上がりにとどまったので,完成品の輸入が落ちなかったのは,その値上がり率が原料にくらべて低かつたためであると説明することができよう。
また1954年には,原料輸入価格は115から112へとわずかに下がつたが,完成品輸入価格は163で横ばいであった。しかし完成品輸入量は177から178へ微増している。(この結果,輸入額指数は横ばい。)この時期にアメリカの実質GNPは1.6%減少しているが,国内物価をGNPのデフレーターでみると1%上昇しており,したがって完成品輸入の相対価格は1%下がつている。
完成品は明らかにアメリカの国内産業との競争関係が強いから,その需要に及ぼす価格効果は,相対価格の弾性値すなわち価格代替弾性値-price substitution-elasticity―でみるべきであろう。この値が大きければ,アメリカの不況時でも,もしアメリカの国内価格が上昇する一方で輸出国側の輸出価格が下げられれば,完成品輸入量はふえる可能性はある。したがって,短期的に総輸入量が減少する場合にも,完成品の相対価格のいかんによっては,工業国の対米輸出は下方硬直性を持ち得るのであって,これが西欧や日本の景気循環がひどくなるのを防ぐ支えとなっているといえよう。原料輸入にこの性質がないのは,アメリカの輸入原料は特殊な物資にかたよっているため価格による代替効果が少ないためであると思われる。
以上から,アメリカの輸入需要要因の中には,景気あるいは総輸入量の変動が西欧や日本の景気に与える影響を緩和する性質があることと,アメリカの経済成長や輸入増大以上のテンポで西欧・日本の対米輸出が伸び続けることを可能にする性質がふくまれていることがわかる。しかしこれば一面,朝鮮動乱以後の西欧・日本の供給力増大テンポが著しく大きく,同時に輸出コスト面でも常にアメリカ側の国内価格に対し相対的優位の方向へ向かつていたからこそ可能であったことを見のがしてはならない。一時は世界経済の宿命であるかのごとくにみられたドル不足の緩和―逆にいえばアメリカがはじめて経験している国際収支の困難と金流出―の現象もまた,西欧・日本の供給力とアメリカのそれとの格差が漸減してきたことにもとづくものであろう。