昭和35年
年次世界経済報告
世界経済の現勢
昭和35年11月18日
経済企画庁
第2部 各 論
第4章 共産圏
1)調整から発展に向う経済
中国の公表統計は,自由世界諸国の指標とちがって,たとえば工業生産,農業生産,工農業生産の伸び率を示す場合総生産額(TotalValue)指数によっているので,そのまま自由世界諸国の指標と比較することはできないし,また国民所得や固定投資の場合も概念上の差違があって直接比較することはむずかしいが,ここでは原則的に中国国家統計局の公表資料によることとした。
中国の第2次5カ年計画は,1958年にはじまり,62年に終わる予定で,本年はその第3年目にあたるわけだが,58年以降の高度成長によって,当初予定された5カ年間に50%の国民所得の成長を,58年および59年の2カ年間で達成し,第2次5カ年計画は計画目標そのものの実質的な意味をなくしている。
58年はいわゆる「躍進」的発展の年であって,国民所得34%,工業生産66,2%,農業生産25%の伸びをしめし,固定投資(国家計画による投資で,人民公社その他の投資をのぞく)もまた70%増大し,雇用者(工業,商業,文教関係の企業および事業関係職員,労働者)の伸びも85%に達した。
これに対し,59年計画も,当初前年の高度成長にひきつづいて,高い成長テンポの増産計画がたてられた。
しかし,59年の上半期の計画実施過程で労働力不足が直接的な制約となり,それに自然災害による農産物の減収なども影響して,59年8月に開催された中共八全大会で,59年計画の全面的な修正がおこなわれた。当初計画と修正計画とを比較すると,第84表にみられるように工業生産で約11%,農業生産て40%の引下げがおこなわれ,固定投資総額も修正前の270億元から修正後の248億元に圧縮された。
計画目標が修正されるにいたつた理由としては,すでに指摘したように,工業生産の面では土法製鉄方式でみられるような,極端な労働集約的な生産方式が,たんに鉄鋼のみにかぎらず,石炭,石油,化学肥料,工作機械,製紙,食品加工など広範な業種にわたって実施された結果,雇用労働者は57年にたいして85%もの増大をみたが,そのごの労働力の調達にかなり制約が生じたこと,農業生産の面でも同様に,水利建設(灌漑面積の増大),深耕,密植,堆肥など極端な労働集約的な方法による増産方式をとっているために,今後ひきつづいて飛躍的な増産を期待するためには,労働生産性の上昇を必要とする段階にいたつたためである。
また,土法製鉄方式によって生産された鉄鋼の品質がわるくて,原材料として使用できないこと,自然災害による農産物の減収によって,工業原料不足をみたことなど,製品および原材料間の需給不均衡も計画修正の原因となった。しかし,第84表でみられるように,59年の修正計画と実績との対比でみると,食料生産が修正計画の10%増を下回って8%増の実績にとどまった以外は,工業生産も農業生産もともに計画を上回る実績をおさめ,固定投資額も計画を上回った。
このように遊休労働力の活用がすでに限界に達し,雇用量の大幅な増加が期待できない現状で,しかも修正計画をかなり上回る実績をおさめたことは,労働管理の強化(労働時間の延長,婦人労働力の活用)によるものであったが,60年にはその効果も幾分るすらいできている。
60年計画による工業生産および農業生産の成長率をみると,第85表 にみられるように,59年にひきつづき上昇が予定されているが,成長率は幾分鈍化している。
固定投資の伸びは58年の70%増から,59年には24.5%,60年には21.7%と低下しているが,固定投資率でみると,各年だいたい21%前後の水準を維持している。
また,個人消費の動きを小売商品売上高でみると,国民所得の伸びには及ばないが,各年14%から16%とほぼ一定した上昇をしめしている。
2)部門別産業動向
イ)工業生産
第1次5カ年計画の実施によって,工業化がすすみ,工業生産の部門別構成のなかで,鉄鋼および金属加工業の比重が増大し,これにたいして紡織および食品工業の比重が相対的に低下してきた( 第58図 参照)。
この傾向は58年においていっそう促進された。57年にくらべて工業生産の,伸びは66.2%であったが,そのうち生産財の伸びは103%,消費財の伸びは34%と,生産財の伸びがめだつている。生産財のなかでも鉄鋼業,機械工業の伸びが大きかつたが,消費財のなかで,食品工業の増産率の停滞がめだった。
59年には,生産財の伸びは43%,消費財の伸びは34%となり,生産財の伸びは相対的にちぢまつた。生産財のなかで,鉄鋼業は政策的にももつとも重点がおかれている産業で,58年にひきつづき増産率がめだつているが,農業増産に関連した化学肥料もこの年から増産に重点がおかれるようになった。
綿糸を中心とした紡織工業および食品工業については,58年の農業生産の好調によって全般的に58年の増加率を大幅に上回った。
60年計画では,生産財の伸びは32%,消費財の伸びは24%といずれも59年にくらべると増加率は鈍化するが,工業生産の重点は59年にびきつづき鉄鋼業および化学肥料,農業機械など,農業生産の「安定と成長」とに関連した産業に重点がおかれている。消費財産業のなかでは,59年の綿花生産の不作を反映して綿糸の生産停滞が特にめだつている。
58年から60年にかけての工業生産の推移のなかで,とくに注目されるのは中小型工業あるいは土法生産の動向であろう。60年の固定投資計画のながて,大型工業の占める比率は50.3%,中小型工業の占める比率は49.7%となっており,同じく主要産業についてみると,60年に増設が予定されでいる化学肥料工場のうち,17工場設備は大型工業だが140工場設備は中小型工業で,そのほか土法生産による無数の化学肥料生産設備が増設されることになっている。また繊維工場や,農業機械工場についても同様にそれぞれ90%,48%が中小型工業である。小型工業あるいは土法生産方式は,労働生産性や製品の品質について問題があることはたしかだし,「土法製鉄」方式はその後「小型高炉」方式にきりかえられたが,しかし,中小型工業あるいは土法生産方式は,中国の経済力にもつとも適応した資本節約的な農村工業として,いぜんその重要性がうたわれていることにはかわりない。
ロ)農業生産
工農業付加価値生産額のなかで農業の占める比率が52年の75%から,59年には50.7%,60年(計画)には47.3%と低下してきたが,しかし工業生産のなかでも紡織工業および食品工業など,農産原料に依存した消費財工業の比率がたかいので,農業生産の国民所得の成長に寄与する役割は依然として大きい。59年および60年計画における農業生産の動向は,第87表にしめすとおりである。
農業生産のなかで,食料および綿花生産にはもつとも重点がおかれているが,58年の35.1%の食料増産のなかでも,品種別にみると,米31%増,麦22.4%増,雑穀17.7%増,薯107.3%増といったように薯の増産がもつとも大きな割合を占めている。この点については食料改善の点からみても,今後米麦の比重を高め薯の比重を低下しなければならたいと考えられている。
60年上半期の実績では,59年にひきつづき自然災害にみまわれ,夏季作物の収穫は59年なみの水準にとどまり,また綿花の作付けがおくれて減産が予想されている。
また59年から60年にかけての特長は,豚の飼育を中心とした家畜の増産が進められている点である。
農業投資の重点は従来水利建設におかれ,58年から59年にかけて水利建設のために動員された労働者数は7,400万人に達するといわれ,もっぱら労働集約的な方法で灌漑面積の拡大がはかられてきた。しかし,労働力不足の制約もあって,59年末ごろから農業の近代化が提唱されはじめた。目標を10年後においた長期対策としての農業近代化計画がそれで,60年はその第1年目にあたっている。農業の近代化はまず化学肥料の増産と畜力による半機械化に重点をおいて,次第に農業機械化,農村電化にまで発展させようという構想である。
1)貿易依存度と東西貿易の変化
イ)貿易依存度の推移
戦後中国経済は急速な発展をしてきたが,対外貿易の伸びもだいたい実質国民所得の伸びにほぼ比例して増大してきた。
ソビエト方式によって測定した実質国民所得に対する貿易総額の割合(貿易依存度)は第88表 にしめすように,各年だいたい10%前後であり,対外貿易規模は国民所得の伸びに応じて毎年拡大しできでいる。
中国経済における10%前後という貿易依存度の大きさは,たとえば1930年当時のソビエト経済において,国民経済総生産額(TotalValue)に対する輸出割合が3.5%,1936年に0.8%と,だいたいにおいてアウタルキー的経済自立化の方向をとっていたのにくらべて,かなりたかく,その意味では中国は自給化政策と同時に貿易拡大政策も平行的に進めているといえる。
このように中国の貿易依存度が相対的に高い理由は,戦後共産圏市場が形成され共産圏諸国間に国際分業化が促進されたためであった。
そして圏内の国際分業は,ココム参加の自由世界諸国が,51年いらい中国との貿易を極力制限し禁止する政策をとりはじめたためにますます促進されるようになった。
ロ)東西貿易比率の増大
ところで,東西貿易は52年以降縮小傾向をたどつたが,55年を底にしてふたたび上昇に転じた。対外貿易の地域別構成をみると, 第89表 にしめすように,東西貿易比率(対外貿易総額中に占める対自由世界貿易の割合)は,56年から次第に増大しはじめ,近年はほぼ25%の水準にまでたかまつてきている。
中国の貿易市場が共産圏市場をこえて,次第に自由世界市場にまで及ぼうとしていることは,あきらかに中国をめぐる国際環境の変化をしめすものであって,このような東西貿易比率の増大誘因となったものは,直接には自由世界諸国の中国に対する貿易制限措置の緩和であった。
ハ)地域別東西貿易構成の変化
貿易制限緩和の効果は,西欧および日本との関係にもつとも典型的にあらわれた。自由世界諸国を西欧および日本(概して工業国)とその他諸国(概して非工業国)の二つの地域にわけてみると,第90表にみられるように東西貿易比率の増大のなかで,西欧および日本の比重が近年ぐつと大きくなってきている。
西欧諸国および日本はその多くがココムの参加諸国である。しかも西欧および日本の比重の増大は,主としてこれら諸地域にたいする中国の輸入依存度の上昇によってもたらされたものであること,いいかえるならば貿易制限の緩和が直接西欧および日本の比重を高めたということができる。
これに対し,その他諸国ではほぼ一定した貿易比率を維持している。
要するに,56年以降の東西貿易比率の上昇は,地域的にみると西欧および日本などの工業国との関係を深めつつ,上昇してきたとみていいようである。
もちろん,58年5月から日中貿易の途絶によって日本の比重が著しく小さくなったことはいうまでもない。
ところで,57年までは約1億~2億ドルの黒字となっていた東西貿易ば,58年からほぼ収支均衡するところまで輸入が増大した。地域別バランスをみると,第90表でみられるように西欧および日本との貿易バランスでは中国の入超,その他諸国に対しては中国の出超となっており,両者の大きさはほぼ同じく,東西貿易全体としてはバランスしているといった状況である。
したがって58年以降国際収支バランスの黒字の幅をちぢめて増大した輸入は,主として西欧および日本に対する輸入依存度の上昇によるものであった。
その他諸国に対する出超のなかで,中国にとつてもつとも重要な外貨取得源となっている国は,ホンコンおよびシンガポールなどで,その他の低開発諸国との関係では,むしろ方向としては双務的な取引が進められている。
また低開発国との貿易の伸びば経済援助の促進と表裏をなしており,54年1月~60年3月の間に,中国が与えた経済援助総額は第91表にしめされるとおり1億5,420万ドルに達しているが,共産圏の援助総額の5.4%を占めるにすぎず,規模としてはまだ小さい。
ニ)輸出入商品構成の変化
中国商品の輸出商品構成をみると食料および原料の比重がまだかなり高い。.したがって生産性の低い農業生産の現段階では,豊凶の差がそのまま中国商品の輸出余力の差となってあらわれることが多い。しかしこれとても工業化の進展につれて輸出商品に変化がおこり,次第に繊維品を中心とした軽工業品の比重が高まってくることが予想され,現にソビエトおよび東南アジア諸国に対する繊維製品の進出はかなり増大している。中ソ貿易では,第93表にしめすように,53年にば輸出総額の3.6%にすぎなかった繊維品の輸出割合は,59年には32.2%にまでたかまつてきている。西欧諸国にたいしても最近繊維製品が輸出されはじめ,東西貿易における輸出商品構成のなかで,加工製品の占める割合は54年の10.5%から58年には27.9%までたかまつてきて輸出商品の多様化が進んだ。
つぎに輸入商品構成の変化をみると,58年から59年にかけて機械および金属製品,石油および石油製品の比重が増大し,一次産品および化学製品の比重が相対的に低下してきている。これは工業化の進展につれて主として機械および金属製品,石油および石油製品の輸入の伸びが一次産品の輸入の伸びを上回った結果である。また化学製品のなかでは,医薬品,染料などは自給化が進み輸入額が減少したが,化学肥料の輸入は増大してきている。
地域別にみると,自由世界の工業国からの輸入では,鉄鋼および半製品,銅および半製品,機械,化学肥料の伸びがめだつている。中国に対する自由世界諸国の禁輸制限がさらに緩和された場合,機械の伸びは著増するだろうとみられている。
低開発諸国からの輸入のなかで,もつとも比重の大きいものはゴムの輸入であり,マラヤからの輸入趨勢をみると57年1,943万ドル,58年3,490万ドル,59年3,740万ドルと58年以降急激な増加をみている。また綿花の輸入も毎年5,000,万ドル程度の輸入が行なわれているが,60年は綿花不足もあって輸入増大をみているようだ。ソビエトからの輸入では機械(特に工場設備一式),石油および石油製品の輸入比重が大きい。
2)1959~60年の東西貿易
東西貿易比率の着実な上昇といった頃向からすると,59年は例外的な年であった。東西貿易比率は58年の25.4%から59年には20.5%に低下して一見東西貿易の縮小化を思わせるものがある。対外貿易総額は58年に対し16.6%の増加をみたが,そのなかで,東西貿易は12.2%の減少,中ソ貿易は35%の上昇となった。
東西貿易を地域別にみると,59年には西欧および日本の13.8%減少,その他諸国の10.5%減少と,西欧および日本の減少率が大きく,輸出入構成では,輸出の10.7%の減少に対し,輸入の13.6%減少と輸入の減少率が大きい。
中ソ貿易の伸びは,輸入で50.6%の増加,輸出で24.9%の増加となっており,たしかにこれまでにみられない上昇率をしめした。商品構成でみると,第92表にみられるように機械および設備の輸入が倍増し,なかでも全工場設備一式の伸びが大きく140%の増加をみた。また見返物資としての繊維製品の輸出も同様に92%の増加をみた。中国の輸入の急激な増加については,59年2月に結ばれた貿易援助協定(輸入を通じた資材の供給保障であって,一般的にいう経済援助ではない)の実施によるものだとする見解が支配的であって,たとえばソビエトの「東洋学の諸問題」誌や, Three Monthly EconoーmicReviewあるいはFarEasternEconomicReviewなどの共通した見解となっている。
しかし,今後の見通しとしては,ひきつづき援助物資の提供はおこなわれるとしても,増大テンポは59年ほどは大きくなく,60年4月に結ばれた貿易協定では,60年の中ソ貿易の伸びは59年にたいし10%増の予定である。
一方東西貿易の縮小要因として指摘されている点は,農産物の輸出余力の減少,東南アジア諸国の輸入制限,外貨取得減による西欧諸国からの輸入減少といった点である。
しかし(国連の「1959年世界経済報告」でも指摘するように,たしかに59年の農業生産は58年の上昇率を下回ったが,食料および綿花の政府買付けがふえ,農産物の輸出余力は59年下半期あたりから次第に増大しはじめでいる。
この事情を反映してか東西貿易は60年に入ってふたたび上昇しはじめた。
60年上半期の推移をみると第94表にみられるように,イギリス,フランス,西ドイツ,イタリア,ベルギー,ホンコン,セイロンなど各国において,前年同期比はもちろん,東西貿易がもつとも拡大した58年同期の実績をもさらに上回るような実績がしめされている。いまのテンポがそのまま持続するとすれば,60年の東西貿易比率は59年にくらべて若干増大することとなろう。