昭和35年
年次世界経済報告
世界経済の現勢
昭和35年11月18日
経済企画庁
第1部 総論
第3章 世界経済の構造的,政策的な諸問題とその展望
わが国においても1960年6月,貿易為替自由化3カ年計画が発表されて,はじめて本格的な自由化へのスタートを切つたのであるが,西欧では自由化はもうかなり前から進められていた。すなわち1950年ごろから対域内の自由化が進められ,54年ごろから対ドル自由化がはじまり,58年末には通貨の交換性を回復している。
1960年初めの西欧諸国の自由化率をみると,第3表のように対域内の自由化率はわずかにアイスランドを例外として,他はいずれも9割前後に達しており,対ドル自由化率でも,オーストリア,アイスランド,アイルランド,トルコ以外はいずれも8~9割程度の自由化率になっている。もつとも農産物については制限をしている国が多く,またとくに日本に対しては依然として差別待遇をしている国が多いことを特記しておく必要があろう。
さて,自由化が進めば,当然産業構造になんらかの影響があったと考えられる。
西欧はもともと工業国の集団である。それが西欧という一つの土俵の中で早くから自由化を行なうことによって,いわゆる産業構造の特化が進められたはずである。つまり,競争力の強い産業と弱い産業との間の差がだんだんはつきりしてくる。その結果,合理化はますます促進され,対米競争力もおおいに強化した。同時に国際分業関係もいっそう合理化した。
その模様を西ドイツ,フランス,イタリア,ベネルックス3国の計6ヵ国について地域間投入産出表を1953年と58年の両年について作成し,両者の比較をみた(詳細は第3部参照)。
その結果,第4表のような結果を得た。
1953年といえば,西欧の域内自由化は相当に進展していたが,ドルに対する自由化はまだはじまつていなかった時であり,58年にはドルに対する自由化も相当に進展していた時期であることを思うと,以上の分析結果から,西欧における6カ国は,工業国の集団という土俵の中で,相互に自由化を進めることによって,生産物の相互交流が活発化し,これが域内全体の経済発展に貢献したと判断していいだろう。しかし,物によっては必ずしもそうとは限らない。たとえば,綿紡のごとき比較的成熟段階に達した産業,すなわち今後生産向上に多くを期待し得ないと思われる産業は次第に外国からの輸入に依存する度合いを強めつつあるが,そればアメリカやイギリスに対してではなく,かれらよりも工業化の程度の低い国々に対してであると思われる。
ところが工作機械のごとく,基幹産業とでもいうべき産業の対外依存度はかえつて低下している。これは,各国の保護政策の効果もあったのかも知れないが,根本的には西欧側の競争力が急速に強まってきていることを示しているのだと思われる。人造繊維の場合には西欧の域内でさかんに特化が進められており,域内における国際分業関係が再編成されつつある段階のように思われる。
このような傾向を,いま西欧産業構造の合理化というならば,このような合理化が進むことによって西欧内部では工業国同士のいっそうきめの細かい国際分業が進むであろうことが想像される。そして,国によって発展する産業の業種は違うといっても工業国同士のことであるから,これを西欧全体の工業製品輪出という観点からみれば,当然工業製品の輸出市場において西欧の地位が向上するであろうことを意味する。なぜならば,発展する産業は当然対外競争力が強化するだろうから,それは外国からの同種の輸入品に対して強い抵抗力を発揮するばかりでなく,輸出市場においても競争力が強化されるに違いないからである。
それが結局,工業国間の格差の縮小に大きく貢献したわけであるが,西欧の場合,このような産業構造の合理化は必ずしも貿易,為替の自由化にのみ,その功を全部譲るわけにはいかない。ここにもうひとつ,地域化すなわち共同市場等の結成の成果が大きく期待されるからである。