昭和34年
年次世界経済報告
世界経済の現勢
昭和三四年九月
経済企画庁
第二部 各 論
第四章 ソ連の七カ年計画開始と東西の経済競争
(1) 共産圏諸国の競争目標
共産圏諸国はさきに見たように,経済相互援助会議を通じて統合化され,将来は一九七五年に至る一五カ年の共同長期経済計画によつて西側の経済発展水準に追つこうとしている。他方,西側自由世界では各国内で完全雇用を達成,維持し,国民の生活水準を向上させ,また国際間,とくに工業諸国と低開発国の間の経済発展水準と成長率における不均衡を是正するためには,経済成長の問題が重要視されねばならなくなつている。このような各国における経済成長の問題は,ソ連,中国をはじめ共産圏諸国がその長期計画の遂行に当つて自由諸国の一つをそれぞれの競争相手に選んだことによつて,東西の経済競争という様相を帯びるに至つた。
共産圏側のいわゆる「平和的経済競争」,すなわち競争的共存とは,異なる政治,経済体制が共存しつつ,経済成長のテンポにおいていずれが優位を占めるかであり,窮極において高度の体制が生産性の発展においてその実を示すすというのである。もちろん,両体制が共存するかぎり,その間の経済交流も拡大する可能性がある。現に一九五八年の東西貿易は,さきに見たとおり,世界貿易の減少傾向のうちにあつても増大した。
しかし,東西の経済競争が,西側にとつても,いかにして安定的に経済成長率を高めるかという問題と関連して無視できない要素となりつつあることは明らかである。西側の主要国アメリカはソ連の提唱する「平和的経済競争」を重大な挑戦として受取つた。アレン・ダレス中央情報局長官は,一九五九年四月八日の演説のなかで,ソ連の自由世界に対する挑戦は現在軍事面よりも経済面で強力に行われているとし,ソ連の経済競争力を過大に評価すべきでないと強調しながらも,経済的挑戦の効果が無視できないことを警告した。
このようなアメリカの当局者の発言もさることながら,ソ連の経済力が大きく伸び,「人口一人当りの工業生産高でアメリカに追いつく」という,ソ連の掲げる「主要経済課題」が単なる宣伝スローガンの域を脱して,次第に具体性を帯びてきた事実も注目に値する。
(a) ソ連の競争目標
もともとソ連建国の指導者は,ソビエト体制の確立にとつてもつとも重要なものは労働生産性であるということを強調してきた。これは第二次大戦前の一九三九年三月に発表された第三次五カ年計画で具体化され,「重要な工業製品の人口一人当り生産量において主要資本主義国に追いつき,追いこす」ことが謳われた。だが第二次大戦は第三次五カ年計画自体の遂行を阻んだ。戦後第四次五カ年計画によつて経済の復興をおえ,さらに第五次五カ年計画で戦前の工業生産水準を大幅に上回り(ソ連の公表によれば,一九五五年は一九四〇年の三・二倍),一九五六年第六次五カ年計画にはいるや,ソ連は「平和的経済競争」を唱え,再び「追いつき,追いこす」という課題を取上げ,しかも先進資本主義国も停滞することはないとスターリン論文を批判して,増産努力を強化する意図を示した。さらに一九五七年には,牛乳,バター,肉の一人当り生産で数年内にアメリカに追いつくとか,約一五カ年後には主要物資の生産量で一九五六年のアメリカの水準に追いつき,あるいはこれを追いこすとかアメリカに対する経済的挑戦が盛んに行われた。しかし,第六次五カ年計画は,計画の不備や経済管理機構の改革等のため,そのままには実行に移されず,一九五九年から七カ年計画に切換えられた。この七カ年計画でソ連は,一九六五年には主要工業生産物の生産絶対量でアメリカの現在の水準に近づき,あるいはそれを追いこし,また重要農産物の生産では総量でも,一人当りでもアメリカの現水準を追いこすこと,さらに全体としての工業生産では七カ年で八〇%,年平均八・六%増大してアメリカの現水準に達し,その後一九七〇年までに一人当り工業生産でアメリカのその時の水準に追いつき,これを追いこすことを謳つている。このように,ソ連の経済競争の提唱は次第に具体性を帯び,その実現性はと1もあれ,一定のタイム・テーブルをもつてきつつあることが注目される。
(b) その他の共産圏諸国の競争目標
中国も一九五七年末に,鋼塊,石炭,電力,セメント等の生産総量において一五年でその時のイギリスの生産総量に追いつくことを声明した。この増産努力は一九五八年にはいつてさらに強められて,前年に比べて工業六六%,農業二五%の増産を達成し,石炭などではすでにイギリスの水準を追いこし,その他の物資の生産でもイギリスに追いつくのに一五年を要しなくなつたと主張されている。もちろん,こうした増産努力にはいわゆる土法による鉄鋼の質の粗悪さ,極端に人力を投入する異常な農業増産方式,輸送の逼迫,消費財の不足等,種々のアンバランスがともなつてはいる。しかし,中国がその競争目標に向つて増産を遂げつつあることは否定しえない。
東欧諸国では,東ドイツが一九六一年までに西ドイツの生産水準を追いこすとか,チェコ,ポーランドのような比較的工業化の進んだ諸国が西欧の先進工業国に追いつくという競争目標が立てられている。とくに,各国の長期計画の目標と関連して西欧の生活水準と比絞が行われている。たとえば,チェコは来るべき長期計画において一部の物資について第4-46表のような増産を予定している。表示の生産水準は,国民一人当りで一九五七年にはすでに粗鋼においてスウェーデン,フランス,西ドイツを,電力においてフランス,イタリアを超えており,また一,九六五年には多くの工業製品の一人当り生産量においてアメリカの水準を超えるはずであるといわれる。
ポーランドについては,第4-47表のような西欧諸国と比較した数字があげられている。すなわち,一九六五年には上に掲げた工業品の一人当り生産で一九五七年の西ドイツやフランスと肩を並べる水準に達することになる。また食糧については第4-48表のようになるといわれている。
アジアの共産諸国について注目されることは,北鮮が日本を目標としていることである。共産圏側の資料によると,北鮮の主要物資の長期生産目標および人ロ一人当りでの日本との比較は第4-49表,第4-50表のようになつている。
以上のように共産圏諸国の設定する競争目標は,国民を増産努力に動員するためのスローガンという色彩が強いのであつて,必ずしもすべてが現実性を帯びたものとはいいがたい。しかしそれが各国の長期計画に織込まれ期間を定めてその目標の達成に力を注がれようとしていることは事実である。
(2) 共産圏諸国の経済成長力の諸要因
いずれにせよ,ソ連,中国をはじめ共産圏諸国は経済競争を呼号し,高い経済成長率を維持しようとしている。ソ連の資料によれば,東西の工業生産の推移は第4-51表のとおりだとされている。
この数字の基礎は明らかにされておらず,成長率の比較は困難ではあるが,共産圏諸国の経済成長率がかなり高いことは否めない。アメリカのディロン国務次官によれば(一九五九・五・七の演説),過去八年間の成長率はアメリカが国民総生産,工業生産とも年約三%であつたのに対して,ソ連では国民総生産が六~七%,工業生産が八~九%であつたといわれる。国務省の推定(一九五八年五月)も,ソ連の国民総生産を一,七〇〇億ドル(前掲のディロン演説では一,七五〇億ドル,一九五九年二月一一日のストロース前商務長官の演説でば一九五八年が約一,八〇〇億ドル,これに対してアメリカは,一九五七年が四,四〇三億ドル,一九五八年が四,三七七億ドル)とし,今後も年七%の成長が可能であるとしている。
(a) 経済成長を促進する要因
このように,ソ連はじめ共産圏諸国の成長率が比較的高い理由は大別して二つ考えられる。その第一は,一般に共産圏諸国が経済的成熟の段階に遠いことである。中国や東欧の農業国はいうに及ばず,ソ連でも農業就業人口は全就業者の四三%を占め(一九五五年),農業人口は全人口の五二%に達しており(一九五九・一・一五現在),ウラル以東にはなお未開発資源とフロンティアを残レている状態にある。共産諸国の成長率が高い第二の理由は,その経済体制にある。この体制は生産資源を中央計画当局の意図する部面に集中的に投入することを可能にしている。
共産圏諸国の経済成長がこのような要因に規制されるということは,その経済成長に産業構造や産業分布あるいは経済制度の著しい改変という経済変動が内包されている点に現われている。たとえばさきにも見たとおり,ソ連の七カ年計画においては,工業生産の増大が八〇%であるのに,石炭が二一~二三%,粗鋼が五三~六三%の増産に止まるのに対して,石油が二倍強,ガスが五倍,動力が二~二・五倍,セメントが二・二~二・四倍の増産を予定されており,ここ七年間に産業構造の目立つた改変が行われることになつている。さらに,全固定投資の四〇%がウラル以東の地域に振向けられ,この地域の開発によつて地理的な産業の分布にも著しい変化の起ることが予想される。また過去数年間の農業増産方策を進めるにあたつて,一連の農業制度上の改革が行われたことは,すでに述べた。中国の場合をあげれば,昨年の増産努力が農業協同組合から人民公社への編成がえという経済制度の改変をともなつたことは周知のとおりである。
このような産業構造や経済制度の改変は,共産圏諸国のそれぞれの経済未成熟の段階と中央計画体制の確立の程度に応じて,多かれ少かれ各国において見られるところであり,その経済成長を促進する要因となつている。
(b) 成長を阻止する要因
その反面,共産圏諸国の経済成長を阻止する要因は生産資源の面に発生する隘路にある。これらの諸国が中央計画経済体制のもとで強力に経済成長を達成しようとしているかぎり,有効需要の面に成長を阻止する要因はないし,インフレーションに対しても自由経済の場合に比べてかなりの程度に抵抗力がある。しかし共産圏諸国の経済は概して完全雇用,完全利用の状況にあり,しかもその増産努力は強行的に推進される傾向があるため,計画経済体制がとられているにもかかわらず,しばしば経済発展のアンバランスと天然資源,設備,労働力など生産資源における隘路が発生する。もちろん,成長力の旺盛な,ダイナミックな経済においてはこのようなアンバランスや隘路の発生は当然といえるかもしれない。しかし,それが計画経済の原則と矛盾するものであることは否定しえない。そのよい例はソ連における第六次五カ年計画の中止である。第六次五カ年計画は,その初年度である一九五六年に経済拡大の行過ぎ,生産および建設計画の過大と原料資料,とくに鉄鋼,エネルギー,建設資材不足のため,その後の遂行が阻まれ,結局一九五七年,五八両年を調整期間として七カ年計画に切換えられたのである。また一九五六年の経済拡大の行過ぎを反省して経済管理機構の改革とこれにともなう計画作成方式の変更が行われた。これは,過度の中央集権的な計画経済体制を是正し,従来の強行的な経済拡大に弾力性を導入することによつて,経済成長を阻止する一つの要因を排除することを企図したものであつた。強行的な増産努力がアンバランスと隘路を発生させた例としては,ソ連で一九五四年以来の農業増産方策においてヴォルガ沿岸,シベリア,カザクスタンで三,六〇〇万ヘクタールの未懇地や休閑地の開拓が行われたことが,ソ連の労働力不足に拍車をかけたことも想起される。一九五八年における中国の工農業並行の増産努力が種々の隘路ないし緊張を生んでいることは,さきに指摘したとおりである。
以上のような,経済成長に対する短期的な阻止要因のほかに,やや長期的な,構造的ともいうべき要因がある。ソ連については労働力の不足がしばしばあげられる。これは相対的な不足であつて,基本的には労働生産性の低いことによるのである。たとえば,ソ連の資料によれば,一九五七年における工業労働者数はソ連が一,九七〇万人,アメリカが一,四三〇万人であるのに,ソ連の工業生産額はアメリカの五三~五五%(一九五八年),アメリカの推定によれば六五〇億ドルでアメリカの約四〇%にすぎない。労働生産性の低さは農業においてさらに甚しい。ソ連の資料によれば,比較的生産性の高いソフホーズですら,農畜産物単位当りの所要労働時間はアメリカに比べて穀物一・八倍,馬鈴薯およびテン菜四・二倍,原綿一・六倍,牛乳二・一倍,牛(体重増加)六・六倍,豚(同)上力・三倍となつている。近年農業における労働生産性の引上げが強調されているのも故なしとしない。このような労働生産性の低位は,生産における技術装備率の低いことによるのである。工業における技術装備率の指標として電力消費をとれば,アメリ力でば約五〇%が工業用といわれており,一九五五年の電力生産から計算すると三,一四五億KWHであつたのに対して,ソ連工業の電力消費は,一,一三三億KWHにすぎなかつた。このような,ソ連工業の電力装備率(工業労働者一-人当りの電力消費)の低さ,ひいては一般技術装備率の低さがその労働生産性を低位に止めているのである。とくに農業における技術装備率の低さ,すなわち総合的な農業機械や施肥の不十分さは,農業の労働生産性をきわめて低い水準に止めており,これが経済全般における労働力不足として現われ,ソ連の経済成長に対する阻止要因の一つとなつているのである。中国の場合は技術装備率の低位がさらに甚しいことはいうまでもない。一九五八年の農工増産においても極端な労働集約的方法がとられたことは,このことを示している。しかし,中国はこのような「人海戦術」にとどまらず,現在の装備と技術水準に立脚した方針をとつている。それは「中央工業と地方工業,大工業と中小工業を同時に発展」させること,「洋法技術と土法技術を平行的に発展」させ,当面「半機械化」を目標として漸進的な技術革新を行うこと,また農業においても大規模機械化ではなく農具改良という「半機械化」を進めるというのである。これらの方針はいずれも経済成長を阻止している生産装備,技術の低位を現在の諸条件のもとで,漸進的に克服しようとするものである。
(1) 米ソの経済競争
以上のような諸要因に制約されつつも,共産圏諸国は自由諸国に対して経済競争を挑みかけている。
とくにソ連は自由諸国の最大の工業国であるアメリカに挑戦している,そして,その具体的な日程を打ち出したのが七カ年計画である。一九五八年一一月に発表された「七カ年計画に関するフルシチョフ報告テーゼ」はつぎのような諸点をあげている。
「今後一五年間にソ連は工業の総生産量において世界第一位になるばかりでなく,人口一人当りの生産においても世界第一位になり,わが国には共産主義の物資的,技術的基礎が創設される。」「一九六五年にソ連は若干の主要生産物の生産絶対量でアメリカの現在の水準を追いこし,また他の品目ではそれに近づくだろう。この時までに重要農産物の生産は総量でも人口一人当りでも現在のアメリカの水準を追いこすだろう。」「ソ連の生産増大テンポが優越しているため,大体一九六五年から五年後の期間に人ロ一人当りのアメリカ水準に追いつき,追いこすための現実的基礎がつくられるだろう。こうして,その時には,あるいはもつと早いかもしれないが,ソ連は生産絶対量でも,人口一人当り生産物の生産でも世界第一位に達し,世界最高の国民生活水準を保障するだろう。」「一九六五年に社会主義諸国は全世界の工業生産の半分以上を生産するだろう。」(ソ連の主張するところによれば,ソ連の工業生産の世界の工業生産に占める比重は一九一七年-三%以下,一九三七年-約一〇%,一九五八年-二〇%,社会主義国全体では一九五八年-約三分の一)以上が,ソ連の謳つている米ソ競争の目標である。
(a) ソ連側の主張
ソ連の見るところによれば,一九五八年のソ連の工業生産はアメリカの五三~五五%,人口一人当りでは二分の一を下回つている。ところが七カ年計画によつて八〇%,年平均八・六%増大し,一九六五年には工業総生産はアメリカの現水準の九五~九九%(アメリガの一九五七年水準より三~五%低く,一九五八年水準より三~五%高いともいう)に達する。一九六五年に引続く二,三年間に工業生産絶対量でその時のアメリカの生産水準を追いこし,一九七〇年までに国民一人当りの工業生産量でもその時のアメリカの一人当り生産量に追いつき,これを追いこすというのである(フルシチョフ首相,経済学者アルズマニャン,中央統計局次長マルイシェフにょる)。
この場合アメリカの工業生産の一九五八~一九七五年の成長率を年二%と想定する。その理由はこうである。まず,過去の幾つかの期間をとつて,その成長率をつぎのように特徴づけている。
一九二九~五七年 三・二% 戦時中(一九三九~四三年,生産は二倍化)を含むから高すぎる。
一九四三~五七年 ○・九% 戦時中達成された高水準がその後の増大のブレーキとなつたから,低すぎる。
一九四八~五七年 三・六% 一九四八年水準は一九四三年より低く,かつ戦前と異なる生産構造をもつた。戦前,戦後に創出された生産能力が短時日に,一九五三年までに戦時の最高水準を突破することを可能ならしめた。
一九五三~五六年 二・二%
一九五三~五七年 一・六%
以上のうち最後の二つの成長率の中間を一九五八~七五年の年平均成長率と想定するのである。
つぎに,個々の工業生産物の生産高をアメリカの現在の水準と比較したものとして,第4-52表,53,54表をあげることができる。すなわち,個々の工業品の生産総量について見ると,第4-52表に掲げた物資の生産水準は概して一九六五年にアメリカの水準に追いつき,一九七二年にはこれを超えることになつているが,電力,石油,ガスがアメリカの水準に達するのは遅い。いいかえれば,産業構造でも次第にアメリカに接近する方向を目指していることになる。もちろん,資源の賦存状況や経済制度が違うのであるから,ソ連の産業構造全体がアメリカの型になるのではない。だが少くとも重工業の生産構造においては,アメリカのような高度な,近代的な構造を目標としていることは注目されてよい。また,人口一人当り主要物資の生産高から見た国民経済の発展水準は,一九五七年には先進国よりはるかに立遅れているが,七カ年計画完了により先進諸国と並ぶ地位に立つことになる。
ソ連側の見るところによれば,以上のように主要工業品の生産においてアメリカに追いつくのは,いまや生産の発展テンポだけではなく,その増大量でもアメリカを上回りつつあることによるものといわれる。すなわち,第4-54表のデータにもとづき,ソ連側は工業生産の発展テンポのみならず諸物資の増大絶対量でもアメリカを上回つているから,生産水準が急速にアメリカに追いつくと主張する。
農業生産については現在のソ連はアメリカの七五~八〇%,人口一人当りではアメリカがソ連を約四○%上回つているとする(フルシチョフの党大会報告)。そこで七カ年計画で七〇%の増産が予定されているので,一九七五年には総生産高でも,一人当りでもアメリカの現水準を上回ることになる。
では,一九五七年に提起された,人口一人当りの牛乳,バター,肉の生産でアメリカに追いつくという「課題」は七カ年計画中に達成されるか。それを示すのが第4-55表である。すなわち,一九六五年の目標が実現されれば,牛乳,バターではアメリカを追いこすことができる。ただ食肉については,たとえ七カ年計画による二倍増産という高い目標が達成されたにしても,さらに二五%を増産しなければ,アメリカの水準には達しないわけである。
さらに,米ソの消費水準を示す一つの指標として人口一人当りの消費物資の生産高を見ると,第4-56表に示すとおりである。すなわち一人当り消費物資生産高,消費水準は一九五八年にはアメリカをはるかに下回つているのに,一九六五年には概して食料品についてはアメリカの水準に追いつくか,またはそれを超えるが,衣料その他についてはほとんどがいまだアメリカの水準に達しないことになる。
なお,耐久消費財についてみると,米ソの生産量の隔りは現在きわめて大きい。その生産総量を比較したものが第4-57表である。すなわち,乗用車の生産高は極端に違うので除外しても,家庭用電気器具の生産でもアメリカはソ連の五~一〇倍程度である。七カ年計画では全体としての家庭用器具が七カ年で二倍に増産されるといわれている。したがつてこの目標が達成されたにしても米ソの懸隔はなお甚しい。
以上ソ連の発表から知られることは,ソ連が重工業優先政策のもとでアメリカの水準に追いつこうとしていること,また資源の配分においても投資に重点をおいていること(たとえば鉄鋼と自動車生産の関係)である。それは,ソ連が強力な成長政策をとろうとしていることを明らかに示すものにほかならない。
(b) 西側の見解
従来の「追いつき,追いこせ」というソ連のスローガンに対してほとんど反応を示してこなかつた西側,とくにアメリカは,七カ年計画については,これを重大な「経済的挑戦」として受取つた。また,この米ソの経済競争とからみ合つて国内で「安定か成長か」,「インフレ防止か完全雇用か」をめぐる論争が展開されていることは周知のとおりである。
さきにも述べたようにアメリカ側の推計によれば,ソ連の国民総生産は一,七〇〇億~一,八〇〇億ドル(一九五七年のアメリカの国民総生産は四,四〇三億ドル)で,今後も年七%の成長が可能であるという。そしてその支出配分は現在つぎのとおりと見られている(前掲アレン・ダレス中央情報局長官の演説による。金額および比率は大部分が筆者の補足)。
(イ) 軍事支出……アメリカ(一九五七年-四四三億ドル,一九五八年ー四四四億ドル)とほぼ同額である。すなわち,国民総生産に占める比重はアメリカの約一〇%に対して,ソ連は二〇%を上回ることになる。
(ロ) 個人消費……一九五八年のアメリカのそれ(二九〇六億ドル)の約三分の一,すなわち九〇〇億ドル余であり,国民総生産に占める比率はアメリカの六四%に対して,五〇%程度となる。
(ハ) 投資……国民総生産に占める比率はアメリカの一七,~二〇%に対して,ソ連は三〇%である。ちなみに金額ではアメリカの民間総資本形成が一九五七年-六五三億ドル,一九五八年-五四四億ドルであるが,ダレスの示した一七~二〇%には政府購入のうちの投資部分をも含むものと思われる。すなわち,上掲の比率によれば,七五〇~八八〇億ドルとなり,これに対してソ連は五一〇~五四〇億ドルということになる。この投資の部門別配分はつぎのように推定されている。
工業……一九五九年計画によるソ連の工業投資は,一九五七年のアメリカのそれ(工場設備投資は製造業一六〇億ドル,鉱業一二億ドル)とほぼ同額である。
運輸通信……アメリカ(一九五七年-約六二億ドル)の半分である。そのうち道路建設はアメリカの一五~二〇分の一にすぎないのに,鉄道ではアメリカ(一四億ドル)をかなり超えている。
商業……アメリカの六〇億ドルに対して,ソ連は二〇億ドルで,個人消費支出の場合と同様,三分の一にすぎない。
住宅……アメリカ(一七~一八億ドル)の約半分であり,しかも現在のソ連の居住面積はアメリカの四分の一にすぎない。
以上のアメリカ側の推計によつても,ソ連の国民支出および投資のパターンの特徴は明らかである。すなわち,それは軍事支出の重圧と成長率を高くする投資方向を示している。
米ソの工業生産の展望はどうか,これをアメリカ側はつぎのように見る。ソ連の一九五八年に至る工業生産の成長率は年平均九・五%(ソ連公表では一九五〇~五六年平均一三%,一九五七年,一九五八年ともに一一%)と推定され,他方アメリカの七年間の成長率は年三%である。これを考慮に入れると,一九五七年において六五〇億ドル,アメリカの約四〇%であつたソ連の工業生産は一九六五年には五五%,一九七〇年には六〇%となるとしている。その結果,ソ連はここ七年間にいまよりも経済に対する負担を加重することなく,アメリカとほぼ同額の現在の軍事支出を五〇%余増すことができるし,重工業優先のもとでも,現在個人消費がアメリカの三分の一という低い生活水準を多少引上げることが可能だというのである。
さらに,七カ年計画の目標が達成された場合,個々の基礎物資生産における米ソの関係はどう変化するか。これについてアレン・ダレス長官はつぎのように述べている。
i) セメント……一九六五年工業生産予想によるアメリカの生産量を若干上回る。
ii) 電力……米ソのギャップは拡大する。
iii) エネルギー……石炭,石油,1天ガス,水力発電など第一次エネルギー生産ではソ連はアメリカに対し一九五八年の四五%から一九六五年の六〇%となる。一九五〇年以来ギャップは縮小しており,今後引続き縮小する。
iv) 鋼……生産量のギャップは過去五年間に縮小したが,生産能力では一九五八年にギャップが最大に達した模様である。なお,ストロース前商務長官によれば,一九六五年の製鋼能力はアメリカの一億七,○○○万~一億八,〇〇〇万トンに対してソ連の九,五〇〇万~一億トンと,ギャップは依然として大きい。
以上のようにアメリカの見るところによると,七カ年計画を実現してもソ連の全体としての工業生産はアメリカのその時の水準の五五%に達するにすぎないし,また重要物資の生産においても,電力では両国のギャップはむしろ拡大し,製鋼能力の差もほとんど変らないというのである。これはソ連の主張と全く対立している。
(2) 経済競争と世界経済
このような両者の見解の対立は,ソ連側がその工業の現水準をアメリカの五三~五五%,アメリカの工業の今後の成長率を二%と見るのに対して,アメリカ側がソ連工業の現水準をアメリカの四〇%とし,今後アメリカの工業が年三%ずつ成長すると前提していることからくるのである。この現状の推計と見透しとはしばらくおき,アメリカの見る最低線をとつても,米ソの経済競争の過程で,ソ連の主張するほどのテンポではないにせよ,両国の国民総生産および工業生産のギャップが縮小することは必至だということになる。さらに共産圏諸国は,さきに述べたように,一つの経済ブロックに統合され,調整された経済計画,さらには共同の長期計画によつて自由圏との経済競争を続けはうとしている。
このような状況のもとで共産圏諸国は将来の世界経済にどのような影響を及ぼすであろうか。それはおよそ三つ考えられる。第一に世界経済に占める共産圏の比重が増大すること,第二に中立国,低開発国との貿易,援助関係が拡大すること,第三に国際市場に進出する可能性が強くなることである。
(a) 世界経済に占める共産圏の比重
まず世界経済に占める共産圏の比重について見よう。さきにも述べたように,ソ連の資料によれば,その全世界の工業生産に占める比重は一九五八年の約三分の一から一九六五年の二分の一余に達するという。また,アメリカの国務省の推定(一九五八年五月)によれば,共産圏諸国の国民総生産はソ連-一,七〇〇億ドル,東欧諸国-六五〇~七〇〇億ドル,中国-四〇〇億ドル,合計二,七五〇~二,八〇〇億ドルで,アメリカの六三%前後に当つているが,これが今後七カ年で六〇%増大するとしても,一九六五年には現在のアメりカの経済規模になるわけである。さらに重要工業の生産から見ても,総論第1-18表に示したように,現在共産圏はアメリカ,ヨーロッバと並んで一つの大きな経済ブロックを形成しており,その将来の地位は軽視しがたいものがある。
(b) 低開発国との貿易,援助関係
東西の経済競争からくる第二の影響は東側の中立国,低開発国に対するものである。そこで,まず低開発地域に対する貿易援助関係の現状から見てゆこう。さきに見たような共産圏の生産の規模に比べて世界貿易に占める比重は比較的小さい。すなわち世界の輸出貿易に占める地位は第4-58表に示すとおりである。
すなわち,輸出全体として見れば,世界の輸出総額の一〇%前後であるが,このうち共産圏内部の取引が七三~七五%を占めているのであつて,自由圏の輸入に占める共産圏諸国からの輸出の比重ははるかに小さい。しかし,共産圏諸国とくにソ連と低開発国との貿易は,いまだ比重は小さいとはいえ,近年取引額が増加してきていることは第4-59表のとおりである。また,前掲第4-58表にも見るように,低開発国向け輸出に占める共産圏の比重は全体としては大きなものではないけれども,一部の諸国では共産圏との輸出入合計額が全貿易額の一〇%を超えている。すなわち,アフガニスタン,ビルマ,エジプト,イラン,アイスランド,シリア,トルコ,ユーゴなどがそれであり,とくにエジプトでは対共産圏貿易の比重が,一九五五年の一五%から一九五六年の二三%,一九五七年の四三%へと上昇している。
共産圏対低開発国の貿易は,ソ連,東欧の場合はもちろん工業国対第一次生産物輸出国との関係にある。一九五七年における輸出総額のうち,設備,工業製品の占める比重はソ連が約二分の一,東欧が八三%であつた。ここで,とくに注目を要するのは,中国の低開発国向け輸出に占める工業製品(綿織物,軽工業品,セメント,化学製品,鉄鋼製品)の比率が一九五三年の一一%から一九五七年の三八%に高まつていることである。今後中国の工業化の進むにともなつて,この工業品輸出が増すことはいうまでもあるまい。
さらに,共産圏の中立国ないし低開発諸国に対する経済関係で重視されなければならないのは,その援助である。
共産圏の援助は,それが始まつた一九五四年にはわずかに一,一〇〇万ドルにすぎなかつたが,一九五八年には一〇億ドルを上回り,同年末までには被援助国一八カ国,援助総額二三億八,四〇〇万ドルに達した。その内容を見ると,総額のうち,軍事援助は約七億八,二〇〇万ドル(被援助国はエジプト,シリア,イラク,イエーメン,インドネシア,アフガニスタン)で,大部分が経済援助であり,ま贈与は中国からの六,一〇〇万ドル(受益国はカンボジア,セイロン,ネパール,エジプト)にすぎず,ほとんどすべでが借款である。
一九五四年から一九五八年末までの援助総額二三億八,四〇〇万ドルを援助国別に見ると,東欧諸国の約六億五,○○○万ドル,中国の約一億二,〇〇〇万ドル(贈与を含む)のほか,大部分がソ連の援助である。しかもソ連の援助は比較的少数の大事業に集中されている。すなわち,アフガニスタン,アルゼンチン,インドネシアへの借款それぞれ一億ドル,インドの製鋼所に対する借款一億三,二〇〇万ドル,その他の一億二,六〇〇万ドル,ユーゴの九,八〇〇万ドル(借款引出額),エジプトの二億七,五〇〇万ドル,シリアの一億六,八〇〇万ドル(推定)などがそれである。また共産圏全体としての援助でもこれらの諸国が総額の八〇%以上を占めている。
共産圏の援助の受益国一八カ国をとつて,共産圏側(一九五四~五八年)にアメリカ(一九四八~五八年)の援助額を比較すると,総論第1-20表に見るとおりである。それによると,上述した共産圏援助の集中されている諸国のうち,中近東諸国とソ連の隣接国アフガニスタンおよびインドネシアでは共産圏の援助額がアメリカのそれを超えている状況にある。
共産圏の対外援助の特徴はアメリカ政府が議会に提出した報告(一九五九年三月)によると,つぎのような諸点にあるとされている。
(イ) 共産圏の援助はおおむね借款であるが,アメリカの援助は大部分が贈与である。被援助国中には贈与より借款を好む国(とくにインドのごとき)がある。
(ロ) 金利は共産圏-二~二・五%,アメリカ-三~六%である。
(ハ) 償還はアメリカの最長四〇年に対し,共産圏の援助は一二年を幀えるものは少ない。
(ニ) 共産圏側の借款協定は一部物資による償還を認めているが,アメリカの場合はドルによる返済を要求している。
(ホ) 共産圏諸国はグレジットが被援助国にとり経済的妥当性を有するかどうかについて関心を有せず,また使途をチェックしないので歓迎されているが,アメリカはそれと反対であるので弾力性に乏しい。
(ヘ) 共産圏のクレジットはおおむね自国物資を供与するが,アメリカ援助はおおむね被援助国が第三国で調達する方式である。これによると,共産圏側の援助がアメリカのそれに比べて,被援助国にとつてかなり有利な点があることは,アメリカ政府も認めているところなのである。
以上に見てきたように,共産圏の中立国,低開発国に対する貿易,援助関係では,ソ連の貿易額が急激に増え,またソ連が主たる援助国となつており,今後の推移もソ連の動きに大きく左右されるであろう。国務省推計(一九五八年五月)によれば,現在ソ連の輸出は国民総生産の約二・五%で,アメリカの国民総生産に対する輸出の比率のほぼ二分の一にすぎない。したがつて,今後ソ連の貿易ないし援助は拡大の可能性ないし余力があるとする。また,アレン・ダレス長官も七カ年計画実施によりソ連の低開発国に対する貿易,援助は拡大の余力があると見る。それによれば, 一九六五年にソ連は一部の基礎物資,工業製品の生産でアメリカに近づくか,ある場合にはアメリカを超えるが,とくに低開発国の工業化に必要な物資についてそういえるからである。このようなソ連の低開発国に対する貿易および援助にとどまらず,全体としての共産圏の「貿易,援助攻勢」は,東西の経済競争の場において今後ますます強化されることは明らかである。事実本年にはいつてからの対外援助の主なるものをあげても,アラブ連合新アスワンダム建設に対する四億ルーブル(一億ドル)の借款供与の正式決定,エチオピアへの借款四億ルーブル,インドヘの新借款一五億ルーブルなどがある。
(c) 国際市場への進出の可能性
東西の経済競争の第三の帰結は,共産圏諸国の国際市場に対する進出である。ソ連の場合をとれば,上述のように国民総生産に対する貿易の比率の拡大による輸出余力があるとすれば,国際市場一般に対する進出も考えられる。ミコヤン副首相も本年初の第二一回党大会で資本主義圏(後進国を含めて)との貿易を七カ年間に二倍にすることが可能だと述べた。すでに近年の中国の東南アジア市場に対する進出は周知のところであるが,ソ連の非鉄金属,石油の市場進出も注目に値する。まず,非鉄金属については第4-60表があげられる。また,石油の対西欧輸出は一九五七年六〇〇万トン,一九五八年八〇〇万トンにのぼり,さらに一九五九年には一,一産技術の向上は国際競争を一段と激化させる模様と見られる。
共産圏諸国の国際市場進出についてはその輸出品の価格競争力が注目される。すでに中国の綿製品やソ連の非鉄金属についてはそれらの低価格が問題になつた。こうした共産圏物資の輸出価格に関しては大きく三つの点が考えられる。第一は共産圏諸国の貿易が国営であること,第二は賃金水準が現在のところ国際的に見て低いこと,第三は計画的な価格形成によりインフレーションに対する抵抗力をもち,労働生産性の向上とともに物価水準が低下することである。
第一に,共産圏の貿易が国営であるということは,,輸出価格の設定に当つて個々の場合には輸出品の生産コストを無視することさえ可能にする。もちろん貿易機関は独立採算企業であるから,国内的には正常な価格で生産企業から購入したとすれば,何らかの形で,たとえばソ連における国家補助金(過去において重工業部門に交付されていたが現在原則として廃止)のような形で赤字の補填が容易になされるかもしれない。こうして個々の場合には出血輸出も可能であろう。しかし,究極的には国際的に見た賃金と労働生産性が輸出価格競争力を決定する。この点では,ソ連のように比較的高度な発展を遂げている国でも,さきにも見たように労働生産性はアメリカに比べて低い。賃金はアメリカ側の推定(ニューヨーク・タイムズ,国際版,一九五九年二月一日号にハリー・シュワルツがアブラム・バーグソンの推定としてあげ,ストロース前商務相も二月一一日の演説で述べた)によれば,本年一月現在アメリカの工業労働者の週平均賃金八七ドル余に対して,ソ連が技術者を含めても約一八ドルにすぎないという。たとえこれほどに差はないとしても,なおかつ賃金の相対的な低位は労働生産性の低さを相殺して,輸出の価格競争力にとつてはプラスの要因となる。さらに第三の価格形成についていえば,共産圏の中央計画経済のもとでは,価格は計画に従属し,計画的な資源配分の手段ないし表示である。したがつて,自由経済体制のもとで経済成長の過程での消費と蓄積の関係が経済の安定を混乱させるのと異なり,計画価格は比較的安定的であり,生産性の上昇にともなつて,引下げることもできるのである。事実,ソ連では一九四九年に戦時からの重工業品の低価格を引上げて後は数回にわたり卸売価格の引下げが行われた。このようにして,共産圏の国際市場進出の可能性は,輸出価格競争力の点からも軽視することはできないのである。
(3) ソ連圏と日本
東西の競争的共存という国際環境のうちにあつて,当面わが国は共産圏との貿易関係において二つの途に立つている。一つは拡大に向つている日ソ貿易であり,他の一つは断絶状態にある日中貿易である。対ソ貿易は昨年の拡大基調に続いて,本年も第二次通商協定の往復七,〇〇〇万ドルを上回ろうとする勢を示している。ソ連側は,七カ年計画の実施とも関連して,積極的な態度に出ており,各種の使節団や視察団をわが国に派遣してきている。わが国内でも今後の日ソ貿易を安定的なものとするため,長期協定を締結する必要を感ずるほどに貿易関係を確立する機が熟してきたようである。これは,日中貿易の断絶ときわめて対照的である。では,同じ共産主義国との貿易で一方は拡大,他方は断絶という差がどこから生じてきたのであろう。いうまでもなく,両国と日本との外交関係の違いからきているのである。このことはわれわれにつぎのような平凡な,しかし重要な事実を教える。それは,共産主義国家とわが国の貿易関係を阻害するものは社会,政治体制やイデオロギーの違いではなくして,国家と国家との関係いかんにあるということである。
ソ連も先進工業国との関係では機械設備を輸入し,原料,半成品を輸出する。中国は工業化の途上にあつて,この関係はさらに顕著である。しかも両国の経済成長率は高い。さらにソ連の東部地域開発は西シベリアから東シベリア,極東へと東漸しつつあり,中ソ両国の市場は地理的にも日本に近い。このような条件を数え上げると,少くとも純経済的には,共産圏の日本に対する輸入需要は拡大の可能性がある。
より長期的に共産圏と日本との関係を見る場合,忘れてはならないのは,東西の競争的共存という現在の国際環境である。東西の平和的経済競争において,世界経済に占める共産圏の相対的な地位の高まることは必至である。極東では,中国の工業化の進展,ソ連の東シベリア,極東開発,アムール川共同開発に見られるような中ソの合作,北鮮の対日競争とこの国に対する中ソの援助など,共産圏は一体となつて経済開発に努力を傾注している。このような状況のもとで日本としては,これらと競争するという意味ではなくとも,かれらの経済成長率が高いこと,また国際市場へも進出する可能性のあることを意識のうちに留めておく必要がある。
現在の国際環境は競争の面とともに共存の面をもつている。東西の関係が,将来もより困難な問題に直面することはあつても,大勢としては共存と緊張の緩和へ進むであろうことはほぼ間違いない。そうとすれば,経済的にも共存と東西貿易の拡大が基調となつてゆくことを意味する。現在共産圏は欧州共同市場など世界経済の地域化傾向よりはるかに強い統合化によつて経済ブロックを形成している。だが,これは本来アウタルキーを目指したものではない。
少くとも共存が続くかぎり,完全なアウタルキーなどはありえないし,かつてのソ連の「一国社会主義」の時代のような国際関係の緊張に備えた異常な事態は生じないであろう。競争的共存の時代に,もしこのような政策をとるとすれば,それは共産圏自身にとつて経済的,技術的に大きなマイナス以外のなにものでもない。共産圏は現在では海外の「先進技術」を導入することをためらつてはいないのである。
こうした東西の共存と貿易の拡大は,新しい国際経済関係を生み出すかもしれない。共産圏諸国は,すでに各国の長期計画を総合調整し,さらに進んで共同の長期計画を作成することによつて,圏内に国際分業の体制を計画的に確立しつつある。そこでは,かつての各国の平行的,画一的な工業化政策は放棄され,国際分業の経済的合理性が認められたのである。もしこの傾向がさらに圏外にまで発展して,共産圏諸国と自由圏諸国,あるいは共産圏ブロックと自由圏ブロック,さらに大別して,工業化の進みつつある共産圏,自由圏の先進工業国,開発努力を続ける低開発地域の間に安定した国際分業体制が形成されるならば,それは競争的共存の時代における新しい世界経済の理想像ともいえよう。