昭和34年

年次世界経済報告

世界経済の現勢

昭和三四年九月

経済企画庁


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第二部 各  論

第四章 ソ連の七カ年計画開始と東西の経済競争

第三節 ソ連圏の統合化と東西貿易

(一) ソ連圏経済統合化の進展

(1) 経済相互援助会議(コメコン)の活動状況

以上に見たように,ソ連の七カ年計画では過去に比べて成長率が鈍化することになつており,しかもその達成には多かれ少なかれ,困難な問題を含みながらも,なお先進工業国より高いテンポの経済成長が予定され,そして一九七〇年までに国民一人当りの工業生産でアメリカに追いつくものとされている。また中国も一九五七年末に,一五カ年後に鋼塊,石炭,電力,セメント等の生産総量においてその時のイギリスの生産総量に追いつくと発表し,さらに,一九五八年には増産努力を強化して,石炭などではすでにイギリスに追いつき,その他の物資でも目標達成に一五年を要しなくなつたと主張している。その他東欧諸国も西欧諸国を,北鮮は日本をそれぞれ競争相手と定めて経済競争を挑んできている。

この経済競争の場において東欧ソ連圏諸国はもちろん,アジアの共産諸国を含めた全共産圏は,本年一月に創設一〇周年を迎えた経済相互援助会議(略称セフ,(略称コメコンCOMECONまたばCVIEA)を通じて経済の統合化を進めている。経済相互援助会議は共産圏諸国の経済協力機構(ただし超国家的機構ではなく協議,勧告機関)であつて,ソ連および東ドイツ,チェコ,ポーランド,ハンガリー,ルーマニア,ブルガリア,アルバニア等の東欧諸国が正式加盟国となつており,中国などアジア共産諸国は一九五六年以降オブザーヴァーを派遣している。

もともとコメコンは西欧のOEECに対抗するものと見られていた。しかし目立つた活動は行われていなかつた。

ところが一九五六年の五月のベルリン会議でソ連東欧圏の統合化をはつきり打出して以来,その動きが活発になつてきた。これは,東欧の政治経済の不安定の基礎であつた各国並行の画一的な工業化政策を修正し,原料,燃料の不足を解消する必要に迫られたためであり,さらには西欧の共同市場結成という広域経済圏設立の動きに刺激されて一そう拍車がかけられたとも見られる。このようにして,コメコンを中心として一九五六~六〇年における各国の長期計画の調整,重要産業とくに機械工業における国際分業体制の確立が進められたし,一九六〇~七五年の共同一五カ年計画作成の準備も行われている。またコメコン機構内に前述の一九五六年の第七回総会で常設委員会が設置された。

それは各国江長期計画に関する問題を解決し,進んだ科学技術や生産の経験の交換をより十分に行うためのものである。この常設委員会はとくに一九五七年六月の第八回総会以来活発に活動してきており,各種産業部門および専門分野に応じてその数は二一に及んでいる。

一九五八年にはいつてコメコンの活動はさらに活発化した。それは,ソ連における七カ年計画の計成,準備と時を同じくしている。このことは,東西の経済競争を日程にあげた七カ年計画を中心として東欧その他共産圏がますます強く統合化されようとしていることを示すものであろう。そこで,一九五八年以降のコメコン関係国の主なる諸会議をあげると,つぎのものがある。

(a) コメコン加盟国の党代表会議(一九五八年五月,モスクワ)

コメコン加盟各国およびアジア共産諸国の党首脳者が集り,社会主義諸国の経済協力,生産の協同化と専門化を一そう発展させる問題や加盟諸国の長期経済計画を一致させる問題に関する勧告,を作成し採択した。

この会議は通常のコメコンの会議と異なり,個々の具体的問題を決定したというよりも,東欧広域経済圏を確立し,それにもとづく社会主義的国際分業を促進するという方針を確認したものである。だが一部の問題については,かなり具体的な討議がなされた模様である。すなわち,原料生産諸部門とエネルギー部門をあらゆる方法で発展させ,最新技術を導入する必要があることが認められた。また機械工業の協同化と専門化を推進して,より改良された大量生産方式に移行し,コストを引下げることを可能にする必要があるという点にとくに注意が払われたといわれる。

(b) 第九回総会(一九五八年六月,ブカレスト)

この会議では前述の党代表者会議で採択された勧告にもとづいて,経済協力を発展させる実際措置が検討された。

さらに原料とエネルギー部門を極力発展させる問題が取上げられ,また各国間の生産の専門化と協同化を促進すること,科学技術上の協力を一そう発展させることが審議された。

なお,計画作成の問題を取扱う経済委員会その他建設,運輸,科学協力の四つの常設委員会を設置することが決定された。

(c) 第一〇回総会(一九五八年一二月,プラハ)

この会議では化学工業部門において,とくにプラスチックス,合成繊維,人造ゴム,肥料の生産の専門化と協同化(関係国はソ連,中国,チェコ,ポーランド,東ドイツ,ハンガリー,ルーマニア)の問題が検討され,また各種鋼材および鋼管の生産の専門化と協同化(関係国はソ連,中国,東ドイツ,チェコ,ポーランド)の問題も審議された。

さらにソ連から,ハンガリ―,東ドイツ,ポーランド,チェコに至る原油輸送のための油送管を敷設することが決議された。この会議後本年五月に発表された案によると,油送管はヴォルガ沿岸を起点とし,ヨーロッパ・ロシアを貫通して白ロシアで南北二つに分れ,北の線はポーランド,東ドイツ,南の線はハンガリー,チェコに向うことになり,総延長は三,八〇〇キロメートルに及ぶ。油送管敷設工事はここ二,三年中に着手され,それにはソ運の技術援助のもとに関係各国が参加し,完成のあかつきにはこの油送管だけで各国の石油需要は十分に賄われるという。

なお本会議では軽工業,食品工業の分野における協力のための常設委員会が設置された。

(d) 第一一回総会(一九五九年五月,チラナ)

一部加盟国における多年のコークス用石炭の不足を解消するためにはソ連からの大量調達をはかる一方,東欧自体で増産を達成する必要があるとされている。この会議ではコークス用石炭の優先的増産(東欧の採掘量は一九六五年までに石炭全般が二一%増すのに対してコークス用炭は五三・五%増産)が審議された。さらに鉄鋼増産と鉄鋼原料の確保の問題も検討されている。東欧諸国の鉄鋼増産は全体として一九五九年に比べて一九六五年には銑鉄が八〇%,粗鋼と鋼板が七〇%,鋼管が九〇%となつており,ソ連からの鉄鉱石の供給が二倍に増すことによつてこの増産は保障される。またこの場合,技術水準の引上げ,高性能の圧延機の製作,生産の専門化と各種の鋼材の加盟国相互間での交換などが考慮されているという。非鉄金属についても東欧諸国自体の増産努力が払われると同時に,ソ連からの供給を大幅に増加させることが予定されていると発表された。

この会議でとくに注目されることは,会議加盟国の動力網を統合して,一部の東欧諸国の電力不足を解消するため相互送電を行うという提案が審議されたことである。それによると一九五九年から一九六四年までの間に共同送電線を架設して東ドイツ,ポーランド,チェコの相互間,ルーマニアとチェコの間,ハンガリーとソ連の西ウクライナの間,ポーランドとソ連のカリーニングラード地方を結びつけるということである。そのほか,ブルガリアとルーマニアの間に送電線を架設することが研究されており,また,ルーマニアとチェコとの共同でルーマニアに火力発電所を建設する予定になつている。

機械工業の生産の専門化については,この会議で化学工業用設備,鉱山用設備,圧延機,ベアリング製造用機械,採油設備,積込設備の専門化に関する常設委員会の勧告が承認され,一部の機械設備の製作について加盟諸国の間の生産の分担をきめる決議が採択された。

なお,会議のコミュニケによると,コメコンの勧告にしたがつて加盟国間に一九六五年までの主要物資の相互供給に関する双務的交渉が行われた。この相互供給による取引額は一九六五年には一九五八年に比べて七〇%増加する予定だといわれる。

(2) 経済協力と統合化の進展

以上に見た一九五八年から一九五九年半ばにかけてのコメコン関係の主要な会議の模様によつても,ソ連と東欧,さらに広くはアジアを含めた全共産圏がますます経済統合化の傾向を強め,大きな経済ブロックを形成しようとしていることがわかる。それは前述のように,各国を結ぶ油送管や共同送電線の建設とかドナウ川水力の共同利用とかに示されるような段階に達しているのである。

このような統合化は各国間の経済協力という形態で進められて,またその各国間の経済関係は「社会主義的な国際分業」の体制であるといわれる。

この経済協力と国際分業の体制は,さきにも述べたように,工業化の当初の段階,すなわちほぼ一九五六年以前には各国がほぼ平行的に工業化を進め,それを長期協定による貿易を通じて結びつけるという形をとつていた。それは,あらゆる産業部門を含めた総花式な,画一的な重工業優先の工業化のきらいがあつた。そこには当然各国,とくに経済的に弱い諸国の内部に緊張やアンバランスを生じ,原料の不足,消費財生産や農業生産の立遅れという事態が現われた。これに対処したのが各国の自然的経済的諸条件や生産上の経験,要員の備わつている部門を発展させるという,いわば高次の国際分業体制であつた。この政策転換は,中央集権的計画経済体制をとるソ連,東欧諸国をはじめ,共産圏諸国では,当然各国の計画,とくに投資計画の調整という形態をとることになつた。そしてその結果は各国間における生態の「専門化と協同化」として結実しつつある。

現在計画調整の面では,各国がソ連の七カ年計画と歩調を合わせて五~七カ年計画を遂行しており,さらに一九六一年から一九七五年に至る一五カ年の長期共同計画立案の準備も進められている。また生産の専門化では機械工業がもつとも進んでおり,今後はプラスチックス,合成繊維,合成ゴム,肥料などの化学工業や軽工業,食品工業の分野にまで及ぼされるという。

(a) 共産圏内貿易

このような生産の専門化は社会主義的国際分業の最高の形態であるとされている。だが,究極的にはそれも流通面たる貿易に反映してくる。そこで,一九五八年におけるソ連および東欧の貿易から見てゆこう。まずそのその貿易(輸出入)総額は第4-22表のとおりである。

一九五八年にはソ連,東欧の貿易総額ば前年に比べてその伸び率がかなり落ちた。これは主として総額の半ばを超えるソ連と東ドイツの貿易の伸び率が著しく低下したことによる。一九五七年にソ連の貿易が大幅に増大したのは,一部の共産圏諸国に対する借款供与を増したためであり,一つにはスエズ問題に関連して西欧への石油輸出など,圏外との貿易が拡大したためであつて,一時的な要因によるところが大きかつた。東欧諸国の場合には貿易の伸び率の低下した主因は,一九五七年に輸入の増加によつて悪化した国際収支を改善するため輸入を制限する必要に迫られたことにあつた。

つぎに貿易の地域別構成を見よう。第4-23表にによると,上掲の諸国の貿易の地域別構成は全体として一九五七年から一九五八年にかけてほとんど変化しなかつた。ただボーランドでは対ソ連貿易の減少と対自由圏貿易の増加によつて地域別構成が目立つて変化した。

この変化はチェコの対自由圏貿易の絶対的減少と東ドイツの同じく比重の低下に相殺されて,全体としてのソ連東欧圏の貿易はほぼ前年と同じ構成を示したのである。

一九五八年にソ連とくに東欧(チェコ,東ドイツ,ハンガリー,ポーランド)の対中国貿易は前年に比べて著増した。他方一部西欧諸国の対中国貿易も二倍以上に伸び,中国の貿易総額に占める比率も目立つて高くなつている。

さらにソ連の全貿易の地域別構成および圏内貿易の国別構成をあげておこう(第4-24表,第4-25表参照)。

ソ連の貿易の地域別構成は,一九五七年に自由圏の比重がかなり大きくなつたあとをうけて,ほとんど変化しなかつた。しかし輸出入別に見ると,共産圏については一九五八年に東欧の食糧需給が緩和されてソ連からの穀物輸出が減少したことを主因として輸出が減少し,その反面清算協定による商品の相互供給が拡大したためソ連の輸入が増加した。また自由圏との関係では輸出が数量で二〇%とかなり伸びたのに対して,輸入は一九五七年の大幅な増大のあとを受けて金額ではわずかに減少した。なお,ソ連の圏内貿易では,東ドイツが一九五七年に中国を追越して首位を占めた後一九五八年にもその地位を保ち,以下中国,チェコ,ポーランドその他の東欧諸国が続いている。

東欧の貿易の地域別構成は,一九五八年から一九五九年にかけてほとんど変化しなかつたとはいえ,少しく長期的に見ると,おおむね圏内取引の比重が低下する傾向がうかがわれる(第4-26表参照)。もちろん,以上のような圏内取引の比重の低下傾向は,圏内取引の総対額の減少を意味するものではない。このことは,東欧諸国の貿易総額の伸び方からも明らかなところである(第4-27表参照)。

総じて,共産圏諸国の貿易総額は一九五八年には一九五〇年の二・五倍(ソ連は二・六倍)となり,約一,〇〇〇億ルーブルに達したといわれる(ソ連誌「外国貿易」一九五九年第三号)。この増加のうち大部分が圏内取引であることはいうまでもあるまい。

こめ圏内取引の商品別構成は,主要国のそれからほぼ明らかにすることができる。ここではソ連および一部東欧諸国の商品類別構成をあげておこう。

第4-28表および第4-29表によれば,ソ連とチェコとは工業国相互間の関係にある。東ドイツは表示されていないが,もちろん両国に優るとも劣らぬ工業国である。それらに続いてハンガリーが機械,設備の輸出比率を高めており,ポーランドもその傾向を強めている。このことから見て,共産圏内,とくにソ連,東欧の共産圏内貿易は工業国対一次生産物輸出国の関係から工業国相互間の関係に移つてきていることがわかる。そして東欧各国の工業化の進展とともに,この趨勢は将来さらに目立つてくるであろうことはいうまでもない。

前掲4-23表にも見られるように,ソ連,東欧の圏内取引総額のうち,その約半ばに当るのはソ連である。東ドイツ,チェコもかなりの比重をもち,とくに高度工業国たるこれらの国々の機械,設備輸出は圏内貿易において重要な位置を占めている。しかし東欧諸国における重要物資とくに基礎原料の輸入におけるソ連からの輸入の重要度は圧倒的なものがある(第4-30表参照)。

なお,ソ連の貿易は圏外を含めた全体として世界貿易でかなり地位を占めている。すなわち,一九五七年には貿易総額ではアメリカ,イギリス,西ドイツ,フランス,カナダについで第六位,輸出については産業設備でアメリカ,イギリス,西ドイツ,東ドイツについで第五位,鉄鉱石ではカナダ,スエーデン,フランスについで第四位,合成ゴムでは第四位,燐灰石では第三位,また設備の輸入ではカナダについで第二位等々であるといわれる(「新時代」一九五九年第三号)。これによつても,共産圏内部の貿易におけるソ連の地位を推測することができる。

このような共産圏内貿易に占めるソ連の地位は従来不変であり,多少の向上すら示してきた。一九五八年における共産圏内貿易額は一九五〇年に比べて二・五倍となつたのに対して,ソ連の対圏内貿易額は二・六倍と,多少それを上回る増加を示した。ところが来るべき七年間には,もちろん圏内貿易総額は,共産圏統合化の急速に行われた過去七カ年ほどのテンポで増大しないし,ソ連の比重も若干低下する。

さきに述べたコメコン第一一回総会のコミュニケも明らかにしているように,コメコン加盟国間の相互取引は一九五八年から一九六五年までに七〇%増加するのに対して,ソ連の圏内貿易は五〇%余しか拡大しない(七カ年計画に関するテーゼ)。このようにしてソ連の比重が小さくなるのは,圏内の比較的経済的に遅れた国の工業化が進み,また圏内国際分業体制が確立されるにともなつてソ連以外の諸国間の経済交流が増すことによるのであろう。とはいえ,前述のようにソ連から東欧諸国への基礎原料の供給が大量に行われ,一九五八年中にソ連は東欧諸国の大部分と交渉して一九五九~六五年の協定に調印して将来にわたる基礎原料の供給を約束している。すなわち,チェコ,東ドイツ,ポーランドの長期計画には,ソ連から大量の石油の供給をうけて化学工業を発展させることが予定されており,その供給量は一九六五年にはチェコ向けが五二五万トン余,東ドイツ向けが四八〇万トン(一九五七年の四・五倍強)になるといわれる。そのほかチェコに対する鉄鉱石の供給が一九五八年の三六〇万-ンから一九六五年の一,〇一〇万トンに増加し,東ドイツに対しては銑鉄が四倍,鋼材が二・五倍と大幅な供給の増加が予定されている。

このように東欧諸国がソ連からの物資の供給に依存している反面では,ソ連も機械設備,金属鉱石,消費物資など東欧からの輸入に仰いでいる。そのうちでもつとも注目に値するのは機械設備である。ソ連は第4-31表に示すように,現在機械設備の純輸入国であつて,しかもその輸入の七九~八〇%を東欧諸国,とくに東ドイツ,チェコに仰いでいるのである。

このような傾向は共産圏内の国際分業によつて生産の専門化が進むにつれて“強くなる。さらに,東欧圏内の農業諸国の工業化が進行するとともに,圏内諸国の関係は,工業国群対農業国群の関係から工業国相互間の関係となり,それに応じて,ソ連の地位も変化してゆくであろう。

(b) 圏内の国際分業体制

この場合,とくに注目に値するものは,現在国際分業,「生産の専門化と協同化」の進んでいる機械工業である。

現在までに全体としてのコメコン加盟国の機械工業は優先的な発展をとげ,一部の機械設備の増産テンポは速い。

たとえば一九五〇~五七年の生産の増大は工作機械1二倍,タービン-二・三倍,変圧器-二・四倍,ディーゼル機関車-三・四倍,電気機関車-三倍,トラック-一・三倍等々であつた。

またコメコン諸国の機械設備の生産の世界の生産に占める比重も高まつており,一九五七年のそれのうち著しいものはトラクタ-一九%,穀物コンバイン-六八%,貨車-二二%,工作機械-二七%,電気機関車-四〇%,トラック-一六%であるといわれる。その反面,電機機器,化学工業設備,ベアリング,船舶用大型ディーゼルなどの生産は後れており,需要の増大に追いつけない状態にある。

このように,コメコン諸国の機械工業は量的な発展を遂げたばかりでなく,質的にも多角的な生産構造をとるに至つている。しかもそれが圏内国際分業の体制をとつてコメコン諸国間に専門化されている。いまソ連の機械生産はもつとも多角的なものであるから(ただしグループ別に見ると,さきに見たように大部分が純輸入で,鉱山設備,自動車,トラクター,農業機械などが純輸出),これを除いた東ドイツ,チェコはじめ,各国の専門分野をあげるとつぎのようになつている(「経済の諸問題」一九五九年第一号による,)。

東ドイツ一動力,治金,電気,運搬の各設備,工作機械,自動車,トラクター,農業機械,船舶,ディーゼル,工具,精密機械,光学機械チェコ-工作機械,鍛造プレス設備,圧延設備,動力設備,ディーゼル,製糖工場設備,軽工業用設備ハンガリー-ディーゼル,運搬用機械,農業機械,工具,弱電機器ポーランド一船舶,運送機器,自動車,トラクター,農業機械,一部の工業用設備ブルガリア一農業機械,電気機具,運搬用機器,船舶ルーマニア一採油および石油精製設備,運搬用機器,トラクター,農業機械以上のように,機械生産が専門化されてくるとともに,各国の機械輸出も増加した。一九五〇年~五七年における機械設備の輸出増加はブルガリア一三倍,ハンガリー一一・九倍,ソ連1二・六倍,チェコ一三・一倍となつている。

それと同時に各国の輸出入に占める機械設備の比重も第4-32表のような興味深い変化を示している。すなわち,機械輸出の比重は,ソ連の場合を除いて全般に高くなつているのに対して,機械輸入の比重はさらに複雑に動いている。ソ連,東ドイツ,チェコなどの高度工業国ではそれが高くなり,ブルガリア,ハンガリー,ポーランド,ルーマニアなどの中位工業国では機械輸入の比重が低くなつており,アルバニアはその比重が高まつている。このことは,中位工業国で国内機械工業が発展するにつれて,次第に国内需要が充足されるようになつたこと,および機械工業の専門化によつて高度工業国のみならず,高度工業国と中位工業国の間でも機械設備の輸出入が増したことを物語る。

しかし,機械生産の専門化と協同化の現状はまだ不十分で各国の生産する機械の品種は極端に多く,また同一型の生産が平行的に行われてもいる。そのため,ソ連を除く東欧全体の生産のうちで各国間に供給しあうものの割合はきわめて小さい。たとえば一九五七年には工作機械の製作総台数七万台のうち三,四一二台で五%,同じく鍛造プレス設備二四,〇〇〇台のうちわずかに六六二台で二・七%,トラクター三九,〇〇〇台のうち五,三八〇台に過ぎなかつたといわれる。

このように生産の専門化が後れているのは,東ドイツやポーランドでは一つには設備と熟練労働力が不足していることや両国が海外の既発注を履行するため生産を停止することを好まないことによると伝えられる。

このような現状は当然打破され,国際分業は推進されなければならないとされている。これをソ連とチェコ,東ドイツとの関係で見ると一九六五年には一九五九年に比べてソ連からチェコへの石炭コンバイン,ボーリング・マシン,金属加工および鍛圧設備の輸出が増え,東ドイツ向けにはある種の工作機械,強カディーゼル機関車その他の設備の供給が増える予定になつている。その反面,同じ期間に東ドイツからソ連への供給が増すものとしては,化学工業プラント―約三倍,冷蔵列車ー二倍,圧延設備1一・八倍,計算機ー四・三倍などがあげられ,またチェコからは機械設備全体として三・五倍余,そのうち電気機関車ー二・五倍,化学工業用設備ー三倍余の供給増加が予定されている。

(c) ソ連の共産圏諸国援助

以上に見てきたような圏内貿易の伸張を国際金融の面で支えたものは,一九五七年にコメコン加盟国の間で結ばれた多角清算協定であつた。この決定は各国間の物資交流の範囲を拡大するのに与つて力があつた。しかし,圏内の物資交流を促進する大きな要因はソ連の援助である。

ソ連の資料(「外国貿易」一九五八年第一一号)によると,ソ連の共産圏諸国に与えた借款は二八〇億ルーブル(公定換算率で七〇億ドル,条件は大部分は償還期限一二年,年利二%)を超えている。またソ連の援助による工業企業その他の建設の件数は約五〇〇件でその内には治金コンビナート-四五,化学-三五,石油精製-五,機械製作-六〇余,電気機器-約七〇が含まれており,国別では中国1二一一,ボーランドー七二,ルーマニア-六五,ブルガリア-三三,その他一〇〇となつている。なお,中国との間には本年二月さらに一九五九年から一九七五年までの間に七八の企業の建設を援助する協定が結ばれ,また三月には北鮮との間に火力発電所,化学繊維工場の建設その他の技術援助に関する協定が調印された。

(d) 統合化の問題点

このような援助によつて共産圏内の後進国は漸次工業化の路を歩んできた。その結果東欧についていえば,東ドイツ,チェコなどの先進国とブルガリア,ルーマニアなどの後進国との工業生産のギャップは戦前に比べればたしかに縮少した。しかし両者の懸隔は依然として大きい。すなわち第4-33表にみるとおりである。

ここで圏内の国際分業という考え方は一つの問題を提起している。それは東欧内の後進国の一そう急速な工業化が国際分業の名のもとに阻止されることはないかということである。だが,現在の共産圏における国際分業は工業国対第一次生産国という関係を目標としたものではなく,工業国ないし工業化されつつある諸国間の関係である。もちろん,理念的にはそうであつたとしても,純粋に経済的合理性のみを追求するかぎり先進国は後進国をそのままの位置に残しておくことを有利とするかも知れない。その意味では両者の間に矛盾がありうるのである。この点からみて,ソ連が共産圏諸国は「同時に共産主義に移行する」と謳つて,圏内の先進国と後進国のギャップが窮極的には解消されることを示唆しようとしているのは興味深い。もしそこでいわれているように,圏内諸国間の経済発展の水準が平衡化されるならば,それは各国の経済を統合した場合の国際経済関係の新しい型を意味するものとなろう。

(3) 東欧諸国の長期計画

東欧諸国は以上に述べてきたような経済の統合を実現しながら,さらに長期計画を総合調整し,進んで共同の長期計画を作成しようとしている。

一部の東欧諸国は,ソ連の七カ年計画作成に対応して自国の計画を修正して,ソ連の新長期計画と期間を一致させた。ポーランドとチェコでは一九五六~六〇年の残りの年次が一九五九~六五年の七カ年計画に統合された。ブルガリアの五カ年計画(一九五八~六二年)は一九五九年初に大幅に目標が引上げられるとともに,計画の期限が一九六五年まで延長された。ハンガリーでは一九五六年の動乱後,一九五六~六〇年の五カ年計画を廃棄して一九五八年から三カ年計画に切換えた。ルーマニアと東ドイツはまだ新長期計画を発表していないけれども,東ドイツは少数の品目の一九六五年目標を設定した。

(a) 工業生産

まず,東欧各国の現在の長期計画における工業生産を過去の実績と比較してみると,第4-34表のようになる。

各国の長期計画では過去の同じ期間とほぼ同様に生産財生産優先であるとはいえ,工業全体としては,ブルガリアを除いてすべて成長率が低下している。ブルガリアでは中国の経験に刺激されて一九五九年初に工業の増産テンポを大幅に引上げたのである。

一般に東欧の現長期計画で工業の成長率が低下するのは,国によつて若干異つた要因にもとづいている。

東ドイツとチェコではソ連の場合と同様工業労働力の供給の増加率を従来どおり維持することが困難となつたことによるのであり,また両国とポーランドでは原料の輸入が増加したために国際収支が悪化してきていることが重要な要因となつている。もう一つ一般的にいえることは,採取産業への投資に重点がおかれているため,これらの部門には事業の完成が長期にわたり,資本係数も高いため,全工業の成長率は低下することにるのである。

重点工業門については第4-35表に見るように,ソ連の七カ年計画との共通点を見出すことができる。すなわち東ドイツ,ポーランドの場合を除いて,電力の生産ば全工業の成長率を上回り,化学工業,機械工業の増産率は概して高くなつている。

なお,これに関連して,前述した油送管の建設によりソ連の石油を東欧諸国へ供給して石油化学工業を振興する予定であること,共同送電線によつてソ連,東欧各国間に電力の相互供給が行われることが想起される。

なお,一九六五年における東欧諸国合計の基礎物資の生産高は,第4-36表のように推計されている。すなわちこれによつても,さきに見たソ連の場合と同様,石炭の増産率に比べて電力や粗鋼の増産率がはるかに高いことを合わせ考えると東欧においても今後産業構造の改変が急速に進むことを示しているといえよう。

(b) 農業生産

工業生産の長期計画における増産率が一般に先行期間のそれより低くなつているのに対して,農業生産の成長率は東ドイツとハンガリーを除くと先行期間と同率かあるいはそれを上回つている。したがつて工業対農業の成長率のひらきは先行期間より縮小することになる。チェコとブルガリアではソ連と同様農業生産の計画成長率は先行期間よりかなり高くなつている。しかし,ソ連の場合と同じく東欧諸国でも現計画の目標は前回の長期計画の未達成に終つた農業生産目標を下回つているものが多いのである。ブルガリアでは工業同様,農業でも中国の増産に影響されて大幅に計画を拡大した(第4-37表参照)。

いずれにせよ,農業生産の長期計画には工業の場合のように東欧諸国一般に共通する点が少い。これは,農業生産が自然的歴史的条件に左右されることが大きいばかりでなく,工業の場合より各国の制度上の相違が著しいからである。すなわち,農業集団化はブルガリア(アジアでは中国,北鮮)ではすでにほぼ完了し,他の東欧諸国の耕地に占める社会化セクターの比率はチェコ,アルバニア約七五%,ルーマニア六〇%余,東ドイツ,ハンガリー約五〇%となつており,ポーランドでは生産の協同化はまだ初期の段階にあつて各種の農民組合の組織が優位を占めている状況にある。このような相違が農業生産計画の目標の多様性にも反映しているのである。

(c) 国民所得

国民所得の増加率は,工業生産と同様ブルガリアを除いて,先行の期間に比べて低下している。これは過去におけると同じく,工業生産が国民所得の増加に寄与する主なる要因となつているからである。国民所得と消費の動きは第4-38表に示すとおりである。それによると,現在の長期計画では,ルーマニアの場合を除いて,すべて消費の伸びは国民所得の成長率より低い(ただし,ルーマニアは小売を指標とするから消費を正しくは反映していない)。先行期間に消費が国民所得より急速に伸びた国でもそうである。このことは,さきにソ連について述べたのと同様,国民所得の配分に占める消費の比率が低下することを意味する。逆にいえば,それだけ投資の比率が高まることになるのである。そこで,投資を見ると,各国の長期計画における粗固定投資とその配分は第4-39表のとおりである。

粗固定投資は長期計画では先行期間に比べ,ハンガリーを除く東欧各国でかなり大きくなつている。また各部門別の配分を見ると,工業への配分率が先行期間より低くなるのはルーマニア,東ドイツ,ポーランドであり,それが高まるのはブルガリア,ハンガリ―である。また農業への配分率を高めるのは東ドイツとルーマニアとなつている。とくに投資配分に著しい変化を見せているのはポーランドで,工業,運輸,商業への配分率が低下するのに対して住宅建設への配分率が大幅に高まつている。これはポーランド独自の注目すべき動きを示すものといえよう。

以上,現行の東欧各国の長期計画を見てきた。この長期計画のほかに,さらに一九六〇年には一五年にわたる共同の長欺展望計画がソ連,東欧各国によつて作成されることになつている。すでに,ソ連は一九五七年に一五年後の重要工業品の生産目標を発表しており,七カ年計画も一五カ月の展望計画の一部であるといわれている。またポーランドも一九六一~六五年の計画に関連して一五カ年計画を作成,ルーマニアでも一五ケ年後の生産プログラムの草案が作成されている。コメコン諸国の共同一五カ年計画はこれらの展望計画が生れるならばそれは共産圏経済の統合において一つの段階を劃するものとなろう。

(二) 東西貿易

(1) 共産圏諸国対自由圏諸国の貿易

共産圏は全体としてコメコンをその機関として経済的に統合され,一つの大きなブロックを形成している。しかしそれは圏外と全く隔絶されアウタルキーをなすものではなく,平和共存あるいは競争的共存が続くかぎり,二つの圏内の諸国の間に経済的交流が行われることはいうまでもない。そして,そこには国家対国家の勢力関係からくる困難があるにもかかわらず,大勢としては近年その経済的交流は大きくなつてきつつある。

(a) 一九五八年の東西貿易

一九五八年には世界貿易全体が前年に比べて縮小したのに対して東西貿易は若干拡大した。これは共産圏の輸入が一〇%余増加したためで,共産圏の輸出はわずかながら減少した。その結果,共産圏の出超額は前年より小幅となつた。全体としての東西貿易の拡大率は四・七%で一九五六年から一九五七年へかけての伸び率一五・三%よりもはるかに小さかつた。こうした一般的な伸び率の低下のうちにあつて自由圏各地域と共産圏の貿易は区々の動きを示した。まず,主要地域別に東西貿易を見ると第4-40表のようになる。いま,それを国連の「一九五八年世界経済報告」にしたがつて概観しよう。

共産圏の北アメリカとの貿易は,共産圏の輸入が六〇%増したために,かなり増加を示した。その輸入増加率が著しく高かつたのは中国とソ連で,,増加の絶対額では東欧が大きかつた。その結果,共産圏の入超額は著しく増した。

共産圏の中近東との貿易は絶対額においてさらに目立つた増加を示した。一九五七年の場合と異り,中近東との貿易の拡大は,主として東欧からの輸出が増したためであつて,輸入は多少減少した。これによつて共産圏の対中東貿易は一九五六年および一九五七年の輸入超過に対し,一九五八年には輸出超過に転じた。

そのほか,一九五八年に共産圏との貿易が著増したのはユーコとアジア極東全域(第4-40表の地域区分と異る)である。ソ連共産圏とユーゴの貿易が拡大したのは東欧諸国の対ユーゴ輸出が二倍近く増したためであつて,ソ連と中国の輸出はむしろ減少した。アジア極東の場合は逆で,共産圏の輸入がその輸出より大幅に増し,,輸出超過額は多少減少した。共産圏の対アジア極東貿易の拡大は主として中国の貿易が増したからで,ソ連の対アジア貿易の伸びははるかに小さく,東欧のそれは減少した。

共産圏の西欧との貿易の伸びは以上の地域との貿易の場合よりはるかに小さかつた。前年に比べると,共産圏の輸入は輸出よりはるかに伸びて,一九五七年の出超は一九五八年の入超に転じた。

共産圏の対西欧貿易のうちで著しい拡大を示したのは中国であつて,ソ連の対西欧貿易が四%,東欧のそれがわずか三%の増加に止つたのに対して,中国の対西欧貿易は輸入が九五%,輸出が三五%の激増を示したために,全体で七七%余も拡大した。

対共産圏貿易が貿易額中に約三〇%という大きな割合を占めているフインランドでは,一九五八年に前年に比べてその対共産圏貿易が減少した。すなわち,共産圏のフィンランドからの輸入が二〇%,同じくフインランドへの輸出が三二%も縮少し,結局一九五七年の出超から入超に転じた。そのほか,共産圏のラテン・アメリカとの貿易額は二五%近く増大し,入超額はかなり減少した。一九五七年に著増したオセアニア,アメリカとの貿易は,それぞれ一五%および三〇%の減少となつた。それは一九五七年には輸入が激増したのに対して,一九五八年にはそれが逆転したためであつて,輸出とくにアフリカへの輸出は前年より伸びている。

共産圏の圏外貿易の商品別構成は第4-46表に示される。それによると,一九五八年上半期を前年同期と比べると共産圏の食糧,機械,運搬機器その他の工業品の輸出が増し,これに反して原料品,鉱油および,滑油の輸出は著減した。食糧の輸出が増加したのは,東欧からの輸出のためであつて,ソ連,中国からの輸出は減少した。鉱油の輸出減少は,スエズ危機で増大した西欧の需要が減少したことによる。

共産圏の輸入の面では多くの点で増出の面と逆の動きが見られる。食糧輸入は東欧で減少し,一九五七年の純輸入から一九五八年の純輸出に変化した(ただし一九五七年年間では共産圏は食糧の純輸出地域)。原料品の輸入は東欧,中国ともに増加した。以上によつて共産圏は食糧の純輸出を増し,鉱油および,滑油の純輸出を大幅に減少させた。その他のうちもつとも変化の著しかつたのは原料品で,一九五七年の約二,〇〇〇万ドルの純輸出から一九五八年の五,四〇〇万の純輸入へ逆転した。油脂,化学製品,機械その他の工業品の純輸入額はさしたる変化を示さなかつた。

(b) ソ連と自由圏との貿易

共産圏と自由圏との貿易総額のうち,ソ連一国でその取引額は四〇%を超えている。このようにソ連は東西貿易において重要な地位を占めているので,ここではとくにソ連の自由圏との貿易を取上げて見よう。まず,最近三カ年の推移をあげると,第4-42表のとおりである。

ソ連の対自由圏貿易は一九九七年に二四・四%伸びたのに対して一九五八年には三・七%しか伸びなかつた。この伸び率の低下は一つには貿易物価の低落によるものであつて,貿易数量では約一六%増加した。一九五八年におけるソ連の対自由圏貿易でとくに目立つたことはその商品別構成が著しく変つたことである。

輸出について見ると,機械,設備が増加して輸出に占める比率が高まり,一九五六年の四・二%から一九五八年一四・六%となつた。その仕向先が主として低開発諸国であることは1いうまでもない。なお,このように機械,設備の輸出が増加したため,その額は自由圏からの機械,設備の輸入水準に近づいた。

自由圏からの輸入では,ゴム,非鉄金属,繊維原料が一九五七年より大量に増えたのに対して,船舶および同装備食品工業および軽工業用設備などが減少した。その反面,化学工業用および建設用設備の輸入は増加した。

一九五八年のソ連の対自由圏貿易を地域別に見ると,つぎのように特徴づけることができる。

(イ) 低開発諸国

一九五八年には世界景気の後退によつて低開発諸国の経済情勢は悪化し各種の輸入別措置がとられたにもかかわらず,ソ連からの輸入は増加した。とくにアラブ連合(シリア地区)とインドの対ソ貿易は前年に比べて著しく増加し,アラブ連合はフィンランドについで自由圏諸国のちソ連の貿易相手国として第二位を占め,インドはイギリスについで第四位を占めるに至つた。そのほか,インドネシア,マラヤ,アルゼンチン(対ソ貿易は同国の貿易総額の三〇%に達した),ウルグアイの対ソ連貿易が大幅に伸びた。いま,各国別に主要輸出入品目,その増減を列挙すると第4-43表のようになる。

(ロ) 工業諸国

一九五八年のソ連の対自由圏貿易で目立つた地位を占める工業諸国はフインランド,イギリス,フランス,西ドイツであつた。このうち,フィンランド,イギリスとの貿易額は一九五七年に比べてかなり減少し,これに対してフランスが激増,西ドイツが微増を示した。

対フィンランド貿易は史上最大といわれた前年より減少したにもかかわらず,ソ連の対自由圏諸国のうちで首位を占め,またソ連は一九五七年に引続きフィンランドの貿易においてイギリスにつぐ地位を占めた。一九五八年にソ連・フィンランド貿易が減少したのは,フインランドの工業生産,外国貿易全般の不振,外貨事情の逼迫など経済情勢の悪化とフィンランド・マルカの切下げ,西欧からの輸入の自由化によるものであつた。しかし,本年三月に調印された貿易議定書によると,一九五九年の取引額は前年より一五%増すことになつている。

イギリスはソ連の対自由圏貿易においてフィンランドに次ぐ地位を占める。ソ連の対英貿易は一九五七年戦後最高の水準に達した後をうけて,一九五八年にかなり大幅に減少した。これは景気の後退とそれにともなう物価の低落によるものであつた。しかし,このように英ソ貿易が減少したにもかかわらず,イギリスのある種の商品の輸入に占めるソ連の比重は依然としてかなり高かつた。たとえば銑鉄の七〇%,挽材の二一%,坑木の二三%,ベニヤ板の二一%などがそうである。なお一九五八年中にはソ連の車輪工場設備一式一億六,〇〇〇万ルーブル,アセテート人絹工場用設備四,五〇〇万ルーブルがイギリス向け発注され,一九五九年五月には消費財の取引を含んだ期間五カ年の長期通商協定が結ばれるなど,英ソ貿易が活発化する条件もあり,本年の貿易額は昨年より三分の一増すことが期待されている。

一九五八年のフランスとソ連の貿易は,一九五七年に一九五九年に至る長期通商協定が締結されたこともあつて,かなり大幅に増加した。また商品構成も多少変つて機械,設備の対ソ輸出が増大し,ソ連ははじめてフランスに穿岩機を輸出した。さきにあげた通商協定についですでに期間三カ年(一九六〇~六二年)の通商協定が結ばれており,今後も両国間の貿易の増加することが予想されている。

西ドイツとの貿易は前年に比べててわずかな増加に止つた。これはソ連の輸出が減少したためであつて,輸入は一六・五%増し1た。とくに化学工業設備,建設機械,印刷機械などの輸入は六〇%も増加した。また化学製品の輸入も増加したが,その反面原料,資材の輸入は一四%減少した。

そのほか,一九五七年に伸びたイタリおよびオーストリアとの貿易は,一九五八年にはほぼ前年なみに止つた。

しかし本年は,前者が往復六億ルーブルに増加し,後者は五〇%伸びる予定であるといわれる。アメリカおよび日本との貿易は増加し,とくに対日貿易は二倍以上拡大したが,その貿易額はいずれも依然として低水準に止つている。

以上の工業諸国とソ連との取引品目は第4-44表のとおりである。

ソ連はじめ共産圏諸国の対自由圏貿易は今後も拡大する可能性をもつている。一九五八年八月には西欧側でココムの輸出の統制が大幅に緩和され,東西貿易を促進させる一つの要因となつている。もちろん東西貿易の将来については問題がないわけでばない。西側の内部ではアメリカどちらかといえば対共産圏貿易に対して消極的であり,これに対してイギリス,西ドイツをはじめ西欧諸国は比較的積極的である。共産圏側でもその経済の統合,地域化によるアウタルキーの傾向も絶無とはいえないし,支払能力の問題もある。しかし,少くとも当面は共産圏の東西貿易に対する態度は政治的な含みもあるとはいえ,かなり積極的である。たとえば,ソ連は前述の英ソ長期通商協定を締結する以前にも西欧各国と第4-45表のような協定を結んでいる。

これによつても,ソ連の対西欧貿易が大勢としては,拡大の傾向にあると見てほぼ間違いあるまい。

(2) 日本と共産圏貿易

以上に見た東西貿易は一九五八年には拡大率が鈍化したとはいえ全体としては前年に比べて増大した。このことは,自由圏のうちで共産圏との最大の取引相手地域である西欧についてもいえる。西欧の対共産圏貿易はここ数年間拡大を続けてきた。しかしその西欧貿易総額に占める比率は四%前後に達したに過ぎない。

日本の対共産貿易は一九五八年に付日中貿易の中絶と日ソ貿易の拡大という相反した動向を辿つた。対中国貿易の減少,および金額は少いが東欧貿易の減少は対ソ貿易の増大によつて相殺され,全体としての対共産圏貿易は比較的軽微な減少に止つた。

この日本の対共産圏貿易が日本の貿易に占める比重は,西欧よりもさらに低い。いまこれをOEEC諸国とそれと対比すると,第4-46表のようになる。すなわち,対共産圏貿易は一九五七年までの数年間一貫して拡大してきたにもかかわらず,その比重は三%に達していない。もちろん,現在の比重の低いことは対共産圏貿易の重要性の小さいことを意味するものではなく,将来の拡大の可能性を見出すべきであろう。(昨年の対共産圏貿易については昭和三四年「通商白書」参照)。

以下,ここでは共産圏,主としてソ連の側から日本との貿易を見よう。

ソ連の貿易に占める対日貿易の比重は,日本の側から見た対共産圏貿易の比重よりもさらに小さい。一九五八年のソ連の輸出入総額は圏内貿易を含めて三四六億ルーブル(八六億五〇〇万ドル)であつた(ソ連側の詳細な一九五八年の貿易統計は未発表)。これに対して対日貿易は,一五一百万ルーブルで,ソ連の貿易総額の○・四四%,対自由圏貿易総額のうちでも一・七%に過ぎないのである。一九五七年はこの比重はさらに低く,それぞれ○・二%および○・八%前後であつたすなわち,第4-47表に示すとおりである。

このように対日貿易の比重は全体としてはきわめて低いけれども,個々の商品について見ると,ソ連の輸出入額に占める比重がかなり大きいものもある。とくに第4-48表に見るように取引額の増加した一九五七年にはこの種の商品が多くなつている。

しかし日本の対ソ連,東欧貿易はいまだ不安定な状態にあり,商品別構成にもそれが現れているので,上述のような傾向がそのまま続くことは保証しがたい。だが,日本がその輸出入品についてソ連市場にかなりな程度の占有度をもつことができるということは注目に値する。もし日本とソ連,東欧の貿易が長期安定的な基礎の上に置かれるならば,その貿易関係は拡大しかつ緊密なものとなるであろう。

第4-41表 共産圏の対圏外貿易の商品別構成