昭和34年
年次世界経済報告
世界経済の現勢
昭和三四年九月
経済企画庁
第二部 各 論
第二章 西 欧
われわれはこれまで五八年のリセッションを通じて,もしくはそれと平行して西欧経済がたどつた変貌め過程を明らかにしてきた。景気の後退により経済の成長が阻害され,失業者が増加したし,また石炭業のように循環的要因ばかりでなく,需要構造の趨勢的な変動によつて打撃をうけた産業もあつた。しかし他方では,五五年以来の根づよいインフレ傾向が収束されるとともに,国際収支が改善され外貨準備も増強された。それを背景として西欧諸国は年末に待望の通貨交換性の回復に踏み切ることができた。経済活動の低下も一つには各国政府の緩和政策により概ね秋頃までに底をつき,一部の国では再び回復の兆候さえみせはじめた。
こうして西欧経済はリセッションの傷痕を残しながらも,その体質を著しく改善して五九年を迎えた。五八年が地固めの年であつたとするならば,五九年は前進の年でなければならない。事実また本年はじめ以来現在までの西欧経済の動きをみると,新たな拡大がはじまりつつあることを示唆しているようだ。
まず第一に交換性の回復によつて西欧通貨に対する信頼性が高まり,西欧の対外ボジションがさらに強化された。
西ドイツの積極的な資本輸出政策とフランス経済の体質改善により西欧内の収支アンバラスは著しく緩和された。それにともない貿易の自由化が次第に推進されつつある。欧州共同市場の発足は域内資本交流を活発化させ,アメリカの資本を呼び入れ,国際分業を促進しはじめた。それは既に経済成長への刺戟剤として働きつつあるといえよう。昨年来西欧の経済活動を圧迫してきた在庫調整も最近では石炭を除いてようやく一巡したようである。
その結果,昨年中石炭業と並んで三大不振産業であつた鉄鋼と繊維産業も,最近にいたつて次第に立直りはじめたようだ。長らく横這い状態にあつたイギリスの工業生産は四月にわずかながら上昇したし,西ドイツの工業生産も三月以来急速な上昇をみせている。フランスの生産活動の低下傾向も最近ではとまつたようだ。
景気の回復に伴い失業数もポツポツ減少しはじめた。とくに西ドイツの失業数は五月末に戦後の最低を記録し,建築産業では労働力不足の声が聞かれるほどだ。
のみならず,昨年中は慎重な緩和政策に終始して低い姿勢をとりつづけてきた各国政府が,最近に至つて積極的な拡大政策に転じてきたことは注目に価いする。
イギリス政府は四月の新予算で大胆な拡大政策を打ち出したし,フランスやベルギー政府も投資の刺激策を講じつつある。産業投資は過剰設備の圧力もあつて急には回復しないが,一般的な景気の上昇機運や政府の刺激策により,企業者の期待も好転しているようであるから,現在の建築景気と消費景気のあとに投資景気の到来を期待できないでもない。
またもし民間設備投資の回復がおくれたとしても,本年は公共投資が概して増額される筈であるから,それが民間投資の停滞を相殺しよう。西欧諸国では政府が直接的,間接的に規制できる公共投資は総固定資本形成額の三分の一から半分に達するといわれているから,固定投資の分野においても政府は効果的な景気対策をとることができる。
現にイギリスにおいては,本年の民間投資はほぼ昨年並みの予想であるが,公共投資の増額で固定投資全体としては,昨年より増加することになつている。道路建設などに対する投資が従来立遅れていたことも,公共投資の拡張を容易にするだろう。
後進国向け輸出の増加はまだ暫くの間は見込薄であるが,アメリカ向けと欧州の域内貿易は既に上昇傾向にあるようだ。とくに対米輸出は非常に好調である。世界不況からの回復の初期段階においてまず工業諸国間の貿易が増えるのは当然であるが,後進諸国の先進国向け輸出も増加傾向にあるようだから,遠からず後進国向け輸出も増大に転じよう。
問題は経済の拡大に伴つて再びインフレ傾向がおこり,国際収支難をまねく恐れはないかという点であるが,過剰設備が存在し,労働力にもある程度のゆとりがあること,また外貨準備も増強されていることからみて,その点の懸念は比較的少いようである。
少くとも短期的にみるかぎり,操短の廃止や超過勤務の増加だけでも生産の増大にかなりな寄与をすることができるだろうし,また過去数年間の投資や不況時における合理化の推進による生産性の向上が,少くとも拡大の初期段階においては生産の増大を助けるであろう。昨年春以来のアメリカ景気の回復過程においても同じような現象がみられた。
また前回の西欧経済拡大の初期においても,生産増加の割合には雇用数は増えなかつた(第2-81表参照)。
このほか不況期に労働力人口から離脱した限界的労働者(老人や主婦など)や失業者を動員することにより,労働市場に過度の緊張をおこすことなく生産を拡大することができるであろう。
この問題に関してOEECの年次報告書は次のように述べている。
「総需要が生産能力をかなり下回つている現在では,過大需要の発生をあまり懸念する必要はない。政府の政策も軽度の刺激を目的としているだけであり,設備能力がもつと完全に利用されぬ限り民間投資の新たな急上昇もおこりそうもないから,過大需要の発生が一九五九年中に問題になるようなこともないだろうし,またおそらく一九六〇年においてもそうであろう……。
ただし過大需要がなくてもコスト・インフレが物価を圧迫する恐れがある。そこで,一九五九年において物価安定の鍵を握るものは,コストの上昇をもたらさぬ範囲内に賃上げを抑えることができるか否かという点にある。
現在の有利な国際収支ポジションが,本年中に重大な脅威にさらされる恐れはない。ドル地域向け輸出は北米の景気回復がすすむにつれて増大しつづけるであろうし,また-過大需要の発生さえ回避すれば-交易条件の大幅な改善が失われることもないであろう。換言すれば,一般的な国際収支難またはドル不足の問題のために健全な拡大が阻止される恐れはない。」
次にやや長期的に西欧経済の見通しを考えてみよう。戦後の復興需要や延期需要などは今では一応充足されてはいるが,住宅や公共施設にはまだかなりの未充足需要があるようだ。IFO研究所の調査によると,共同体六カ国における住宅の復興需要は,ベルギーを除いてまだ満たされていないし,それに所得の上昇に伴いもつと快適な住宅に対する新しい需要が生じている。西ドイツの住宅不足数は現在なお二〇〇万戸に達するといわれている。また,公共施設とくに道路建設はかなり立ち遅れており,たとえばベルリン経済研究所の調査によると,一九五〇年から一九五七年までの間に西ドイツの自動車台数(乗用車と貨物自動車)が二・八倍化したのに対して道路網はわずか三%しか増えず,実際の道路投資は所要額の三分の二にしか達していない。西ドイツ政府も道路建設には力をいれ,四カ年計画にもとずいて木年の道路建設予算を大幅に増額している。
産業設備投資は現在こそ過剰設備の出現で振わないが,長期的にみれば必ずしも悲観する必要はない。たとえば本年六月に発表されたOEEC鉄鋼委員会の報告によると,昨年の鉄鋼業不振にもかかわらず,欧州鉄鋼業の長期投資計画が削減された兆候はないとされている。共同市場の発足で国際分業が推進されれば,当然新たな投資需要がおこつてくる。近代化や合理化の余地もまだかなりあるようだ。
個人消費の面では自動車をはじめ家庭用電気器具など耐久消費財に対する需要が近年著しく伸びており,しかも当分の間この耐久消費財景気の継続が予想される点に注目する必要がある。とくに乗用車の普及が著しく,それが自動車産業をはじめ関連産業の拡大をひきおこしつつある。
一九五〇年には西欧(イギリス,西ドイツ,フランス,イタリア)の自動車生産数はまだ一〇〇万台程度でアメリカの六分の一にすぎなかつたが,五八年には西欧諸国の自動車生産高は三五三万台に達し,アメリカ(四三六万台)の約八割近くまで追いついた。
もつとも,この自動車生産の拡大は国内需要の増加ばかりでなく,輸出の拡大に負うところが多大であつて,たとえば五七年には生産高の約四六%が輸出されていた。
西欧諸国の自動車普及率は(国民一,〇〇〇人あたり)一九五〇年の平均二〇台から五七年の五三台へと二・五倍化している。国別にみるとスエーデンの一一七台がとび抜けて多く,フランス(九〇台),イギリス(八七台)などがこれにつづいている。もちろンアメリカの三八台には遠くおよばない。西欧の自動車普及度はちようど一九一八年頃のアメリカの普及度に匹敵する。
ECEの見解によると,西欧の自動車需要は旺盛であるから,自動車の普及度は今後も従来とほぼ同じテンポ(年間一一%ないし一二%)で上昇し,一九六五年までには一九二六年のアメリカの普及度に達するであろう。もしヨーロッパの他地域向け自動車輸出が従来と同じテンポで増加するとすれば,一九六五年までに西欧の自動車生産は現在よりも三・五倍化され,年間約八〇〇万台の自動車が生産されるであろうとしている。この生産高は戦後のアメリカの年間平均生産高を三分の一上回るものだ。またもしこの予測が楽観にすぎるとしても,年間八%程度の生産増加は十分期待できるから,そうなれば一九六五年における自動車の生産は現在の二倍となる。そこでECEは,こうした自動車産業の急速な拡張が他の関連産業や関連支出を通じて国民生産の成長に大きな刺戟を与えるであろうと予想している。ECEの見解によると,短期的な政策措置により経済成長率を意識的に抑制しないかぎり,今後一〇年ないし二〇年間の西欧経済の成長過程において自動車需要が一九世紀後半の一大鉄道ブームあるいは一九一三~二九年間におけるアメリカの自動車ブームに匹敵するほどの役割を果すであろうという。
テレビ,電気冷蔵庫など家庭用電気器具の伸びも大幅であるが,その普及度はまだアメリカに及ばない。
この種の耐久消費財に対する需要は所得の上昇,主婦の職業戦線進出,賦払信用の発達,住宅建築の増加に刺激されて今後も平均消費支出を上回る率で増加するものと思われる。
普及度からみても,また個人消費総額に占める耐久消費財支出の比重や国民総生産に対する賦払い信用残高の比率からみても,(第2-85,86表参照)西欧諸国の現状はまだアメリカに遠くおよばないが,このことは賦払い信用による耐久消費財の購入を拡大する余地が多分にあることを示すものだ。
なおECEの見解によると,今後の西欧経済の成長に対して個人消費が従来以上に大きな役割を果すであろうとしている。それによると,戦後急速に増加してきた総資本形成が現在では国民総生産の約五分の一を占めているので,過去の経済拡大期の経験からみて資本形成率がこれ以上高まることは期待されないから,今後の総資本形成が国民総生産よりも高いテンポで増加するようなことはなく,その結果従来は国民総生産の成長テンポより遅れていた個人消費が今後はGNPとほぼ同じテンポで増加するであろうという。
個人消費のなかでも耐久消費財需要が有力な成長要因として働くであろうことは前述した通りだが,それと並んで注目すべきはサービス支出の増大である。西欧のサービス支出は耐久消費財支出に劣らぬテンポで増加してきたし,現在では個人消費総額の約三分の一を占め,耐久消費財支出と固定投資の合計額にほぼ匹敵する。今日のアメリカではサービス産業の雇用が商品部門の雇用を上回つているが,西欧でもいずれそうなるであろう。サービス部門は食糧,衣料など基本的な必需品と密接な関係があり,基本的必需品に対する需要は比較的景気の変動に左右されない。またサービスは在庫がきかない。こうした旦由からサービス部門の増大は経済に対して一種のビルト・イン・ス
タビライザーの役割を果すものとみられる。
これまでは主として需要面について西欧経済の今後の成長要因を検討してきた。
次に供給面に目を転ずると,前述したように短期的には労働力,設備能力とも余裕があるが,やや長い目でみれば,労働力が成長の制約要因となることが予想される。戦後西欧諸国の経済成長率は労働力人口の増加率とかなり密接な関係があつた。第2-87表に示されているように,五三~五八年間において労働力人口の増加テンポが最も高かつたのは西ドイツ,イタリア,オーストリアおよびオランダの四国であるが,これら四国,とくに西ドイツ,オーストリア,イタリアは西欧のなかでも最も高い成長率をみせた。
労働力人口の急速な増加は通常投資誘因をつくり出す。労働者の交渉力が弱いために賃上げ要求も控え目となり,輸出競争力もつよくなるから輸出が増え,それがまた投資を刺激する。西ドイツなどばまさにその典型的な例であつたということができよう。
五三年から五八年までの五カ年間に西ドイツの労働力人口は約一二%も増加したが,これはソ連地区からの移入民のほか,一九三四~四一年間の高い出生率のせいであつて,移入民を除いても労働力増加率は七%という高率であつた。ところがこの西ドイツの労働力人口は今後五カ年間むしろ低下が予想されている(移入民はここでは考慮されていないが,近年減少傾向にある)。また従来から労働力に余裕の少いイギリスとフランスでも今後の労働力人口の増加率は従来とあまり変らないとされている。このことは西欧経済において支配的な影響力をもつ西ドイツ,イギリス,フランスの経済成長が労働力の面から制約されることを意味する。
とくに西ドイツの労働力不足の問題は,西ドイツのみならず西欧経済全体の成長率に対して重要な影響を与えるのではないかと思われる。労働時間短縮の傾向も経済成長の一つの制約要因となろう。
共同市場の発足による労働力の国際移動の促進が,この問題に一つの解決を与えるかもしれないが,それよりもつと重要なのは農業から工業へ労働力を解放することであろう。それには農業の機械化を促進すると同時に,現在のような農業保護政策をある程度緩和する必要があろう。
西ドイツの農業生産性は戦前にくらべて約六〇%近く向上しているが,他の西欧諸国の生産性上昇率にくらべるとむしろ低い。OEEC諸国全体の農業生産性(雇用者一人あたり生産高)が一九五六年現在で戦前比六八%増であり,デンマークのごとき一〇〇%増,フランス八四%増であるのに対して,西ドイツの生産性は五六%増であつて,第2-88表にかかげられた諸国のなかで最も低い。このことは西ドイツの農業を機械化ないし合理化して農業労働力を解放する余地がまだ多分にあることを示唆しているようだ。たとえばWirtschafts-dlienst,Marz1959に掲載されたDr,Hans von der Decken氏の研究によると,西ドイツの農業には農業労働力をフルに利用できない非能率的な零細経営が多いから,それを整理統合してオランダないしデンマ―ク並みの規模にまで引上げただけで一〇〇万人ないし二〇〇万人の労働力を解放できるという。