昭和34年
年次世界経済報告
世界経済の現勢
昭和三四年九月
経済企画庁
第二部 各 論
第二章 西 欧
一九五八年は,ヨーロッパにとつて過去四年間つづいた一大投資ブームのあとしまつの年であり,地固めの年であつた。
一部の欧州諸国はすでに五七年下期に景気後退に見舞われたし五八年中には多くの諸国が多かれ少なかれ経済活動の後退ないし停滞を経験した。しかし景気後退に見舞われた諸国においても,後退の規模は小さく,また比較的短期間で底をついた。また一部諸国は従来の緩慢な拡大基調を殆どそのまま維持することができた。景気変動のタイミングも国によつて一様でなかつた。これらの事情から,欧州全体としてみると,生産の低下はきわめて小幅であり,むしろ一時的な停滞にすぎなかつたともいれよう。
まず年次データで生産の動きをみると,OEEC加盟諸国の実質国民総生産(一九五四年価格と為替レート)は五七年の二,三六九億ドルから五八年の二,四一〇億ドルヘ一・七%上昇したし,鉱工業生産指数も五七年の一三一(一九五三=一〇〇)から五八年の一三四へと二・三%増加した。このように欧州全体としての年次データでみるかぎり,生産ば低下しておらず,むしろわずかながら増加した。
前回の景気後退時である一九五二年においても同様であつたが,これは国によつて景気変動のタイミングがちがい,一方で縮小国があれば他方で拡大国があつて相殺し合う面があるため,欧州全体として景気後退の姿がハッキリ出てこないせいである。もちろん戦後の西欧諸国では成長すう勢がつよく,循環局面がこの成長すう勢によつておおわれがちであることも一因であろう。
次に四半期データについてみると,鉱工業生産指数(季節差調整済み)は五八年第1・四半期の一三四をピークとして,第2・四半期には一三二へと一・五%の低下を示したが,第3・四半期にはやや戻し,第4・四半期には再び一三四へと後退前の水準へ回復している。
また月別生産指数でみると,五八年二月,三月のピーク一三五から五月の底一三一へと三・〇%の低下であつた。
次に国別にみると,景気後退の姿がかなりハッキリと出ている。五三年以来実質国民総生産が前年より低下した国は少くとも主要国にばなかつたが,五八年にはベルギー,オランダ,ノルウェー,イギリスの四国が実質国民総生産の減少をみた。ただし減少の幅はいずれも一%前後である。このほかスエーデンも殆ど停滞的であつた。西ドイツ,オーストリア,イタリアは他の国にくらべると比較的拡大基調を持続したが,それでも五五年以来の拡大テンポにくらべると著しい鈍化傾向が争われない。
鉱工業生産もほぼ同様な推移を示した。年間指数でみると,ベルギーが六・五%,ノルウェーが三・二%,イギリスが一・七%の低下を示し,オランダとデンマークは増減なしであつた(もつともオランダの景気後退は五七年下期からはじまり,五八年中はむしろ回復過程にあつた)。スエーデンもほぼ停滞的であつた。これに対して西ドイツ,オーストリア,イタリアはそれぞれ二%ないし三%の拡大を示した。フランスの拡大率は最も高く五・八%であるが,これは五八年春まで急速な上昇傾向をたどつていたせいであつて,それ以後は漸落をつづけている。
年次指数でなく,四半期指数でみると,ピークから谷までの後退の幅はベルギーが最も大幅で一○・四%,それについてはノルウエー七四%,オランダ六・二%であり,デンマーク四・一%,イギリス三・四%,スエーデン一・七%であつた。これら諸国の鉱工業生産の低下は五七年末ないし五八年第3・四半期までに底をつき,その後は程度の差こそあれ回復をみている。いま五八年末第4・四半期の生産水準を後退前の水準と比較してみると,デンマークは後退前の水準をわずかに突破,オランダ,スエーデン,ノルウェー,イギリスは後退前の水準近くまで戻しており,ベルギーのみは後退前の水準をまだ七%も下回つていた。
同じく景気後退国でもフランスは前記六カ国とやや様相を異にし,国内の引締め政策が比較的遅かつた関係もあつて生産の低下がはじまつたのはようやく五八年第2・四半期からであり,年末までに三・三%低下した。
生産の低下を殆ど経験しなかつた西ドイツ,オーストリア,イタリアにおいても,五八年春から夏にかけて一時停滞的様相をみせたが,第4・四半期になると西ドイツとイタリアに再び力強い上昇傾向がみられた。
これを要するに,国民総生産や鉱工業生産の推移からみて,今回のリセッションにおける欧州諸国のパターンを次の三つのグル―プに分類することができるだろう。
(1) 五八年夏頃に一時停滞的様相を呈したものの,大体において緩慢な経済拡大を持続してきた諸国―西ドイツ,イタリア,オーストリア。
(2) 深度と持続期間に,差こそあれリセッションを経験したが,現在は回復過程に転じたか,少くとも底をついたとみられる諸国―イギリス,オランダ,ベルギー,ノルウェー,デンマーク。
(3) 五八年春以来工業生産が低落傾向にあり,五八年中それがつづいている国―フランス。
生産の停滞ないし低落に伴つて雇用状勢も悪化し,それが,超過勤務の減少,操短の増加,求人数の減少,失業の増加となつてあらわれた。そのうち最も典型的に労働市場の情勢を示す失業数と失業率についてみると,第2-5表のとおりである。五八年の失業数はデンマークを除いていずれも前年を上回つた。失業率でみるとデンマークの若干の減少,西ドイツの不変を例外として,他の諸国はいずれも増加している(ただし西ドイツの失業数は五八年はじめには異例の悪天候で非常に増加したが,五月以降は前年の水準を下回つており,九月の失業率は一・七%で通貨改革以来の最低であつた)。
相対的にみて失業増加が大きかつたのは,オランダ,ベルギー,イギリスである。しかし失業の絶対水準でみると,イタリア,ベルギー,デンマーク,フィンランドなど構造的失業問題を抱えている若干の諸国を除いて,他の諸国の失業率はまだ低く,完全雇用が大きくくずれたわけではない。ただし地域別,産業別の偏在があるし,また先行するブーム期に労働市場に加わつた限界的労働者(老人や主婦など)が不況期に労働市場から姿を消し,それが失業統計に反映していない点に注目すべきである。この点は,労働市場に新しく加入した者の数に変化がなかつたにもかかわらず,労働力人口(雇用者プラス登録失業者数)の増加テンポが一部諸国で鈍化したことにあらわれている。イギリスでば労働力人口は五七年年央以来やや減少の傾向にある。
いまOEEC諸国全体としての製造工業雇用指数をみると,第2-6表のように五七年第3・四半期の一一二(一九五三年=一〇〇)をピークとしてその後減少,五八年中は一一〇の水準で横ばいをつづけていた。製造工業における労働者の就業時間数も超過勤務の廃止や操短の拡張につれて第2-7表のように減少傾向を示した。もつとも西ドイツなどは契約労働時間短縮の影響もあつたようである。
(1) 物価情勢も安定的となる
物価情勢は第2-8表にみるように五八年中に一部の諸国を除いて非常に安定的となつてきた。生計費指数の動きをみると,フランス,ノルウェー,イタリア,フィンランドを除いておおむね五八年春頃から横ばいであつたし,卸売物価はフランスを除くすべての諸国でむしろ低落傾向を示している。
このような物価の安定化は,景気の沈滞に伴い,コストの上昇を価格引上げを通じて消費者に転嫁することがますます困難となつたためであり,またコスト上昇自体も著しく小幅となつた。
輸入原材料価格の低落も国内物価の安定化に重要な役割をはたした(OEEC全体としての輸入原材料価格は,五七年中に約一〇%低落,五八年中はほぼ横ばいであつた)。
(2) 賃金,生産性,労働コスト
労働情勢の緩和につれて賃金の上昇率もブーム期にくらべて緩慢化してきたが,それでもほとんどすべての国で生産性の向上率を上回つたため,単位生産に占める賃金コストはイタリアを除くすべての国で上昇した。しかし賃金コスト上昇の幅は国によつてかなりな相違があり,概して経済拡大を持続した諸国が最も小幅であり,生産の低下または停滞的な国の賃金コストの上昇率は最も大幅であつた。前者の例はイタリア(不変),西ドイツ(○・九%増),オーストリア(一・九%増),である。生産の低下をみたベルギーの賃金コストの上昇も小幅であつたが(一%増),これは一人あたり就業時間が大幅に減少した反面,賃金の上昇率が著しく鈍化したせいであつた。フランスは生産も増加したが,賃金が大幅に上昇して生産性の向上を大きく上回つたため,賃金コス,1は約五%の増加1みた。イギリスは賃上げ率が鈍化したけれども生産性が全く向上せず,その結果賃金コストは約六%増加した。
それでは五八年における西欧のリセッションは何によつてひきおこされたか。
OEEC加盟一七カ国の実質国民総生産を分析すると,第2-11表のように,一九五四年価格でみた国民総生産は五七~五八年にかけて四一億下ル増加した(比率で一・七%増)。このうち個人消費の増加額は二九億ドルで金額的には最も大きい。注目されるのは政府消費が一一億ドル増加したことで,金額でも個人消費についで大きく,比率的には最も大きな伸びを示した。これは景気対策として財政支出増加策が一部諸国でとられたせいでもあつた。最も戦略的な需要である粗固定投資と輸出は実質額では減少こそしなかつたが,殆ど停滞的であつた。
輸出が停滞酌であつたのは世界的な不況局面において当然であり,むしろ前年の水準をよく維持しえた点に注目されよう(ただしこれは年間数字であつて,実際の推移としては上期に輸出が減少しており,第4・四半期に回復したのである)。粗固定投資も総額としてはほぼ横ばいだつたが,これは製造工業の投資減(製造工業の投資はイギリス,オランダ,ベルギー,イタリアで減少した)を他の産業や住宅建築,公共投資の増加で相殺した結果であると思われる。在庫投資は前年の増加のあとをうけて五八年は七億ドルの減少を示した。
以上で察せられるように,五八年の西欧経済は五四年以来四カ年つづいた投資ブームの反動による生産的投資の減少,それに伴う在庫調整,さらに世界的不況にょる輸出の減少ないし停滞がデフレ要因として働き,全体として軽度のリセッションないし停滞におちいつたわけである。
しかし今回の西欧リセツションは前述したように比較的小幅であつたし,期間も短かつたといえるが,それでは景気後退が一時憂慮されていたように累積的な過程とならなかつたのはなぜであろうか。その理由として次の三点が考えられる。(1)国際収支好転による外貨準備の増加と金融緩慢。(2)各国政府が五八年はじめ以来慎重ながらも漸次緩和政策をとつたこと。(3)住宅や耐久消費財に対する潜在需要が根づよく,また近代化,合理化投資の余地がまだかなりあつたこと。
国際収支の好転と金・外貨準備の増大は,交易条件の改善に負うところ大きいが,同時にまた西欧自体の経済活動の停滞によるものであり,その意味ではリセッションの所産である。しかし外貨準備の増大は国内金融の緩慢化をもたらすことで逆に景気刺激的となり,いわば自動的に後退を阻止する役割を果す。住宅建築や公共建設のように金融情勢に敏感に反応する部門はブーム期における金融逼迫によつていち早く頭打ちとなる反面,後退局面における金融緩和で再び刺激される。また金融緩慢は消費者信用の基盤を拡大し,耐久消費財需要の増大をうながす。このほか金融の緩慢化が企業の在庫投資や設備投資にも有利な作用をすることはいうまでもない。
外貨準備の増加はまた政府の緩和政策実施のたぬの一つの重要な条件をつくり出すのである。
(1) 個人消費
西欧諸国の個人消費は第2-12表のように五八年中もおおむね堅調を維持して景気の下支えとして役立つた。ただしイギリスとオランダを除く殆どの国では増勢の鈍化がみられる。OEEC全体として個人消費の伸びをみると,五六年の四・五%増,五七年の三・五%増に対して五八年は二・五増にとどまつた。イギリスの個人消費は五八年一~九月間は比較的停滞的であつたが秋に月賦販売制限が撤廃されたため自動車その他の耐久財支出が急増した。オランダのばあいは五七年の不況のあと五八年中頃からはむしろ景気回復過程にあつたので,五七年に減少した個人消費も五八年中に増加に転じた。多くの西欧諸国が五八年中に景気の後退ないし停滞を経験したにもかかわらず消費が堅調であつた理由は,個人所得が増勢をつづけたからだ。
超過勤務の減少,操短の実施,雇用の減少などのマイナス要因があつた反面で,雇用者の賃金,俸給は前年ほどでないにしても相変らず引上げられ,それに一部諸国では振替所得が増加した。物価が安定化したことも実質消費支出の増勢をたすけた。しかし所得の伸びが鈍化したことと,また多くの国で貯蓄率の上昇傾向がつづいたために,消費支出の増勢は著しく弱められた。
たとえばイギリスについてみると,五八年の賃金,俸給所得は雇用数の減少にもかかわらず前年比三%増加したがこれは賃金率が前年ほどではないが引上げられたためだ。このほか振替所得は二割近くも増えでいる。これは五八年二月に国民保険給付率が引上げられたのと,年金受給者数が増えたせいである。賃貸料,配当,利子からの所得も九%増加した。その結個人所得は五八年中に五・五%増加したが,国民保険拠出金の引上げなどのため可処分所得は四・五%の増加にとどまつた。
西ドイツのばあいは五八年の賃金引上げ率は前年よりやや小幅だつたけれども雇用数が若干増加したので,賃金俸給粗所得は前年とあまり変らぬテンポで増加した(五七年の八%増に対して五八年は七・六%増)。これに対して税金や社会保障拠出金などの支払額がふえたため賃金,俸給純所得は,五七年の八・四゜%増に対して五八年は六・六%増にとどまつた。このほか振替所得や自営業者所得の伸張率が鈍つたこともあつた。家計の可処分所得は五七年の一〇・三%増に対して五八年はわずか六・四%の増加であつた。しかもこの可処分所得の増加分のうち約二割が貯蓄されたから,個人貯蓄率は五七年の八・二%から五八年の八・八%へ高まつた。
西ドイツのみならず西欧諸国では個人の貯蓄性向が近年高まつてきているが,これは戦後の消費需要が一応充足され,生活水準の向上につれて貨幣資産形成への意欲がつよくなつてきたせいであろう。この貯蓄率の高まりが昨年来の物価安定に一役買つたとみられるが,逆にまた物価安定化の傾向が貯蓄意欲を刺激したようである。いずれにせよ貯蓄率の上昇は消費者支出の増勢をチェックする仮面で,資本市場の成長を助け,住宅その他への投資を促進する効果をもつたようである。
次に個人消費の内容をみると,衣類,履物など非耐久財支出が停滞的で,自動車その他耐久財と観光,リクリエーションなどサービス支出が平均以上に増加している点が注目される。
とくに自動車の購入は依然として旺盛で,イギリスでは月賦販売制限の撤廃に刺激されて前年比三五%もの大幅な増加を示し,西ドイツにおいても昨年中に自動車購入台数は二一%増加した。
この西ドイツの自動車景気にみられる最近の特徴は,勤労者階級の自動車購入が非常に増えてきたことだ。五八年の自動車(新車)の販売総数が二一%増だつたのに対して勤労者の自動車購入は三八%増加した。その結果販売総数に占める勤労者の比重も五七年の三八%から五八年の四三%へ高まつている。
家庭用電気器具の売行も好調であり,電機工業の総売上高が五八年に約一三%だつたのに対して電気消費財の売上高は二五%も増加している。
消費者のサービス支出も増加傾向にあるが,これは生活水準の向上と労働時間の短縮のせいであるとされている。とくに旅行熱が旺盛となり,夏期になると国内,国外への休暇旅行が盛んに行われている。なかでも旅行熱の高い西ドイツでは夏期旅行のために七,八月の工業生産が大幅に低下するという現象が五七年頃からめだつてきている。観光客の多いオーストリアの統計を見ると,昨年の外人観光延人数は前年比一・三%増の約二〇・二百万人で,五四年以来二倍以上となつており,戦前の記録(一九三七年)を七五%も上回つた。
(2) 固定投資
前述したようにOEEC諸国の実質粗固定投資は五五年の一〇・五%増,五六年の六・五%増,五七年の四・二%増から五八年にはわずか一・六%増にとどまつたが,これは民間産業投資の減少が住宅建築や公共投資の増加で相殺された結果とみられる。
(a) 民間産業投資
五四年以来の投資ブームの展開で産業設備能力が大幅に拡張されたのに対して,需要は政府の引締め政策もあつて能力の拡張ほどには増えず,その結果は操業度の低下となり,需給状勢の緩和と競争の激化からコスト上昇分を価格に転嫁することが次第に困難になるにつれて,企業の利潤マージンも縮小し,他方金融も逼迫したため,企業の投資意欲は概して五六年下期ないし五七年はじめ頃から減少しはじめた。
いま企業の利潤マージンの縮小傾向をたとえば西ドイツについてみよう。西ドイツの五八年中における国民所得の伸びが五・五%であつたのに対して賃金俸給粗所得は八・二%増加し,その結果国民所得に占める賃金俸給所得の比率は五七年の六二・四%から五八年の六三・九%へ上昇した。これに対して企業の粗所得は五八年にはわずか一・一%しか増加せず(五七年には七・五%増),そのため国民所得に占める企業所得の比重も五七年の三七・六%から三六・一%へ低下している。留保利潤も五六年以来の減少傾向がそのままつづいた。さらに工業だけについてみると。五八年中における雇用者の平均週ないし月収入が六・六%増加したのに対して一人あたり生産高は二・四%しか増加せず,その結果単位生産物あたり賃金コストは三・九%上昇しており,しかも反面では単位生産物あたり価格はやや減少した。
もつとも資本財の発注から完成までかなりの時間がかかるのと継続工事もあつて現実の投資支出は比較的長い間高い水準を維持することができたが,それでも五八年になるとフランス,ノルウェー,スエーデン,オーストリアなどを除く多くの諸国で民間産業投資の減少ないし停滞がみられた。とくに製造工業の投資はイギリス,イタリア,オランダ,ベルギーなどでは五七年末ないし五八年中に減少を示した。いま業者の投資意欲を最も端的に示すとみられる機械工業の新規受注ないし受注残高および産業用建物許可面積ないし許可数を資料の入手しうるイギリスと西ドイツについて示すと第2-19表のごとくである。
イギリスの民間固定投資(住宅を除く)は実質額で五八年に二・一%増加だつたが,これは販売業その他のサービス業の投資が約九%ほど増加したせいであつて,製造工業の投資は三・二%の減少であつた。
西ドイツの工業投資は五五年に二二%も増加したあと,五六年には四・二%増となり,五七年には二・四%の減少をみた。五八年の正確な数字は不明であるが,IFO研究所の調査ではほぼ前年並みとみられている。ただし住宅建設,公共投資その他民間工事以下の部門の投資がふえたため,固定投資全体としては前年比六・七%増であつた。
製造工業の投資が多くの国で減少し,また増加した国でも小幅の増加にとどまつた最も大きな要因は,過剰能力の出現による操業度の低下である。工業の操業度については信頼しうる統計が乏しいが,資料の入手しうるイギリス,ドイツおよびオーストリアについてみると,次のようになつている。
i) イギリス―全国経済社会研究所の推定によると,一九五三年から一九五八年末までに設備能力は一六%ないし二九%増加した。これに対して生産は一九五六年以降は停滞的であり,五三~五八年間に一一%の増加にすぎない。
操業度に関する同研究所の推定によると,一九五八年下期における操業度は次表のとおりで,化学工業の操業度は比較的高いが,金属使用工業,ゴム工業,鉄鋼業,製紙工業などは八〇%ないしそれ以下となつている。
ii) 西ドイツー西ドイツの製造工業の生産能力は一九五六年中に一一%,五七年に九%,五八年に七・三%増加した。五八年の能力は五五年末にくらべて二六%の増加だ。これに対して工業生産の五五年末から五八年末までに,一三%しか増えていない。つまり,この三年間に工業の生産能力は生産高の増加率の二倍のテンポで拡張されたことになる。部門別にみると,資本家財工業の能力が約三割増加したのに対して,生産は一六%の伸びであつた。明らかに資本財よりも消費財の方が能力と生産のアンバランスがはげしいわけだ。
このような能力の拡大テンポと生産の拡大テンポのアンバランスから当然ながら操業度は低下せざるをえない。第2-25表にみるように,工業(鉱業と製造工業)の操業度は五五年を頂点として漸次低下してきた。企業にとつて経済的に最適の操業度は西ドイツでは九〇%前後とされている(アメリカとほぼ同じ)。季節的な変動を除去して考えると,五五年が西ドイツ工業にとつてほぼフル操業の年であつたとみることができる。各年の四月の操業度をみると,五五年の九〇%から五八年の八二%へと約九%の低下だ。しかもこれは全工業の平均であるから,産業によつては操業度がもつと大幅に低下していたはずである。
かかる操業度の低下は,IFO研究所のビジネス・サーベイにも明瞭にあらわれ,第2-26表にみるように現在の操業度が最適水準以上と答えた企業数の比率は五五年以来漸次低下しているのに対して(五五"年の八%から五八年の二%へ),最適操業度以下と答えた企業数の比率は五五年の二五%から五八年の四三%へと増加している。
iii) オーストリア一オーストリアのばあいも工業生産の拡大に比較して生産能力の拡大テンポが早かつた。オーストリア経済研究所の推定によると,一九五七,五八年とも製造工業の生産能力はそれぞれ七%増加した。一九五四年以来五八年末までに製造工業能力が三五%拡大されたのに対して,生産高は二七%しか増加しなかつた。そこで工業の平均操業度は一九五四年の八一%から一九五八年の七六%へ低落した(オーストリア経済研究所月報一九五九年三月号)。
このような過剰能力の出現により,投資の重点が拡張投資よりも近代化および合理化投資に移るのも当然であろう。いま西ドイツの製造工業の投資動機についてIFO研究所が昨年九月に行つた調査によると,投資総額に占める拡張投資の比重は五七年の四三%から五八年の三五%へ低下しており,とくに消費財工業では前年の二九%から五八年の一七%へと大幅な低下をみせている。これに対して合理化投資の比重は五七年の四五%から五八年の五四%へ高まつており,とくに消費財工業は合理化投資が前年の六六%から五八年の七六%へ高まつている。資本財工業も同様であつて,合理化投資の比重は五七年の四五%から五八年の五八%へ上昇している。
(b) 住宅建築
住宅建築は耐久消費財需要と並んで五三年下期以来における西欧経済の拡大を先導したが,今回の西欧リセッションにおいても景気後退を食いとめるに有力な役割を果したようである。元来住宅建築は金融情勢に敏感に反応するのみならず,西欧諸国の政府も住宅建築を一種の景気調整策として利用してきたといえる。
不況からの回復期には住宅建設を刺激し,ブーム灯にはそれをまず抑制するという政策が多かれ少なかれとられてきた。最近においても政府の刺激策と金融緩慢によリドイツ,イタリア,スイス,オーストリア,デンマーク,スェ―デン,オランダ等に住宅建築の再活発化の兆候がある。元来住宅建築は西欧の粗固定投資の二割から二割五分を占め,製造工業投資とあまり変らぬ比重をもつているので,その変動が景気循環に対して与える影響も大きい。とくに西ドイツでは住宅建築が大きな景気支持要因となつている。もちろん今日の西欧では住宅需要が五三年頃に比べてかなり充足されているから,前回のようにそれがブームを先導するか否かは疑わしいが,少くとも短期的にはかなりの拡大要因として働くものと思われる。
(3) 在庫投資
西欧全体の在庫投資は五七年に前年比一一億ドル増加したあと,五八年には七億ドルの減少を示し,それが五八年の西欧リセッションの一つの重要な原因となつた。西欧諸国の在庫統計は非常に不備であるが,資料の入手しうる諸国の動向から判断すると,原料品在庫は五七年末から削減されはじめ,この原料在庫の削減は五八年中に大体おわつた模様であるが,製品在庫は五八年中おそらく非自発的な蓄積をつづけ,年末頃から減少に転じたようである。OEEC一九五九年報告書は在庫の動きについて次のように判断している。「石炭を除くと,西欧における原料在庫は大抵の諸国で一九五八年中に蓄積を止めたか,または削減に転じたようである。製品在庫の情勢ははつきりしない……西欧全体としてみると在庫べらしの輸入に対する抑制的作用はもはやおわつたとみられるが,製品在庫の削減はまだおわつていないようである。」
イギリスの製造工業の在庫の動きは第2-30表のように,五七年末から在庫べらしが行われ,五八年末の在庫水準は前年末比で約五三百万ポンドの減少であつた。在庫べらしは最初まず原料在庫からはじまり,製品在庫はむしろ増加の傾向にあつたが,五八年下期からは製品在庫,仕掛品とも減少の傾向を示している。オーストリアでも原料品の在庫べらしはすでにおわつたが,製造工業の製品在庫はむしろ増加し,五八年末現在で一年前の水準を一九%上回つていた。ただし製品在庫の大部分は消費財であつて(一年前比三〇%増),投資財の製品在庫は五七年末をやや下回つていたとされている (オーストリア経済研究所月報五九年三月号による)。
在庫べらしは概して鉄鋼,石炭,繊維の三産業において最も顕著であつた。いまその代表的な例としで鉄鋼業をとりあげてみよう。
まずOEEC諸国全体の粗鋼生産の動きをみると,五八年第1・四半期中はまだ前月同期をわずか上回つていたが,第2・四半期から減少しはじめ,第4・四半期には前年同期を九・五%も下回つた。
国別にみると情勢はまちまちでベルギー,ルクセンブルグおよびイギリスの生産は年初から前年同期を下回り,イタリア,西ドイツでは王,四月頃から鉄鋼生産の減少がはじまつた。第4・四半期におけるこれら諸国の減産率(前年同期比)をみると,ドイツ一六%,イギリス一二%,イタリア一一%,ベルギー一〇%の減少であつた。これに対してフランスおよびザールの粗鋼生産は一〇月まで増産をつづけ,一一月から前年同期の水準を下回りはじめた。またオランダでは新設備の稼動もあつて生産は増大をつづけた(五八年全体では前年比二〇%増)。
こうした鋼生産の減少をもたらした要因が何であつたかといえば,大体において欧大陸諸国では主として消費者および販売業者の在庫べらしに帰因し,イギリスでは在庫調整のほか輸出および国内消費の減少が原因となつていたようである。
共同体六カ国の鋼材受注高および出荷高に関する第2-33表から明らかなように,五八年の共同体内部の新規受注と出荷高はいずれも前年を下回つたが,第三国向け受注高と出荷高はむしろ増加している。この事実からもうかがわれるように,共同体六カ国の鉄鋼不振の原因は共同体内部の需要低下にあつた。しかし,共同体六カ国の鉄鋼消費は最高機関の推定によると五七~五八年にかけて約三%増加したとされているから,域内需要の低落が在庫べらしに原因していたことは明らかだ。最高機関の推定によると,全鉄鋼在庫の最も大きな部分を占める消費者在庫は五八年第1・四半期にピークに達したあと,第2・四半期から減少しはじめた。間屋在庫は第1・四半期末まで増加をつづけたあと,第2・四半期に停滞的となり,年央以降減少に転じた。メーカー在庫も同じく年央から減少しはじめている。
鉄鋼消費者はブーム期の鉄鋼不足時代に大量の長期先物を発注し在庫の蓄積につとめたが,鉄鋼の供給力が増加して需給情勢が緩和され,売手市場から買手市場へ転換するに及んで手持在庫と発注済みの先物を使用して,新規発注を手控えるようになつたわけだ。その結果,メーカーの受注残高も従来のピークである五六年末の一五,二百万トンから五七年末の一二・八百万トン,五八年末の八・七百万トンヘ減少した。
イギリスのばあいは五八年における粗鋼減産量二・四百万トンのうち,約三分の一が在庫べらしに帰因し,四分の一が輸出の減少,約四五%が国内消費の減少に帰因する。国内消費の減少は石炭,鉄道貨車製造,造船,および建設業における減少が主因であつた。
第2-29表 粗固定投資総額に占める製造工業投資と住宅建設投資の比重
(4) 輸出需要
五八年におけるOEEC諸国の輸出数量は前年をやや上回つ光が(○・八%増),平均輸出単価が若干低下したため,金額的には前年比○・七%の減少となつた。
五八年の世界貿易が前年比六%の減少を示したのに比べると,西欧の輸出は比較的堅調であつたといえよう。しかし五三年以来の西欧経済の拡大において輸出の増加がきわめて重要な起動力となつたことから考えると,たとえわずかでも輸出が減少したことは,国内の経済活動に対してかなりなデフレ要因として働いたと思われる。
国別にみると,ノルウェー(八・八%減),オーストリア(六・一%減),ベルギー,ルクセンブルク(四・五%減)などの減少が比較的大きく,イギリス(○・七%),フランス (○・五%)などの輸出はわずかしか減少しなかつたし,またデンマーク,オランダ,西ドイツの輸出はむしろ増加している。
だが以上は年間としての数字であつて,四半期別にみるとOEEC全体としての輸出は五八年上期中減少をつづけ,とくに第2・四半期には前年同期比三・七%減であつたが,第3・四半期には前年同期の水準まで戻し,第4・四半期にはかなり回復して前年同期を約一一・四%上回つた。
地域別にみてどの地域向けの輸出がへつたかというと,域内輸出が五三・八百万ドル(三・二%),海外スター9ング地域向けが九・二百万ドル (一・七%),日本向けが五百万ドル(二〇%),減少したが,アメリカ向け輸出は二〇・七百万ドル(八・八%),ソ連向けは約百万ドル(一%)増加した。ラテンアメリカ向け輸出も約百万ドル増加したが,これは年間数字であつて,下期には減少に転じている。
西欧の域内貿易の減少は西欧自体の経済活動の停滞に帰因するのであるから,域内輸出の減少は西欧不況の結果であつて原因ではないとも考えられるが,しかし個々の国についてみれば他の諸国の輸入減少により自国の輸出が減少し国内経済活動がその影響をうけることになる。
西欧諸国間の貿易関係が緊密で,域内貿易の比重が非常に高いために,好況時においても不況時においても景気変動の波が域内に急速に波及するわけである。
域内貿易は五三年以後の経済拡大と貿易自由化政策により急速に増加したが(五三~五六年間に域外輸出が二〇%増であつたのに対し域内輸出は四一%増),五七年にはいつてからは経済活動の停滞を反映して増勢を停止し,下期には低下傾向を示しはじめた。域外輸出に比べて域内輸出の減少はその時期において早く,その幅において大きかつたようである。
とくに五八年上期には域内貿易が前年同期比四%減少し,それによつてベルギー,ルクセンブルク,スエーデン,ノルウェー,オーストリア,イギリスなどが影響をうけた。
域内貿易の縮小をもたらした最も大きな要因はフランスとオランダの輸入減少であつた。この両国は五七年春以来数度にわたつて国際収支是正のため引締政策を強化し,その結果フランスの域内輸入は五八年上期に一四%減少,オランダの輸入も同じく上期に一七%減少した。
この両国の域内貿易に占める比重は比絞的高い(両国合せて約一九%)から,その減少が比較的大きな影響を与えることになる。反面では域内貿易で最も高い比重(一六・六%)をもつ西ドイツの域内輸入は増加傾向をつづけ(五八年上期に前年同期比一〇%増),それが他の欧州諸国の輸出水準の維持に大きく貢献した。しかも西ドイツの域内輸出の増勢が殆ど停止したため,西ドイツ対他の西欧諸国の収支不均衡がかなり改善された。域内貿易についで輸出が減少したのは後進地域向けである。ただし国によつてかなりな相違があり,イギリス,ノルウェー,オーストリアなどの後進国向け輸出は比較的大幅に減少した。とくにイギリスの場合は海外スターリング地域向け輸出の減少が大きかつたようである。これに対して西ドイツやイタリアの後進国向け輸出はむしろ増加している。
他方西欧の対米輸出は米国不況にもかかわらず減少せず,とくに第4・四半期には大幅に増加した。五八年上期と五七年上期とを比較すると,さすがに原料品と半成品の対米輸出は減少したが(一八%減),完成品輸出の増大傾向は止まず約二割の増加であつた。しかしこの増加の大部分は自動車輸出の増大によるもので,他の消費材や機械類の輸出は微減であつた。
ただし西欧諸国のすべてが対米輸出を増加させたわけではなく,ベルギー,ルクセンブルクの場合主として鉄鋼輸出の減少により五八年上期の対米輸出は前年同期比二割も減少した。このほかスイスとトルコの対米輸出も減少した。
(5) 政府財政
五八年の西欧リセッションを食いとめる上で政府財政がかなりな役割を果したことは前述したとおりだが,それは政府支出の増加と赤字の増大という形をとつた。失業の増加や社会保障制度の改善で振替支払いが増加し,また国防以外の経常支出も増加した。さらに金利の低下と金融緩慢化が地方自治体による公共投資を促進した。また一部の国では中央政府が意識的に公共投資を増やした(オーストリア,ベルギー,オランダ,ノルウェー,スエーデン,スイス,イギリス)。他方歳入は景気の沈滞で当初の見積りを下回つたから,フランスを除く殆どすべての国で赤字が若干増加した。
このように政府財政は不況の深化を阻止するに役立つたけれども,少くとも五八年中は政府の景気対策の重点は財政よりもむしろ金融におかれていたといえよう。
そこで今回の不況期を通じて西欧諸国がとつた不況対策をつぎに概観してみよう。
欧州諸国の政府は前述したように五八年はじめ以来緩和政策を採用し,従来の引締めの重石を次第にとりはずしてきた。もつとも五八年上半期中はまだインフレの記憶も生々しく,それに米国不況の先行きに対する不安もあつて,引締め緩和もきわめて慎重であつたが,秋頃には米国景気の急速な回復や国内インフレの収束,外貨準備の大幅な増強を背景に緩和政策も次第に強化された。七月のOEEC閣僚会議においてはインフレを再び引おこさずに経済拡大を行う必要性が力説され,そのために国際協力による拡大政策をとるべきことが勧告された。
しかし概していえば,五八年中の西欧諸国の経済政策は積極的な経済拡大を意図したものといわんよりは,景気のこれ以上の後退を食いとめ,とくに失業増大の緩和を主たるねらいとしていたようである。
いま五八年中にとられた各国の景気対策をみるに,(1)公定歩合の引下げと銀行貸出制限の撤廃,(2)政府および民間の投資制限の解除,(8)住宅建築の刺激,(4)賦払購入の制限緩和,(5)財政支出の増額等があげられる。
(1) 公定歩合の引下げ
前述したように西ドイツは五五年下期から五六年上期にかけての引締め政策が効を奏して,五六年下期以来過熱景気が一掃されたので,早くも五六年九月には公定歩合を引下げており,その後五七年一月,同九月にも引下げを実施した。しかしこの西ドイツの場合はむしろ例外であつて,他の西欧諸国はイタリアを除き殆どすべての国が,五五,五六,五七年の三年間に高金利政策を採用してきた。いま公定歩合の引上げ回数を各年についてみると五四年はわずか一回(デンマーク)だけであつたが,五五年は一〇回,五六年は一一回,五七年は八回の引上げをみている。五五年から五七年までの間に西欧諸国の公定歩合は全部で三二回変更されたが,そのうち西ドイツの引下げ三回を除いて他は全部引上げであつた。国別にみると,ギリシャ,イギリス,ノルウェー,スエーデン,オーストリア,トルコ,ベルギー,西ドイツ,エール,オランダ,フランス,スイス,デンマ―クの一三カ国におよび,公定歩合を変更しなかつた国はイタリア,ポルトガル,エールの三カ国だけであつた。
しかるに五八年にはいると情勢は一変し,一月の西ドイツとオランダを皮切りとして同年中に公定歩合の引下げが二三回も行われ,国数では九カ国に及んでいる(西ドイツ,オランダ,ベルギー,イギリス,エール,デンマーク,スエーデン,フランス,イタリア)。五九年にはいつても公定歩合の引下げがあいつぎ,四月末までに八回の引下げが行われた。
このような低金利政策の結果,西欧諸国の公定歩合の水準もブーム末期の五%前後から三%前後まで低落した。国別にみるとイギリスは七%から四%へ,オランダは五%から二・七五%へ,ベルギーは四・五%から三・二五%へ,西ドイツは五%から二・七五%へ,フランスは五%から四%へ引下げた。
ただし,こうした公定歩合の引下げが多くのばあい市場金利の実勢に対する追随にほかならなかつた点に注意すべきであろう。国際収支の改善と国内資金需要の停滞により市場金利はすでに低落傾向にあり,銀行の流動性も著しく高まつていた。そのため西ドイツやオランダでは公定歩合を引下げる一方で公開市場操作や商業銀行準備率の引上げにより過大な流動性の吸収がはかられた。また西ドイツの公定歩合引下げは国内景気対策といわんよりはむしろホット・マネーの流入阻止と資本輸出の促進をねらいどするものであつた。
(2) 銀行貸出制限の撤廃
イギリス,ノルウェー,スイスにおいて実施された。
(3) 民間投資制限の解除もしくは民間投資の刺激策
スエーデンではブーム期に導入された投資税が五七年末に満期となつたが,その延長は行われなかつた。オランダでも五六年に停止された投資控除制が五八年はじめから復活された。
イギリスでは五八年四月に「初年度特別償却制」の償却率が引上げられた。デンマークでは五七年下期以来投資奨励のため各種の措置がとられた。ただしこれは主として同国の産業構造の改変を目的としたもので,それと同時に民間消費の抑制策がとられた。
(4)公共投資制限の撤廃,
イギリス,オーストリア,ベルギー,オランダ,ノルウェー,スエーデンで実行された。イタリアでも公共投資の増額が行われた。
(5) 住宅建築の促進
イギリス,ベルギー,デンマーク,ノルウェー,西ドイッで実施。
(6) 賦払信用の制限緩和,
イギリスでは撤廃,オランダでは緩和。
(7) 財政支出の増加
オーストリア,ベルギー,イタリア,オランダ,ノルウェー,スイス,イギリスなどの政府支出は増加し,フランスを除く諸国では概して財政赤字の増大がみられた。イギリス,オースーリア,西ドイツでは若干の減税が行われた。