昭和33年
年次世界経済報告
世界経済の現勢
経済企画庁
第九章 東南アジア経済の危機的様相
東南アジア諸国における農業生産の戦後の推移は,さきに述べたごとくであるが,地域内人口の増加率は平均年率一・四%であるのに対し,穀物生産は一九三四~三八年水準に対し二二%の増加でしかない。したがつて,一人当り生産高では一九五六~五七年度においても戦前平均に比べて八%も低いという状態にある。
なお一九四八年以後における食用作物の生産状況は,第9-3表のごとくである。
これで見てもわかるように,食用作物の生産はかなり順調に増加している。ことに食糧輸入国の生産はセイロンとフィリピンを除いて大部分の旨において増加している。しかしそれでも人口増加に追いつくことができなかった。他方,米の輸出国についてみると,ビルマと南ヴエトナムでは治安不良から米穀生産の立直りないし増産が阻まれ,ために戦前の輸出水準への回復がおくれている。タイでは米の生産は著増したが,国内消費も上昇したために,輸出余剰は戦前水準程度にのび悩んでいる状況にある。
セイロンの主要食糧である米の生産は一九三四~三八年の平均三四万トンから一九五五~五六年には七四一,〇〇〇トンと驚くべき飛躍的な生産増を示した。しかし,一九五六~五七年の生産はそれに比べて二四%もの減収であつた。セイロンでは一九五五~五六年の豊作で一九五六年五月から配給米価格を引下げたのであるが,これが昨年の不作と相まつて配給米に対する需要を高めることになつた。そのために食糧補給金支出の増高をまねき穀物の輸入を増加させざるをえなくなつた。すなわち穀物の輸入は一九五七年一~一一月間に六八八,〇〇〇トンと,同年同期輸入に比べ一三四,〇〇〇トン増であつた。そのためセイロンは中国とゴム・米バーター協定を修正の上,一九五八年からさらに五カ年間延長することとした。そして米の増産対策として,政府はさらに作物保険制度の導入を考えているとつたえられている。
インドの米の生産は,精米で一九五二年の二二,五三七,〇〇〇トンから一九五六年は二八,一四二,〇〇〇トンと二五%の増加となっており,対前年比増は五%であつた。加うるに一九五七年の春作小麦は記録的収穫をあげ,その他の穀物の大部分も前年作を大幅に上回る豊作であつた。しかしそれにもかかわらず一九五六年から各地に深刻な食糧不足が現われ穀物価格は鰻上りに上昇した。この値上りは一つには全般的なインフレ傾向を反映するものであつたが,底流をなす特殊な原因は,経済開発の進展にともない穀物需要が増大し,同時に上級穀物への嗜好が強められたことにあるといわれている。加うるに過剰地域から不足地域への穀物輸送難と食糧価格の値上りと交易条件の改善により,生産者側が出荷を抑制したことがかち合つたために混乱をきたしたようである。このためにインドの穀物輸入は増加し,一九五七年は第三・四半期までに前年同期の輸入を一四五万トンも上回る二一二万トンにおよんだ。昨年一一月の食糧調査委員会の行つた推定よると,たとえ平年作を確保することができても,今後数年間は二〇〇万ないし二三〇万トンの穀物輸入が必要だといつている。
インドネシアの籾米生産は,一九五六年に一一,三八九,〇〇〇トンで一九三四~三八年平均生産に比べて一,四〇二,〇〇〇トンの増産となつている。しかし,戦後の最も豊作だった一九五四年生産に比べると三五八,〇〇〇トン減少している。インドネシアの一九五六~五七年の一人当り穀物生産は戦前(一九三四~三八年)の一〇〇に対し八六で,東南アジア諸国のうちではビルマに次いで回復のおくれている国であり,したがって,食糧輸入は戦前に比べてかなり増加している。しかし一九五七年一~一〇月間の米の輸入高は生産の対前年比増を反映して,前年同期に比べて一二九,〇〇〇トン減の別七五,〇〇〇トンで為つた。
マラヤの一九五六~五七年の未作は前年度を一五%も上回る豊作であつた。したがつて,一九五七年一~一〇月間における輸入量はシンガボールをふくめて,前年同期より約四%減の四四七,〇〇〇トンであつた。小麦粉の輸入量も約五分の一方減少した。
パキスタンの一九五六~五七年度産米は約九〇〇万トンで前年度を一八〇万トンも上回る豊作であつた。春作小麦の収穫量も前年に比べて一〇%ちかい増加となつている。一九五五~五六年は凶作で,ために食糧供給不足が深刻であつた。一九五七年はいくぶん緩和されたが,しかし,一人当り穀物生産は戦前に比べてなお八%下回つており,したがつて,食糧輸入の減少までに至らず,おそらく五七年間の輸入は四六三,〇〇〇トンに達したものと推定されている。
フィリピンでは一九五六~五七年度の米収は前年より一・三%方ふえ,とうもろこし根菜類も著しい増収であつたが,それにもかかわらず,一-一〇月間の穀物の輸入量は二五五,〇〇〇トンで,前年同期と比べて六六,〇〇〇トンの増となつている。
米の輸出国である,ビルマ,タイ,カンボジア,南ヴエトナムの戦後の生産について見ると,ビルマの籾生産は一九三四~三八年の六,九七一,〇〇〇トンに対し,一九五六年は六,四六四,〇〇〇トンで七%の低下を示している。
したがって,地域内では対戦前比で見た一人当り穀物生産の最も低い国で,一九五六~五七年の生産が前年度に比べて一〇%も増収だったにかかわらず七二となっている。しかしヘクタール当りの収量では戦前水準を一三%上回っている。タイの戦後の籾生産は,戦前(一九三四~三八年)の四,三五七,〇〇〇トンに比べて一九五六年が八,三一八,○○○トンで,ほとんど倍ちかい増産となつており,ビルマと対照的なパタンを示している。したがつてタイでは一人当り穀物生産高も,戦前の一〇〇に対し一九五六~五七年は一三二となつており,地域内では,セイロンの一〇三を除いてはたつた一つの戦前水準をぬいている国である。
カンボジアと南ヴエトナムの戦後の生産も比較的大幡で,カンボジアは一九三四~三八年の平均七〇万トンから一九五六年には一五三万トンに二倍以上となり,ヴエトナムの戦前の生産数字は捕捉できないが,一九五四年の二,三一二,〇〇〇トンに対し,一九五六年は三,四一二,〇〇〇トンと飛躍的な増産となっている。
以上のように米輸出国の戦後の生産はビルマを除いては一様に大幅な上昇を示している。したがって,年輸出量も第9-4表に見られるように一九四八~五二年平均の二九〇万トンから一九五七年は三九〇万トンと大幅に増加しているが,しかし輸入の増加割合はこれより大きく三〇〇万トンから四二〇万トンとなっており,同時に小麦の輸入も四七〇万トンから六四〇万ーンと急速度の増加を示している。
一九五八年の生産は,ECAFEの経済概観によると,輸出四カ国では,モンスーンが遅れ,そのため米の収穫がおくれたばかりでなく,収穫量も減少したと見られている。またインドでは米作面積の半ば以上を占める北東部では減収が予想されており,パキスタンでは産米の第一次収穫予想によると作付面積では微増)ているが,東パキスタンでは約五〇万トンの米が不足すると見込まれており,セイロンとインドネシアでは米の収穫が早魁と洪水で被害をうけた模様であり,地域全体として良好な状態にあるとはいえないようである。したがって,輸出可能量は,一九五七年より減る見込みが強く,食糧輸入国では,むしろ増加するか,増加しないまでも減少するという見込みは少ないと見られている。