昭和33年
年次世界経済報告
世界経済の現勢
経済企画庁
第八章 第二次五カ年計画の発足と中国経済発展の見通し
一 新しい工業化路線の提起と「一五年でイギリスに追いつけ」の呼びかけ
中国は,第一次五カ年計画(一九五三-五七年)を完了して今年からいよいよ第二次五カ年計画(一九五八-六二年)に入つた。第一次から第二次に移行するにあたつてもつとも注目にあたいすることは,過渡期における社会主義建設の基本方針=工業化路線の上で重要な転換が行われたことである。周知のように,第一時五カ年計画の時期における工業化の基本路線は,重工業の優先的発展という点に集中的に表現されていた。これに対して中国共産党第八回全国代表大会(一九五六年九月)のころから,漸次農業および軽工業発展の重要性が強調されるようになり,とくに去年の後半にいたつて「重工業優先を前提とする工農業並行的発展」の方針として明確に定式化されるにいたつた。去年一二月上旬に開かれた中国労働組合第八回全国代表大会で,国家計画委員会李富春主任は次のようにのべている。
「わが国の第二次五カ年計画の期間における国民経済発展については,党中央が提起した,重工業優先を基礎として工業と農業とを同時に発展させるという方針を貫徹し,実行しなければならない。これはわが国の社会主義工業を実現するための正しいみちすじである。わが国の経済建設は重工業を中心とし,重工業をして優先的に発展させ,それによって第二次五カ年計画の期間にわが国の社会主義工業化のための強固な基礎をうちたてなくてはならない。しかしまた同時に農業の建設に十分に注意をはらい,農業生産全体をできるだけはやく発展させ,それによつて人民生話と国家建設の必要により多く適応するようにしなければならない。」社会主義建設における農業部門の重視という問題は,中国にだけ特有のものではなくて,スターリン批判以後多かれ少なかれ社会主義諸国にあらわれている共通の新しい傾向である。いままでのように重工業優先を高度に強調することをやめて,工業化をより均衡のとれた基盤の上におき,同時にできるだけ国民生活をひきあげるために努力するという方向が最近社会主義各国でうちだされていることは周知のとおりである。中国でもこの方針が最初に提起された中共八全大会が開かれたのはソ連共産党二〇回大会の半年あと,ハンガリー事件の直前であったことを考えればその国際的連関性はおのずからあきらかであろう。
またこのような方針が最近における国際的緊張の緩和によつて可能となつたこともまたわすれてはならない。オスカー・ランゲは,ポーランドが一九四九~五四年の時期に重工業優先を極度に強調した原因の「もつとも重要なものはじつさいには冷戦の情勢であり,すみやかな工業化,とくに国防力強化を主要目的とする工業化の願望であった」(「社会主義へのポーランドの道に関連する若干の問題について」ポーランド出版社一九五七年)といっているが,中国でも朝鮮戦争につぐ冷戦の時期に重工業優先の方針が強く推進されたことはやむをえないことであつた。したがって国際状勢の変化とともに国民生活をより多く高め工農業を均衡のとれた基盤のうえにうちたてるという方針への転換がいちはやく提起された上いう側面をみのがしてはならない。
しかし中国における以上のような工業化路線の重要な転換は,以上のような一般的要因と同時に中国の具体的現実とその特殊性とむすびついて提起されていることは今後の中国経済発展をみるばあいにきわめて重要な意義をもつている。この問題について毛沢東は一九五七年の二月に行つた「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」という有名な講話のなかでこういつている。
「わが国は大きな農業国であり,農村人口は全国人口の八〇%以上を占めており,工業の発展と農業の発展を並行させてはじめて工業は原料と市場をもち,そうしてはじめて強大な重工業をうちたてるために多くの資金を蓄積することが可能となる。
この重要な結論は,第一次五カ年計画の期間における建設の過程を詳細に分析してみちびきだされたものである。それによれば,農業の発展が国民経済全体の発展にとつて当面の急務であるということがはつきりわかる。
第一次五カ年計画は工業生産総額で一七%,農業総生産額で若干を超過して,全体としてはきわめて成功的に達成された。しかしその過程について分析すれば,なおかなり重大な問題点が伏在していることがわかる。第8-1表は第一次五カ年計画の期間における農業の豊凶状況と,国民経済発展テムポとの関係を示したものである。
この表は,各年度の国民経済全体の発展のテムポが,その前年の豊凶状態によつて著しい影響をうけることをうきぼりにしている。
たとえば,前年度が豊作だった一九五六年には国家財政収入と工業総生産額は,それぞれ一五・八%,三一・一%と大幅にのびたが,前年度に災害のもつとひどかつた一九五七年度には,それぞれ一・九%,六・九%と,のびかたが,がた落ちになり,基本建設投資額は逆に一一・六%減とさえなつている。これは農業の豊凶の波動が社会主義的計画経済の正常な拡大再生産をかきみだすことを意味しており,経済建設過程でのいろいろのアンバランスを生みだす原因ともなつているのである。
このような事実を生みだした原因をつきつめれば,新中国が遺産としてうけつがねばならなかった生産力の一般的低位性にあることはいうまでもない。したがつて今後の経済建設をより安定した基盤にのせて,高い速度で工業化をはかるためにはどうしても当面農業の立ちおくれを解決し,少なくとも農業におけるこのような重大な自然災害の影響をある程度制御しうる条件をつくりださねばならない。新しい工業化路線として提起された工農業並行発展の方針はこのような事情をその背景としている。この方針の骨子は,第一に,水利を興し,単位面積あたりの収穫量をふやして農業の発展を強力に推進すること。第二に,農業を推進するために「重工業はその発展過程において内部的な関係を適当に調整し」て,「農業に奉仕する工業部門」,たとえば化学工業(とくに化学肥料と合成繊維)および冶金,燃料,発電および機械工業(とくに農業,水利機械)などを重点的に発展させること。
このような方針がだされて以来,今日までにすでにいろいろの具休的措置がとられている。第一次五カ年計画における基本建設投資のうち工業と農業の占める創合は六・六対一であつたが,一九五八年度計画にあらわれたその比率をみると四・七対一となつて農業への投資が著しく増加している。今後「突出した発展」を要請され,しかも現在では「国民経済のうちでの弱い一環」とされている化学工業部門をとつてみると,第二次五カ年計画の化学肥料生産目標は,当初の三〇〇-三二〇万トンから昨年末七〇〇万トンに引きあげられその後さらに一,〇〇〇万トンに引きあげられた。今年度の化学肥料工業への投資額は去年の二倍にふやされ,今年中に建設される基準額以上の化学肥料工場は一七におよんでいる。また昨年一〇月の「全国農業発展要綱改正草案」の発表にひきつづく全国的な水利灌漑建設運動については後にのべる。
第二次五カ年計画の発足にあたつてもう一つ注目されることは,去年一二月上旬の労働組合第八回全国大会で,「一五年間に鋼およびその他の重要な工業製品の生産高の上で,イギリスに追いつき追いこせ」という遠大な行動目標が設定されたことである。
李富春はその大会での演説で次のようにのべている。
「わが国が三つの五カ年計画あるいはそれよりやや多くの時間を経て社会主義強国をうちたて,さらにすすんで第四次五カ年計画を完成したころ,わが国は鋼鉄およびその他の重要な工業製品の生産高でイギリスに追いつき追いこすことができる。概略の計算によると,一九七二年には,わが国の鋼生産は三,五〇〇万トンないし四,〇〇〇万トンに達し,一九五七年の七・六倍に増大することができる。」李富春はつづいてイギリスに追いつくことを可能にする条件として,社会主義制度の確立,大量の人口,豊富な資源,ソ連およびその他社会主義諸国の援助,進んだ技術を直接吸収する可能性,共産党の指導の六つをあげている。
中国ではすでに生産手段所有制の面で社会主義的生産関係を基本上確立し,さらに去年の反右派斗争と整風運動を通して政治上,思想上の社会主義革命がより一層おしすすめられたようである。これによつて生産力の発展の為に広い道がひらかれたわけで,今後の課題はこの有利な条件を利用して急速に生産を発展させることにあるものといえよう。まさにこの時期に「一五年で追いつけ」というスローガンが提起されたわけで,広範な大衆の意識を統一して,これを一大生産運動にもりあげることが中国の為政者としての主要な意図であろう。現に今年二月に開かれた人民代表大会を契機として「一五年で追いつけ」はひろく当面の中心的なスローガンとして大衆の間に浸透していつたようである。
このようなよびかけを中国が大胆に出したことについては国際的にもかなり大きな反響があったようである。去年一二月二七日のロンドン・タイムスは「セント・ジョージ(注 イギリスを指す)とドラゴン」と題する論評をかかげていたが,その中で次のようにのべている。「競争のなかまに人つて来たのはロシャ人だけではない。いまや中国人も資本主義世界に対する競争に入って来た。」「ロシヤ人が当然にアメリカ人ととりくんだところで,中国人はイギリス人を相手にえらんだ。」「一ぴきの巨竜がわれわれのすぐうしろに迫つてくるだろうから用心した方がよい」。
またイギリス労働党議員,もと商相ハロルド・クイルソンは最近米,ソ,中国を旅行して帰国したがそのあと次のような感想をのべている。
「イギリスはソ連と中国から重大な経済上の挑戦をうけている。……中国は今年一五年間に大規模な発展計画をすすめる意図だ。競争者とすればイギリスの輸出産業にとって危険千万だ。しかし六億顧客とみれば中国はイギリスにとつてやがて無限の市場になるだろう」(「国際事情」五八年三月二〇日号)。