昭和33年
年次世界経済報告
世界経済の現勢
経済企画庁
第一章 総 論
(1) 世界経済はどのくらい拡大したか
まず五三年から五七年までの間に世界経済の規模がどの程度拡大したかを鉱工業生産と貿易についてみると,一九五三年を一〇〇とする国連作成の世界鉱工業生産指数は一九五七年に一一八となった。つまり世界全体として一八%の増加であるが,これを地域別にみると,アジア(日本をふくむ)は五六%増で最も成長率が高い。ラテン・アメリカの成長率は三一%でこれまた世界平均を大きく上回っている。しかしこの両地域はきわめて低い水準から出発したため増加率が高くなっている点に注意を要する。のみならず世界の鉱工業生産に占めるこの両地域のウエイトはわずか八・八%(アジア四・七%,ラテン・アメリカ四・一%)にすぎない。世界鉱工業生産の約九割という圧倒的な比重を占める欧米(北米五六・九%,欧州三一・一%)の生産増加率をみると,北米がわずか七%増であったのに対して,欧州は三二%もの増加である。そこで一九五三~五七年間の世界鉱工業生産の拡大に対して最も多く寄与したものは欧州であつたということができる。
では世界貿易は同じ期間にどの程度拡大したか。世界貿易を輸入額でみると,五三年の七六五・六億ドルから五七年の一,〇七〇・一億ドルへと三〇四・五億ドルの増加であつた。このうち欧州の増加分が一六〇・六億ドル(世界増加分の五二%),北米の増加が三九億ドル(一三%),日本の増加が一八・七億ドル(六%)である。以上三地域を工業諸国とすれば工業諸国の輸入増加合計額は世界輸入増加総額の実に七一%を占めている。とくに欧州は世界輸入増加額の約半分という大きな比率を占めている点が注目される。また各地域の輸入増加率をみても,世界平均の四割増に対して,欧州は五割増で北米の約二四%増をはるかに上回っていた。
以上のように鉱工業生産からみても輸入額からみても五三年以来の世界経済の拡大に最も大きく寄与した地域は欧州であつたということができよう。もちろんこれは米国が同期間に景気後退を経験したのに対して,欧州経済は上昇一路をたどつてきたことと,欧州の輸入依存度が高いのに対して米国経済の輸入依存度が低いという事情によるものである。
(2) 経済拡大の性格
国連世界経済報告によると,五三年以来の工業諸国における経済拡大は,「戦争直後の時期にみられたような延期需要を原動力としたものではなく,また朝鮮動乱の時期のように軍拡景気によつて推進されたものでもなかつた。
それは戦後はじめての平時的な経済拡大であった」(国連,世界経済報告,一九五七年版)。たしかに五三年以来の欧米活況は戦争直後の異常な需要や軍拡景気を原動力としたものでなかったという意味で,多分に平時的好況としての性格をもつていたとみることができよう。しかし戦後復興需要や延期需要ばそれ以前の時期にかなり充足されていたとはいえ,決して汲みつくされていたわけではなく,むしろ今回の経済拡大のキッカケがこの種の需要の発動にあり,その意味でかなり大きな役割を果したのではないかと考えられる。欧米の景気回復を先導した住宅建築は主として戦後復興需要を反映したものとみることができるし,耐久消費財(とくに自動車)に対する需要にもかなりな程度延期需要があったに相違ない。とくにヨーロッパのばあいはそうであつたと考えられる。しかしそうした住宅や耐久消費財に対する延期需要が契機となって経済が拡大局面にはいつてからは,景気の支柱も主として設備投資に移り,ここに空前の投資ブームが現出したのであった。この投資ブームにおいてもとくにヨーロッパのばあいまだかなりな復興需要が残つていたが,それと同時に戦争中の軍事技術の平和利用ーいわゆる技術革新が投資ブームの大きな推進力となり,新製品の製造,新技術の採用を中心として投資の重点も次第に拡張投資から近代化投資へ移つてきた。完全雇用の実現による労働力不足,賃金コストの上昇などがこの風潮を促進したことはいうまでもない。
それと同時に欧米の国防支出がブームの下支えをしていた点を見逃してはならない。この期間中欧米諸国の国防支出は停滞的ないし減少的傾向を示して経済拡大要因とはならなかつたけれども,冷戦の継続を背景として平時としてはきわめて高い水準を維持してきた。
いま五三年以来の欧米好況を回顧してみると,ほぼ次の三つの時期にわけることができるであろう。
第一期(五三~五四年)-静かなる上昇の時期。欧州の景気回復と米国の景気後退。
第二期(五五~五六年)-全面的な拡大期。投資ブームの成熟,インフレとの戦いの時期。
第三期(五七~五八年)-ブームの終りと後退のはじまり。
いうまでもなく,右の三つの時期区分は必ずしも厳密なものではなく,単なる大雑把な目安にすぎない。たとえば米国景気はすでに五四年第四・四半期に回復に転じていたし,欧州の投資ブームはすでに五四年の下期ごろからはじまつていた。またインフレとの戦いは五七年中も大部分の国でつづけられ,現在でもある程度そうだといえよう。
(3) 第一期(五三~五四年)-静かなる上昇の時期,欧州の景気回復と米国の景気後退
五三~五四年の時期の最も著しい特徴は,欧州が五二年の朝鮮ブーム反動不況から回復しはじめたのとほぼ時期を同じくして米国景気の後退がおこつたことである。周知のように米国経済は一九五三年第三・四半期から一九五四年第三・四半期にかけて軍事支出の減少と在庫削減を主因とする軽度のリセッションに見舞われた。五三~五四年リセッションの規模と持続期間は四八~四九年リセッションとほぼ同様であったが,その対外的影響においては非常にちがつていた。四八~四九年の米国リセッションが欧州諸国の国際収支に打撃を与え,広範な平価切下げの波をひきおこしたのに対して,五三~五四年の後退は欧州に対してほとんど何らの影響も与えなかつた。米国の輸入は減少したが,海外軍事支出の増大がそれを相殺した。のみならず欧州の金・ドル準備が豊富であつたことが,米国リセッションの衝撃を吸収した。欧州経済は米国景気の後退を尻目に上昇しはじめた。
欧州経済の拡大は後進諸国の輸出と国際商品相場を支え光ばかりでなく,米国の輸出を増加させることで米国景気回復の一因とさえなつた。
第1-3表 1953~1954年における世界の鉱工業生産と輸入数量
国連統計によつて世界鉱工業生産の推移をみると,五三年は前年比六・四%増,五四年は前年比増減なしとなつているが,世界鉱工業生産が五四年に前年の水準を維持しえたのは欧州の生産が約九%増加した結果であつて,北米の生産は七%の低下を示した。
世界貿易の動きも同様であつて,北米の輸入数量は五四年に七%減少したが,欧州の輸入が一一%も増加(欧州地域外からの輸入は八%増)したのと後進諸国の輸入も減少しなかつたため,世界貿易量は全体として前年比五%の増加を示した。
このように,五三~五四年の世界経済は西欧経済の拡大によってリードされたわけであるが,それでは西欧経済の拡大をひきおこした原動力はどこにあつたか。
西欧経済の上昇局面は最初まず朝鮮ブーム反動期(一九五二年)からの回復という形をとつた。ブーム反動期に欧州の過剰在庫が整理されたことが次の上昇局面を準備した。欧州諸国の金融政策は緩和され,若干の減税が行われた。この減税は賃上げと五三年の欧州豊作による農村購買力の増加と相まつて消費の拡大をもたらした。反動不況期に低落をつづけた物価がこれ以上低落しないという予想も消費を刺激Lた。消費は最初繊維や食糧など非耐久財部門において増加したが,やがて重点が自動車その他の耐久消費財に移行した。賦払い信用の発達が耐久消費財ブームを助けた(英国では五四年に賦払い信用制限が廃止され,フランスでは政府資金による低利の賦払い信用会社が創設された)。
耐久消費財ブームと並んで西欧の経済拡大の原動力となったつのは住宅建築であった。西欧の住宅建築は五二年のリセッション中も増加をつづけて一つの有力な景気支持要因であったが,五三年には金融緩和を背景として住宅建築が急増した。住宅完成数を見ると,OEEC諸国全体で五二年の一二三・五万戸(前年比三%増)から五三年の一四七・一万戸(一六%増)五四年度の一六二・六万戸(一〇%増)へと大幅な増加を示した。
住宅以外の固定投資も五四年後半から増加しはじめたし,輸出も北米向けを除いて増加し,とくに欧州内貿易が域内貿易自由化の進展に助けられて増加した。
いまOEECの統計により五三,五四年の国民総支出の変動をみると第一-四表のごとくである・実質GNPの成長率は五三年四・九%,五四年四・七%であつたが,最終需要のうち伸張率が最も高かつたものは耐久消費財支出(五三年一三・六%増,五四年一五・二%増)住宅建築(五三年一九・四%増,五四年一一・三%増)・および輸出(五三年一〇・一%増,五四年一三・五%増)であつた。
以上で明らかなように,五三年と五四年に世界経済を支えたものは西欧経済の拡大であつたし,またこの西欧経済の拡大は主として住宅建設と酎久消費財の好況によつてひきおこされたとみることができる。反面米国経済は五三,五四年の時期に軽度のリセッションに陥つたので,世界経済全体としてはごくわずかの上昇しか示さなかつた。
この五三,五四年の時期のいま一つの特徽は,西欧経済の拡大が物価の高騰や国際収支難をほとんど伴わずに行われ,いわゆる数量景気を1出したことである。西欧経済拡大の初期に産業設備と労働力の予備がかなりあつたため,需要の増加を遊休設備や労働力の動員によってみたすことが可能であつた。また米国景気の後退で西欧の輸入価格が低落傾向をつづけたことも物価の安定に役立つた。
(4) 第二期(五五~五六年)-全面的拡大の時期投資ブームの成熟とインフレとの戦いの時期
この時期の特徴は,西欧の経済拡大がますます加速化されたばかりでなく,米国経済が急速な回復をみせたために,ブームが全世界的な規模で拡がつたことである。とくに欧州では貿易自由化の進展に助けられて域内貿易が拡大し,好況がつぎからつぎへと波及した。経済拡大の主柱も住宅建築や耐久消費財から次第に設備投資に移行した。
EEC諸国の粗固定投資(住宅を除く)は五四年の前年比八・九%増のあと五五年には一三%という大幅な伸張を示した。欧州に一年おくれて現出した米国の投資ブームは五六年に絶頂に達し,前年比で一六%も増加した。
このような投資ブームが一つにはそれ以前の時期における消費の増加,と交に耐久消費財需要の増加に誘発されたものであることは想像にかたくない。非耐久財やサービスに対する需要にくらべると酎久消費財需要は比較的多くの投資を誘発するからだ。ECE一九五七年次報告も「一九五五年までの継続的な拡大期の特徴であつた投資増加の主要な部分は所得の増加,したがつて消費の増加と結びついていたとみることができよう」と述べている。政府の投資助成策も有力な役割を果した(英国は一九五四年にインベストメント・アラウワンス制を採用したし,西独は一九五二年に投資助成法,一九五三年に逓減償却制を採用した。スエーデンは新規投資に対する課税を一時的に撤廃した等々)。
このような消費増大に帰因する投資のほかに,技術革新が新産業の造出,既存産業の合理化および近代化のための投資を刺激したことはいうまでもない。ほとんどすべての欧米諸国で完全雇用ないし超完全雇用が実現し,労働力とくに熟練労働力の不足がめだつた。鉄鋼,燃料,輸送などにも隘路が生じてきた。数量景気は次第に価格景気に移行した。西独を除く欧州諸国では概しで国内需要の圧力が輸出を妨げ輸入を増加させることで国際収支の悪化を招いた。生産性を上回る賃上げ,物価高騰,国際収支難が次第に一般的な傾向となつてきた。インフレとの戦いが各国政府の主要な課題となつた。
スカンジナヴイア諸国はすでに五四年にディス・インフレ政策を採用しで国内需要の抑制につとめた。ついで英国が五五年一月に公定歩培をひきあげた。オーストリア,ベルギー,オランダ,西独なども同年五月から一〇月までの間に公定歩合の引上げを中心とする引締め改策にのり出した。米国も五五年四月に公定歩后をひきあげた。各国の引締め政策は五六年も強化された。
経済引締めのための手段としては主としで金融改策が採用された。公定歩合の引上げのほか,公開市場操作,最低支払準備率の引上げ,中央銀行の再割枠削減,銀行貸出しの制限等が行われた。このような一般的な引締め政策と並んで,選択的な手段も採用された。投資削減のためには新規資本発行の統制ないしその強化(英,デンマーク,ノールウエー),工業投資に対する課税(スエーデン,ノールウエー),法人税引上げ(スエーデン,フランス)資本財輸入制限(ノールウエー),減価償却優遇措置の撤廃(英国,オランダ)等がとられた。また消費抑制のための措置としては月賦販売の制限強化(英,オーストリア,フランス,オランダ,スエーデソ)があり,さらに消費購買力吸収のために補助金の削減や間接税の引上げも行われた(英・フインランド・スカンジナヴイア諸国)。逆に国際収支に問題のない西独などでは物価高騰抑制の見地から間接税の引下げや補助金の増額が行われた。住宅建築に対する政府の補助金も概して削減された。
これらの引締め政策は遅速の差こそあれ需要の抑制に効果をあげた。とくに引締めの対象となつた欧州の住宅建築は早くも五五年に頭打ちとなつた(OEEC諸国の住宅投資は五四年一一%増のあとをうけて五五年に前年比四・五%増,五・六年にはわずか二・二%増にすぎなかつた)。住宅建築の不振は政府の補助金削減や金融引締めによる金利高騰,資金不足のほか,地代や建築コストの値上りが原因となつた。米国の住宅建築もほぼ同様の理由から五五年下期から低下しはじめた。西欧の耐久消費財ブームも月賦販売の制限で五六年には衰退してきた(OEEC諸国の耐久消費財支出は五五年に一一・三%増のあと,五六年にはわずか三・四%の増加にとどまつた)。とくに英国の自動車工業は国内販売の不振により沈滞した。米国の自動車販売高も五五年の七四〇万台をピークとして五六年には六〇〇万台に低落した。これは一つには五五年の自動車販売高が過大な信用供与により膨脹したことの反動ともみられる。
住宅以外の固定投資も五六年下期頃から著しく増勢を鈍化してきた。住宅や耐久消費財にくらべて産業投資が比較的長く引締め政策の影響を受けなかつた理由は,欧米では自己資金による投資の比重が大きいことと,産業投資はその性質上完成までに比較的長期間を要するからだと思われる。また英国では政府投資の比重が大きく,これがかなり長い間金融引締めの影響をうけなかった点があげられる。
資源のフル利用による物的限界と前述した引締め政策により,さしもの欧米ブームも五五年を絶頂として五六年には拡大率の著しい鈍化傾向を示しはじめた。OEEC諸国の実質国民総生産は五五年に六・三%増加したあと,五六年にはわずか三・七%の増加にとどまつた。
第1-7表 1955~1956年におけるOEEC諸国の国民総支出の成長率
(5) 第三期(五七~五八年)-ブームの終りと後退のはじまり
一九五七年は世界経済にとって波瀾の多かつた年であるとともに,景気循環の一転換点を画した年でもあつた。
まず五六年末のスエズ問題の余波が五七年はじめの欧州経済に重くのしかかつた。またスエズ問題が一つの契機となつて世界的なドルギャップが再現した。欧州ではさらに西独と他の諸国との収支アンバランスの激減からつよい通貨不安がおこり,フランが切下げられ,英国,オランダその他の外貨準備が大幅減少し,引締め政策が一段と強化された。それでなくても拡大鈍化傾向を示していた欧州経済は第四・四半期に停滞的傾向をみせはじめた。米国景気は設備投資の頭打ちから年初来停滞的となり,第四・四半期に戦後三回目の後退にはいつた。スエズ問題で一時的に高騰した国際商品相場も五七年二月頃から再び低落しはじめ下期から落勢が急歩調となつた。となつた。それは後進諸国の輸出収入に打撃を与え,経済開発の行過ぎと相まつて後進諸国の外貨不足を一層激成させた。こうしてほぼ五七年第四・四半期に米国,欧州,後進諸国とも経済情勢が一斉に悪化しはじめた。この情勢は本年にはいつてからもつづいており,世界景気の前途に暗い影を投げかけている。米国景気の後退とその影響,欧州経済の現状,後進諸国の輸出不振と外貨難については次節の「世界経済の現状と問題点」で取扱うことにして,ここでは五七年における重要な出来事としてスエズ問題の余波とドルギャップの再現および欧州の通貨不安の三点について簡単に述べておきたい。
(一) スエズ問題の余波
まず五七年はじめの欧米経済は前年末におこつたスエズ運河閉鎖の影響の下にあつた。北米から欧州へ緊急石油輸送が行われるとともに,欧州内部においても石油の配給統制が実施された。中東石油の供給杜絶から欧州工業生産の低下や物価の高騰が憂慮されたが,三月におけるスエズ運河の再開とともに事態は急速に正常化された。工業生産に対する影響は欧州の自動車工業が若干打撃をうけた程度であったし,海上運賃の高騰や輸入原材料価格の高騰も一時的な現象におわつた。しかしスエズ問題は西欧の国際収支に対してかなり大きな傷痕を残した。それでなくても経済規模の膨脹により石炭,屑鉄,鉄鋼,非鉄金属,ゴムその他の工業原材料および燃料の対米輸入が増加していたのに加えて,スエズ運河の閉鎖はドル石油の輸入激増により欧州の対米貿易尻を悪化させた。このほか五六年の欧州不作による小麦の対米輸入,米国余剰綿花の安売りによる綿花の輸入が五六年下期から五七年上期にかけて急増した。このように欧州の経済拡大による限界輸入性向の上昇に加えてスエズ問題その他の臨時的要因によって対米輸入が激増したため,欧州の対米収支は五六年第四・四半期以来急速に悪化し,ドルギャップが再現した。
(ニ) ドルギャップの再現
ドルギャップの再現は欧州だけではなく世界的規模においておこつた。一九五二年第二・四半期以来毎年約十数億ドルの割合で諸外国の金ドル準備をふやしてきた米国の国際収支は五六年第四・四半期から黒字に転じ,それが五七年第三・四半期まで一年間つづいた。その間に諸外1は米国との取引で約九億四千万ドルを失つた。このドルギャップの再燃は前述したようなスエズ閉鎖その他の特殊要因のほか,世界的な経済の過大膨脹による対米輸入の激増に帰因するものであるが,夏から秋にかけて欧州はじめ諸外国の引締め政策が強化されると同時に特殊要因も消滅したので,五七年第四・四半期には米国の国際収支も再び赤字に転じ,ドルギャップの問題は一応消滅した。(ドルギャップの問題については後出「米国景気後退の対外的影響」の項を参照)
(三) 欧州の為替不安
以上のような対米収支を通ずるドルギャップに加えて,欧州内部で西独と他の欧州諸国との収支不均衡が激成され,ヨーロッパに強い為替不安がおこつたことも五七年の一つの大きな特徴であった。西独国際収支のひきつづく好調とフランスの外貨危機でドイツ・マルク切上げの噂が春頃からひろまつて,国際的な為替スペキュレーションがおこり,欧州の短期資金はポンドとフランから逃避して西独と米国に向つた。ドルギャップはさらに拡大し西独の金・外貨準備は急膨脹した。八月におけるフランの実質的切下げがスペキュレーションに拍車をかけた。それによって最も大きな被害をうけたのはポンドであり,ついでオランダ・ギルダーであつた。
英国の金ドル準備は七月から九月までの三カ月間に九二〇百万ドルを失つた。
だが九月のIMF総会で英,独代表が為替レートの変更を行わぬ旨を声明するとともに,英国が公定歩合の大幅引上げ(五%から七%へ)その他の一連の緊急非常対策を実施したことにより,さしもの為替スペキュレーションも終焉した。
西独や米国に逃避した資本は次第に英国やオランダに還流した。西独の金ドル準備が一一月以来減少に転じた反面,英国やオランダの金・ドル準備は一〇月から回復しはじめた。
こうして五七年第四・四半期以後欧州内部の収支不均衡が緩和されたばかりでなく対米収支も改善された。五六年末から五七年上期にかけて欧州の対米輸入を膨脹させた各種の特殊要因は消滅したし,欧州経済の停滞的傾向により燃料や基礎財の対米輸入も第四・四半期には減少した。一方欧州の対米輸出はひぎつづき好調を維持したので,第四・四半期の対米収支尻は一年ぶりに黒字に転じた。
このように欧州の国際収支と金・ドル準備は五七年第四・四半期以来好転し,外貨危機も一応解消するに至つたが,この対外収支ポジションの妊転は欧州自体の引締め政策による経済活動の抑制と国際商品相場の低落を主軸としたものであったから,外貨危機に代つて今度は国内経済のデフレ的傾向と輸出の見透し難という新たな問題に直面しなければならなかつた。