第7節 弱含む卸売物価

[目次]  [戻る]  [次へ]

国内卸売物価は,97年4月の消費税率引上げの影響を除けば,安定局面から弱含み局面に入ってきた。国内卸売物価の下落には,国内需給の緩みだけではなく,原油価格低下やアジア経済の減速を背景とした輸入物価の下落の影響,さらに規制緩和や競争活発化による生産性上昇を反映した部分があり,景気停滞による面だけが強調されるべきではない。また,製品価格下落が企業収益を圧迫して国内最終需要を減少させ,それがさらに物価を下落させるという悪循環,いわゆる「デフレ・スパイラル」に陥る可能性を指摘する声があるが,現在は,原材料と製品の交易条件は改善し素材産業などの収益改善に寄与しており,「デフレ・スパイラル」と呼ばれるような状況にはない。さらに,4月には大型の「総合経済対策」が決定され,政策面の対応の効果が現れると期待される。今後は,何かといえば景気の循環的落ち込みへの懸念が頭をもたげ対策が必要になるという繰り返しから脱却するために,第2章で述べるような構造改革によって価格調整がスムーズに進む経済を築いていくことが求められる。

1. 弱含む卸売物価

(輸入物価の下落,国内卸売物価の弱含み)

国際商品市況は,アジア経済の減速等に伴う世界的な需給の緩和を反映して,97年前半以降大きく下落した。そのため,輸入物価も契約通貨ベースで下落が続いている。円ベースでも98年に入り前年比で下落が続いてきたが,4,5月は円安の影響からやや上昇した。

原油や銅の先物価格をみると,原油のイールドカーブは昨年末に比べてやや急になっており,スポット価格が低下する中で先高感が出てきていることを示しているが,その傾きは依然緩やかなものに止まっており大幅な上昇は見込まれていない。また,銅のイールドカーブは2年3か月先までフラットになっており,価格が安定して推移するとの見通しを示している。これらは,先行きも世界的な需給が緩和基調で推移し,価格低迷が続くとの市場の見方を反映しているとみられる(注1)。

国内卸売物価は,97年中はおおむね安定していたが,97年末以降,内外需給動向の緩み等を反映して弱含んでいる(第1-7-1図)。すなわち,国内の在庫調整の本格化を受け需給が緩んでいることに加え,輸入物価が,石油や非鉄などの国際商品市況の低下を反映して下落したことから,国内卸売物価の下落が続いている。また,電力料金も2月に引き下げられた。

消費者物価は,昨年9月の医療保険制度改正に伴い診察料が上昇要因として働いているが,石油製品などの商品価格の下落に電気通信や電気料金の低下が加わり,全体として安定しているものの,98年に入って上昇率が鈍化している。消費者物価は,卸売物価の下落を反映して一般商品を中心に上昇率が低下しているが,名目賃金に下方硬直性があることもあって一般サービス価格はおおむね横ばいで推移しており,上昇率低下のテンポは卸売物価下落のテンポに比べてかなり緩やかである(第1-7-2図)。

(物価の押し下げ要因)

97年末から98年春にかけての物価押し下げ要因としては,輸入物価の下落の影響や生産性上昇,規制緩和効果などによる部分も少なくなく,需給の緩みによって全面的に物価下落が進行している訳ではない。

すなわち,輸入物価下落の国内物価への波及がある。アジア経済の減速を背景とした国際商品市況の軟調が国内物価にも影響している。ただし,そのかなりの部分は原油等の素原材料価格の下落によるものである。また,電気通信や電力等様々な分野で,規制緩和や競争の活発化によって生産性が高まり,価格が引き下げられている(第1-7-3図)。

このように,現在国内物価には低下圧力がかかっているが,すべてが国内外の需給の悪化によるものという訳ではなく,積極的に評価すべきものも含まれている。

一方,需給要因をみると,国内最終需要の停滞,在庫の積み上がりのもと国内需給ギャップは95年後半程度の水準まで拡大しており(注2),国内の需給動向には引き続き注意が必要である。ただし,国際商品市況は低位を維持しつつも一頃に比べ急激な下落圧力は弱まっており,今後経済対策が実施に移されていけば需給ギャップの拡大にも歯止めがかかると期待される。

2. 「デフレ・スパイラル」の可能性

(「デフレ・スパイラル」とは?)

95年には急速な円高が進行する中,輸入物価の下落と輸入数量増のもたらす国内物価下落効果に加え,阪神淡路大震災の復興需要を見越した在庫の増加や社会的事件によるマインド悪化の影響もあって,物価の下落と実体経済の縮小とが相互作用的に進行するという,いわゆる「デフレ・スパイラル」が懸念された。物価下落に対する日本経済の調整能力が問われた訳である。現実には大型の景気刺激策で下支えをする形となった。また,95年には金融が一層緩和され,貸出の実質金利は95年後半から過去の平均を下回り始めた。円高のスピードとバブル崩壊後の日本経済の「体力」低下とで自律的調整は困難であった。

現在,景気の停滞と輸入物価の下落が続く中で,「デフレ・スパイラル」に対する懸念が再び言われている。

「デフレ・スパイラル」とは次のような現象としてとらえられる( 第1-7-4図 )。①物価下落が企業の売上高を減少させる。②その際賃金コスト等生産要素価格はある程度下方硬直性を持つため企業収益を引き下げ,企業は減収減益という状況になる。③物価下落により実質金利が高止まりし,金融緩和効果の発現を妨げる。④企業の減収減益が企業行動を慎重化させ設備投資などの最終需要の低下が国内需給を更に悪化させる。「デフレ・スパイラル」とは,上記のような経路を通じて物価下落と実体経済の縮小とが相互作用的に進行することを指している。

また,「資産デフレ・スパイラル」を指摘する声もある。①先行きの需要予想の弱さが地価や株価を低下させ,負の資産効果を通じて,あるいは②名目的な債務金額が変わらないのに資産価格が下落して一層のバランスシート調整を余儀なくさせることを通じて,消費や設備投資を低下させる。また金融機関は不動産担保に依拠する貸出を抑制するため,貸出が伸びない要因となる。

(交易条件改善効果)

現状においても,製品価格の下落が企業収益を圧迫することが懸念されている。しかし,原材料と製品の交易条件をみると昨年秋以降大幅に改善しており(第1-7-5図①),企業収益はむしろ下支えされている。すなわち,産出物価は97年8月から98年5月にかけて0.5%下落したが,投入物価の下落の方が2.6%とはるかに大きいため交易条件の改善を通じて,ネットでは企業収益にプラスに寄与している。投入物価の下落幅が大きいのは,原油等の素原材料価格を中心とする輸入物価の下落によるところが大きい。95年には「デフレ・スパイラル」の懸念材料であった輸入物価の下落が,今次局面では企業収益の下支え要因になっているのである。

94~95年当時と比べて大きく違う点は輸入最終財価格の低下幅である。現在も円はアジア通貨に対してかなりの円高水準となっているが,アジア各国の国内物価が上昇していることもあってアジアからの輸入品の価格低下幅は小さい。また,当時のように,ドルなど主要通貨に対して円高となっている訳ではない。このため,輸入最終財価格の低下幅は小さく,輸入浸透度(国内需要に占める輸入のシェア)を比べると,現在水準は高いものの伸び率が抑えられていることから(第1-7-5図②),95年初のように急激に輸入が拡大して最終財の内外価格差を縮小するような価格低下圧力がかかり,この面から企業収益が圧迫される状況ではなくなっている(注3)。

こうしたことから,現在既に日本経済が「デフレ・スパイラル」状態に入っているとか,入りかけているという指摘は当たらない。

(「デフレ・スパイラル」懸念の払拭)

交易条件の改善が企業収益を下支えする中にあっても,「デフレ・スパイラル」懸念を指摘する声がある。

第一に,投入価格の低下が徐々に製品価格に転嫁されると考えられる。売り上げが増加しないと,名目賃金にはある程度下方硬直性があるため,労働分配率は上昇し企業収益は圧迫される可能性がある。これによって,企業の投資マインドがさらに慎重になる,企業倒産が増大する,消費者マインドがさらに萎縮する,といった可能性がある。

第二に,名目賃金に下方硬直性があるということは,企業収益にはマイナスであっても,家計の実質購買力が増加して,景気に対して潜在的にはプラス要因になるはずである。また,家計の保有する金融資産の実質価値の上昇も,家計支出を増加させる効果があるはずである。しかし,購買力の増加が消費の増加に結びつかず,価格下落のプラスの効果が顕在化しないとすれば,それは家計のマインドが厳しいことによるものである。このことは,交易条件改善による日本経済全体の実質購買力の増加に関しても当てはまる。

第三に,バブル後遺症としての資産価格下落や金融機関の不良債権問題解決の遅れが影響してくる可能性もある。金融機関の貸出態度の慎重さが続けば,名目貸出金利が下げ渋る中で,物価の下落が先行きさらに実質金利の上昇をもたらす可能性がある。また物価の下落が景況感の冷え込みを通じて地価や株価の低下をもたらし,負の資産効果を通じて消費や設備投資が低下したり,不動産担保融資が抑制される可能性がある。

ただし,「総合経済対策」など政策面の対応の効果が現れていくことから,需給ギャップも縮小に向かうとみられ,「デフレ・スパイラル」に陥るような状況にはないものと考えられる。

(「デフレ・スパイラル」の心配のない経済構造を)

「デフレ・スパイラル」は物価の下落と民間部門の収益や経済活動の減退とが相乗的に進行するプロセスであると考えられる。その際,ある部門で生じた価格下落が,その部門の製品を中間財として使用する他の部門の製品価格に速やかに反映されていくならば,実物経済に大きなショックなしに円滑な調整が行われると考えられる。

90年代に入って,「デフレ・スパイラル」的状況とは言えないまでも,何回かにわたって景気が悪循環に陥り底割れしかねない状況に直面し,その都度政策面から下支えしてきた。しかし,景気が減速すると悪循環な動きが出て政策的てこ入れが必要になるという繰り返しから,日本経済は脱却しなければならない。そのためには,民需中心の自律的回復軌道に経済を乗せるとともに,物価下落のプラス面がより発揮されるような柔軟な経済構造,資産価格の変動に左右されにくい経済構造への転換が必要である。将来に対する展望を国民が共有し,不透明感による経済活動の萎縮を払拭することが重要であるとともに,具体的には,次のような日本経済の構造にかかる問題への取り組み(注4)が,ここでも有効であると考える。

第一に,日本経済の「体力」は資本ストック調整や雇用調整などの面では一頃に比べて改善しているが,なおバブル後遺症を抱え,ストック面では必ずしも回復しているとは言えないので,不良債権・不良資産の処理を進め,リスク対応力を回復する必要がある。

第二に,資産デフレの影響から脱するには,不良債権問題,不良資産問題を解決するとともに,金融機関においては,株式含み益に依存する経営,不動産担保に安易に依存する貸出,というやり方から脱却することが必要である

第三に,相対的低生産性部門での競争が活発化し,コスト低下が製品価格に速やかに反映されるようになり,消費者の購買力の上昇や国際競争にさらされる企業のコスト低下に直結するようになることが重要である。

[目次]  [戻る]  [次へ]