第7節 財政政策

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1. 景気を下支えした財政政策

(今回の景気後退局面以降の財政政策)

91年2月を山とする今回の景気後退局面における財政政策としては,まず,公共投資の大幅な増加が挙げられる。公的固定資本形成の伸び率(前年度比)をみると(第1-7-1図),91年度7.2%増,92年度16.6%増,93年度12.6%増と過去に例をみない増加を示した。これは92年8月の総合経済対策以降,累次の経済対策において公共投資の積み増しが行われたことによる(第1-7-2図)。ただし,94年度に入ると公的固定資本形成は1.0%減となった。当時の状況判断としては,公共投資を高水準に保つことで民間需要へのバトンタッチを期待したものであった。

税制面においては,94年度から96年度にかけて個人所得課税について約16.5兆円の先行減税等が行われた。これは,94年度に5.5兆円の特別減税(当年度限りの減税),95年度及び96年度に2.0兆円の特別減税と3.5兆円の制度減税(恒久的な減税)を行うというもので,97年度の消費税率の引上げによる増収額と所得課税の恒久減税額がおおむね見合う形となっている。

(95年度に入っての経済対策と公共投資の増加)

95年に入ってからは急速な円高やアメリカ経済の減速等がみられ,こうしたことを背景に年央には景気に足踏みがみられるようになった。このような状況の中で,政府は95年2月の補正予算の編成,4月の緊急円高・経済対策以降,公共事業の施行促進等の施策を講じ,9月には過去最大規模の公共投資を含む経済対策を策定した(前掲第1-7-2図)。

これらの経済対策は,景気のダウンサイドリスクの顕在化を防止する効果を持ったとみられる。公共工事着工工事費の動向をみると(前掲第1-7-1図),施行促進や一次補正予算の効果等から95年度前半に前年比増加基調となり,10~12月期は減少したものの,95年末から二次補正予算の効果が現れたことから前年比大幅増となり,95年度の公的固定資本形成も10.0%増となった。実質GDP成長率に対する公的固定資本形成の寄与度は,95年4~6月期の前期比成長率0.6%に対して0.3%,7~9月期成長率0.6%に対して0.5%,10~12月期成長率1.2%に対して0.6%と,この時期の経済成長率の大半を占めている。この時期の成長は正に公共投資主導型の成長であった。しかし,96年1~3月期には成長率3.0%に対し公的固定資本形成の寄与度は0.8%,民需寄与度は2.1%となり,民需の堅調さが増してきている。

また,減税の効果をみると,94年度の家計の収入(受取)の対前年度比増加率は0.7%に鈍化したものの,直接税の支払が同13.9%減と大幅に減少したことから,可処分所得は同2.0%増となった。なお,社会保険料の引上げから社会保障負担も増加したが,直接税の減少の方が大きかった。一方,減税をした場合,貯蓄率が上昇して減税による可処分所得増加の効果を打ち消してしまう可能性もあるが,94年度の貯蓄率は13.2%と,前年の13.1%からほとんど上昇しなかった。以上より,94年度の所得減税は個人消費の下支え役を果たしたものといえるであろう。もっとも,93年度の家計の収入は前年度比1.8%増であったことから,可処分所得は同2.8%増,個人消費は同1.7%増であったが,94年度の個人消費は同1.5%増と前年より低い伸びとなったように,所得減税が家計収入の鈍化を完全に打ち消すことはできなかった。

(政策金融の拡大)

91年2月の景気の山以降の財政政策の特徴として,財政投融資が景気対策に活用されたことが挙げられよう。特に,貸出金利の低下もあって,92,93年度は住宅金融や中小企業金融が大幅に増加した(第1-7-3図)。こうした政策金融の拡大は住宅投資等を金融面から下支えしたといえる。

2. 財政状況の悪化

(財政赤字の拡大)

前項で述べたような大幅かつ継続的な財政政策は,我が国財政を急速に悪化させることとなった。我が国の財政状況をみると(第1-7-4表),中央政府,地方政府とも大幅な赤字に転じている。社会保障基金は黒字となっているが,この黒字も若干縮小してきている。OECDの資料により一般政府財政収支をみると(第1-7-5表),93年に赤字に転じた後急速に赤字幅が拡大し,95年には対GDP比で3.9%で,96年には更に拡大すると見込まれている。一般政府のうち社会保障基金は現在黒字を維持しているが,これは急速に進展すると見込まれる高齢化に備えて積み立てられているものであり,フローベースで年々の赤字を賄うために使われるべきものではない。そこで,一般政府から社会保障基金を除いた収支をみると,92年以降赤字幅が拡大し,95年には6.6%の赤字となっている。これはアメリカの2.8%を大幅に上回っているだけでなく,EU平均の4.8%よりもかなり高く,国際的にみても相当大幅な赤字といえるであろう。

(政府債務残高の増加)

一般政府債務残高の対GDP比も(前掲第1-7-5表),93年以降急激に上昇し,95年には81.3%,97年には100%近くに達すると見込まれている。これは,アメリカやEUと比べて高いばかりでなく,アメリカやEUの債務残高の対GDP比が今後頭打ちになると見込まれていることに比べて,状況が極めて厳しいことを示している。95年において日本より債務残高の対GDP比が大きい国は,OECDの中では6か国のみであり,さらに,債務残高が100%を超えているのは,ベルギー(133.5%),イタリア(123.0%),ギリシャ(111.5%)の3か国のみである。

3. 公共投資の短期的効果

既に述べたように,今回景気局面においては,需要拡大策として公共投資が大幅に増加された。公共投資は中長期的な観点から快適な生活環境の形成等良質な社会資本ストックの形成を目的として行われるものであるが,短期の需要拡大効果や中期の生産力効果もあるので,本項では公共投資の短期的な景気刺激効果を分析し,次項では財政政策の中期的な影響を取り上げる。

(過去の年次経済報告における分析の整理)

最近の年次経済報告においては,平成6年度(第1章第10節)及び7年度(第3章第1節)において分析が行われている。

平成6年度年次経済報告においては,公共投資の景気刺激効果が低下する条件として,①限界的労働分配率の低下,②限界消費性向の低下,③公共投資が各産業の稼働率を上昇させて設備投資を刺激する程度の低下,④限界輸入性向の上昇の4つを検討し,①から③についてはそうした低下がみられないとし,④については,限界輸入性向は確かに上昇して需要増が輸入に漏れ出す効果が大きくなっている可能性があるものの,輸入のGDPに占めるシェアは7%に過ぎず,公共投資の効果を大幅に減殺するほどのインパクトはないとしている。

平成7年度年次経済報告においては,財政赤字が長期金利を上昇させて設備投資を抑制する「クラウディング・アウト効果」や為替レートが増価して純輸出を減少させる「マンデル・フレミング効果」について検討し,少なくとも85年以降財政赤字の拡大が金利を上昇させたり,為替レートを増価させたりする効果はなかったと結論している。すなわち,理論的なクラウディング・アウト効果やマンデル・フレミング効果は実証的には観測されず,したがって,このような経路から財政政策の景気浮揚効果が低下したわけではないとしている。

(公共投資の民間需要刺激効果)

平成6年度及び7年度の年次経済報告での分析は,公共投資の乗数過程の変化の可能性や金利や為替レートへの影響を検討するというある意味で間接的なアプローチであった。ここでは以上の分析を補完する意味で,金利や為替レートのような金融変数以外に,民間需要や外需といった変数を含んだVARモデルを推計し,公共投資が民間需要や外需にどのような影響を与えるかを直接に検討することにする。ただし,こうしたモデルによる分析は幅をもって解釈する必要がある。

推計結果をみると(第1-7-6図),公共投資から金利や為替レートへの影響は観察されず,したがって,外需への直接的な影響もみられない。すなわち,公共投資が金利もしくは為替レートを上昇させることによって民間需要を減少させるという効果は認められず,こうした経路から財政政策の効果が弱まったと判断することはできないということは,この分析でも確認されたといえる。次に,90年代のデータを除外して推計すると公共投資から民間需要への影響が認められるが,90年代のデータを入れると80年代までほどその影響が明確ではない。これは,90年代にはケインズ理論において想定されている民間需要に対する乗数効果がなくなったというよりは,バブル崩壊等の影響により相殺されて顕在化しなかったことを意味しているものと考えられる。すなわち,90年代における特別の事情,とりわけバブル崩壊により設備投資等が低迷していたことにより,乗数効果が顕在化しなかったものと考えられる。

(90年代における公共投資拡大の景気刺激効果)

90年代に過去に例をみないほど増加した公共投資はどれだけ経済成長率を高めたのであろうか。公共投資の増加は,上で検討した乗数効果を通じて民間需要を刺激する効果のほか,自分自身が需要となって直接成長率を高める効果がある。この2つの効果を織り込んで,90年代における公共投資拡大の景気刺激効果を測定することとする。

具体的には,GDP成長率を公共投資やマネーサプライで説明する推計式を作り,仮に公共投資が90年以降に80年代後半のトレンドでしか増加しなかった場合のGDP成長率を推計した。公共投資拡大の効果を含まない推計値が実績値を下回っていれば,90年代における公共投資の増加が成長率を押し上げたことになる。推計結果は幅をもって解釈する必要があるが,結果をみると(第1-7-7図),公共投資の拡大は,93年から94年にかけてGDP成長率を1%ポイント程度押し上げる効果があったとみられる。これは,92年度から93年度にかけて公共投資が15%前後増加したことと対応しており,公共投資のGDPに占めるシェアが8%程度であったことを勘案すると,90年代においては,公共投資自身の需要としての効果が主体であり,公共投資はそれ自体の成長率押上げ効果から景気を下支えしたものの,民間需要に対する波及効果(乗数効果)はバブル崩壊等の影響により相殺されて顕在化しなかったとみられる。

4. 財政の中期的戦略

(短期的財政政策の中期的影響)

第3項でみたように,公共投資は短期的な景気刺激効果を持つが,これは従来の財政赤字の規模を前提としたものであった。財政赤字が極端に拡大したり,急激に悪化したりすると,人々の経済の将来に対するコンフィデンスを悪化させて,かえって経済成長率を低下させる可能性が指摘されている。これは,「非ケインズ効果」と呼ばれる。このような効果が存在するかどうかを確認するために,OECD諸国のデータを用い,財政状況が悪化した場合とそうでない場合において減税や社会保障移転,政府消費の増加が消費に及ぼす影響が異なるかどうかを一般的に調べてみた(第1-7-8表)。その結果は,対GDP比5%程度の大きさの財政赤字では消費に対するマイナスの効果は観察されず,ケインズ的な需要刺激効果があるという結果となっている。しかし,財政赤字が持続的に拡大した場合をみると,消費に対してマイナスの影響は観察されないものの,プラスの効果も検出されなくなっている。こうしたことを踏まえると,将来的に継続して大幅な財政赤字が生じれば,拡張的財政政策が消費を刺激する効果も減殺される可能性があることに留意すべきである。

また,財政政策の中長期的な効果についても検討する必要がある。財政支出のなかでも公共投資は産業活動の基盤を提供し,経済活動が効率的に行われるようになることから,民間部門の生産性を上昇させて経済の中期的な成長力を高める効果を有するとされている。これを公共投資の生産力効果と呼ぶが,こうした生産力効果を推計してみると,70年代後半以降,下がってきているとみられる(第1-7-9図)。ただし,80年代には小幅な上昇を示した。なお,以上の結果はあくまで推計値であり,幅をもってみる必要がある。財政支出は景気変動を平準化することには役立ち,「公共投資基本計画」に基づき公共投資が快適な生活環境の形成,新しい経済の発展基盤の構築等の役割を担い経済社会情勢の変化を見通し長期的視点から行っていくべきものであることはもちろんであるが,中長期的には,以上のような財政政策の側面も考慮していく必要がある。

(財政赤字の長期的な問題点)

財政赤字の持続的拡大若しくは政府債務の累増の問題点としては,次のようなことが指摘できる。第一に,政府債務はその分民間貯蓄を吸収してしまい,資本蓄積を妨げるおそれがある。90年代前半のように,経済成長が低迷し資金需要も弱い時期には政府赤字のクラウディング・アウト効果もほとんどないと考えられるが,長期的には貯蓄が減少する可能性があることから,政府債務が累積することは深刻な問題となり得る。第二に,政府債務に対する利払いが巨額なものとなり,利払い以外の支出に十分支出を振り向けることができなくなるおそれがある。第三に,現在の財政赤字が将来の世代に真に利益をもたらすものでなければ,将来国債償還のために必要となる増税は将来世代の便益に見合わないものとなり,非効率かつ不公平なものとなる。第四に,政府債務が異常に大きなものとなると,返済可能性に対する市場の信認を損ない,国債の発行コストの増大,ひいては金利の急激な上昇を招き,経済の資金循環に支障が生じるおそれがある。OECD諸国の中で政府債務の対GDP比が125%を超えているのは一国だけであること,150%を超えているのは一国もないことに鑑み,日本の政府債務が2020年までに対GDP比でどのくらいの水準まで上昇する可能性があるかを過去の金利や経済成長率の動向を基に試算してみた(第1-7-10表)。その試算によると,財政赤字の対GDP比が3%で継続する場合,政府債務の対GDP比が125%を超える確率は62%,150%を超える確率は38%あり,政府債務の対GDP比が150%に達しないようにするには財政赤字をGDPの1%以内に抑える必要があり,125%に達しないためには均衡財政を達成する必要がある。平成8年度における財政赤字の対GDP比の見通しは7.3%と国際的にみても過去の水準からみても高水準であることを考えると,相当厳しい財政構造改革に取り組まなければ,政府債務の対GDP比は非常に大きな値となってしまい,市場の信認を失ってしまう可能性を排除できない。ただし,以上の分析については,政府債務の規模と市場の信認の数量的関係は必ずしも明確ではなく,財政運営の数値目標を明示するものではない。

以上のように,政府債務が累増した場合,長期的には経済にマイナスの影響を及ぼす可能性もあり,今後は財政構造改革と経済構造改革を推進しないと,将来様々な憂慮すべき事態に陥らないとも限らないことを銘記すべきである。

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